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毎日誰かが用水路に食われている…4年間で108人死亡の「岡山県の人食い用水路」が野放しのままなワケ

プレジデントオンライン / 2023年6月24日 10時15分

対策のない用水路の典型例。日中でも人通りが少ないとはいえ、すぐ傍は住宅地だ。 - 筆者撮影

岡山県の岡山市や倉敷市では用水路への転落事故が後を絶たない。県の調査によると、2013年からの4年間で1562件の転落事故が発生し、108人が死亡している。なぜ事故はなくならないのか。岡山市出身のルポライター・昼間たかしさんは「柵の設置が進められているが対策は行き届いていない。長らく用水路の危険性が矮小化され、放置されてきた」という――。

■岡山県で用水路への転落事故がなくならない理由

岡山県南部、岡山市や倉敷市は全国でも屈指の用水路が張り巡らされた地域である。全国の用水路の総延長は約40万キロあるが、そのうち岡山市だけで1%にあたる4000キロ、倉敷市は2000キロを占めている。

そもそも、なんで岡山県南部にはそんなに用水路が張り巡らされているのか。

用水路の歴史は岡山県の歴史である。戦国時代の後期まで、岡山県南部は瀬戸内海に浮かぶ児島(現在の児島半島)と本土との間に20余りの島が点在する「吉備の穴海」と呼ばれる海だった。この海には、東から吉井川・旭川・高梁川の3つの川が流れ込んでおり干潟が発達していた。

この干潟を干拓した新田開発は奈良時代から始まっている。この時代の干拓は小規模なものだったが、戦国時代に現在の岡山県を統一した宇喜多氏は大規模な干拓事業を始める。江戸時代に入ると干拓は大規模になり1618年には児島が本土と陸続きとなった。

江戸時代の240年間で干拓された土地は約6800ヘクタールにもなる。明治時代になると士族の殖産事業として、オランダの技術者を招き干拓はさらに大規模化した。1963年まで続いた干拓工事で生まれた農地は約5500ヘクタールにも及ぶ。

もとが海だった干拓地は土が塩分を含み農作物にはまったく適さない土地だった。そこで、干拓地では塩抜きの溝や用水路が多数整備されることとなった。こうして、岡山県南部は全国でも屈指の用水路が張り巡らされたエリアになったのである。

ところが、20世紀後半に変化が起こる。大規模農地として開発されたエリアの都市化が進行したのである。高度成長期、減反政策で農業生産が鈍化する一方で、県南では工業化が進められ干拓地は農業地区に加えて工業地区も発展したエリアとなった。岡山市の南部は典型的で岡山市街地に次ぐ新たな都心にまで発展し住宅地が形成されるに至っている。

■4年間で108人死亡、毎日誰かが用水路に転落

2020年3月に岡山県がまとめた「用水路等転落事故対策ガイドライン」によれば、2013~2016年の間に用水路の転落が原因で救急車が出動した件数は1562件。年平均では391件で、一日に1回はどこかで用水路に人が落ちて、救急車によって運ばれていることになる。

水深にかかわらず道路から高さのあり、コンクリートで固められた用水路への転落は危険だ。「ガイドライン」によれば事故で「中等症以上(死亡・重症・中等症)」の怪我を負った人は全体の47%にあたる736人で、そのうち108人が死亡したとされている。全体の7%というかなり高い死亡率だ。

【図表】用水路等転落出動件数
出典=「用水路等転落事故対策ガイドライン」岡山県(令和2年3月)

岡山県人でなければ、そこまで用水路に転落する人が多いことは、なかなかピンと来ないだろう。転落する理由はごく単純で柵がないからだ。

岡山県南では、道路面と同じ高さで道路に沿うように用水路が走っていることが極めて多い。街灯もなく日暮時になれば境目がわからずに転落してしまいそうだ。日中でも自転車の操作を誤れば、そのまま用水路に突っ込んでしまうのである。

「ガイドライン」によれば、事故に遭った人は徒歩55%、自転車40%となっている。柵がないために、転落してしまう人が多いことが窺える。

■干拓地が続々と宅地になった

ただ、ここでちょっと疑問が生じる。用水路の歴史は干拓の歴史でもある。ならば、遠い昔から用水路に落ちている人は一定数いたはずである。それがなぜ21世紀の現在になって注目されるようになったのか。

用水路を管轄する岡山市役所道路港湾管理課の答えはこうだ。

「以前は、用水路に落ちた程度なら自分で這い上がっている人が多かったんです。しかし、人口が増え、高齢者も増加したことで、転落した際に救急車を呼ばなくてはならないような怪我を負ってしまう人が増えているのだと思います」

用水路が多い岡山市の岡南地区は、高度成長期以降に宅地化が進行した干拓地だ。筆者の親戚もこの地区に住んでいる者がいるが、70歳を越えた老母に尋ねると「あの家が引っ越した頃にはヨシの原しかなかった」という。

筆者も小学生の頃、その親戚が「芋掘りに来られえ」というので出かけたことがある。いってみると、あちこちの空き地を住人たちが勝手に畑にしてサツマイモや野菜を植えていた(昭和の頃にはまだ空き地を勝手に使うことを咎める人は少なかった)。そうした空き地も今はない。

今の岡南地区は、大規模な商業施設も目立つ人口密集地だ。こうして人口が増加した地区で、高齢化が進んだことで、用水路に転落し救急車を呼ばなければならないような怪我を負う人が増えているというのが、行政の認識のようだ。

ただ、この回答にはいささか疑問も残る。「ガイドライン」の統計で事故に遭った人の年齢は65歳以上が63%と最多にはなっている。しかし、それ以下の年齢も3割以上を占めている。やはり年齢を問わず用水路は危険な存在なのではあるまいか。

この記事を書くために、何人かの用水路の落ちた経験がある人に話を聞いてみたが、いずれも年齢は60歳以下である。そして、誰もがその危険性を次のように話した。

「道路との境目を見誤ったら、すぐに転落してしまいます。夕方以降は特に危険です」

人口が増えた結果、用水路に落ちる人も増えたというのが、正しい見方かもしれない。

■柵のあるところ、ないところの大きな落差

実際、用水路はどのように存在しているのか。歩いて確かめることにした。「歩いた」とはいえ、干拓地は広い。今回実測したのは、岡山労災病院から南区役所一帯である。ちょうど宅地と田畑が混在する地域だ。

まず目に付いたのは、用水路に張り巡らされた柵である。そう、岡山の用水路イコール柵がないというイメージが浸透しているが、行政も無策というわけではない。岡山市の場合は、2016年から危険箇所を洗いだし、現地調査を実施した上で対策に取り組んでいる。結果、対策が行われた箇所では執拗(しつよう)なほど頑丈な柵が張り巡らされるようになっているのである。

岡山市内の用水路。
筆者撮影
宅地化が進んでいるエリアでは頑丈な柵が施され安全が確保されている。 - 筆者撮影

しかし、問題は対策が実施された箇所とそうではない箇所の落差だ。整備された道路沿いでは整備された側では柵が設置されているのに、反対側には柵がないままのところもある。また、用水路に沿って反射板のついたポールが等間隔で並んでいるだけのところもある。

はたまた、住宅が数軒並んでいる傍の用水路なのにまったく対策が行われていない部分もある。ちなみに、対策が行われていない部分は、人通りは少ないとはいえ幹線道路沿いだ。

■「既に危険な対策はだいたい済んでいます」

果たして安全性は高まっているのか。周辺の人に話を聞いてみようと思ったが、まず通行人がいない。そこで、たまたま通りがかりにあった岡山市南区役所で話を聞いてみた。

対応してくれた職員は「市役所のほうでも話を聞かれたと思いますが――」といって、こういったのである。

「既に危険な対策はだいたい済んでいます」

担当者によれば、既に調査によって洗い出した用水路の危険な箇所は、ほぼ対策が済んでいるというのだ。いま、柵がないのは、さほど危険性が高くない用水路なのだという。

岡山市内だけでも用水路の総延長は膨大だ。ゆえに、傍から見て危険そうなエリアも、普段から用水路を目にしていれば、さほど危険ではなく見えてくるのではなかろうか。

もうひとつ、危険に晒されている住民のほうも必ずしも柵を設けることに賛成していないという事情もある。先に話を聞いた岡山市役所道路港湾管理課はこう話すのだ。

「道路幅の狭いところではクルマの通行に不便になると柵の設置に反対されているところもあります。それに、柵があっても落ちる時は落ちますしね」

【図表】用水路等転落事故危険箇所
出典=「用水路等転落事故対策ガイドライン」岡山県(令和2年3月)

■長らく用水路の危険性が矮小化されてきた

用水路に落ちる可能性よりも、普段の生活が不便になるほうが困るのはわかるが「柵があっても落ちる時は落ちますしね」と、どこか他人事なのはどうしてなのか。

この背景には、岡山人の独特の気質が見え隠れする。これまで筆者は出身地でもある岡山県に関する著書を何冊か出版している。その過程で多くの資料に触れているが、ほかの都道府県に比べて、多数の地域のゴシップ的な記録が郷土の歴史として書籍化されていることだ。

いわゆる「郷土史」に関する資料は、著者自身が住む地域の優れた点を強調したものが多い。過去の悲惨な事件や奇人変人の存在はなかったことにされがちだ。ところが、岡山県ではなぜか古来より、そんな地域の恥部をむしろポジティブなものとして記録してきた歴史家がやたらと多いのである。ネガティブな出来事でも「よその地域にはない珍しいこと」というわけである。

この事例が示すように、岡山県では用水路が危険なことまでも、地域の特性であり落ちなければ問題ないと捉えているのではあるまいか。口では「用水路は危険らしい」とはいっても、自分が落ちるまではネタ扱いしているというわけである。

これに加えて、岡山人は個人主義的な傾向が強いのに「人からどう見られるか」を気にするところがある。だから、用水路に転落し大事に至る人が増えた昨今までは、落ちても多少の怪我では救急車など呼ばずに這い上がってくる人が多かった。

怪我よりも「あの人は用水路に落ちたんで」「あんごうじゃ」と噂になるほうが一大事だったわけである。他人をネタにするのは大好きなくせに自分がネタにされるのは、たまったものではないというわけだ。これが、長らく用水路の危険性が矮小(わいしょう)化されてきた理由である。

元来、岡山人は個人主義的な傾向が強い人が多数派だ。結果、各方面で我が道をいく多彩な人材を生み出しているのは事実である。でも、こんなところで個人主義的になっているのは、いかがなものか。

岡山市内の用水路。
筆者撮影
近年整備された様子がみられるのに柵はなし。岡山人の「落ちるヤツが悪いんじゃ」という思考が如実に現れている。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)

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