「ケーキ1つ800円」はここから始まった…業界の常識をことごとく壊してきた「サダハル・アオキ」の次の野望
プレジデントオンライン / 2023年6月27日 13時15分
■業界の常識を壊したパティシエ
あなたはケーキ1個にいくらまで出せるだろうか。
パティシエの青木定治さんが2005年に『パティスリー・サダハル・アオキ・パリ』1号店を丸の内に出したとき、ケーキは1個800円、マカロンは1個300円で売り始めた。
青木さんは「僕の名前の店でケーキを出す以上、妥協しないケーキを作りたかったんです。それには材料費がかかり価格は800円でないと難しかった」と話す。
ただ、周囲はそんな事情は知らず、800円では売れないと懐疑的な声ばかりだったそう。
「当時のことを知る卸業者に聞くと、不二家のショートケーキの価格は300円を切っていたそうです。ほかの洋菓子チェーンの生ケーキの価格も300円~400円程度だったというから、ウチのケーキはかなり高かった。それでも800円で売ることは譲れなかった」(青木さん)
大方の予想に反し、青木さんのケーキやマカロンは大ヒットをする。相場より高くても売れたのは、こだわり抜いた素材に自身の技術を惜しみなく詰め込み、ケーキの価値を高めたからだ。
今では青木さんのような価格設定を行うパティスリーは珍しくない。青木さんが日本のケーキの相場を変えたといえる。
■大企業から自分の店を買い取る
「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」は人気を博し、2012年までに首都圏に4店舗を構えるようになった。しかし青木さんはそれでは満足しなかった。
当時、店舗の運営はANAホールディングス傘下である全日空商事の100%子会社エー・スイーツ・ハウスが運営を行っていた。
青木さんは常に「お菓子を通して人を喜ばせたい」と考える人だ。新商品はもちろん、西日本への出店や他企業とのコラボ商品など、さまざまな企画でお客の笑顔を増やしたかった。
だが、「運営会社の社員たちが優先するのはどうしても会社の安定だった」(青木さん)ため、アイデアが形になることは少なかった。
決して規模が大きくはない子会社のため、会社側が確実な方法で安定した利益をとりたいのは理解できる。ただ、お店には青木さんの思いに共感して入社したスタッフが100人以上いた。彼らの働く目的は、もちろん青木さんの存在だ。
ここで、シェフパティシエが不完全燃焼になってしまうと、スタッフのモチベーションにも悪影響を及ぼし、店舗のクオリティーが失われてしまう。それはブランドの危機といっても過言ではない。
悩んだ末、2019年に青木さんは運営会社の全株式を買い取り、業界では稀なシェフパティシエ兼経営者になることを決めた。ANA側も青木さんの決断を尊重し最大限のバックアップを行い、快く送り出している。
■なぜコロナ禍に「開店ラッシュ」を進めたのか
会社を買い取ってからの青木さんの行動は早い。まず念願だった出店を加速させた。世間はコロナ禍真っただ中だった2020年からの2年間で4店舗をオープンしている。
なぜこれほどまでの開店ラッシュが可能だったのか。
ひとつは、「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」は他のパティスリーとは異なり、来店する価値を重視したスイーツ店だったからだ。
青木さんのお店は、スイーツ自体に価値があるにもかかわらず、店舗まで行かないと買えない。その店舗も都心の一等地にあり、店舗数も限られているためプレミア感がある。実際、2020年4月の1回目の緊急事態宣言でも、5月末に解除されると、すぐに売り上げが戻ったそうだ。
さらに、異業種のシュウ ウエムラや伊藤園などとコラボした商品が通販で好調だった。こうして資金面で余力があったため、異例の開店ラッシュを進めることができたのだ。
青木さんは「出店場所は自分の行きたい街を選んだ」という。出店計画よりも先に自分の興味関心を優先させたというのだ。
「そうした街だからこそ、実際にそこに身を置くとインスピレーションが湧き、ビジネスに発展していくんです」(青木さん)
経営者兼シェフパティシエだからできる即時決断、即時行動といえるが、それは長野に行ったときも同じだった。
■衝撃的だった長野県のリンゴ
実は青木さんが現在、活動の中心に据えているのは、パリでも東京でもなく、長野県だ。
きっかけは、社員との旅行だった。コロナ禍で店を閉めている時間に、なんとなく向かったという。
「それまで僕は日本や長野県に強い興味があったわけではありません。ただ、車で県内を走っていると、リンゴや杏といった果樹農園がたくさんある。よく見たら、地面に落ちている果物があったんです。気になって農園の方に断って一口食べさせてもらったら、その味はもう衝撃的でした」
■世界一の食材はどこに集まるか
30年近くフランスを拠点にしていた青木さんは、それまで世界一のフルーツが集まるのはパリだと確信していた。だが、それが覆されたという。
「杏は甘味の中にしっかりとした酸味があって、ヨーロッパでもなかなか巡りあえないクオリティーでした。リンゴもレベルが高い。僕は、クルミはモンブランの麓にあるグルノーブル産が世界一と思っていたんですが、同じレベルのモノが長野県にあった。もう驚きでした。長野県、今まで知らなくてごめん、と思いましたよ」(青木さん)
高いレベルの食材の一部は出荷されることなく、あちこちの農園に落ちている。その状況を見た青木さんは、そうした果物を使った商品開発を思いつく。
「たくさんの魅力があるのに、地元の人でさえそれに気付いていない。みんなが興味を持たないからといって、何もしないのはすごくもったいない」
ただの旅行で訪れただけなのに、プランはもうできているのが青木さんだ。長野の果物を使ったコンフィチュール(果物を砂糖と一緒に煮詰めたフランスで食されるジャム)を作ることを決めたのだ。早々に、果物を集めておく食糧庫を軽井沢で見つけた。
■長野に拠点をおいたワケ
長野県は青木さんと深いつながりのある土地だった。千葉県市川市に日出学園という学校がある。同校を設立したのは、青木氏の高祖父にあたる青木要吉氏だ。そうした縁もあり、同校が軽井沢に持つ山荘に子どもの頃からよく来ていた。ただ当時は、自分が軽井沢でビジネスをやることになるとは夢にも思っていない。
「リンゴにしろ、ブドウにしろ、長野県には高い品質の果物がたくさんありました。日本には珍しく、土壌が酸性ではなく中性であることも関係しているでしょう。アルプスから運ばれた栄養を木々がしっかりと吸収しているからこそ、芳醇(ほうじゅん)な果実が出来上がるのだと思います」
食糧庫だけでは手狭になり、同じ軽井沢で別の物件を購入した。元はフレンチレストランだったので、水道やガスなど施設が揃っていたので整備し、2021年7月に「アトリエ軽井沢店」として開店した。
「ジャムを軽井沢で製造するのはいいのですが、それを東京に持っていって販売するのは普通でつまらないと思ったんです」
■道の駅をプロデュース
最近では飲食店の運営だけではなく、社会活動にも積極的に参加している。
「長野は世界に誇るすばらしい魅力であふれているのに、地元の人ですら気付いていない。今すぐフランスのパティシエたちを積極的に長野に呼んで案内したいくらいです」(青木さん)
そんな思いから道の駅のプロデュースを始めている。長野県内には53の道の駅があるが、必ずしも地元の魅力を発信してない。提供しているメニューもラーメンやチャーハンなど、どこでも食べられるものばかり。「これはめちゃくちゃもったいない」と、お土産品やレストランのメニュー開発に協力している。
■なぜ会社を上場しようとしているのか
ANAの傘下を離れた後、青木さんは自身の願望を次々と実現し、勢いに乗っている。その姿を見て、「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」とコラボレーションをしたいと考えるブランドが続々と増えているそうだ。
これまで、ディズニーランドや伊藤園、明治など大企業とのコラボ企画を実現してきた。闇雲にさまざまな企業とコラボするのではなく、青木さんが「意味がある」と判断した企業とのみ協業している。ブランド認知度を拡大するとともに、ブランドを強化するのはさすがだ。こうした動きは、やはり経営責任を青木さん自身が持っていることが大きいだろう。
2022年1月には長野県と連携協定を締結し、県内農産物のブランド開発などで信州ブランドをグローバルに発信していく活動も行っている。一介のシェフパティシエでは考えられない活動の広さだ。
直近の目標について、青木さんは会社の上場を挙げている。一軒のパティスリーから始まった個人店が立ち上げた企業が上場したケースを筆者は寡聞にして聞かない。そのことを青木さんに聞くと、
「上場したほうがお店の選択肢が増えるのはもちろんですが、さまざまな事業にもかかわりたいと思っています。例えば、パティシエのなり手を増やすための教育事業や人材派遣のようなこともしたい。僕は夢物語だと笑われようとも、やりたいことがあったら口に出します。上場はそのひとつです」と笑う。
■なぜ常識という壁を突き破れるのか
青木氏は自由人だ。ひらめきや思い付きで動くため、それを批判する人たちもいる。しかし、行動の根底には「お菓子を通して人を喜ばせたい」という思いがある。だからこそ、ぶ厚い常識という壁を、いくつも突き破ることができたのだ。
「信条として、僕は楽なことはしたくありません。難しいことにチャレンジして成功するほうが、かっこいいと思っています。だからこそ、最大のライバルは、いつも自分自身です。心の中にいる、怠け者の自分に打ち勝つためにも、リスクのあることにしか興味が向かないのかもしれませんね」(青木さん)
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フードジャーナリスト
1982年生まれ、福岡県出身。法政大学卒業後、医療関係の出版社などを経て2014年に独立。外食を中心に取材活動を行い、2019年7月からは月刊『飲食店経営』の副編集長を務める。
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(フードジャーナリスト 三輪 大輔)
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