同性愛が犯罪だった欧米と日本は違う…「日本人に合ったLGBT政策」に本当に必要なこと
プレジデントオンライン / 2023年6月17日 9時15分
■保守派と野党の双方が批判するLGBT法案
「LGBT理解増進法」は、正式名称を「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」という。
2018年から自民党で検討され、2021年には超党派合意案も作成されたが、保守派の反対でたなざらしになっていた。今国会では超党派合意案そのままの立憲・共産・社民案、保守派に配慮した自公案、一般女性への配慮などを加えた維新・国民民主案が別々に提案された。
だが最終的には、自公両党が維新案にほぼ丸乗りした4党共同案(最終案)が、自公と維新、国民民主などの賛成多数で6月13日に衆議院を通過した。これに対して野党や当事者団体から批判の声が上がり、一部の自民議員が退席や欠席をした。
私は推進派と反対派のいずれにも違和感があり、どちらに賛成という立場でないが、法律の運用はこの種の問題にありがちな、過激な運動家などに振り回され、利権化されることはあってはならない。そのためにも、この問題の歴史的背景と経緯を押さえたうえで、利権化に歯止めをかけることが重要だと考える。
■欧米の潮流は多様性を認める方向へ
最近、『民族と国家の5000年史 文明の盛衰と戦略的思考がわかる』(扶桑社)という本を出したが、そこで地球環境、LGBT、チャットGPTなど最先端の問題も世界史的な視野で論じた。
生命科学の進歩によって、親子とか男女とかの関係で従来の常識では律しきれない問題が増えているし、LGBTの人たちにも市民権を与えようという方向が世界的にある。
私は迅速に多様性を認める方向で取り組むべきだと思うが、一方で、男女が結婚して子供を産み育てることが、基本的なあり方だということまで否定するのには、慎重であるべきだと考える。人類、そしてその社会とほかとを区別するものがなくなってしまうのでないかと危惧するからだ。
■同性愛を犯罪視していた欧米の事情
日本の現状は、欧米での積極的な取り組みと乖離(かいり)が目立ち、当事者のためにも、日本の国際的地位のためにも速やかな対応が必要だ。ただ、1970年代から論じていた立場からすれば、欧米での急進的すぎる対応には、歴史的事情が背景にあると思うし、日本がもっと早くから先回りして対応していたら、日本人の感覚を生かした政策を進め世界をリードできたのにと悔いが残る。
私がLGBT問題の存在を初めて意識したのは、大学時代の刑法の講義で、平野龍一先生(元東京大学総長)から、「日本の刑法には欧米と違って同性愛と近親相姦を処罰する条項がない。その理由は、同性愛は日本では処罰すべきものという価値観がないからで、近親相姦は法律に書くのも嫌だったから」と聞いたときだ。
フランス国立行政学院(ENA)に留学した当時、同性愛は刑法犯罪だった。ところが、1981年5月の大統領選挙で、ミッテランが刑法改正を公約にし、翌年に同性愛は刑法の処罰規定から削除された。ENAの講義でも担当の政府高官が取り上げ、私に「日本では犯罪でないらしいが、風紀が乱れないか」と質問したので、心配ないという説明をしたことを覚えている。
当時は、刑法で罰するのは行き過ぎかどうかが問題だったが、市民権を得るや、それが素晴らしいことと言わなければいけないムードになった。
■日本も「肩身が狭い社会」の改善が必要
欧米の人種差別への峻厳な嫌悪感の根底に、奴隷制度への反省があるのと同じで、刑罰にしてLGBTを抑圧したことの反動がある。ただ、多くのキリスト教国(米国の一部の州を含む)やイスラム教国も含めて、否定的な価値観もなお健在で世界的なコンセンサスは成立していないのだから、犯罪とみなしたこともない日本で、同等の過激な意識改革や制度化はピンとこない。
ただ、日本もLGBTの人々にとって理不尽に肩身が狭い社会に感じられるわけで、現状を改善することを先延ばしすべきでない。
![【図表】LGBTとは](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/e/1200wm/img_6e25b537cbe06f7881322d5b867f617e310316.jpg)
安倍元首相は欧米諸国と「価値観同盟」を提唱して外交の軸としたし、日本は貿易投資立国でもあるから、欧米の価値観に敵対すれば外交の基盤を失い、国際的な企業にとっては不都合となるので、経団連が法案を推進するのは当然だ。
■駐日米国大使の行動は「内政干渉」ではない
また、エマニュエル駐日米国大使が、法案成立促進を求めてデモに参加したり、SNSで意見を表明したりしたことを「内政干渉」と批判する人もいる。もちろん、外国政府や大使が内政に意見を言えば、反対派が「内政干渉」と批判するのは政治的プロパガンダとして普通のことだ。ただ、国際法違反であるとか非常識という言い分には無理がある。
人権問題は、外国の内政であっても議論の対象とできるのが国際常識だ。各国大使の共同声明には、英国、ドイツ、EUの大使も加わっているから、外交の常識としても内政干渉でない。友好国なのにと言う人もいるが、法案成立に対して政府は前向きなのだから、支持することが非友好的とはいえない。
公明党の山口代表がエマニュエル大使と会談したので、批判する人がいるが、プロフェッショナルな政治家である大使が、連立与党である公明党を重視しているだけだ。エマニュエルがくせ者で、警戒すべきとは、私は任命以前から指摘し警鐘を鳴らしてきたが、バイデン大統領の大使としては当然の行動だから批判できない。
■自民党で先陣を切った人は「裏切り者」に
しかし外交的にも経済的にも要請の強い法制化が、なぜここまで批判を受ける事態になったのか。法案成立までの経過を追いながら解説しよう。
安倍内閣の2018年に自民党の稲田朋美政調会長の指示で、LGBT特命委員会(古屋圭司委員長)で検討され、2021年に基本理念に「差別は許されない」と記した超党派の法律案が議員連盟(馳浩会長)で合意されたが、自民党内で保守派から批判がありたなざらしになった。
2023年2月、首相秘書官が「(LGBTは)気持ち悪い」と発言し、更迭されたことを受けて岸田首相が提出に傾き、「差別を許さない」を「不当な差別はあってはならない」、「性自認」を「性同一性」と言い換えた「自公案」がまとめられた。しかし、米国大使の圧力に屈したとか、秘書官の不規則発言のリカバリーだというイメージが自民党内外の保守派の心情を刺激した。
保守派からは、稲田朋美氏を「裏切り者」と罵ったり、古屋氏や自公案をとりまとめた新藤義孝氏も同罪と批判したりする人も出た。
また、自認する性を尊重すれば生物学的、あるいは見かけは男性なのに、女性だと自認していると言って女湯や女子トイレに入るケースや、女子競技において「生物学的女子」とか「シスジェンダー(性自認と生まれ持った性別が一致している人)」が保護されないケースが起きうるという危惧が広まった。
■推進派にも保守派にも気をつかった「折衷案」
自民党の合同部会での議論では、反対意見の方が多かったのに、強引に部会長一任とされ、萩生田政調会長も手続きに瑕疵(かし)がないと追認したので、萩生田氏へも批判も高まった。
おりしも、萩生田氏には自民党の東京都連会長として公明党と決裂したことへの批判に加えて、旧統一教会問題もくすぶっていて、八王子の選挙区で楽観できない状況にある。さらに女子トイレなどが否定されるのではないかと法案に反対しているグループが地元でビラマキをして萩生田氏を批判するという一幕もあった。そこで、萩生田氏は馬場伸幸代表に、維新案に沿って修正した案を共同提案したいと申し入れたのだ。
最終案では、立憲・共産・社民案(超党派合意案)の「性自認」、自民・公明案の「性同一性」の原語である維新・国民案の「ジェンダーアイデンティティ」となった。これは、「性自認」は急進的な自治体や運動家が使ってきたので彼らの主張に引っ張られる可能性があったし、「性同一性」という表現は推進派が嫌ったためで、「ジェンダーアイデンティティ」は、あまり使われてない表現なので良くも悪くも白地だ。
■急進派に振り回される事態は回避できる
最終案では、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう留意」し、「政府は、その運用に必要な指針を策定する」とされた。保守派は生物学的には男性なのに女子トイレを使いたいという人が出るから法律化は阻止すべきと言うが、しょせん不心得者の根絶など法律のあるなしにかかわらずできない。
ただ、生物学的女性が不安に思わないような指針を政府や自治体が作り、管理者が不当な要求を認めてはいけないという原則がはっきりした。
![女子トイレの入り口を示すピクトグラム](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/f/1200wm/img_efa6945efccd9ff4d63ee1416f3c0e8a362773.jpg)
BBCの報道によると、英国では、教師が生徒をLGBTだと決めつけて、親と相談せずにLGBTとして生きるように誘導してトラブルになるケースが問題になっているそうだ。今回の最終案では、学校での理解増進に、「保護者の理解と協力を得て」とされたので、急進的な教育現場での行き過ぎは抑止できる。
自民党の古屋氏や新藤氏は、「自治体による行き過ぎた条例を制限する抑止力が働く」ことを強調している。これを受けて推進派は、一部の先進自治体では取り組みが後退すると心配するが、自治体がバラバラの対応をしてきた問題に国が乗り出したときには起こり得ることであり、国内全体の取り組みが前進することを考えれば、法案自体を反対する理由にはならないのではないか。
■海外の政策を直輸入してしまうことの弊害
このLGBT問題に限らないが、日本人は欧米の動向から、いずれ世界的に課題になるだろうと予測できることに先回りして対処するのが苦手である。左派・リベラル系の人も、欧米からの外圧を盾に、政府から規制緩和などを迫られると、これまで反対していた問題でも抵抗しきれないことがある。
一方、人権(女性の権利拡大や難民対策なども含む)だとか環境だとかについて、政府や保守系政治家の対応が後手に回り、日本の国益や国情に合った方式を樹立できないまま、左派・リベラル勢力に先取りされて、海外の政策を直輸入で採用することも多い。そして、反政府色の強い専門家や運動家に利権化されてしまうことになる。
今回も、自治体にLGBT理解増進の施設や団体をつくらせて運営権を握ったり、講師として講演料を受け取ったりするのが運動家として活動してきた人で、推進派の中にも立法趣旨を超えて先に進めようという人たちがいるという懸念がある。
■法律の実施段階でもバランスを担保すべき
ただ、だからといって慎重派も法制化を遅らせるのでなく、対案を出したり、急進派とは違う立場の有識者を育てたりして主導権を握ることに注力するのが正解だろう。
今回はちょうどよいテストケースだ。今後、法律施行に向け、政府内外に啓蒙(けいもう)活動や制度運用に当たる組織ができてくるだろうが、そのメンバーが推進派だらけになっては法律の趣旨が捻じ曲げられてしまう恐れがある。
せっかく最終案で急進派が暴走しないよう、歯止めをかけることに成功したのだから、実施段階においてもバランスの取れた考え方に沿って、国民の啓発と制度運用がなされることが担保されるべきであろう。
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徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。
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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)
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