政治家と歌舞伎役者が「同じ選ばれ方」では困る…私たちが世襲政治家に悪いイメージを抱く本当の理由
プレジデントオンライン / 2023年6月16日 15時15分
■秘書官を辞任しても翔太郎氏への批判は止まない
岸田文雄首相の長男・翔太郎氏は、6月1日付で内閣総理大臣秘書官を辞任した。
5月25日発売の「週刊文春」で、昨年末に首相公邸で行った「忘年会」の写真が報じられたからであり、岸田首相は、記者団にたいして「公邸の公的なスペースにおける昨年の行動が、公的立場にある政務秘書官として不適切。けじめをつけるため交代させることといたしました」と述べた。
すでに過去のものとなったはずなのに、いまだに翔太郎氏への批判が止まない背景には「世襲」が問題だとする世論がある。
■岸田親子は「バカ息子」か「親バカ」か
「バカ息子」と翔太郎氏を非難したり、「親バカ」と岸田首相を批判したり、世間の声は発覚から3週間が過ぎたいまもなお厳しい。
翔太郎氏の辞任は、解散・総選挙を視野に入れた、実質的な更迭と見られており、支持率低下の要因をできるだけ早く切り捨てたかたちである。
首相や翔太郎氏の「公的なスペース」をめぐる認識が甘かった、との反発だけではない。
それ以上に、首相が長男を秘書官に任命していたのは「世襲」のためだったのではないか、とする反感が渦巻いている。
■そもそも政治家の「世襲」とは何か
たしかに、これまでも総理大臣は、みずからの親族、というか、「息子」を秘書官に据え、将来の「世襲」に備えてきた。
故・安倍晋三氏の父・晋太郎氏は義父の岸信介首相に仕えたし、福田康夫氏は首相時代に長男の達夫氏を起用している。
総理秘書官に限らなければ、安倍晋三氏は父の外務大臣時代に秘書官として、岸田首相みずからもまた父・文武氏の議員秘書として、それぞれ働いている。
地盤(後援会)、看板(知名度)、さらにはカバン(資金)、と言われる3つの「バン」を引き継がせる上で、さらに箔(はく)をつけ、永田町(政界)や霞が関(官界)での人脈を広げるために、秘書にする。
何重にも高い下駄を履かせれば、選挙には大きく有利になる。これが「世襲」だと言われているのだろう。
■なぜ「世襲」は袋叩きに遭ってしまうのか
「巨大な差別」〔脳科学者・苫米地英人氏による著書・『世襲議員という巨大な差別』(サイゾー)〕、もしくは、「世襲議員が異常に多い国・日本」(ハーバード大学准教授ダニエル・M・スミスによるインタビューのタイトル(『中央公論』2019年3月号)として、「世襲」は袋叩きに遭っている。
「後進国」日本を象徴する社会的な悪の扱いであり、問答無用にダメだとされている。
たしかに、おととし秋の自由民主党の総裁選挙では、岸田文雄、野田聖子、河野太郎の3氏が「世襲議員」であることを指して、格差社会の象徴であるかのような論調も見られた。
日本が格差社会であるかどうか、を論じるよりも、なぜ「世襲」はダメだと言われるのか。
たしかに、民主主義の根幹を支える選挙において「世襲」は抜け道というか、裏ワザというか、ズルいように見える。地盤(後援会)、看板(知名度)、カバン(資金)の3つの「バン」があれば、当選しやすいように見える。
しかし、3つの「バン」を持ちながら、女性問題で自由民主党を追われた中川俊直氏(広島4区)は、前回の総選挙で落選している。好条件ではあるものの、当選するパスポートではないし、将来、岸田翔太郎氏が父・文雄首相と同じ選挙区から立候補するとしても、プラスに働くとは限らない。
ここで注目したいのは、いまの日本では、だれも「世襲」議員を肯定していない(ように映る)ところである。
■「世襲」を問答無用に否定する人たち
まず、「言うまでもなく世襲は問題である」と考える人たちがいる。いる、というよりも、多数派だろう。
今回の岸田家のように、身内で仕事を融通したために緊張感や社会常識を欠く。近しい人たちの意見にばかり耳を傾けるので、幅広い世論をくみあげられない。
政治学者の飯田健・上田路子・松林哲也の3名が「世襲議員の実証分析」(『選挙研究』26巻、2号、2010年)で示したように「世襲議員」の選挙の強さは、有権者への説明責任を弱める恐れはある。支持団体のほうばかりを向く可能性を捨てきれない。
「世襲」は民主主義の否定であり、問答無用に受け入れられない、こうした立場の人たちが多いのではないか。
■「世襲」を受け入れる人たち
「世襲」への、もうひとつの立場は、「問題はあるが仕方ない」とする立場であり、政治以外の世界に目を向けてみると、この立場を、より理解できるのではないか。
伝統芸能の世界である。
今年度、人形浄瑠璃文楽の伝承者を育てるための研修受講生がゼロになった。1970年に「伝統芸能の保存及び振興を図る」ために国が始めた養成制度のなかで初めてであり、文楽の行末に暗雲が立ち込めている。
同じ制度を持つ歌舞伎や能楽は「世襲」によって、芸を受け継いでいるため、研修受講生出身者は、それぞれ33%と8%にとどまる。歌舞伎では、およそ70%が、能楽にいたっては90%以上が「世襲」である。
文楽が台本を重視する実力主義という点も大きく、およそ60%が養成制度出身者であるゆえ、このままゼロ、もしくは受講生が少数のままでは、この伝統芸能を続けていけない(*1)。
弊害を(甘んじて)受け入れた上で、その世界をつづけていくために、必要悪としての「世襲」を続けるしかない、と考えているのではないか。
■「世襲」を問われない人たち
伝統芸能以上に、「世襲」が多いのは、医師の世界である。
慶應義塾大学大学院経営管理研究科に提出された修士学位論文によれば、医師の世襲率は40%近くになり、親が子に進路を選ぶ際に与える影響もおよそ90%と、非常に高い(*2)。
開業医にとどまらず、大学病院などでの勤務医もまた、医師である親を見て、同じ職業に就く。伝統芸能のように代々受け継ぐ目に見えないものがあるからではないだろう。
病院というモノや、何よりも医師の収入をもとにした財力をバックに、高い学費を求められる私立大学を中心に多くの医師の子女が進学し、「世襲」が続く。
政治家の「世襲」に目くじらを立てる人は多いものの、健康に密接にかかわる医師への反感は目立たない。医師から政治家に転身する人もおり、その際にも、「世襲」の果実として得た資産が効いているかもしれないが、あまり問われない。
■どちらも「世襲は良く(は)ない」とする点で一致
伝統芸能や医師を含めて、「世襲」を糾弾する側も、甘受する側も、どちらも「世襲は良く(は)ない」と考えている。社会悪、という点では、不倫に匹敵するぐらい嫌われているし、すくなくとも両手をあげて賛成はできない、これが、いまの日本を覆う空気ではないか。
「実家が太い」という表現は、「世襲」とまではいかないものの、土地や建物、さらには援助してくれる寛大な心(というか甘やかし)への嫉妬をあらわす。
財産にとどまらず、さまざまな要素を与えてくれる親がいる、それは事実上の「世襲」であり、これもまた羨望(せんぼう)の的である。
「世襲」をさせたところで損害賠償を求められるわけではない。にもかかわらず、いや、だからこそ、日本中で、かつてないほどに「世襲は良く(は)ない」との見方を共有しているのではないか。
■「タワマン文学」の隆盛と「世襲」
こうした世襲への忌避感と結びつくのが「タワマン文学」である。
今年3月、首都圏の新築分譲マンションの平均価格は、1億4360万円となり、ひとつきでは初めて1億円を上回った(*3)。国税庁の統計によれば、おととしの日本人男性の平均給与は545万円、女性は302万円であり(*4)、ふつうの日本人にとって、首都圏の新築分譲マンションは、とても買えるものではなくなっている。
よほどの高所得者か、「実家が太い」人たちや、もしくは、「世襲」によって富を親たちから受け継ぐ人たちしか、手が届かない。
ここから「タワマン文学」の隆盛につながる。
中学受験やご近所づきあい、転職といった、壮年労働者の悲哀を、おもしろおかしく描き、マンガ化された作品もある「タワマン文学」で描かれるのは、嫉妬である。
タワーマンションの高層階と低層階、子どもの学力、収入の多寡、といった、違うといえば違うとはいえ、決して「貧富の差」とまでは言えない、微細なちがいをめぐり、「タワマン文学」の登場人物は一喜一憂する。
一億総中流は遠い昔に終わり、「みんな」が同じだとは、まったく信じられない。それゆえに、小さい差異が気になる。
細かい差を生み出す、大きな要因として槍玉に挙げられるのが「世襲」なのではないか。
大手企業で「世襲」が行われたとしても、あくまでもプライベートな組織の人事異動としてとらえられ、激しい妬みを呼ばないし、伝統芸能や医師といった「特異」な世界の話も関心を集めない。
ことが政治家という「みんな」にかかわる職業であり、さらには、ひょっとすると誰にでもなれる可能性のある立場だけに、強い反応を引き起こす。
それほどまでに、わたしたちの社会は、まだ「みんな」を信じているとも言えるし、「世襲」への怒りを表明できる程度には、「健全」な民主主義が機能しているとも言えよう。
ここに「世襲」が嫌われる理由だけではなく、わたしたちの社会の現在地がある。
(*1)「文楽継承 関心低い若者…今年度 研修受講生ゼロ」読売新聞2023年6月10日配信
(*2)比嘉久未香・後藤励「医師の世襲の特異性 意思決定の段階の観点から」慶應義塾大学大学院経営管理研究科 2020年度 修士学位論文
(*3)首都圏マンション3月は平均価格が初の1億円突破 23区2億円超え
(*4)令和3年分 民間給与実態統計調査
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神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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