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「学歴はもう関係ない」を信じていたのに…5つ下の後輩にも出世で追い抜かれた42歳会社員の後悔

プレジデントオンライン / 2023年6月29日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tuaindeed

1997年、日経連(現在の経団連)は、「就職協定の廃止」を発表した。これを受け、就職活動における学歴主義は終わった、という報道もあった。健康社会学者の河合薫さんは「ところが、現実はそうではなかった。『学歴はもう関係ない』という言葉を信じて、キャリアを積み上げてきた40歳前後の人たちは、学歴差別に苦しんでいる」という――。

※本稿は、河合薫『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか 中年以降のキャリア論』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

■「学歴が関係ない社会になる」を信じて後悔

【証言1 大手薬品関連会社勤務のホシヤマさん(仮名)42歳】

「納得いかないのは『君たちが社会に出るときは、学歴が関係ない社会になる。誰にでもチャンスがある時代が来る』って、学生時代に言われ続けたことです。

私は運よく今の会社に入社できました。正社員です。同級生の中には私より優秀なのに内定が出なくて、ものすごく苦労してる人もいたので本当にラッキーでした。だから、余計に『学歴が関係ない社会になったのかも』と思えたんですよね。社内でも頑張れば認めてもらえるって思えたし、下が入ってこない状況もそんなに気にならなかった。腐らずに自分が頑張ればいいんだって。自分次第なんだから、と信じていました。

ところが、5つも下の後輩に追い越されてしまった。課長職です。うちの会社はもともとK大が強いんですけど、彼もK大です。K大以上じゃないと上にいけない、という現実を突きつけられショックでした。学歴社会は終わってなかった。私の出身大学の経営幹部はいません。

もう『夢』を追うには遅い年齢なのに、仕事のキャリアパスが見えないためか、『人生これでよかったのか』と後悔することが増えてしまいました」

■就職氷河期を勇気づけた言葉に根拠はなかった

就職氷河期という厳しい時代の中でも、ホシヤマさんのように希望する企業に正社員として採用された人たちはいました。氷河期=希望した会社に入れない、氷河期=非正規雇用という等式が一般化されがちですが、就職はいわば結婚のようなもの。希望する会社と学生の相性が運よく合えば、勢いで結婚できてしまうのです。

一方で、就職が厳しい状況だっただけに、「今、我慢すれば、今乗り越えれば、いいことはある。だって時代は確実に変わっているのだから」と彼らを勇気づける言葉もあちこちで散見されました。それは苦しんでいる若者へのエールであり、絶望しないでほしいという年長者の思いやりであり、日本も今を乗り越えれば再び復活できる! という、バブルといういい時代を生きた人生の先輩たちの根拠なき楽観でもありました。

■「学歴主義は終わる」という大見出し

その一つがキャリア系企業に携わる人たちが連発した、「学歴主義は終わる」という、光を抱かせるフレーズです。

「就職協定でブレイク! 『就職自由化』時代がやって来た!」

これは1997年11月、就活を控える学生たちの愛読雑誌だった『就職ジャーナル』の表紙に書かれた大きな見出しです。53年から40年以上続いた就職協定をやめる! と日経連が大英断を下した事を受けてつけられました。

68年6月に創刊した『就職ジャーナル』は、大学生向け月刊就職情報誌として人気を博した雑誌です。版元のリクルート社は、80年2月には女性のための転職情報誌『とらばーゆ』を創刊するなど、時代の機微を的確に捉え、読者に役立つ情報を発信し続けました。いわば、就活生の指南書であり、役立つガイダンスだったのです(学生の就職活動・企業の採用活動はWebを通じたコミュニケーションが一般的になり、2009年2月28日発売号をもって休刊に)。

その『就職ジャーナル』が、大見出しを打った! そうです。97年は、就職活動の歴史的転換期となる……はずでした。

■学歴主義の歴史は明治時代にまでさかのぼる

『就職ジャーナル』の大見出しがいかにすごいニュースだったかを実感するには、ちょっとばかり歴史を遡る必要があります。また、100年前? いやいやもっと前です。

明治時代。140年以上前のお話です。実は「学歴主義」はかなりのお年寄り。明治時代に生まれたのです。

明治維新によってつくられた明治政府は近代国家を目指し、フランスの学制にならって近代的学校教育制度を取り入れました。そのトップバッターが、明治10年にできた東京大学です(開成学校と医学校の合併で成立)。その後は、現在東京大学、京都大学、名古屋大学、東北大学、北海道大学、大阪大学、九州大学となっている計7大学の旧帝国大学を頂点とするヒエラルキー型の複線的な学校制度がつくられました。

ここで誕生したのが「学歴主義」。「大学を出たか? どこの大学を出たか?」でその人の評価や社会的地位が決まる、学歴を過度に重視する考え方です。

履歴書
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

学歴主義自体はヨーロッパ産ですが、欧州の学歴主義は官庁でのみ採用されていたのに対し、日本では官庁から企業へ波及しました。名だたる企業が高学歴の者に非常に高い賃金を支払うようになり、学歴主義が社会に根付いていったのです。

■文科省の先導で1953年に就職協定が成立

当時は、大学を出たらサラリーマンの地位が約束されていましたから、次第に「新卒一括採用」を取り入れる企業が増加します。新卒一括採用を最初にはじめたのは、三菱(当時の日本郵船)で、1895年(明治28年)頃だったとされています。第一次世界大戦時の大正バブルと呼ばれた好景気のときには、新卒一括採用は当たり前になった。だからこその『大学は出たけれど』だったわけです。

この頃は、卒業が確定した時点で採用試験を行うとの申し合わせも行われていました。しかし、「優秀な学生を確保したい」という企業の抜けがけが相次ぎ、三菱の提案で申し合わせは正式に破棄。その結果、ますます企業は早くから優秀な学生に手をつけるようになり、学業がおろそかにされるようになってしまいました。シューカツとまったく同じ構造です。

そこで乗り出したのが文科省です。

1952年に「学生の学業に悪影響を及ぼしているし、就職機会も平等じゃない!」として、大学や日経連、労働省を巻き込み、翌年に「就職協定」という、今なお裏で続くルールが確立されたのです。

■ルールを守らぬ企業の「青田買い」

しかし、どんなルールができようとも、「優秀な学生」をゲットしたい企業の思惑がなくなるわけではありません。企業はルールの抜け穴探しに躍起になり、あの手この手で「優秀な人材確保」に乗り出します。

「そうだ! 求人を行う大学を決めて、そこの学生だけエントリーを受け付ければいいんじゃね?」と、指定校制度をスタート。名だたる大企業が堂々と学歴主義を打ち出しました。

さすがにこれには反発が相次ぎ、指定校制度は廃止に。すると今度は「だったら、先輩が優秀な後輩を見つけて、ツバつければいいんじゃね?」と、リクルーターと呼ばれるOB、OGを経由した特定大学出身者の採用をはじめます。いわゆる「青田買い」です。

当然、青田買いは秘密裏に行われていましたから、青田買いの対象にならない学生たちはルール通りに動きます。10月1日の解禁日に早朝から「目指す企業」に長蛇の列をつくる光景は、毎年ニュースで取り上げられ、秋の風物詩となりました。

その様子は異様で、海外メディアも注目。通年採用が当たり前の欧米にとって、一括採用自体不思議なのです。

■就職協定の廃止は歴史的な英断だったのに…

この脈々と受け継がれる学歴差別を真正面から描いたのが、1983年にTBS系で放送されたドラマ『ふぞろいの林檎たち』です。

ドラマは、「ちょっとだけランクの低い大学生」が就職も恋愛もうまくいかず、自分の大学を名乗ることもできず、居場所を失っていく……というストーリー。学歴主義が生んだ劣等感に多くの人たちが共感し、10年以上続く大人気シリーズになりました。その最終シリーズがスタートした97年4月に、「やっと、本当にやっと学歴主義が終わるんだね!」と社会を喜ばす大英断を日経連が下したのです。

日経連の根本二郎会長(当時)は、53年から40年以上続いた就職協定の廃止を宣言。同時に、企業には「いつ、どのような形で採用活動・選考活動を行うか」の情報の公開を求め、「正式な内定日は卒業・修了学年の10月1日以降とする」と明記した、「採用選考に関する企業の倫理憲章」を制定しました。

これが大きな転機となるはずだった英断であり、「就職協定でブレイク! 『就職自由化』時代がやって来た!」と、『就職ジャーナル』の表紙に大々的な見出しがついた理由です。

■「不公平さは消滅する」という確信は裏切られた

当時、『就職ジャーナル』の編集長だった豊田義博氏は、このときの気持ちを次のように綴っています。

「『君たちは、これまでの先輩たちと違って、情報が開かれた公平・公正な環境で就職活動ができるのだ。この素晴らしい変化を活かして納得の行く就職活動をしてほしい』

そんな思いを胸に、私も編集部員も少し興奮しながら本を作っていた」(『就活エリートの迷走』ちくま新書より)

豊田氏は、大手企業や人気の企業の多くがリクルーターを使って、東大、一橋、早慶などの学生にアプローチしていたこと、会社訪問解禁日に会社に行っても採用されるチャンスはほぼなかったこと、就職協定という規制を守る学生=正直者が馬鹿を見る状況がずっと続いていたことなどの“裏側のリアル”を著書で暴露しています。

書類を抱える女性
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

その上で、根本会長の大英断により、就職活動は透明化し、「5年後、10年後には、これまでの歪みや不公平さは、消滅していくにちがいない」と確信したそうです。

が、その確信は見事に裏切られました。「学歴社会はなくなる!」と豪語した人たちの予測は、まったく当たりませんでした。

■“学歴フィルター”という差別

やっかいなのは就活に関する問題が露呈する度に、就職のルールが次々と改定され、再三見直されたことが、よけいに学歴主義を見えにくくしてしまった点です。

さらに、就職活動は年々画一化され、就活のデジタル化が進み、企業は欲しい大学の学生をフィルタリングできるようになりました。いわゆる“学歴フィルター”です。

フィルタリングするのは「人」ではなく、「コンピューター」ですから、差別するほうにも、されるほうにも生々しさがありません。完全にブラックボックス化しているので、企業は「知らぬ存ぜぬ」で簡単に否定できるし、学生も学歴で差別されている気がするけど、「差別された自分の学歴」を受け入れたくない気持ちもあるので、「これって学歴フィルターじゃね?」と釈然としない気持ちをSNSで呟く程度です。

差別はする側の問題なのに、なぜ俎上に載せるのはいつも「差別された側」なのか。理不尽としかいいようがありません。

しかも最近多用される「有能人材」という言葉も根っこは学歴主義と同じなのに、言葉が変わるだけで感じ方も変わるのは実に不思議です。刺身好きに「死んだ魚好き?」と聞いても、誰も「好き」とは言わないと同じ理屈なのでしょう。

■「学歴は高校時代に努力した証」は本当か

学歴主義を肯定する人たちは、「優秀である可能性が高い者を見極める指標に学歴がもっとも合理的」「学歴は高校時代に努力した証」と豪語しますが、「自分の能力や努力」と信じている力は、「あなた」自身ではなく、「出身家庭」によるところが大きい。なのに、多くの人たちがあたかも自分の手柄のように言い募ります。

河合薫『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか 中年以降のキャリア』(ワニブックスPLUS新書)
河合薫『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか 中年以降のキャリア論』(ワニブックスPLUS新書)

『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)の著者である社会学者・橋本健二の分析によれば、新中間階級出身者たちは当たり前のように大学に進学し、当たり前のように新中間階級になることができた。「しかし、それは恵まれた家庭環境の下に育ったからであって、とくに彼らがもともと能力的に優れていたからではない」と指摘しています。

同様の傾向は海外でも認められています。

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の分析では、ハーバードやスタンフォードの学生の3分の2は、所得規模で上位5分の1に当たる家庭の出身者だったそうです。

「個人の能力」と誰もが信じて疑わないスポーツの世界でも、大学にスカウトされて優先的に入学したスポーツ選手のうち、家庭の所得規模が下位4分の1に属する学生はたったの5%。悲しく残念なリアルですが、親ガチャは確実に存在するのです。

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河合 薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D.)。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究を進めている。著書に『残念な職場』(PHP新書)、『他人の足を引っぱる男たち』『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)などがある。

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(健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士 河合 薫)

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