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「あなたのために怒っている」は"虐待親"の常套句…子供の心に一生ものの傷を残す「親のひとこと」

プレジデントオンライン / 2023年6月26日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ridvan_celik

親から子供への虐待は身体的なものだけとは限らない。言葉による暴力が子供たちを追いつめ、心に一生残るような傷を残すことがあるという。ノンフィクション作家・石井光太さんの『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』(ハヤカワ新書)第1章より、一部を紹介する――。

■子供の努力を踏みにじる親の発言

教育虐待において洗脳は出発点にすぎない。親は子供を自分の価値観で染めた後、今度はあらゆる手立てを駆使してわが子を自分の理想とするゴールに向かって走らせようとする。それが虐待と呼ばれる行為を引き起こすのである。

教育虐待の中でもっとも起こりやすいのが、親の言葉による暴力だ。

親の中には子供が思い通りの成績を取れなかった時、感情的になって暴言を吐き散らす人がいる。親の温かさを必要とする年頃の子供にとって、そうした強圧的な罵声は、いたいけな心をズタズタに切り裂く刃物となる。心に刻まれた傷はなかなか癒えることなく、場合によっては一生痛みを伴うものとなりかねない。

言葉の暴力としてよく見られるのが、子供の努力を踏みにじる発言だ。

「なんで、こんな簡単な問題も解けないんだ!」
「この成績で恥ずかしいと思わないのか!」
「これまで一体何をやっていたの?」
「自覚がまったく足りない!」
「努力をしているようには見えない!」

■「子供のために心を鬼にして怒っているんだ」

教育虐待を受けている子供は、自分の意思ではなく、親の言いなりになって勉強をしている。そういう子供たちは、自発的に勉強をしている子供と比べると、学習の定着率が低くなるため、余計に苦労しなければならない。

子供にしてみれば、がんばってやったけど、この点数が精いっぱいだったという気持ちだろう。ゆえに、彼らはテストの点数より、日頃の努力を認めてもらいたいと考える。

だが、親の目に映っているのは、テストの結果だけだ。成績が良ければ努力していると考え、そうでなければ怠慢と見なす。だからこそ、いくら子供が必死になっていても、親はそれを人格ごと否定するような物言いをする。それが上記のような言葉として現れる。

親は自分がした発言を正しいと信じている。そんな彼らの常套句は次のような言葉だ。

「怒ったのは、子供にやる気になってもらいたいからだ。私だって本当は怒りたくない。でも、子供のために心を鬼にして怒っているんだ」

こうした考え方は、親の独りよがりでしかない。

■頭ごなしに罵声を浴びせかけるのは逆効果

競馬のレースを思い描いてほしい。日本最高峰のG1のレースで、騎手がサラブレッドに乗ってスタートを切ったとする。騎手はぎりぎりまで耐え、最後の最後でタイミングよく鞭を振り下ろせば、コンマ数秒の力を発揮させることができるかもしれない。

だが、幼い馬に訓練の最初の段階から何度も鞭を打ち、「もっと早く走れ!」とせかしたところで、速く走れるようになるわけがない。むしろ、馬は騎手を背中に乗せて走ることすら嫌がるようになるだろう。

人間だって同じだ。

プロ野球選手の大谷翔平選手のように体格にも運動神経にも恵まれていても、幼い頃から頭ごなしに罵声を浴びせかけられ、暴力をふるわれていたら、野球に夢を抱けなくなるだろう。バットを握るどころか、試合を見ることすら嫌になってしまう。

しかし、メジャーリーグに渡った今の大谷選手ならば、監督に活を入れられても「なにくそ」と思ってがんばれるはずだ。なぜならば、それまでに培った野球への愛情、成功体験、そして自分自身で掲げた高い目標があるからだ。

■東大生の65%は「勉強しなさい」と言われていない

勉強においても同じことだ。

親がまだ何も成し遂げていない子供に対して厳しい言葉を投げかけたところで、それがいい方向へ転がることは少ない。子供たちは、なぜ自分の努力を認めてくれないのか、自分はそんなにダメな人間なのかと劣等感を膨らませ、勉強を嫌いになる可能性の方が高い。

幼い子供に対して親がしなければならないのは、その子が勉強を好きになるように促すための声掛けだ。このことは東大生の子供時代の経験に基づくアンケートからも明らかになっている。図1を見てほしい。

出典=『プレジデントFamily』2019年10月号「東大生184人アンケート! 賢い子が育った『家庭の中身』大公開」/『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』P36
出典=『プレジデントFamily』2019年10月号「東大生184人アンケート! 賢い子が育った『家庭の中身』大公開」/『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』P36

東大生の65%が「親に『勉強しなさい』と言われていない」と答えていることがわかる。また、同じ調査からは、「よく褒めてくれた」が82%、「何かを決める際、親は自分の意見を聞いてくれた」が86.5%であることが明らかになっている。

これらのアンケート結果は、子供の学力向上のためには叱るより褒めること、強制するより自主性に委ねることの方が有効ということを示している。

■他人と子供を比較する親は勘違いしている

また、親が発する子供を傷つける言葉として、他人と比較してわが子を貶める発言がある。周りにいる優秀な子供と比べて、子供がどれだけ劣っているのかを悪意を込めて指摘するのだ。

「なんでお兄ちゃんやお姉ちゃんができて、あなただけできないの?
「○○ちゃんを見習いなさい!」
「同じ塾の子に対して悔しいと思わないの?」
「あんな子たちに負けてもいいと思ってるのか!」

こうした親たちは、あらゆる子供は等しい能力を備えていると勘違いしている。

だが、人間には生まれ持った能力というものがある。スポーツや芸術に喩えればわかりやすい。血のつながったきょうだいであっても、足の速い子とそうでない子がいるし、絵のセンスがある子とない子がいるだろう。性格だってバラバラだ。

勉強の能力とて同じだ。仮にきょうだいが3人いたとすれば、3人がそれぞれ持っている能力は異なる。本人の努力や環境によって補える差もあるが、学習障害などのように容易には埋められないものもある。

黒板の前でさまざまな表情を描いた画用紙を顔の位置に持っている生徒たち
写真=iStock.com/cglade
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/cglade

■「自分はどうしようもない人間なんだ…」

親がそうしたことを考慮せず、上記のような言葉を浴びせかけられれば、子供はどう感じるだろう。「きょうだいの中で自分だけが劣っている」「自分はクラスメイトよりダメな人間なんだ」と自分を卑下しはじめる。それは大きな劣等感となって、その子の心の成長を阻むことになる。

女子少年院で出会った少女がまさにそうだった。彼女は知的障害のボーダーだったにもかかわらず、毎日のように優秀な兄と比べられて蔑まれてきた。それは勉強だけに留まらず、日常生活の言動などあらゆることに及んだそうだ。

彼女はこう語っていた。

「あの人(母親)は、勉強だけじゃなくて、生活のこと、たとえばお皿を割ったとか、服を脱ぎっぱなしにしたってことで『他の子はこんなことはしない』とか『家族の中であなただけ血がつながっていると思えない』と言ってきた。人と比べてどんだけうちがバカなのかって言ってきた。

なんで気がついたら、うちは自分はどうしようもない人間なんだって思うようになってた。この家にふさわしくない、いちゃいけない人間なんだって……。だから、生きていること自体にごめんなさいって気持ちだった」

■恩着せがましい言葉で子供に報酬を求める

教育虐待をする親は、勉強だけでなく、日常の些細なことにまで口出しすることが多い。家族の中であなただけが食べるのが遅い、なんであなただけ寝坊をするのか、この中に一人だけ音痴がいる……。

虐待親は他者との比較の中でしかわが子の価値を見いだせない。だから何かにつけて他者と比べようとするので、目に付く子供の欠点を必要以上に問題視し、がなりたてる。毎日そんなことをされれば、子供が自信を喪失するのは当然だろう。

また、こうした親たちは子供に対して恩着せがましい言葉をかけることがよくある。親である自分が子供に対してどれだけのことをしたのかを懇々と語り、それに見合った報酬を求めようとするのだ。

次のような言葉である。

「一体、おまえの塾代にいくらかけていると思っているんだ!」
「家族はみんなお前の合格を最優先してあらゆることを我慢しているんだぞ!」
「あんたのためにおじいちゃんやおばあちゃんにまでお金借りて苦労させているのよ!」
「私だって叱りたくないのよ。叱るのがどれだけつらいかわかる? 叱らせているのはあなたなのよ?」

■「あんたが勝手にやってんだろ」とは反論しづらい

子供にしてみれば、親に一方的にレールを敷かれ、受験勉強をさせられているだけだ。にもかかわらず、親から恩を着せるような言い方をされても、不当な言いがかりにしか思えない。「あんたが勝手にやってんだろ」というのが本音だろう。

だが、面と向かってそのように反論する子供は多くはない。毎日のように親から「これだけ協力しているんだぞ」と言われていると、子供は知らず知らずのうちに親に対して申し訳ないという感情を抱いてしまうのだ。

スポーツにおける例だが、私は以前、フィギュアスケートで五輪選手を目指したものの、途中で挫折して心を病んだ女性に話を聞いたことがある。フィギュアスケートはスケートシューズに十数万、衣装代に十数万、月謝やリンク代に十数万円と、非常に費用がかかるスポーツだ。

彼女の親は何が何でも娘を五輪選手にしようと、普段のグループレッスン以外にも個人レッスンを受けさせたり、スケート場を貸切って練習させたりと多額のお金をつぎ込んだ。すべて母親の意向によるものだ。にもかかわらず、母親は毎日のように練習にいくらかかっているかを示してこう言ったそうだ。

「これだけのお金を返そうとしたら、オリンピックに出てもらわなければどうしようもないのよ。お母さんもお父さんもすべてあなたにかけているんだから、何が何でもがんばってちょうだい」

■強迫観念に駆られた子供は心を病んでしまった

彼女は学校にもほとんど行かずに練習をしたが、大会で優勝できるようなレベルに到達することはできず、志半ばでスケートをやめることになった。

その後、彼女を襲ったのは母親を裏切ってしまったという自責の念だった。自分は母親が払ってくれた多額のお金を無駄にしてしまったのだと罪の意識にさいなまれ、ついには心を病んでしまったのである。

スケート靴を手に、リンクの上に立つ少女
写真=iStock.com/RichLegg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RichLegg

後に彼女はこう語っていた。

「現役の時は、親にお金のことで迷惑をかけているんだから、なんとしてでもそれに報いなければと思っていました。楽しいとか、夢を追いかけているとかいう気持ちはなく、ただ親を裏切るような真似はできないという思いで、あらゆることに急かされるようにやっていた感じです。だから結局、大会に出ても失敗することの方が怖くて力を発揮できずミスばかりしていました」

彼女にしてみれば、親から恩着せがましい言い方をされたことによって、強迫観念に駆られてフィギュアスケートをしていたようなものだったのだろう。そのプレッシャーが選手としての成長を妨げたばかりか、心まで壊すことになったのである。

■親の言葉の暴力から逃れられないワケ

ところで、子供たちはなぜ、親の言葉の暴力から逃れようとしないのだろう。受験勉強をやめるという選択もできるのではないか。

実際にそれができる子供はきわめて少ない。彼らは親の洗脳に加えて、日頃から退路を断つ言葉をかけられている。それによって逃げることができなくなっているのだ。

次のような文句である。

「これで不合格だったら、うちは家庭崩壊することになる!」
「家族みんなが世間に顔向けできなくなる!」
「レベルの低い学校へ行ったら、あんたなんてすぐにいじめられるわよ!」
「あなたは一生、負け組のままでいいの?」
「やらないなら、今すぐ家から出ていって自分一人で生きていけばいい」

子供はこうしたことを言い聞かされているので逃げることを罪だと思ってしまう。自分のせいで家庭を壊すわけにいかない。荒れた学校へ行っていじめられたくない。家を出ていかされても、他に行くところなんてない……。こうした思いの中で、子供たちは逃げる選択肢を失ってしまうのだ。

■子供をさらに追いつめる親のひとこと

虐待親は、往々にして子供から逃げ道を奪っていることに無自覚だ。だからこそ彼らは次のように言い放つ。

「私は強制をしたことなんて一度もない。やめたければいつでもやめていいって何度も言った。それでも勉強をしていたんだから、あの子は自分の意志でやったの」

やめられない状況に追いつめておきながら、やめたければやめればいいと言うのだ。

しかし、こうした状況下で、子供が自分の意志で受験勉強をやめる決断を下すことなどできるわけがない。子供は不本意ながら涙を流しつつ、「がんばります」「やらせてください」と答えざるをえなくなるだろう。

■心が破壊されないよう感情を殺すようになる

このように見ていくと、教育虐待下において子供たちがいかに親に支配されているかがわかるのではないか。その中で心に傷を負っていくことこそが、心理的虐待と呼ばれる所以なのだ。

石井光太『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』(ハヤカワ新書)
石井光太『教育虐待 子供を壊す「教育熱心」な親たち』(ハヤカワ新書)

子供たちがこれによってどのような傷を負うのかについては、本書の第2章に譲りたい。ただ、教育虐待サバイバーの多くが、親に罵倒されていた当時をふり返って異口同音に発する言葉がある。次のようなものだ。

「親に罵倒されているうちに、感情が麻痺してほとんど何も感じなくなりました」

親の暴言に慣れたのではない。彼らは言葉という凶器によって心を破壊されるのを避けるため、あえて感情を殺すようになったのだ。

だが、親はそうしたことに気づかず、「何度言ってもわからない」「聞いていない」と言って、さらに罵声を浴びせかける。これによって心理的虐待がさらにエスカレートしていくのである。

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石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家
1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』(文春文庫)、『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』『遺体 震災、津波の果てに』(いずれも新潮文庫)など多数。2021年『こどもホスピスの奇跡』(新潮社)で新潮ドキュメント賞を受賞。

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(ノンフィクション作家 石井 光太)

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