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「黄色い線の内側までお下がりください」ていねいすぎる駅のアナウンスが逆効果である心理学的理由

プレジデントオンライン / 2023年6月24日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tsuji

日常生活で起こる事故を防ぐためにはどうすればいいか。心理学博士の榎本博明さんは「注意書きやアナウンスを過剰に行うのはむしろ逆効果だ。自ら考えて注意する習慣が失われ、思考停止状態に陥ってしまう」という――。

※本稿は、榎本博明『思考停止という病理』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。

■ティッシュ箱のつぶし方の説明は必要なのか

いつの間にか、あらゆる商品に過剰にていねいな注意書きが記されるようになってきた気がする。

ティッシュペーパーの箱が空っぽになったため、箱をつぶして捨てようとしたら、箱の底に、使い終わった箱のたたみ方として図解つきの説明があった。ティッシュの箱のつぶし方なんて、各自が適当に考えればよさそうなものなのに、うまくたためなくて怪我をしてクレームをつける人がいたりするのだろうか。それにしても、こんなことは、いちいち図解で説明されなくても自分で適当に考えてできるようでないと困るだろう。

コンビニで飲み物を買って、ストローを取り外し、蓋の部分に刺そうとしたら、「ストローや外蓋の縁で怪我をしないように注意してください」と書いてある。こんな飲み物ひとつ飲むにも、ストローや蓋の縁で怪我をしないように人から言われないとダメなのだろうか。当然、そんなことは言われなくても注意するものだろう。

■自ら注意する能力が失われてしまう

ストローや蓋の縁で怪我をしないようにといった注意書きはよく目にするようになったが、つい先日は、「ストローで勢いよく飲むとむせる可能性があるので注意してください」というような注意書きまで記されていたのには呆れてしまった。

このような注意書きがないと勢いよく吸い込んでむせてしまうというのでは困るだろう。ストローを使うとき、いちいちそんなことを注意してくれる人はいない。このような懇切ていねいな注意書きが増えてきたせいで、自ら注意する能力が失われているのではないだろうか。

豆菓子を食べながら小袋を見たら、「5歳以下の子どもには食べさせないようにしてください。口の中に入れたまま走ったり泣いたりすると誤って飲み込み窒息する危険があります」と書いてある。そのようなことは、書いてなくても親が自分で考え、配慮するようでないと困る。

■「飲み物ではありません」はだれに注意している?

あんこをパンにのせるために、あんこの入ったプラスティック容器をパンに向けてパキッと折ろうとしたら、「必ず食品に向けてから折ってください。他に向けて折ると、衣服や体を汚す怖れがありますのでご注意ください」と書いてある。自分の方に向けて折る人がいるのだろうかと思ってしまうが、こうした注意書きに頼り思考停止に陥ると、注意書きがないと何も考えずに自分の方に向けてパキッと折る人も出てくるのかもしれない。

お風呂の掃除をしようとして洗剤を使う際に、何気なく容器の裏を見たら、「パックを強くもつと、液が飛び出ることがあるので注意する」「あふれないように、液をほとんど使い切ってからつめかえる」などと書いてある。こんなことは常識の範囲内だろう。

さらには「飲み物ではありません」とまで注意書きがある。うっかり飲んでしまうような幼児にはこのような文字が読めるはずがないので、この注意書きは大人に向けたものなのだろうか。あるいは注意書きを考える人自身が思考停止に陥り、うっかり飲むような幼児が字を読めないことに気づいていないのだろうか。

■「思考停止→事故→過剰な注意書き」の悪循環

いずれにしても、こうした注意書きに頼ることによって、思考停止に陥り、注意してもらわないと気づかないという人が増えているのではないか。

ちょっとしたことでクレームをつける人がいるため、こうした過剰なまでにていねいな注意書きをするようになったと思われるが、そうすることで自ら考えて注意する習慣がますます失われつつあるように思われる。

そのせいで怪我をしたり、むせたり、喉に詰まったり、衣服を汚してしまったりといった事故が起こり、ますます過剰な注意書きが記されるようになっていく。そんな悪循環が生じているように思われてならない。

■天気予報はみんなが気にする「人気番組」

どこかに出かけるにしても、家にいるにしても、だれもが気にするのは天気だ。みんなが気にして見ているという意味で、天気予報は特別人気のある番組と言ってもよいのではないか。

旅行とかハイキングとかに出かける予定があるときなどは、何日も前から天気予報が気になり、良い天気になるという予報だとこのまま予報通りになってくれと願い、天気が崩れそうな予報なら当日までに予報が変わってくれないかと祈って、繰り返し天気予報を見たりする。

あまりに天気が荒れる予報の場合は、遊びに行く予定を取りやめたり、屋内でも楽しめるような場所に変更したりしなければならないし、今さら旅行を取りやめるわけにはいかないというような場合は、旅行先で雨天でも楽しめるような施設や店を検索しておくことになる。

天気予報雨
写真=iStock.com/v-graphix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/v-graphix

特別な外出でなく、いつも通り出勤するような場合も、やはり天気は気になるものである。昼間は暖かくても朝晩は冷え込むという予報なら、軽く羽織れるような上着をもって出かける。昼間は晴れているけれども夕方から雨になる可能性があるという予報なら、鞄のなかに折りたたみ傘を入れて出かける。

■その日のスケジュールや持ち物を大きく左右する

べつに出かける予定がない場合も、天気予報に頼る人は少なくないはずだ。一日中良い天気になりそうだという予報なら、布団を干したまま買い物に行けるし、洗濯日和ということで毎日の着替えだけでなくパジャマやシーツや布団カバーなどの洗濯もしておこうという判断ができる。

朝のうちは天気が良くても、昼から崩れそうだという予報なら、洗濯は日々の着替えとか最小限にとどめておこうといった判断ができる。

朝のうちはときどき晴れ間が見え、雨は降りそうになくても、おおむね曇り空の一日になりそうだという予報なら、空気が湿っていそうだし布団を干すのはやめようと判断することができる。

昼すぎまで雨が降っている確率が高いけれども、夕方から晴れ間が出そうだという予報なら、買い物は夕方雨が上がってから行こうといった判断ができる。

明け方から天気が荒れて、強風や豪雨が予想されるという予報なら、前の晩から傘やレインコートの用意をしておくことに加えて、電車に遅れが出るかもしれないからいつもより早めに出ようと判断することができる。

このように天気予報を参考にして、自分の過ごし方を決めたり、布団干しや洗濯をどうするかを決めたり、買い物の予定を決めたり、上着を羽織るか傘をもっていくかなどの判断をしたり、電車の遅れも想定して早めに出かけたりすることができる。

■外出する服装までアドバイスするように

ところが、このところ天気予報がやたらお節介になっている気がする。たとえば、降水確率や最高気温・最低気温、気温の日中の変化を予想するだけでなく、「薄手の上着を羽織って出かけた方がいいでしょう」「傘を忘れないようにしましょう」「今日のうちに洗濯しておいてください」「交通機関に遅れが出るかもしれないのでいつもより早めに出ましょう」などといった具体的なアドバイスまでするようになってきた。

これは視聴者の身になって役に立つアドバイスをしているのであって、親切になってきているのだと言えるのかもしれない。

しかし、こうした具体的なアドバイスまですることによって、他人任せの依存的な生き方を身につけさせることになる。天気予報の情報を参考に、翌日あるいは当日の自分の置かれるであろう状況を予想し、行動を決めたり対策を立てたりすることができなくなる。

いわば、懇切ていねいなアドバイスをもらうことに慣れてしまい、自分で情報を総合して考え判断する心の習慣が失われていく。

■耳をふさぎたくなるほどうるさい駅のアナウンス

電車に乗るたびに思うのは、駅のアナウンスがあまりに過剰なことだ。都心部の駅のアナウンスは、いつも思うのだが、異常にうるさい。駅員は絶えずアナウンスをし続けている。駅員も大変だろう、声がかれないかと心配になる。

新幹線ホーム
写真=iStock.com/Spiderplay
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Spiderplay

心配すると同時に、そこまでしなくてもいいのにと思ってしまう。

もちろん親切でアナウンスしてくれているのだろうし、何番線に並べばよいのかわからない人や電車の行き先がわからない人の助けになることもあるだろう。だが、それにしてもあまりにうるさいし、言っている内容も、そこまで頻繁に繰り返さなくてもいいだろうと思わざるを得ないものが多い。

「線の内側までお下がりください」「降りる人が済んでからお乗りください」「お忘れ物のないようにご注意ください」「小さなお子様の手をつないでください」など、非常にていねいなのだが、そんなことをいちいち言わないといけないのだろうか。

言われなくても当然のことだと思うが、あまりに懇切ていねいなアナウンスをするせいで、アナウンスがないと自分から注意する心の習慣が失われていくのではないだろうか。過保護に育てると、自立心が乏しく依存的な子に育つというのと同じだ。

■駅員の大声で思考に集中できずイライラ

とくにうるさいのは新幹線のホームのアナウンスである。絶え間なく同じアナウンスを繰り返す。「○番線ホームに○○行き特急○○が入ります」「自由席は○号車から○号車、指定席は○号車から○号車、グリーン車は○号車と○号車です」「トイレは……」「売店は……」というようなアナウンスを何度も繰り返す。

しかも叫ぶような大声でアナウンスしている。連れと話そうとしても、アナウンスがうるさすぎて相手の声が聞こえない。交互に相手の耳に口を近づけてしゃべるしかないが、それでも聞き取りにくかったりするため、話す気力が失せる。話したいことがあっても、もうどうでもいいといった気分になる。

話しにくいだけではない。考え事をしながらひとりで新幹線を待っているときも、あまりにアナウンスがうるさすぎて、思考に集中できず、イライラしてきて、ついに諦めて放心状態になることもある。

■うるさく注意するのはまったくの逆効果

榎本博明『思考停止という病理』(平凡社新書)
榎本博明『思考停止という病理』(平凡社新書)

心理学の実験でも、騒音がうるさい場所では、静かなときなら目に入る物にも気づかないことが証明されているが、騒音は心を閉ざさせるのである。「もう、いい加減にしてくれ」といった気持ちにさせる。その結果、周囲のものごとに対する注意力が散漫になる。

であれば、駅のホームでいくらうるさく注意を促しても、効果がないどころか、まったくの逆効果ということになってしまう。

結局、ていねいすぎてうるさすぎる駅のアナウンスには、言われなければ気づかない心を生み出すという面と、うるさくてものを考える気力をなくさせ注意力を散漫にさせるという面があり、二重の意味で人々を思考停止状態に追いやっているのである。

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榎本 博明(えのもと・ ひろあき)
心理学博士
1955年東京生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て、現在、MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。おもな著書に『〈ほんとうの自分〉のつくり方』(講談社現代新書)、『「やりたい仕事」病』(日経プレミアシリーズ)、『「おもてなし」という残酷社会』『自己実現という罠』『教育現場は困ってる』『思考停止という病理』(以上、平凡社新書)など著書多数。

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(心理学博士 榎本 博明)

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