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だから「老害」と言われてしまう…人望のない上司が相談されたときに使いがちな"最悪のひと言"

プレジデントオンライン / 2023年6月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/XiXinXing

部下に「老害」と避けられる上司はどこがダメなのか。作家のソン・ヒムチャンさんは「忠告をしてはいけない。相談されたら、正しいことを言わないといけないと考える人がいるが、そうではない。伝え方を変えるだけで、受け取る側の印象は180度変わる」という――。

※本稿は、ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

■「老害」と言われる人が使う決まり文句

「俺の時代にはね」――最近、「ラッテ」と呼ばれるこのような話し方が、いわゆる「老害」と称される人々の代表的な話法として定着した。

「老害」とは権威的にふるまう既存世代を指す言葉だが、必ずしも高齢者だけが該当するわけではない。

訳注※「ラッテ」は、韓国語の「ナッテヌンマリヤ(俺の時代にはね)」というフレーズを縮めた「ナッテ」に由来する。

職場はもちろん、大学や高校や中学校にも、先輩・後輩の序列がある。韓国社会の基底にいわゆる「クソ軍紀」文化があるからだ。

「ラッテ」の話法で話す機会をさぐる先輩たちは、後輩の身なりや言動を取り締まるだけでなく、私生活にまで干渉しようとする。先輩に目をつけられた後輩たちは、喝を入れられるだけでなく、実際に暴行まで受けたりもする。

高麗(コリョ)大学社会学科のユン・インジン教授は、このような現象について次のように説明する。

「古くから存在する序列文化、いわゆる老害的文化を、若い世代がこれといった代案もないまま自然に踏襲しはじめたのです」

■「おまえも同じように苦労しろ」ではいけない

もちろん、必ずしも後輩がパワーハラスメントの対象にされるわけではない。先輩が後輩を尊重し、配慮したとしても、後輩側がみずから一線を越えたり無礼にふるまったりするケースも少なくない。

先輩側は、自分が経験した理不尽な思いを後輩にさせないように努力する必要があるし、後輩のほうは気安く接してくれる先輩を「扱いやすい人」とみなさないように注意しなければならない。

そうしてこそ、先輩・後輩のあいだでの不必要な緊張関係がなくなり、望ましい関係を築くことができる。知り合いの看護師から、次のような話を聞いたことがある。

「私は、後輩たちに理不尽な接し方をするのはやめようと思いました。そして、自分の仕事に励みつつ、後輩たちに精いっぱい、手を貸そうとしたのです。

上は先輩、下は後輩の面倒を見るのは大変でしたが、結局、その努力が認められるようになりました。

私が指導し、仲良く過ごしてきた後輩たちが、彼ら自身の後輩たちをやさしく指導する姿を見ると、胸がいっぱいになりました」

「私は苦労してきた。だからおまえも同じ思いをしてみろ」

と考えるより、

「私を苦しめた人たちと同じように行動しないよう、努力しなければ」

と思うようにしよう。

もちろん、優しい先輩という役割は、いくらでも引き継いでかまわない。

■忠告は「正しいことを伝える」だけではだめ

自分が間違った道を歩んでいるとき、あるいは自分の間違いが明らかなときに、それを指摘してくれる人は多くない。

下手に口を出したら誤解を招いて嫌われるかもしれないなどと考えたり、結局は他人事だと思ったりするからだ。

だからこそ、こちらの顔色をうかがうことなく、違うことは違うと言ってくれる人がいてくれるなら、とても心強い。

忠告というのは、単に正しいことを相手に伝えるだけではない。その人に対する関心と愛情、そして心から相手を思う気持ちがともなわなければ、忠告とはいえない。

もちろん、必ずしも誰かの忠告に従わなければならないわけではない。その人の考えがそのときどきの状況に合わない場合もある。

でも、多くの困難を引き受け、勇気を出して忠告してくれる人がいたら、まずは誠意をもって話を聞く必要がある。

旧約聖書『箴言』13章1節には次のようにある――「子は父の諭しによって知恵を得る。不遜な者は叱責に聞き従わない」(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)。

つまり、人の話を忍耐強く聞く態度が大切ということだ。周囲の人の言葉に耳をふさいだまま、自分だけが正しいと信じる姿勢は、やがて災いを招く。

■言いたいことは相手の話を聞いてからでも遅くない

では逆に、忠告が必要ない場合というのは、どんなときだろうか。何十回、何百回と悩み考えたうえで身近な人に悩みを打ち明けても、次のような返事が返ってくることがある。

「いくら大変でも、そんなに愚痴をこぼすもんじゃない」
「君だけが大変だと思ってるの? みんな同じように大変なんだよ」
「やろうと思えばできないことはないのに、なぜできないの?」

一見するともっともらしい言葉ではある。しかし、仮に正しい指摘だとしても、結果的に相手を侮辱することになるような伝え方をしてはならない。他人の人生の重さを勝手に推しはかり、一般化する姿勢は危険だ。

誰かから悩みを打ち明けられたとき、共感と慰めが必要だと思ったら、まずは相手の気持ちを聞いてあげること。

そして、あなたは十分にがんばっていると、応援の言葉をかけてあげよう。

まず、その人の不安な気持ちを和らげ、少し時間をおいて、その人があなたのアドバイスを受け入れられる状態になったときに、考えをよく整理してから話をしたほうがいい。言いたいことは、相手の話をすべて聞いてから話しても遅くはない。

友達がまさに苦しんでいる瞬間だけは、黙って話を聞いてあげ、その気持ちを汲んであげてほしい。誰かの悩みについて、まるで裁判官のように問いただすのはやめよう。

話しかけるより、傾聴すること。批判より、激励すること。中途半端な忠告より、真心を込めて慰めること。

そういったことが、その人の力になる。

■悩みが頭に浮かぶのを止める方法

「そんなこともあるよね」

私がよく口にする言葉だ。この言葉は、批判が必要なときに見過ごしてしまう言い訳にもなりかねない。だが、もしあなたが他人に対してもう少し鈍感になりたいと思っているのなら、きっと役に立つ。

私たちが生きている現代社会では、毎日、数え切れないほど多くの事件が起こる。ただし、自分と関連のあるものはあまりない。

すべての事件の原因を突き詰めていくと、たちまち疲れてしまう。精神が研ぎ澄まされた状態が長く続けば続くほど、精神的な疲労がたまり、日常生活にもよくない影響が及ぶ。時にははりつめた神経を緩めることで、心の平穏を取り戻せる。

自宅でベッドの上でリラックスした猫と十代の女の子
写真=iStock.com/SetsukoN
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SetsukoN

頭を休ませる方法は、なにもしないか、なにかに没頭すること。だが、いつもそうできるとは限らない。次々と悩みが頭に浮かぶのを、意識的に止めなければならない。

その方法は簡単だ。ものごとを理解する幅を広げさえすればいい。たとえば、次のように考えてみよう。

■「新しいことを知ることができた」と考える

思いがけず、卑劣であきれかえるようなことに遭遇しても、そのことで苦しんだり、いらいらしたりしないように。
知識がひとつ増えただけだと思いなさい。人間の性質を学ぶなかで考慮すべき新しい要素が、ひとつ増えただけだ。
非常にめずらしい鉱物標本を偶然、手に入れた鉱物学者と同じように振るまいなさい。 ――アルトゥール・ショーペンハウアー
ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)
ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)

要するに、人に接し、人と関係を結ぶなかで、それまで知らなかった事実を新たに知ったのだと考えなさい、ということ。

もちろん、一度では終わらない。これからもあなたは、人について新しいなにかを知っていく。親しい人でも、そうでない人でも、あなたがその人について知らないという事実は変わらない。

人は親になってからそのありがたみに気づく、とよくいわれる。しかし、自分がいざ親になっても、自分自身の親を完全には理解できないのではないか。人の内面というのは、このように複雑で、いくら知ってもきりがないものだ。

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ソン・ヒムチャン 作家・コンテンツ会社「マリト」代表
韓国と日本の名前をもつ。日本人の父と韓国人の母のもとに日本で生まれ、12歳で母と渡韓。22歳で作家としてデビューする。現在はコンテンツ会社「マリト」の代表を務め、「コリアコーチングシステム」法人所属コーチとしても活動している。著書に『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)がある。

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(作家・コンテンツ会社「マリト」代表 ソン・ヒムチャン)

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