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イェール大学名誉教授「"財政赤字=悪"という間違った常識を疑いなさい」

プレジデントオンライン / 2023年6月30日 9時15分

■債務上限引き上げは「政争の具」

春頃から、債務上限問題がアメリカを揺るがしていた。債務上限とは、米連邦政府が国債発行などで借金できる、法律で決められた上限のことである。歳出規模が膨らむと、追加で国債を発行して財源を調達しなければならないが、上限を超えると新たに国債を発行することができない。上限を修正する議会の承認がなければ、国債の元本償還や利払いに回す資金が調達できず、国がデフォルト(債務不履行)になる可能性が高まる――。

これが債務上限問題の本質だ。米財務長官のジャネット・イエレンは、2023年6月5日を期限に債務上限(31兆4000億ドル)を引き上げないと、米国経済は大混乱に陥ると警告していた。

債務上限制度の源は、第1次世界大戦中の1917年にさかのぼる。アメリカでは国債の発行に議会の承認が必要だったが、戦時国債の柔軟な発行をはかるため、発行額の上限を定めたうえで、議会の承認を必要とせず連邦政府が国債を発行できる法律をつくった。そのうちの17年第2次自由国債法が、今に至る債務上限の法的な根拠になっている。

その後、債務上限は繰り返し改定されていった。1960年以来、歳出増加の必要から、米議会は債務上限額を70回以上も引き上げている。その背景には、2大政党の対立がある。伝統的に福祉などの公共政策をよしとする、財政出動路線の民主党。「小さな政府」を掲げて、福祉予算の削減と財政均衡を求める共和党。政治思想が異なる2党の間で、引き上げが政争の具となって難航するようになった。

特に現在のように、大統領と下院多数派のそれぞれの政党が異なる「ねじれ状態」下では、下院多数派が債務上限の引き上げを拒むことで大統領の政策実行を困難にしようとする、ある種の瀬戸際戦術としても使われる。今回はケビン・マッカーシー下院議長(共和党)が、議長選挙で借りをつくった党内のトランプ支持急進派の意向を無視できず、ジョー・バイデン大統領(民主党)と対決することになった。

キャピトル・ヒルで手を振っているアメリカ国旗
写真=iStock.com/rarrarorro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rarrarorro

こうした戦術の元祖は、ビル・クリントン政権(民主党)時代のニュート・ギングリッチ下院議長(共和党)である。95年から96年にかけ、高齢者向け医療保険をめぐる両者の対立が長引いて連邦予算の執行が停止。のべ21日間にわたり政府機関が閉鎖される事態を招いた。

バラク・オバマ政権下の2011年にも債務上限問題が起き、ぎりぎりで与野党の合意が成立した。しかし、格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズが米国債の格付けをAAA(トリプルエー)からAA+(ダブルエープラス)に格下げしたため、ドル不安から世界同時株安が発生。これ以後も2~3年に1度ほどの頻度で債務上限問題が浮上している。

今回は結局、23年5月31日に下院、翌6月1日には上院で、債務上限の適用を一時停止する法案が可決。米国債のデフォルトという非常事態は回避された。大統領にとって、国が破産する可能性という頭痛の種がなくなったのだ。そのため、安堵(あんど)した大統領と下院議長がお互いに相手を褒め合うという、めったに見られない光景が見られた。それから1週間後には、トランプ前大統領が退任時に機密文書を持ち出した嫌疑で起訴され、メディアの関心はそこに移っていった。

■まず「財政赤字=悪」の常識を疑え

債務上限の騒動を見ていると、「本当に財政赤字は悪なのか」といった根本的な議論が欠けているように感じる。「人や会社が破産するのは望ましくない。だから政府も破産を絶対に避けなければならない」という説は一般的に理解しやすいようだ。

しかし、このような議論は国に対して必ずしも成り立つわけではない。役人の無駄遣いであったり、公共支出が大きすぎて総需要が増え、インフレになるほどの財政出動は許されない。だから一定の歯止めとして、債務上限が設定されていることは理解できる。しかし、債務上限の数字そのものは基本的にナンセンスであるというのが正直な意見だ。

財政均衡派が根拠にしているのは、19世紀初頭のイギリスの経済学者、デヴィッド・リカードの理論であろう。リカードは、公債や税がマクロ経済に与える効果は中立だと主張した。政府が国債を発行して歳出を拡張したり、減税を行ったりしても、「いずれその分は将来の増税や歳出削減で均衡させるだろう」と国民は予測して、それに沿って行動する。そのため、財政出動に効果はないから、財政は歳入と歳出を一致させ、規律をもって運営されるべきというわけだ。

一方、ロシアから米国に帰化して、ケインズと同時代に活躍した経済学者アバ・ラーナーは、財政は働く意志と能力を有する者がすべて雇用される状態、つまり完全雇用をもたらすように運営すればよく、そのためには財政赤字はあってもかまわないと主張した。さらに対外債務は問題だが、国全体を考えると国内での政府債務は借金ではなく、むしろ国内の所得分配の問題であるとした。もし償還のために増税が必要になっても、償還される人と課税される人は同時代に生きているので、国家経済全体で見れば「将来世代にツケを回す」ことにはならないとラーナーは唱える。

■政府の赤字は気にすることはない

私もラーナーに賛成で、政府の赤字はそれがインフレを起こしたり、国富を減らしたりしないかぎり気にすることはないと考える。民間では借金を続けて返せなくなると、破産して経済行動を制限される。しかし、今回の一連の騒動でノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンが言及していたように、政府はそれが継続するかぎり借り換えればいい。また、通貨発行国であれば通貨を発行してもいい。自国の通貨を発行できる国は、それがインフレにならないように見守ればいいのだ。

なお、日本では、財政赤字により発行した国債は60年で完全に償還する「60年償還ルール」を財政法で定めた。財務省はこのルールが国債発行の歯止めになっていると弁護するが、将来、防衛費などで財政支出の必要が急に生じたとき、この規定は防衛政策の制約になるかもしれない。エコノミストの会田卓司(あいだたくじ)氏は、「国の債務を完全に返済するという考え方を先進国で持っているのは日本だけ」と指摘する。政府債務は将来世代へのツケではないという視点から、償還ルールの見直しを検討してもいい。

近隣諸国に追い越されつつあり、将来への展望がなかなか開けない現在、日本政府は財政赤字だけを心配していても仕方がない。むしろデジタル化への投資、将来を担う技術やシステムを革新できる世代の教育振興のために、十分な政府支出を行うことのほうが、はるかに大事である。

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浜田 宏一(はまだ・こういち)
イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。

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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一 構成=川口昌人)

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