猫はかわいいが、子供はかわいいと思えない…『完全自殺マニュアル』著者が感じた「日本の生きづらさ」の正体
プレジデントオンライン / 2023年6月9日 14時15分
※本稿は、鶴見済『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
■「子どもさえいれば幸せになれた」は正しいのか
このことは初めて公にするのだが、自分には同居しているパートナーがいる。
同居はもう20年近く続いていて、10年目くらいの時に、やむを得ない事情で結婚の届けを出すことになった。やりたくてやったわけではないので、結婚したとは言いたくない。「届けは出した」と言っておきたい。
男女二人で暮らしていると、「子どもがいない」ということを、まわりからだけでなく自分たちでもより強く意識せざるをえない。
それでも自分は、子どもが欲しいとは思わない。できたらそれでもいいけれども、できないほうがありがたいと思ってきた。
「子どもさえいれば幸せになれたのに」と思ったことがない。
育った家庭のせいで、自分は子どもに対する幻想を持てないのかもしれない。
分別のついた大人どうしでさえ、ぶつかって嫌になることばかりなのだ。子ども相手でそれが起きないわけがない。もう自分の家庭で味わったような思いはしたくない。
父親としてやらなければいけないたくさんのことの代わりに、自分はこの人生で、本当に心からやりたいことをしたい。
まずはそんな人間もいるのかと思ってほしい。そして、それもそうだなと気を和らげてもらえたらもっとうれしい。
■猫ならかわいいが、子どもがかわいいと思えない
子どもは誰が見てもかわいいものだという奇妙な“常識”も、欠落感を刺激するものだ。
自分は子どもを、そんなにかわいいと思えない。
「あの人は子どもが嫌いみたいだから」と敬遠されたくないので、「子どもは好きだが」などと書いたこともあるが、本当はそれほどでもない。
猫ならかわいいと思うのに、自分としても不思議なことだ。
ただしある特定の状況では、「子どもがいれば」と思うことが何度もあった。
自分は家事をしながら暮らしているので、いわゆるママさん層とは興味関心が近いほうだ。地域で活動もしているので、ママさん界隈の人たちにもよく接する。
例えば、ある地域の小さなイベントでのこと。休憩時間に他の数人のママさんたちと話しはじめた。しばらくすると子育てが大変という話になり、まったく口を出せなくなった。その話が終わると次は学校の話と、延々と子ども関係の話が続いた。
他に逃げ場もなく、自分は気まずい相槌を打ちながら休憩時間をすごした。
「子どもがいないつらさは、周囲からの圧力によるところも大きいのかな」と感じる時だ。
自分にはいわゆるママさん層の友人が少ない。望ましいことではないけれども、自分が見る限りでは地域でも、子どものあるなしで人間関係はかなりはっきり分かれている。
■一生子どもを持たない人は3~4割になる
生涯子どもを持たない人は何割くらいいるのだろう?
ある調査によれば、2010年の段階で男性3割、女性が2割だった。それが2035年には、男性4割、女性3割に増える予測だという(※1)。
4割、3割という数字を見ると、これほど多くの人が幸せになれないはずはないなと思える。
海外ではどうだろう。アジアの先進国は、のきなみ少子化に悩まされている。韓国は出生率の低さでは世界一だが、台湾、香港、シンガポールも同じくらい低い。
驚くなかれ、これらの地域はすべて、2018年世界の出生率のワースト5に入っているのだ。低い低いと言われる日本はそれよりも少し高く、19番目の低さとなっている。
欧米の先進国も下位にずらりと顔を並べていて、上位百位以内には、開発途上国の名前しかない(※2)。
豊かとされる国では、人は子どもを産まなくなっているように思えないだろうか?
生物界全体を見てみよう。繁栄して数が増えている生物でも、無限に増えていかないのはなぜなのだろう。ネズミはネズミ算式に無限に増殖せず、必ずどこかで止まってしまう。
個体の数がいっぱいになってくると、食べ物がなくなったり空間が狭くなったりして、おのずと増えかたは減ってくる。典型的には、初めはゆっくり増えて、増殖期に急激に上がり、またゆるやかな横ばいになる。この曲線はSの字のようになる。
そして人間も生物だ。やはりこういうグラフを描くとされている。経済が成長している段階では、だいたいどの国でも人口は増えているが、やがてはその傾向も止まって、横ばいになるのだ(※3)。
明治時代から日本でも、人口はいきなり増えた。グラフを見れば、明治に入ってからの急角度の増えかたには誰でも驚くだろう。
人口はそのまま増え続けていたが、15年くらい前からとうとう減りはじめた。
■「子どもを産まない」のも生き物の習性
子どもが欲しくない自分でも、聞くとつらい言葉がある。「子孫を残すことが生き物の目的だ」という言葉だ。
もちろん一般的にそう言える。ただそれを聞くと、自分は何か大変な間違いを犯しているような気がしてしまう。
けれども個体数がいっぱいになれば、子どもを産まないのもまた生き物の習性だったのだ。日本で子どもを産まない人も、生き物の摂理にかなった選択をしているわけだ。
子どもがいない人はもう十分に多い。けれども市民権は満足に得られていないせいで、必要以上に「幸せになれない」と思わされているのかもしれない。
■いないことになっていた「子どもが嫌いな母親」
家族心理学という分野で、今反省されていることがある。
この世界では、親子の間の仲がいい側面ばかりが強調されて、たがいに嫌だと思う感情があることを認めてこなかったという。特に、子どもをかわいいと思わない母親はあってはならない存在として非難されていた。
けれどもそんな感情は多くの母親にあることがわかり、最近ようやく当たり前のことと見なされるようになったという(※4)。
先入観というものは、こんな当たり前のことまで歪めるのかと驚いてしまう。笑顔、愛、絆。そんな世間に出回っている家族のイメージが、かえって心を落ち込ませることがないだろうか。
もちろん、家族なんてそれだけのものではないとわかっている。毒親やDVのニュースはひっきりなしに聞こえてくる。
それなのにキラキラしたイメージが溢れていると、なんだか世の中に愛想が尽きてくる。
何だってそうじゃないかと言われれば、確かにそのとおりだ。生きることも友だちづきあいも、みんなハッピーで素晴らしいということになっている。それについては、自分はちょっと考えたい。
なぜそうなるのだろう? どれにしてもいい面悪い面半々のはずなのに、どういう力がそうさせるのだろう?
そして、こうしたイメージをメディアなどから大量に送り出すことは、人を嫌な気持ちにさせているのではないか。一歩踏み込んで、そんなふうにとらえたい。
■「母と子は一体」は大正時代から
家族のなかでも、というよりすべての人間関係のなかでも、母親と小さな子どもの間の愛ほど絶対視されているものはない。これはどこから来たのだろう。
母と子の愛は、大昔からこんなふうに持ち上げられていたわけではない。そもそも子どもは江戸時代まで労働力と見なされていて、今のように愛情を注ぐ対象とされていなかったのだ。これはもちろん、かつての欧米でも同じだった。
母と子は一体であるといった価値観は、大正時代になってようやく大々的に宣伝されはじめたことだった。
この頃、乳児死亡率の高さが問題になって、母親に子どもを責任を持って育てさせようという気運が高まった。“母性”という言葉は、ここで初めて大きく持ち出された(※5)。
つまりもともとは、子を愛せと上から指図をするための言葉だったのだ。
このせいで大正時代には、江戸時代には少なかった母子心中が急増してしまった。母親が子育ての負担をひとりで引き受けねばならなくなったのも、この時からの流れだ。
家庭のイメージと言えば、食卓を囲む一家団欒の図だが、これもなにかおかしい。
実は、日本で食卓を囲んで一家団欒をしていたのは、1955年から1975年の20年間くらいのことだそうだ。特に70年代は9割もの家庭が食卓を囲んでいた(※6)。
70年代とは結婚率や登校率など、様々なものがピークを迎えた特殊な時代だったのだ。
■上から押しつけられた「一家団欒」
自分の家庭では、夕食はテレビを見ながらとっていたので、何か話をしていた記憶はない。けんかをしている時は、早く食べ終わって自分の部屋に行きたいとしか思わなかった。そんな食卓だったので、一家団欒からはほど遠かった。
しかも少し話はずれるが、小学校高学年から中学の頃は、父親が不潔に思えてしかたがなかった。食卓では隣に父親が座っているので、食事をしながら掘りごたつのなかで父親と足が触れ合わないようにいつも気をつけていた。
触れてしまうと嫌な気持ちになるので、食べ終わった後で形だけでも足を何かで拭いたりした。
別に不潔恐怖症だったわけではない。父親を不潔に感じるのは、このくらいの年齢ではよくあることと言われる。父親の下着を一緒に洗濯してほしくない娘の話をよく聞く。
もちろん親は何も悪くない。親子であっても、生理的な嫌悪感を持つこともあるのだ。
では家庭の団欒のああしたイメージは、いつから世に溢れかえったのだろう。
実は一家団欒もまた、古くからあったものではない。これも明治時代になって教科書や雑誌に載りだしたもので、もともと欧米の影響で上から押しつけられたと言っていい。
明治以降も戦前まで、家族でそろって食事をする機会は多くなかった。しかも黙って食べるのがマナーとされていたので、今我々が想像する団欒からはほど遠かったようだ。戦前まではずっとそんな調子だったそうだ。
■「過剰な善意」がもたらす生きづらさ
愛に溢れた家庭のイメージは、もともと「これからはこうしましょう」「これが理想ですよ」と、啓蒙のために上から押しつけられたものだったと言える。
もちろんそれまでの厳しい親子関係よりは、団欒のほうがマシだろう。他の素晴らしいイメージにしても、言われはじめた時点では、そんなものだったのではないか。
けれどもそれがいったん啓蒙運動の波に乗ってしまうと、もう十分となってもなかなか止まらない。それがすでに人を傷つけていても、気づかず広め続けられる。そんなところではないかと睨んでいる。
こういうものは明確な悪ではないので、否定するのもなかなか難しい。けれどもこれからはこんな「過剰な善意」がひき起こす生きづらさも、十分考えなければいけない。
※1『超ソロ社会』荒川和久、PHP研究所
※2 2018年の世界銀行の統計に台湾のデータを追加した
※3『社会学入門』見田宗介、岩波書店
※4『よくわかる家族心理学』柏木惠子編著、ミネルヴァ書房
※5『よくわかる現代家族第二版』神原文子他編著、ミネルヴァ書房
※6『宮城学院女子大学生活環境科学研究所研究報告』44巻(2012年)
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フリーライター
1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は10代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。
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(フリーライター 鶴見 済)
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