こうして世襲議員は選挙に勝つ…岸田首相が「広島出身」を装い安倍元首相が「山口はふるさと」と言った理由
プレジデントオンライン / 2023年6月16日 10時15分
■岸田首相は「広島生まれ」とは書いていない
岸田文雄首相の公式ホームページの「プロフィール」には、「1957年(昭和32年) 生まれ」とだけ書かれていて、出生地は明記していない。さらに小学校から中学校、高校の名前は記載がなく、いきなり、「1982年(昭和57年) 早稲田大学法学部卒業」となっている。高校は名門・開成高校なのに記載していないのだ。
政治家は一般に、出生地や学校は細かく記載する。「俺と同じ高校なんだ」「わたしの中学を出ている」と分かると票を入れてくれそうだからだ。
しかし岸田首相の場合、出生地や学校を書いても票にならない。むしろ、広島と縁がないことがバレてしまい、選挙にマイナスだという判断なのだろう。
岸田首相は1957年7月29日に東京で生まれた。この時、祖父・正記は存命だったが国会議員は引退しており(61年に亡くなる)、父は通産官僚だった。
父・文武の転勤で、文雄は小学校時代をニューヨークで過ごす。その後も中学、高校、大学と東京で過ごしている。
世襲3世の岸田首相自身は広島と縁がないのだ。
■安倍氏は「山口は私のふるさと」と臆面もなく述べた
ちなみに岸田首相と同じ世襲3世だった安倍氏も東京で生まれ育っている。学校も小学校から大学まで成蹊(東京)で、山口県で暮らしたことはない。よって山口県は安倍氏の故郷ではない。
安倍政権でのG7サミットは2016年の三重県伊勢志摩だったが、2016年12月に、ロシアのプーチン大統領が来日し、安倍首相(当時)の「地元」山口県で首脳会談が開かれた。
この時、安倍氏は「私のふるさとに来ていただいた」と胸を張ったが、これは嘘である。
■政治家の家系・岸田家の歴史
安倍氏は臆面もなく、「故郷の山口」と言っていたが、岸田首相は、「広島を選挙区とする政治家」という言い方をする。広島を「故郷」とは言わない。あるいは、「言えない」。
2人は同世代の3世議員だが、その性格は違うようだ。
(本稿では歴史的記述となるので敬称は省略する。戦後政治の世襲については、『世襲 政治・企業・歌舞伎』(幻冬舎新書)に詳しく書いたので、お読みいただきたい)
広島の岸田家の近代の歴史は、文雄の曽祖父・幾太郎(1867〜1908)に始まる。幾太郎は1891年(明治24)頃から広島で海産物の販売業を始め、呉服、材木、金物まで扱うようになり、不動産事業にまで拡大したが、40歳で急死した。
幾太郎の長男(文雄の祖父)の岸田正記(1895〜1961)は京都帝国大学法学部を卒業し、父の事業を継ぐ。その後、1928年(昭和3)の衆院選に立憲政友会公認で広島1区から立候補し当選。
政治家の家系・岸田家の歴史はここからはじまる。
■世襲2世は社会人としても実績があった
世襲2世、つまり岸田文雄と安倍晋三の父の世代は、社会人としての実績をあげてから政界に転じている。
岸田文雄の父、岸田文武(1926〜92)は1945年に東京帝国大学法学部に入学。48年に卒業している。商工省(後、通産省、経産省)に入り、中小企業庁長官まで出世したところで、78年に退官。79年の衆院選で、かつて父が出ていた広島1区から立候補して初当選した。この時53歳になっていた。
安倍晋太郎は東京帝国大学法学部を卒業。毎日新聞の記者となり、岸信介に目をかけられて、娘・洋子と1951年に結婚。三人の男子が生まれ、その次男が晋三である。三男・信夫は、生まれるとすぐに、洋子の兄の養子となり、岸信夫となる。
安倍晋太郎が政治家へ転身するのは1958年。父・安倍寛がかつて出ていた選挙区・山口1区から立候補しようとした。
だが寛が亡くなってから12年が過ぎており、地盤は他の政治家に回されていて、晋太郎が立候補したいと言っても、返してくれなかった。
そこで、岳父の岸信介とその実弟の佐藤栄作が調整し、山口1区の別の現職議員を参議院へまわし、ようやく自民党の公認を得て当選した。
■2世と違い、世襲3世は東大に行けなかった
岸田文雄は父が出た東大を目指したが、三度受験に失敗している。さすがに3浪はできなかったのか、1978年に早稲田大学法学部に入学した。
安倍晋三は、父も祖父も、そして母方の祖父(岸信介)も東大を卒業していたが、小学校から成蹊に入り、大学も成蹊だった。東大を目指した形跡はない。
岸田文雄が早稲田大学2年だった79年に、父・文武が衆院選に初めて立候補、その選挙を手伝っている。これが政治と触れ合うきっかけとなったと思われる。
■「宏池会と関係の深い銀行」に入った岸田首相
岸田文雄の父・文武は衆議院議員に当選すると宏池会に入った。岸田文雄は1982年に早大を卒業すると、日本長期信用銀行に入ったが、この銀行は、宏池会創立者の池田勇人が大蔵大臣時代に主導してできた。これを偶然と思う人はいないだろう。岸田文雄は1987年に銀行を辞めて父・文武の秘書になった。
90年の総選挙で文武は5期目の当選を果たし、91年には親戚である宮澤喜一が総理大臣となった。しかし、文武は92年に在職のまま亡くなった。
■父・安倍晋太郎ゆかりの企業に就職した安倍晋三
安倍晋三は1977年に成蹊大学を卒業すると渡米し、南カリフォルニア大学へ留学したが何の資格も得ずに帰国し、79年に神戸製鋼所へ入社した。
神戸製鋼所は山口県下関に長府製造所を持っているが、下関は父・安倍晋太郎の選挙区である。これを偶然と思う人はいないだろう。
■社会人経験に乏しい世襲3世
1982年、安倍晋太郎が外務大臣になると、安倍晋三は神戸製鋼所を辞めて秘書官となった。会社員生活は3年ほどとなる。
安倍晋三と岸田文雄は2人とも大学を出たあと、数年間ではあるが、会社勤めをしている。大学を出てすぐ父の秘書になったわけではない。
しかし、2人とも社会人としての実績に乏しい。
■それでも世襲議員が大臣になる理由
1993年6月、宮澤内閣不信任決議案が可決され、衆議院は解散、総選挙となった。
自民党は過半数を割り、日本新党の細川護煕が総理大臣に指名され、連立政権が誕生した。
自民党にとって厳しい選挙だったが、この選挙で安倍晋三と岸田文雄はともに初当選している。
世襲議員は選挙に強い。
安倍晋三は38歳(9月で39歳)、岸田文雄は36歳で初当選し、以後、当選を重ねている。
政界は、学力・学識・教養・人格・性格より、当選回数が重視される世界だ。30代で議員になると、だいたい50代で当選5回か6回になるので、よほどのことがない限り、50代で大臣になれる。
安倍晋三は2000年の森内閣から、次の小泉内閣の03年まで内閣官房副長官、当選5回となった05年から06年まで小泉内閣の内閣官房長官として初入閣。他に大臣経験はない。
岸田文雄も当選5回で、2007年の第一次安倍内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣。続く福田内閣でも留任した。
■政治家としての地位・実績では2世をしのぐ
安倍晋三は2006年に内閣総理大臣となり、07年に辞任したが、2012年に返り咲き2020年までの長期政権となった。
岸田文雄は2012年に宏池会会長となり、総理大臣を目指すポジションに就いた。同年12月に自民党が政権を奪還して第二次安倍政権が始まると外務大臣となり、17年8月まで続けた。
2020年8月に安倍晋三が辞任表明し、自民党総裁選となると、岸田文雄も立候補したが、菅義偉に完敗。
しかし、その菅義偉政権は1年で瓦解(がかい)。21年9月の総裁選で岸田が勝ち、10月4日に内閣総理大臣に指名された。
■世襲批判が集中する世襲4世
世襲3世の岸田文雄と安倍晋三は、学歴、社会人としての実績では、2人とも父・祖父に劣っている。だが、政界で得た地位は、父を超えている。
では、その次の世襲4世はどうだろうか。
安倍晋三には子がなかったので、彼の死後に行われた補欠選挙では、血縁ではない市議会議員が立候補して当選した。
安倍晋三の実弟で、防衛大臣を務めた岸信夫は体調不良で議員を辞職し、その息子の信千世が世襲4世として補欠選挙に立候補し、当選した。
信千世の選挙は楽勝かと思われたが、ホームページに家系図を記載したことで、思わぬ世襲批判が沸き起こり、予想以上に苦戦した。
一方、岸田家の世襲4世、岸田文雄首相の長男・岸田翔太郎は、首相公邸で親戚と忘年会をした時の写真が流出し、これが問題となって首相秘書官を辞職した。
■「広島で生まれ育った」と言えない弱点
岸田翔太郎は父・文雄とは異なり、広島で育ち、小学校は難関校の広島大学付属東雲、中学・高校は名門の修道中学・高校、大学は慶應義塾だ。一方、岸信千世は幼稚舎から慶應義塾である。
岸田首相は広島で暮らしたことがなく、学校も広島ではない。したがって、彼個人の広島での人脈が乏しい。何よりも、「広島で生まれ育った」と言えない。その弱点を克服するために、息子の翔太郎は広島の学校に通わせたのかもしれない。たしかに、選挙では有利だろう。岸信千代は、岸信介から数えれば4世だが、山口県では暮らしていない。それでも当選してしまう。
■世襲制度は崩壊寸前
翔太郎は慶應義塾大学を卒業すると2014年に三井物産に入ったが、2020年に辞めて岸田事務所に入り、22年10月に首相秘書官となった。
この首相秘書官就任時点で、「公私混同」だとの批判が上がり、何らかの実績を上げれば、「さすが、総理の子は優秀だ」となっただろうが、その逆だった。総理の外遊に随行したが、観光していたと批判され、それはどうにかかわしたが、公邸での忘年会が致命傷となった。
岸信千世も立候補表明の段階から世襲批判にさらされた。3世の岸田文雄や安倍晋三は初当選するまでは「お父さんの秘書」でしかなく、何の実績もないが、悪い評判もなかった。だが4世の岸田翔太郎は議員でもないのに、岸信千世は1年生議員の段階で、全国的に悪い評判が立った。安部家は4世が生まれず、世襲できなかった。血脈に依存する制度には限界がある。息子がいても優秀とは限らない。
世襲は制度疲労を起こし、いまや崩壊寸前だ。世襲政治家の一族が自滅するのはいいが、これを放置していたら、国家が滅びてしまう。
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作家
1960年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、2014年まで代表取締役編集長として雑誌『クラシックジャーナル』ほか、音楽家や文学者の評伝や写真集の編集・出版を手掛ける。クラシック音楽はもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博している。
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(作家 中川 右介)
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