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ある夏、"90歳"3人の同時介護が始まった…50代で夫を亡くした嫁がひとりで支えた義実家"9人暮らしの館"

プレジデントオンライン / 2023年6月24日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yaraslau Saulevich

25歳で農家に嫁いだ女性。3歳上の夫を59歳で亡くした後も義実家で3人の子供や義父母などと暮らした。60代に入ると実母が病に倒れた後、義母や義父も次々と……。90歳前後の3人の介護がいっぺんにやってきた女性の孤軍奮闘の日々が始まった――。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹の有無に関係なく、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■始まりは熱中症

中国地方在住の鈴木愛子さん(60代・既婚)は、高校を出てジーンズメーカーで働いていた頃、友人の紹介で農家の長男である3歳年上の男性と出会い、25歳の時に結婚。義両親だけでなく、義祖母、高校を卒業したばかりの義妹とも同居することになった。

鈴木さんは、農業に関して全くの素人だったが、がむしゃらに農業や家事を覚えた。結婚の翌年に長女、その2年後に長男、さらに1年後に次男に恵まれ、その後、30年近く忙しいながらも充実した生活を送っていた。

ところが2012年の初夏、田植えが終わった夜に夫が倒れ、約1カ月半後に59歳で亡くなった。以前からずっと体調が悪いと言っており、死因は肝硬変だった。夫は若い頃からお酒が大好きだった。

その後も50代の鈴木さんは、80代の義両親、30代シングルマザーの長女とその小学生の息子、30代の長男夫婦と未就学児の子供1人、30代介護福祉士の次男の9人で同居している。

鈴木さんは家族全員のための家事をしながら、農家を継いだ長男の手伝いのほか、日中は不登校支援のボランティアを20年続け、夕飯の後は工場で働き、時間を見つけては自分が好きな野菜を育てるなどして、穏やかに暮らしていた。

2019年8月3日の深夜23時ごろ。その日、疲れていた63歳の鈴木さんは、すでに布団に入り、就寝する準備をしていた。

すると突然、実家で87歳の母親と暮らす4歳年上の姉から電話がかかってきた。

「お母さんが倒れてる! 私、気がつかなくて、倒れて30分以上経っていたかも!」

と気が動転した様子。

「今は意識は戻ってるけど、これから救急車で病院に運ばれるから、念のためすぐ来て!」

鈴木さんは急いで着替え、車を走らせて、指定された救急病院へ向かった。

離婚歴のある姉は、1度目の結婚後も2度目の結婚後も、実家で母親と同居している。鈴木さんの父親は、1989年に迎えた61歳の誕生日の朝、冷たくなっていた。急性心不全だった。もともと姉は、子供の頃から「自分が両親の老後の面倒を見る」と心に決めていたようだ。2人目の夫の仕事の都合でしばらく実家を離れていたが、父親が亡くなると、1人遺された母親を心配し、すぐに実家に戻った。姉には子供が3人おり、末娘(鈴木さんにとって姪)夫婦が、姉夫婦と母親と同居していた。

病院に着き、姉に状況をたずねると、母親は救急車で運ばれる時には意識が戻り、「私、転んだの? 覚えてないなあ」と言っていたという。

鈴木さんが母親と面会できたのは、深夜0時を回ってからだった。若い頃からリウマチを患い、足が痛むため外出時は杖や介助が必要で、家の中でも杖を使ったり伝い歩きしたりしていた母親は、要支援1だった。

その日は就寝後にトイレに起き、トイレから戻る時に立ったまま意識を失って倒れたため、顔面を床で強打し、鼻と頬を骨折したようだ。目の上は大きなタンコブができ、顔面の半分ほどが赤黒くなっていた。

「5年ほど前に脳梗塞を起こしていた母は、血液をサラサラにする薬を飲んでいた影響もあり、鼻から上は痣のように変色して、まるでお岩さんのようでした」

母親は駆けつけた鈴木さんを見ると、「今年はお化け屋敷行かなくていいわ〜」と、冗談っぽく言った。そんな明るい調子の母親に、鈴木さんは胸をなでおろした。

■容体急変

ところが、入院から2日目に母親の様態が急変。嘔吐(おうと)を繰り返し、食事も取れなくなる。主治医から電話があり、「倒れた衝撃で腸が骨に挟まれて腐ってきています。このままにしていると危ない。すぐに病院に来てください」と言われ、鈴木さんは再び病院へ駆けつけた。

母親は腸閉塞を起こしていた。主治医によると、熱中症で体力を消耗しているうえ、2014年に起こした脳梗塞と持病の心臓弁膜症があるため、手術中に心不全を起こす可能性があり、「すぐに手術をしないと命が危ない」という。

「もし、手術中に心不全を起こすようなことがあったら、喉を切開して気管カニューレを入れますが、同意されますか?」

このとき、姉と連絡がつかず、病院へ来ることができたのは鈴木さんだけだった。鈴木さんは気が動転し、主治医の説明に理解が追いつかない。

「どうしたらいいのでしょう? 先生にお任せするしかないです」

5時間後、母親はICUに入った。手術中、母親は危険な状況に陥り、気管切開手術を受けた。人工呼吸器に助けられながら自発呼吸をしているが、母親は大きな口を開け、肩で息をしていて、とても苦しそうだった。

気管切開して呼吸を確保しているシニア
写真=iStock.com/PongMoji
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PongMoji

「熱中症で倒れ、顔面打撲、鼻骨折、頬骨折。これが治ったら家に連れて帰れると思っていたのに、こんなに重篤なことになるなんて、私も姉も思ってもいませんでした」

このとき介護認定を受けると、母親は要介護5。鈴木さんは毎日車を20分走らせて母親の面会に来ていたが、帰る時はいつも「明日も生きていてね」と祈るような気持ちで病院を後にしていた。

「外での熱中症はよく耳にしていたし、私も畑仕事をするので気をつけていましたが、家の中での熱中症に自分の母がなるなんて……。この頃の私は、不安で不安でどうにかなりそうでした」

きっかけは熱中症だが、持病も複数あり、高齢だったため、重篤な事態に陥ってしまったようだ。

■悪いことは重なる

母親が倒れる2カ前(2019年6月)のこと。鈴木さんは車の運転中、追突事故に遭った。車は修理に出すことになり、鈴木さん自身も腰や背中、首などが痛くて、一週間に2〜3度病院通いをしていた。そのため、しばらく実家に顔を出せていなかった。その間に母親は倒れたのだ。

さらに悪いことは重なる。母親が倒れた8月3日から約2週間後の8月19日。その日は92歳の義父が、89歳の義母を連れて、腎臓の専門病院に診察を受けに行く日だった。いつもなら鈴木さんが義母を連れて行くはずだったが、その頃鈴木さんは母親が危ない状況だったため、義父が快く引き受けてくれた。

その日の朝、鈴木さんは何となく、「義母がしんどそうに歩いているな」とは思っていた。しかし鈴木さんは母親のことが心配で、すぐに忘れてしまった。午後、鈴木さんが母親の病院にいると、義父から電話がかかってきた。

院内の廊下をストレッチャーを押して素早く移動している医療従事者
写真=iStock.com/vm
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vm

「ばーさんが息ができようらん。これから救急車に乗って、○○病院に運ばれる。わしゃ、どうしやーええかのう?」

鈴木さんは、わけが分からなかった。

「息ができてない? どういうこと? と思いました。若い頃から腎臓が悪い義母は今日、かかりつけの病院から紹介状をもらい、腎臓専門の病院に行く日でした」

義父に聞いても訳がわからないため、鈴木さんは母親の病院を後にし、車で1時間ほど離れた義母が運ばれた病院へ向かった。鈴木さんが駆けつけると、義母は救急治療室のベッドに寝かされ、その横で義父がオロオロしていた。

担当の医師からの説明によると、義母が呼吸をうまくできなくなったのは、カリウムの取り過ぎにより心臓に負担がかかったためだという。義母はその年の夏、ろくに食事を取らずに、大好物の(カリウム含有量が多い)スイカばかり食べていたため、通常の半分しか呼吸ができていない状態に陥っていたのだ。そのまま義母は2週間入院することになった。

以降鈴木さんは、自宅から1時間ほどかけて午前中は義母の病院へ。午後からは母親の病院へ行き、夕方からは自分の追突事故後のリハビリを受けにまた別の病院へ行くという、3つの病院をはしごする生活が始まった。

2週間ほどたった頃、義母の退院が決まる。しかししばらくは車椅子状態で、週1回の通院が必要だ。

鈴木さんは、できれば母親の側から片時も離れたくなかった。義母が退院して家に帰ってきても、義母の世話まで手が回らない。そこで鈴木さんは、家族のかかりつけ病院の医院長に相談。すると1週間ほど義母を入院させてもらえることになった。

「これで義母の世話は洗濯物を取りに行くだけになり、随分気が楽になりました。母はいつ亡くなるかわからないような危険な状態だったため、私は母の側から離れたくなかったのです」

そんな悪いこと続きの8月。母親の病院から帰宅して夕食を作り始めると、義父はリビングで寝ていた。鈴木さんは義父の様子が気になり、ふと夕食作りの手を止めて義父のそばへ行くと、「頭がフラフラする。歩けない」と弱々しい声で言う。

「これはおかしい」と思った鈴木さんは、まだかかりつけ病院がギリギリ開いている時間であることを確認すると、なんとか義父を車に乗せ、病院へ向かう。義父は車の中で嘔吐し、病院に着くと、看護師たちの助けを得て、車椅子に移乗。義父は病院内でも嘔吐した。

その日義父はさまざまな検査を受け、義母の隣の部屋で入院することに。しかし義母には義父が入院したことは伏せておいた。心配性な義母が大騒ぎすることが分かっていたからだ。

結果、義父は疲労がたまっていただけで、1日入院して点滴などを受け、翌日には帰宅した。

「『3人の介護がいっぺんにやって来た〜!』という感じでした。幸い、義両親はすぐに退院が決まりましたが、高齢者の病院通いも大変です。『いつかは来る』と覚悟はしていましたが、3人一度に来るのは勘弁でした……」

鈴木さんは、「こんなとき夫がいてくれたら」と思ったという。鈴木さんが夫と結婚した当初から、義母は糖尿病を患い、いつからか腎臓まで悪くしていた。鈴木さんは9人もの家族の食事とは別に、義母専用の塩分控えめの食事を作っていた。「義母の食事づくりは大変だけど、重症の母に比べれば、まだ身の回りのことは自分でしてくれている義両親には感謝しなくては」と自分に言い聞かせた。

夫には姉と弟と妹がいたが、義妹は関東に住んでいるため、なかなか会うことはない。義弟は長男(鈴木さんの夫)に家督を譲り、車で2時間ほどの遠方へ婿に出ていた。義姉は車で30分ほどのところに住んでいたものの、両親の世話をする気はサラサラないようだった。しかしこの義きょうだいたちが、鈴木さんにとって大きな悩みのタネだった。

■義母の家で9人同居

25歳で結婚し、以降ずっと義実家で義両親と同居している鈴木さん。当時9人で暮らしていたというが、どんなに広いのだろうかと思えば、部屋はキッチンの他に9部屋。9人で9部屋あれば十分かと思いきや、そのうち2部屋は義母の荷物が溢れていて使えず、トイレは2つ、浴室は1つだという。

「朝なんてキッチンは戦争のようで、トイレもお風呂も順番待ちです。義母の部屋は使わない荷物がありすぎて、長男夫婦に子供が生まれても使わせてもらえませんでした」

サンクトペテルブルク、ロシアの共同フラットの古いキッチン
写真=iStock.com/eugenekeebler
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/eugenekeebler

義母は一人娘として産まれ、22歳の時に義父が婿養子としてやってきた。家から出たことがなく、外で働いたこともない義母は、女王様のようにワガママだった。

「私が結婚してこの家に来た時は、義祖母がまだ生きていて、義母も義祖母も家事もほとんどせず、義父に命令して何もかもやらせていました。それを見るのも苦痛で苦痛で……。外から来た者同士、義父とは助け合いました」

誰の言うことも聞かず、自分が中心でないと気に入らない義母は、義父や自分の子供たちからも疎まれていたという。

「夫もこんな家庭、嫌だったのでしょうね。夫と義母は、毎日のようにけんかばかり。夫は私を、義母からも義きょうだいからも守ってくれていました。夫が義両親より先に他界してしまうと、義父は今まで以上に私や私の家族を守ってくれるようになりました。その頃から義母の機嫌が一層悪くなったように思います。義父が自分より私や孫をかわいがることが気に入らなかったのかもしれません。近くに住む義姉婿の言うことしか聞かなくなり、義父も義母の相手をほとんどしなくなっていました」

結局、義母が荷物を片付けてくれないため、鈴木さんの長男家族は近くにアパートを借りて引っ越し。しかし農業は長男が継いでいるため、毎日田畑には通って来た。

家事や孫の世話は、ほとんど鈴木さんが担当し、休みの日はできる人がした。鈴木さんの提案で、「シェアハウスのように、できる人ができることを、話し合いながら協力してやろう!」と決めたのだという。

「結婚後は、義両親の生活費も全部夫が出していましたが、子供たちの学費で私たちはヒーヒー言っていたので、家計を分けました。子供たちが働き出してからは、年間生活費を計算して、世帯で割ってもらっています。義両親からももらっていましたが、義きょうだいたちは気に入らないようで、会うたびに『ジーさんバーさんからお金を取るな!』ばかり言われていました」(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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