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「一度覚えたら、絶対に忘れない」そんな記憶力を手にしたらどうなるか…ネズミの実験で分かった悲しい事実

プレジデントオンライン / 2023年6月24日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/koto_feja

人間は一度覚えたこともしばらくすると忘れてしまう。なぜだろうか。東京大学薬学部の池谷裕二教授は「覚えたことをいつでも忘れない抜群の記憶力が手に入ったら、羨ましいと思うかもしれない。しかし、抜群の記憶力を持ったネズミを実験したところ、不都合な事実が明らかになった」という――。(第1回)

※本稿は、池谷裕二『脳は意外とタフである』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

■次の仕事を少し始めておいたほうが効率が上がる

「ツァイガルニク効果」(*1)をご存知でしょうか。

旧ソビエト連邦の心理学者ブルーマ・ツァイガルニク博士が発見した「記憶」の性質です。博士が行った実験は次のようなものです。

パズルを解く、粘土細工でイヌを作る、計算をする、厚紙で箱を作る──そんな様々な課題を、計1時間のあいだに次々と20種類やってもらいました。このうち無作為に選ばれた10種類の課題については最後までやり通してもらい、残りの10個は未完成のまま中断してもらいました。

そして、どんな課題を行ったのかを、その後に思い出してもらったのです。短時間内で20個ものタスクを次々とこなすと、すべての内容を想起するのは難しいでしょう。しかし、完了していない課題は、完了した課題よりも2倍も思い出しやすいことがわかりました。課題を遂行している最中は緊張感があるため、課題から離れても、心のどこかで気にかけているのに対し、完了すると緊張感からも解放され、記憶が褪(あ)せてしまうのです。

これは日常の場面にも応用できます。たとえば、切りのよいところで仕事を切り上げるよりも、次の仕事に手を付けてから帰宅したほうが、翌朝に仕事をスムーズに始められます。また、締切まで1カ月の猶予のある仕事について、書類を開封せずに放置するよりも、手元に届いたときに一旦目を通してから放置するほうが、締切直前に仕事を素早く片付けられます。

あるいは、新しい仕事の手順を人に説明するときには、事前に多くを説明しても記憶に留まりにくく、仕事を中途までこなしたあとで説明したほうが相手によく伝わります。

仕事を中途半端にしておくのは勇気がいるものですが、実際には、放置されている最中に無意識の脳が代理で作業してくれるため、仕事の効率が高まるのです。

(*1)Zeigarnik(Psychologische Forschung 1927). Das Behalten erledigter und unerledigter Handlunge

■記憶は勉強中ではなくテストのときに定着する

記憶は学習中に形成される。テストは記憶を評価するために有効である。そんな考えは間違っている──。この挑発的な文章から始まる論文が『サイエンス』誌(2010年10月)に掲載されました。ケント州立大学のパイク博士が著した論文(*2)です。

彼女は「テストを行うことが記憶を長持ちさせる効果を生む」と自身の実験データをもとに主張します。

テストが記憶によい効果を及ぼすことは、すでによく知られています。たとえば外国語の単語数十個を1日で一気に暗記する場合、単語リストを繰り返し学習するだけでなく、ときおり確認テストを交えながら習得すると、覚え込むまでの総時間は変わらないものの、1週間後の記憶の成績が3倍ほどに跳ね上がります。テストにより記憶が長期化するわけです。

パイク博士は、テストによる記憶増強がなぜ生じるのか調べるため、巧みにデザインされた試験を学生118人に対して行いました。その結果、テストを受けるときは、単に問題に答えるだけでなく、解答を導くためのヒントも同時に脳内で作り上げることがわかりました(*3)

つまり、ある単語を思い出すために、母国語の単語を駆使しながら、意味や発音が似ている単語を連想するなど、さまざまな工夫を自然に行います。この連想された単語グループが、覚えなければならない単語と組み合わさり精緻化されるという仕組みです。

知識は、ただ詰め込むのでなく、使ってみるほうが、はるかに脳にとって重要というわけです。

(*2)Pyc, Rawson(Science 2010). Why testing improves memory: mediator effectiveness hypothesis
(*3)Karpicke, Roediger HL(Science 2008). The critical importance of retrieval for learning

■一度覚えたら忘れないネズミの実験でわかったこと

覚えたことをいつでも忘れない抜群の記憶力──。そんな能力を手にしたら、今度は状況が変化したときに以前の記憶が邪魔をして新しい環境への順応ができなくなる。そんなデータが『サイエンス』誌で発表されました。欧州神経科学研究所のディーン博士らがネズミを使って示した研究(*4)です。

実験用マウス
写真=iStock.com/gorodenkoff
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gorodenkoff

記憶はシナプス(神経細胞間の結合部)の重みの空間に蓄えられます。つまり、特定の神経細胞が強く結びつくことが記憶の実体です。結合が徐々に弱まると、記憶が褪せてゆき、いずれ思い出せなくなります。これが忘却です。

忘却は、シナプスの経年劣化ではなく、神経伝達物質のアンテナ分子(受容体)がシナプスから除去される積極的な現象で、正常な生理機能として脳に備わっています。ディーン博士らは受容体が除去される分子メカニズムを突き止め、そこに必要な分子の遺伝子を削除しました。シナプスの強度が弱化しない脳を持つネズミの誕生です。予想通り、このネズミは忘却できませんでした。

一度覚えたら忘れない──羨ましいと思いきや、さまざまな不都合が見えてきます。たとえば、給餌(きゅうじ)所が変わると、新しいエサ場を覚えることができたものの、以前のエサ場を忘れることができず、相変わらず探してしまいます。過去と現在の区別がつかないのです。

(*4)Awasthi, Dean(Science 2019). Synaptotagmin-3 drives AMPA receptor endocytosis, depression of synapse strength, and forgetting

■「歳を取ると記憶力が衰える」は本当か

私たちが時の流れを感じるのは記憶があるからです。過去と現在の様子を比べることで、時々刻々と変化する世界を感じることができます。過去の記憶がなければ、当然ながら心の時間は流れません。しかし先の実験は逆に、記憶が強固すぎてもやはり時間が凍(い)てついてしまうことを意味しています。過去が新鮮すぎたら、それは現在と同じです。記憶が色褪せるからこそ、情報に遠近感が生じ、私たちの心の中に「現在」という瞬間が立ち現れるのです。

なるほど、私のようにすぐに忘れてしまう脳も悪くないようです。

池谷裕二『脳は意外とタフである』(扶桑社新書)
池谷裕二『脳は意外とタフである』(扶桑社新書)

歳を取れば、記憶力は衰える──人口に膾炙(かいしゃ)したこの俗説に、私は反対の立場をとっています。たしかに、老年性アルツハイマー病などの認知症になれば、神経細胞は脱落して、記憶力は低下します。しかし、これはあくまでも脳疾患です。実際には発症しない人のほうが多いのです。

解剖学的知見からは、脳の神経細胞の数は、3歳以降はほぼ一定で、100歳まで生きてもほとんど変化がないことが報告されています。つまり、脳という装置は経年劣化しません。

ではなぜ、歳を取ると記憶力が衰弱した気がするのでしょうか。いろいろな理由が考えられますが、一番の原因は、「老化すれば記憶力が衰える」と本人が思い込んでいることではないでしょうか。

■高齢者になっても記憶力は変わらない

米タフツ大学のアヤナ・トーマス博士が『心理科学』誌に発表した実験結果は、この考えを裏付けています。博士は18歳から22歳の若者と60歳から74歳の年輩者を各64人集め、テストを行いました。単語リストを覚えた後に、別の単語リストを見て、どの単語が記憶した元のリストにあったかを言い当てる試験(*5)です。

試験前に「この記憶試験では、通常、高齢者のほうが成績は悪い」と説明したところ、若者の正解率は約50点、年輩者で約30点でした。

ところが、「これはただの心理学の試験である」として、記憶力への言及を避けると、驚いたことに、同じ試験にもかかわらず、若者・年輩者ともに約50点で差がなかったのです。

なぜか広く流布する「記憶力は年齢と共に低下する」という珍妙な社会通念。誤った常識が産み出す罪は深そうです。

(*5)Thomas, Dubois(Psychol Sci 2011). Reducing the Burden of Stereotype Threat Eliminates Age Differences in Memory Distortion

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池谷 裕二(いけがや・ゆうじ)
東京大学薬学部 教授
1970年生まれ。静岡県藤枝市出身。薬学博士。2002~2005年にコロンビア大学(米ニューヨーク)に留学をはさみ、2014年より現職。専門分野は神経生理学で、脳の健康について探究している。主な著書はに『海馬』(糸井重里氏との共著 朝日出版社/新潮文庫)、『進化しすぎた脳』(朝日出版社/講談社ブルーバックス)、『ゆらぐ脳』(木村俊介氏との共著 文藝春秋)、『脳はなにかと言い訳する』(祥伝社/新潮文庫)、『のうだま』『のうだま2』(上大岡トメ氏との共著 幻冬舎)、『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)、『脳には妙なクセがある』(扶桑社新書/新潮文庫)、『脳はみんな病んでいる』(中村うさぎ氏との共著 新潮社)、『メンタルローテーション』(扶桑社)、『脳は意外とタフである』(扶桑社新書)などがある。

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(東京大学薬学部 教授 池谷 裕二)

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