顧客の嘘で警察に長時間拘束される…毎日新聞を54歳でクビの絶体絶命の元記者「3年後の仕事と年収の現在地」
プレジデントオンライン / 2023年6月14日 11時15分
■早期退職か、給与減額で会社に残るか…悩ましい選択
定年まであと数年というところで突然のリストラ通告をされる。そんなケースが50代会社員に相次いでいる。現代は、会社員生活を定年まで全うしづらい時代だ。
「自分がその当事者になるとは思わなかった」
そう語るのは、髙橋一隆さん(57)。新型コロナウイルスが蔓延しだした3年前、早期退職か、給与が大減額でも会社に残るか、どちらかを選んでほしいと通達された。残る道もあった。ずいぶん苦悩したが、辞めることにした。
現在、何をしているかといえば「健水ライフサイエンス」(以下、健水)という会社の社長だ。いきなり社長……には後述するワケがあるが、現業務は一体どんなものなのか。
「主に特許技術のウルトラファインバブル精製器の製造や、飲料水販売、化粧品のOEM(他社ブランドの製造)の仕事です。実は、この他にも3社を経営し、これからも経営を拡大する予定です」
ここまで聞くと“やり手社長”のように聞こえるが、組織を率いるようになってまだ3年しかたっていない。還暦を前にしたひよっこ経営者だ。だが、面と向かうと独特の圧がある。きわめてエネルギッシュで上昇志向があるのだ。
髙橋さんのキャリアをざっと振り返ろう。
日本大学農獣医学部(当時)卒業後、帯広畜産大学大学院修士課程、そして九州大学大学院農学研究科博士課程に進学。数理統計学の分析手法を用いた農学の研究が中心だった。
農学の博士課程に進み「学者を目指していた」という髙橋さん、当然、就職はそちら方面だと誰もが思うが、全然違った。歴史ある全国紙「毎日新聞」の記者だ。ここに26年間勤務していたが、前述したようにクビになった。ネット時代のあおりで大手紙といえども購読者は減り続け、経営が苦しい状況であることは容易に想像できる。
■なぜ新聞記者というキャリアを選んだのか?
なぜ、記者職を選んだのか。髙橋さんは言う。
「博士課程まで進んだのですが、僕は能力的に優秀でないうえ、学問を究めるストイックさに欠けていました。また、現在の妻と結婚話が出ていたことで、そろそろ経済的にも安定しないといけない……と思ったのが主な理由です」
それで就活らしきことを始めたが、年齢はすでに20代後半。一般企業への入社が難しい状況だったが、新聞社は30歳まで新卒採用の入社試験を受けることができた。親しい友人にも新聞社や放送局などマスメディアに進んだ者がいたので、就活のハードルも感じなかったという。
「結局、入社試験を受けられたのは毎日新聞だけでしたが、ダメ元で受けたら、合格。1社のみの就活で内定をもらい、運命を感じました。大学院は単位取得退学という形にして、28歳で新聞記者になったのです」
■会社はもはや自分を必要としていないのか
記者としてのスタートは、福井支局の原発問題を担当。その後、広島支局で原爆・平和問題に取り組み、大阪本社社会部で大阪府警捜査1〜4の全ナンバー課を担当した。一時期は遊軍記者として自由な取材活動も任され、エリート街道を進んでいたと言ってもいい。
![記者時代、原発問題に向き合っていた頃](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/4/1200wm/img_44c3aaf2a5f3f5b9fdb43a725ea854ac484549.jpg)
「もともと僕は興味がある対象、人間にとことんのめり込むタイプ。寝食を忘れて取材し、記事を書き続けました。幸いにも社内の賞もたくさんいただいて、充実した記者生活を送っていました。本当に楽しかったので、定年まで記者を続けるつもりでいたのです」
ところが、54歳の時、毎日新聞社は経営難からリストラを断行し、高橋さんは早期退職の勧告を受けてしまう。頭打ちだった給与水準がさらに大きく下がることが伝えられ、会社に残ったとしても専業主婦の妻と3人の子供を抱える身では経済的に苦しくなることは明らか。
さらに人一倍仕事に誇りを持っていた髙橋さんは屈辱的な思いをする。
「これまで社内で受賞した記事についても、経費と労力がかかっただけだ、と幹部から批判的に見られていたことも分かり、もう自分は必要ないのだ、潮時かもしれないと感じました」
■ツブしがきかないブン屋、でも出会いをチャンスに
「ブン屋(新聞記者)」はツブシがきかない……などと揶揄されることがある。
ビジネスの実務経験があるわけではないので、同じ記者職は別として一般企業への転職は難しいからだ。しかも50代半ばではさらにハードルが高くなる。実際、同じようにリストラされた同世代の社員のその後の人生はパッとしないもののように思われた。
しかし、髙橋さんはそうではなかった。
「若い頃から取材先の会社の相談に乗っていましたし、多くの記者とは違って、記者の傍らで営業的な仕事、例えば部数の拡張や広告取りにも積極的にたずさわってきました。自分では商売ができる確信があったし、もっと多く稼ぐ自信があったのです」
「新聞社は、いろんな業界の人と知り合うチャンスがあるので、本来ならば世渡りに有利なはずなのです」と語る髙橋さんが出会ったのが、健水の元社長だ。
「取材が縁で知り合った元社長とはウマが合い、以前から会社の相談を受けていました。例えば、従業員のトラブルや、商品の売れ行きがはかばかしくないなど、何かあれば話を聞いていたので、健水のことをよく知っていました。元社長は高齢で、会社の後継者がいないことが心配だったようです。私が早期退職するかもしれないと話したところ『記者を辞めるのならうちの会社を経営してみないか。今よりも給料が悪くなることはないと思う』と誘われました。決算書も毎期見てきたので健全な経営状態だとわかっていたし、事業承継をするのもいいかもしれないと思いました」
■大阪都心部での福祉事業は勝機がある!
髙橋さんにとっては“渡りに船”。独立を決めるまで時間はかからなかった。退職の意思を告げた時、毎日の幹部の反応は「え、もう決めたの?」「本当に辞めるの?」といったものだったそうだ。
とにもかくにも四半世紀以上にも及んだ記者生活に別れを告げ、オーナー社長になった。
事業承継にあたって、元社長の個人会社だった健水を株式会社に組織変更。新規事業の立ち上げ、従業員の福利厚生の見直し、弁護士や行政書士などの士業を顧問にするなど組織改革に着手した。記者時代から懇意にしていた弁護士などの士業を顧問に迎えたのは、新規事業を実装するスピードを上げるためだったそう。
また、大阪東部にあった本社を大阪市のど真ん中、中央区難波二丁目に新設した。なぜ、大阪難波駅から徒歩1分という好立地に移ることができたのか。
この場所は、「ホテルアートイン難波」(以下、アートイン)の1フロアだ。
![2人とも幹部の外国人社員](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/4/1200wm/img_d47c689a4679bcece3f3c8ed6e1052a6438071.jpg)
実は髙橋さんはやはり記者時代にこのホテルオーナーと知り合いだったことで破格の家賃で物件を借りることができたわけだ。
しかも、コロナ禍で空室が目立つ状態に困ったオーナーからホテルの運営を任せられ、アートインを含むホテルの運営会社「株式会社あるふぁ」の代表取締役にも就任した。宿泊料金がリーズナブルであるため、コロナ禍が収束し、インバウンド客が戻った今では稼働率もアップしている。
それだけではない。
ホテルのフロアを利用して、福祉型の宿泊施設として併用することを考えた。障害者福祉施設は、郊外にあることが多いが、それではアクセスが悪くて不便。一方、大阪の中心地・難波というロケーションなら利便性が高く利用者が増えると踏んだ。弁護士や会計士にも相談したところ、「大阪の都心部での福祉事業はきっといける!」と背中を押された。
「設立の許可が下りたので、健水やあるふぁの事業の一つとして福祉事業を始めたのです。アートインの1フロアを福祉施設にし、お年寄りや軽度の精神障害の方を受け入れることにしました。それ以外にも周辺にコロナ禍で家賃が安くなっていた2つのビルのフロアを借りており、中等以上の精神障害の利用者を受け入れています」
■社長自ら介助をし、オムツを取り替える
大阪の中心部では難しいと思われた精神障害者の受け入れも可能になったことが大きい。
「労力がかかりますし、事務作業も煩雑ですから、生産性の点で思ったほど利益が上がるわけではないです。ただ、サービスについて公費負担があるので、経営の見通しが立てやすいのです」
取材して原稿を書くという記者職から、まったくの畑違いの分野へ移り、複数の会社の経営をする……。華麗なる転身だが、髙橋さん自身、今も現場の仕事もしている。自らが福祉の現場の前線に立たないと従業員がついてこないと思い、実務者(旧ヘルパー1級)の資格を取った。入浴や食事の介助、オムツの取り替えなどを行い、心身ともにハードな仕事の大変さを、身をもって知ることになった。
![福祉施設の様子](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/f/1200wm/img_9f6e02e8fd874f1691ae9060c30fcaac426521.jpg)
社長として予期せぬことで対応を迫られるケースも少なくない。例えば、施設の利用者がウソの証言を警察に通報し、長時間拘束されたこともある。
「今年は新年早々監禁の疑いで聴取を受けました。一度や二度ではありません。また、障害特性から行方不明になる方もいるので、そちらの警察対応も私になります。そういうトラブルはなぜか深夜に起こることが多いので、スマホを枕元に置いて寝ています。利用者が救急車に乗って運ばれたら自分も同乗して、そのまま朝になることも。記者時代も夜討ち朝駆け、24時間体制で仕事をしていましたが、今も変わらないかもしれません」
■突然死の入所者の親族から問い詰められる
筆者が取材した時も、偶然に施設で事件は起こった。
身寄りのない入居者が自室で突然死。亡くなってから発見されたが、解剖の結果、事件性はないと警察の判断があった。しかし、ことはそれではすまなかった。
「ご親族から連絡があり『施設側に落ち度があったのでは』と問い詰められました。その方には身寄りがないと思っていたのに驚きました。そんな場合でも、知る限りの情報をお伝えし、真摯(しんし)に対応するだけです」
福祉の現場ではいろいろなことが起こるが、新聞記者時代は、数々の事件現場に遭遇してきただけに肝は座っている。自身が書いたスクープ記事が元で、誘拐のターゲットにされそうになったり、訴訟を起こされたりして最高裁まで争ったこともある。こんなトラブルが起きた時、新聞社内の雰囲気は冷淡に感じられたそうだ。それゆえ「記者生活で孤独に強くなりました。孤独に耐えることは経営者として必要な資質ですから」と笑う。
さらには、ホテルや福祉の事業をやっていると、さまざまな背景を持つ人間たちが織りなす悲喜こもごものドラマのように見えることもあり、記者時代の好奇心が掻き立てられることもあるそうだ。
現在、高橋さんは前出の「健水」や「あるふぁ」以外にも福祉と不動産の会社の代表となり、日本人よりも外国人を積極的に幹部として採用している。
彼らの中には、語学に長けているのはもちろん、海外の大学で統計学などの学位を取っている優秀な人材もいる。日々の売り上げから販売予測や拡販対策なども行い、データを解析するレベルで取り組んでいることが戦力になっているという。髙橋さん自身、学生時代にずっと統計学も学んでいたので、前述の通り、ビジネス面でもデータ解析の重要性が身に染みているのだ。
![外国人従業員との懇親会](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/d/1200wm/img_8d4353e4be33023de9e259c1a6472124463002.jpg)
■記者時代の先輩から「飯食えてんのか?」と連絡が
一見順調そうな社長業だが、健水以外の事業の収支は、まだ“とんとん”といったところ。無借金状態とはいえ、今後事業の拡大には金融機関からの融資が必要だが、実績のない経営者や会社には国内のメジャーな金融機関の審査は厳しい。現状は信用組合が主要な取引先だが、資金援助の面でも外国人が助けてくれることが多い。
「外国のファンドなどは気軽に商談のために来社してくれてフットワークが軽いのです。ビジネスに対しても外国人の方が積極的な気がします。とはいえ金融機関と継続的にお付き合いするにはもっと実績を積まないといけません」
新聞社をクビになって3年、運営する4つの会社の従業員数は計約30人。自身の年収は新聞社時代の倍になった。自分を拾い育ててくれた毎日新聞には今も感謝しているが、早期退職に応じた判断は間違っていなかったと髙橋さんは考えている。
![建水本社の近く、道頓堀にて](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/a/1200wm/img_ca761c60b4cbaf0f7c6b3879a2569e84457125.jpg)
もちろん経営に浮き沈みがあるのは承知の上で、今後も持続的な成長ができるよう気力体力ともに充実している。
「時々、記者時代の先輩から『飯食えてんのか?』と電話がかかってくることがあります。心配はありがたいですが、心のどこかでうまくいくはずがないと思われているのかも(苦笑)。こちらも冗談で『ほっといてください〜』と返してます」
日々忙殺されているが、実は最近、健水の業務項目に「出版事業」も加えた。経営が安定して余裕ができたらいつか自分の作品を世に出すのが、髙橋さんの小さな夢だ。
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ファッション系出版社、教育系出版事業会社の編集者を経て、フリーに。以降、国内外の旅、地方活性と起業などを中心に雑誌やウェブで執筆。生涯をかけて追いたいテーマは「あらゆる宗教の建築物」「エリザベス女王」。編集・ライターの傍ら、気まぐれ営業のスナックも開催し、人々の声に耳を傾けている。
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(フリーランスライター・エディター 東野 りか)
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