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「コスパ至上主義」は結局コスパが悪い…有給休暇を限界まで使い切ろうとする人に根本的に欠けている視点

プレジデントオンライン / 2023年6月14日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Chaiyaporn1144

有給休暇といった制度はどのように活用すべきか。実業家の平川克美さんは「制度は『ほどほど』に使ったほうがいい。限界まで使い切ろうとする人は、自分の利得を基準に行動する人間であると周囲から思われるリスクについて、過小評価している」という――。(前編/全2回)

※本稿は、平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)の一部を再編集したものです。

■制度を限界まで使い切ろうとする人にモヤモヤする

今の20代の人たちは、男女を問わず、「制度」を限界ぎりぎりまで使い切ろうとする傾向があるように感じます。たとえば、産休や育児時短が「○カ月まで」と決められていたら、それをギリギリまで使って休もうとする。

少なくとも私自身や私の世代には、こういうことはなかったな、と思います。制度をギリギリまで活用することよりも、周囲の人たちに迷惑をかけないタイミングで復帰することを考えていたと思うのです。

「制度を使い切る」ことは悪いことだとは言えないのかもしれません。でも、私の感覚では、「制度というのはほどほどに使うものではないか」という思いがあり、モヤモヤしてしまいます。平川さんのご意見をお聞かせください。

(40代・女性)

■「餌」を撒かれているようなポイント制度

ご相談の趣旨は、非常によく理解できます。

というのも、かつて私自身が経営者として社員を雇用する立場にいたからです。私の経営してきた会社では、多くの社員が、有給休暇などの制度を当然のようにめいっぱい利用しようとしていましたが、そうした制度に無頓着な社員も多かったように思います。

私自身は、社員の経験がないのですが、おそらくは、有給休暇といった制度に関しては、無頓着なほうでした。

ちょっと話がずれますが、最近のポイント制度みたいなものに関しても、私はほとんど無頓着で、女房から叱られることもあります。

「あなたは、そうやっていつも損をしている」というのです。

でも、ポイント制度も、あまり執着すると、「ポイントを貯めるために、買い物をする」なんていう倒錯した考え方になってしまいそうな気がします。

そこまでいかなくとも、本来の商品交換とは違うファクターがポイント制度にはあるように思うのです。何て言えばいいのでしょうか、「餌」を撒かれているような感じですね。

■有給休暇は「ポイント制度」と似ている

実際のところ、ポイントというのは、消費者への利益還元システムではあるのですが、同時に、販売側からすれば、消費者行動を誘発させるためのインセンティブなんですね。ポイントで消費者に還元するくらいなら、最初からその分値引きすればいいじゃないかと私は思うのですが。

私が、ポイントに無頓着なのは、自分がそんな「撒き餌」に執着して、無駄な神経を使いたくないと考えているからかもしれません。

スマートフォンでの支払い
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

実は有給休暇も、このポイントのお話に、似ていなくもないんですね。

有給休暇の制度は、社員が行使する当然の権利なのですが、この権利を行使しないと損をすると考えている人もいるようです。だからと言って、有給をお金で買い取ったり、他の社員に譲渡したりすることはできませんので、商品ではない。そのあたりが、ポイント制度と似ているように思います。

■「二者択一」ではなく「程度」の問題

では、こうした「制度」を、どのように考えればよいのでしょう。

「制度はほどほどに使うもの」とお考えになる相談者の感覚を、私は素晴らしいと思います。私もまったく同感です。

結論から先に言ってしまいますが、ほどほどがいいのです。なぜなら、こうした制度は使い切るべきか、使わないで置くべきかの二者択一問題ではないからです。

二者択一問題でなければ、何なのか。

それは、これまで何度も言ってきているのですが、程度の問題なんです。

私たちはしばしば、程度の問題を、二者択一の問題に読み替えて、単純化しようとします。

熱い湯がいいか、ぬるめがいいか、甘いものが好きか、辛いものが好きかといったたわいのない嗜好(しこう)の問題から、保護主義がいいのか、自由貿易がいいのかといった通商問題、大きな政府にすべきか、小さな政府にすべきかといった国家統治システムの問題に至るまで、私たちはさまざまな場面で、二者択一を迫られます。

でも、私はいつも、そんなの適当でいいんじゃないかと思ってしまいます。

いいかげんがいいと思っています。

■二者択一を国民に迫るのは、政治家の仕事ではない

いいかげんというのは、たとえば冷水と熱湯がいい加減で調整されているということです。それがいい湯加減ですね。

通商問題や、統治システムの問題の場合でも、同じです。どの程度まで国内産業を守るための関税障壁を設けるのが適当なのか。産業を活性化させるために、どの程度までなら自由貿易にすべきなのか。

あるいは、現在の状況から考えて、政府がどの程度まで、市場に関与すべきなのか、どの程度まで市場原理にすべきなのか。

この問題の答えは、一億三千万人の国民が、どうしたら幸せに生き延びていけるかを考えることで、自然に定まってくるだろうと思います。あるいは、それを考えるのが政治家の役目であるはずです。

二者択一を国民に迫るというのは、政治家の仕事ではなく、どちらか一方の利益代表者による恫喝に近いものだと思います。

■「ほどほど」とは「意識しなくてよい」ということ

さて、適当とは、どの程度なのかということですが、私は、それは「制度を意識しなくてもよい」程度だと考えるようにしています。

お風呂に入って、湯の温度を意識しなくとも、気持ちがいいと思えるのが、いい湯加減だということです。

料理の塩加減でも、同じです。塩の味を意識しない程度がよい塩加減です。

それを、二者択一で、熱いのがいいのか、ぬるいのがいいのか、辛いのがいいのか、薄味がいいのか、さあ、どちらかを選べと言われると、私は「選ばなくてはならない」という強制された気持ちになります。私たちは、自分たちが自然に行動していて、制度の枠組みや、法律や規則を意識しなくてよいような状態のなかで、自由を感じることができるというのが理想です。

とはいえ、制度や規則を決めて、書いておくことが不要だと言いたいわけではありません。何事も、無制限というわけにはいかないので、許容できる範囲というものを文書として書いておくわけです。

■市民生活を営めるのは、「法」を意識する必要がないから

法律について考えてみればわかりやすいかもしれません。刑法、刑事訴訟法や道路交通法といったものには、市民生活を営んでいくうえで障害になることを行った場合の、行為の要件と、それに対する処罰が規定されています。最高で何万円の罰金とか、何年の懲役とかです。

たとえばスピード違反は何万円以下の罰金とか、窃盗は最高で何年の懲役というように、違反の要件と、刑の範囲を定めているわけです。

よく「法」の抜け道を探そうとする犯罪者がいますね。かつて、ロス疑惑という事件がありましたが、あの事件の容疑者になった人なども、刑務所でやたらと刑法を勉強して、法の抜け道、法のグレーゾーンを研究していたということを聞いたことがあります。

しかし、普通、人は、「法」を意識することはほとんどありません。もし、人が「法」を意識するとすれば、それは事件に巻き込まれたか、あるいは自分が事件に関与している場合に限られます。それは、普通の状況ではなく、不幸な状況だと言わざるをえません。

私たちが、普通に市民生活を営めるのは、「法」を意識する必要がないからです。「法」を意識しなくとも、「いい加減」の範囲で自分が欲するままに行動して、誤ったり、罰せられたりすることがないからこそ、自由に行動できるわけです。

■理想は自然に働き、自然に休むことができる状態

だいぶ話が飛んでしまいましたね。

育児休暇などの「制度」のお話をしているところでした。

私は、原則的には、産休や育児休暇、保育園入園の機会や時短勤務の制度の現状は、まだまだ十分と言えるものではなく、改善や是正の余地はたくさん残っているし、制度をもっと広げていく努力をするべきだと思っています。西欧諸国との比較では、日本の労働者はめいっぱい制度を使ってもまだ足りない状況なのかもしれませんからね。

手をつないで歩く3人の家族
写真=iStock.com/TATSUSHI TAKADA
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TATSUSHI TAKADA

ところで、何ゆえに制度を広げていくべきなのでしょうか。それは、各々が属している共同体の仲間同士がより生きやすくするためですよね。生活の質を向上させるためでもありますね。もし、ほどほどに制度を使って、それで多くの社員が満足するということがあるとすれば、それはかなり理想的な労働環境にあると言ってよいのではないでしょうか。つまり、社員が自然に働き、休みを必要とするときには自然に休むことができるという状態です。

■属人的な問題である以上に「組織の問題」である

一方で、何が何でも制度を使い切らなくてはという労働環境を考えてみましょうか。

その場合には、社員は自然に働いているのではなく、強制されて働いており、その強制が解除される権利が有給だということになります。だから、強制から逃れるためには、有給を取らなくてはいけないという心理になります。

制度を使う側は、自分の権利を守るためにも、その権利を「使わなくてはいけない」と考える。この場合、労働と休暇は、対立する概念であり、有給休暇は、労働者から搾取している資本家から、労働者が勝ち取った権利だということになります。

こうした考え方自体に私は、反対ではありません。

たしかに、こうした職場は日本のなかに、数多く存在しているのも事実です。ほとんどと言ってもいいかもしれません。

私が言いたいことはこういうことなんです。

「有給制度」を使い切るか、無頓着かということは、属人的な問題なのですが、それ以上に、その人間が属している組織の問題だということです。

■闘う必要があるような組織は辞めたほうがいい

組織が、労働者と雇用者を敵対的なものとして捉えており、実際に、労働者から搾り取れるだけ搾り取るという特性を持っている場合には、労働者は自分たちの権利を広げ、自分たちの生活を守っていくために、闘う必要があるでしょう。もしかすると、そんな組織は、辞められるなら辞めてしまったほうがいいかもしれませんね。

反対に、多くの社員が、休む必要があれば休みをとり、しかも必要以上に休みをとらなくてよいほど、仕事におもしろみを感じているような組織というものも想像できるでしょう。まあ、現在の資本主義システムが過剰に働いている会社では、こんな理想的な職場はあまりないかもしれませんが、頭のなかだけでも思い描いてみてください。

この場合には、多くの社員は、有給休暇を意識することなく、自由に働き、休まなくてはならない必要が生じれば、自由にそれを申告することができるわけです。

■「損得勘定がすべて」になると損をする

以上のことを踏まえたうえで、なお私は、俗人的な問題として、有給制度は「ほどほどに使えばいい」という考え方を支持します。

平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)
平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)

そのわけは、「労働の現場を、損得勘定だけで判断することは、結局得にならない」と思っているからです。

有給休暇は絶対に使い切らなくてはならないという人は、それを使わなければ損をすると考えているのかもしれません。

でも、その人は、どんな場合にも、自分の利得を基準に行動する人間であると周囲から思われるリスクについて、過小評価しているように思います。

現に、あなたのように、「有給は使い切らないと損だ」という考え方に対して、違和感を覚える人がいるわけですから。

私は、ものごとを損得勘定で考えることを、悪いことだと言いたいのではありません。しかし、すべてのものごとを損得勘定で考えることは、あまり賢明とは言えないと思っています。

■組織が生き延びるためには「贈与交換」が必要

よく、コスパがいいとか、悪いとか言いますよね。これも同じなんです。コストパフォーマンスだけを追い求めている人が見落としているのは、「そういう人間を他者がどう見ているか」ということなんです。私などは、コスパという言葉を使うのを聞くだけで、その人間とは距離を取りたいと思ってしまいます。結局、コスパ至上主義は、コスパが悪いという皮肉な結果になりそうです。

さて、損得勘定には、他者に対する贈与という考え方が入り込む余地がありません。しかし、あらゆる家族、組織、団体が持続的に生き延びていくためには、その内部で贈与交換が行われている必要があると私は思っています。いや、これは私だけではなく、多くの民族学者、文化人類学者の研究の成果でもあるのです。

実感としても、損得勘定が支配的な家族って、うまくいくわけはないと思いませんか。

適当にやっているようで、けっこううまくことが運ぶ組織というのは、そのメンバーが、あまり損得勘定に縛られることなく、規則に縛られることもなく、自然にふるまえる組織なのだろうと思います。

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平川 克美(ひらかわ・かつみ)
実業家、文筆家
1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、渋谷区道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。2014年、東京・荏原中延に古き良き喫茶店「隣町珈琲」を開店し、店主となる。現代企業論を独学で研究し、立教大学特任教授、客員教授、早稲田大学講師を歴任。著書に『小商いのすすめ』(ミシマ社)、『俺に似たひと』(医学書院)、『グローバリズムという病』(東洋経済新報社)、『路地裏の資本主義』(KADOKAWA)、『移行期的混乱』(筑摩書房)、『言葉が鍛えられる場所』(大和書房)、『21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学』(ミシマ社)、『共有地をつくる わたしの「実践私有批判」』(ミシマ社)、『復路の哲学 されど、語るに足る人生』(夜間飛行)などがある。

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(実業家、文筆家 平川 克美)

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