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今は耐えるしかない…"全盛期は月の粗利65万円"コロナ直撃で閉店に追い込まれた元・町中華店夫婦の末路

プレジデントオンライン / 2023年6月28日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/7maru

コロナ禍で閉店した飲食事業者はいま何をしているか。47歳の元・町中華の店主は開業当初は夫婦2人で月の粗利65万円を上げる堅実経営を行ってきた。しかし、店のエリア一帯の道路工事を契機に売上げが下り坂へ転じると、コロナで追い打ちをかけられ閉店になった。今は時給1200円の精肉加工センターで働いているが、「また店を再開したい」という。ライターの増田明利さんが書いた『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)より紹介しよう――。

※本稿は、増田明利『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)の一部を再編集したものです。

■堅実経営から一転、5年前からは下り坂へ

篠宮誠治(仮名・47歳)
出身地:千葉県市原市 現住所:東京都八王子市 最終学歴:専門学校卒
職業:精肉加工センター作業員(前職は飲食店経営) 雇用形態:契約社員
収入:月収約29万円 住居形態:持家、ローン返済額は月6万円
家族構成:妻、長女、長男 支持政党:特になし
最近の大きな出費:部分入歯の作り替え(約1万円)

一昨日が47歳の誕生日。まさかこの年齢になって別の仕事をするようになるとは思ってもいなかった。妻と2人で飲食店を営んでいたが順調だったのは5年ほど前まで。それからは下り坂になり、新型コロナでどうにもならなくなった。

「2年ほど前(2021年)までは多摩地区の街で中華料理店を営んでいました。個人商店みたいなものですが、それなりの儲けは出ていて生活に大きな不安はなかった。それなのにねえ……。どこに不幸の入口があるか分からないと思う」

調理師学校を卒業してホテルに就職。中華料理部門の見習いからスタートし15年修行して退職、中華料理店を開業し堅実経営でやってきた。

「赤字を出したことはなく、借金を作ることもなかった。自分では成功したというか、少なくとも失敗はしなかったと思っていた」

店を開いたのは最寄り駅付近に大学、専門学校が数校ある地区。大きな団地もあり、学生と団地住人がよく来店してくれていた。

「お馴染みさん、常連さんも付いてくれまして。週に2回は必ず来てくれるご夫婦とか、陸送関係の人で賑わっていました。学生君たちには少しサービスしてやったりしたものだから、気前のいいマスターって評判も上々だったんですよ」

売上げは毎月120万円を確保できていた。原価率は約30%なので食材費は35万円前後、店の賃料と水道光熱費の合計が20万円ぐらいだったので65万円ぐらいは残る。夫婦2人でやっているにしてはいい数字だった。

「昼と夜の間の中休みをやめて、年中無休にすればもっと儲けられるけど、働きすぎて身体を壊したら馬鹿みたいだし、家庭生活を考えたらこれで十分だった」

■道路工事に伴い30%以上の売上げ減

ずっと堅実経営でやってきたが周囲の状況が変わり、少しずつ翳りが出てきた。

「最初の変化は最寄り駅から店があった一帯にかけての再開発事業です。これで人の流れが途絶えてしまいました」

バスターミナルと駅前広場の整備、テナントビルの建て替え。これらの工事が16年の中頃から始まり、交通規制と道路の一部封鎖などが実施されたのだ。

テナント募集を言う空き店舗
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

「まず店の前の通りは2車線だったのが1車線に変更されたんです。パーキングメーターも撤去されたものだから、常連だったタクシーやトラックのドライバーさんが来てくれなくなった」

最大の痛手は、駅前のロータリーから店まで続いていた道路が工事に伴って一部封鎖され、迂回(うかい)路が作られたこと。これで地域の人たちの流れが激変した。

「駅の向こう側にある大学の学生は通りを一直線に来るだけだったのに、工事後は東側に70メートルぐらい行って、そこでUターンしなきゃならない。残念ながら、そこまでして来る店じゃありませんから」

店はごく普通の町中華店で名物的なメニューはない。ここでなければ食べられないという料理はないから、わざわざ遠回りしてまで来る人は少なかった。

「工事期間は1年4カ月ぐらいでしたかね。その間は30%以上の売上げ減でした」

工事が終わったら終わったで、建て替えられた複合ビルに多種多様な飲食店がオープンしたものだから、客足が完全に前のように戻ることはなかった。

■「お酒は出すな、話はするな、夜8時で閉店しろ」

「それでも何とか踏ん張ってたんです。苦しかったけど致命的というわけじゃなかった」

食材の調達先を見直したり、それまではやっていなかった出前を受けたりして減収分の3分の1ぐらいは挽回できていたが、そこに追い討ちをかけてきたのがコロナウイルス。これでどうにもならなくなった。

「都知事が営業するなっていうわけだから、手も足も出ませんよ」

それ以前に他者との接触を嫌う人が多く、都からの通達がある前から客数が落ち込んでいたのも事実。特に学生がリモート授業になったため登校しなくなり、まったく来店しなくなった。

「テイクアウトもやってみたんですが、商売になるほどではなかった」

数種類の弁当、一品料理を並べてみても売れ残りが出る日もあり、減った売上げの回復にはほど遠かった。

「規制が少し緩和されても客は定員の半分しか駄目。お酒は出すな、話はするな、夜8時で閉店しろでは商売にはなりませんよ」

感染者が増えたらまた自粛、少し減ったら緩和。いたちごっこだった。

「売上げで言うと最悪期は7割減という惨状です。世間全体がコロナ慣れしてきた頃に少し戻ってきましたが、それでもコロナ前の6割ちょっとという感じでした」

申請して協力金を支払ってもらったが焼け石に水。辛うじて赤字にはならなかった程度だった。

■無理して店の営業を続けたら危険すぎる状況

「ところが都の要請を無視して営業している飲食店もチラホラあって、これは面白くなかった。一部のスナックとか居酒屋は夜8時で出入口を閉めてネオンや看板灯を消すんですが、店の中には客が残っていて飲み食いさせている有様です。正直者が馬鹿を見ると思いました」

自分の店も普通通りに商売しようかと思ったが、もし自分の店がクラスターの発生源なんてことになったら、どれだけ攻撃されるか分からないから我慢した。だけど国や自治体のやることは納得できないと怒っている飲食店は多いと思った。

「廃業を決意したのは2021年の2月です。年明けからまた感染者数が増えてきて、まん防適用ってことになりましたから、もうやっていけないと思いましたね。5月が店の賃借契約の更新なんですが続けていく自信がなかった。

家賃は変わらずだったけれど更新料は必要。売上げの回復も見通せなかったから、ここはきりのいいところで閉めた方が無難だと思ったわけです」

建て替えられた駅ビルに進出してきた飲食店は7店もあったが、天ぷら専門店、ステーキハウス、インド料理店が閉店し、そのあとは埋まっていない。

同じ商店街で営業していた定食屋とラーメン専門店もいつの間にかなくなっていて、そのあとはずっとシャッターが下りたまま。こういうのを見ると、無理して続けたら危険だと感じたのだ。

「店の原状回復工事や粗大ゴミの処理費は預け入れていた保証金で賄えました。持ち出しはありません。借金もなかったのできれいに閉店できた」

■時給1200円の精肉加工センターの契約社員へ

閉店後は夫婦揃ってハローワーク通い。2カ月でなんとか働き口を確保できた。

「わたしは電鉄系スーパーの精肉加工センターで働いています」

仕事内容は牛、豚、鶏の肉やハム、ベーコンなどの加工品を店舗用にカットし、パック詰め、ラベル貼りをして専用の輸送箱に入れるという作業。

精肉加工
写真=iStock.com/Alberto Gagliardi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alberto Gagliardi

「契約社員ということでして。とりあえず社会保険には加入できている。だけど賃金は時給制なんですよね。住宅手当とか家族手当はない、ボーナスも退職金もありません。正社員じゃないから仕方ないのかな、釈然とはしないけど文句を言ってクビになるのは怖いし」

時給は1200円、ローテーション勤務で4週6休。残業が40時間ぐらい。先月の給料は約29万円で手取りだと25万円ぐらいになる。

「面接のとき、うちはメリットが盛りだくさんだと言われまして。何ですか? って聞いたら社食はワンコイン、バイク通勤の場合はガソリン代支給だということでした。笑ったのは冷所での作業なので、背中や腹部に貼る分と長靴の中に入れる分のカイロを毎日支給する。至れり尽くせりだろって言っていましたよ」

■夫婦2人の手取り額32万円から住宅ローンの返済も

奥さんの仕事はケアドライバーで、病院の患者送迎車の運転とサポートをしている。

「足腰の弱った高齢者、車イスを使っている人、松葉杖を使っている人などの家へ迎えに行き、治療や処置、リハビリが終わったら送っていく。病院内では移動の手伝いやトイレの世話なども受け持っているそうです。特に資格が必要ということじゃないらしい」

雇用形態はパートで勤務時間は8時30分~13時、14時~18時30分の2部制。時給は1100円ということだ。

「出勤日はシフト制で週4日。なので月収は7万5000円ぐらいですが、我が家にとっては貴重な収入だから感謝しています」

夫婦2人の手取り額を合計すると32万円ほどになるが、生活は楽ではない。最大の出費は住宅ローンの返済。

「一戸建てですが郊外の中古で、買ったのがリーマンショック後の不動産価格が下がったときだったから格安でした。頭金も多く入れられたので毎月の返済額は6万円です。家賃並みだけどあと12年払い続けないといけませんから」

固定資産税も年間7万円ぐらい課税されるので、持ち家であっても安心できない。

「子どもは上の娘が高2で下の息子が中1。これから教育費がかかるわけだから、もっと稼ぎたいんですよ。娘は敏感な子で、パパ、うちは大丈夫なの? 進学してもいいの? って聞いてきたんです。親としては子どもにそんな不安を抱かせてしまって情けなかった」

■「社会が落ち着いたらまた店を再開したい」

こういう事情なので、本業が休みの日に日払い仕事をやってみたこともあったが、次の日はつらくて起きるのが大変だった。

「これじゃ過労死しちゃうと思って副業はやめました。今は無駄遣いしないことを第一にしています」

増田明利『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)
増田明利『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)

自家用車は維持費が大きいので売却し、今は家族全員が自転車を使っている。それも電動自転車ではなくホームセンターで買った中国製の特価品。これを家族4人で使い回している。

「正月早々にテレビが壊れちゃいましてね、買い換えたのですが、買ったのは同じインチ数でシャープや東芝より1万5000円も安かったフナイ製のものです。テレビなんて映ればいいんですよ、画質がどうとか言っていられませんから」

プリンターのインクはリサイクル品、乾電池は100円ショップで、晩酌の缶チューハイやカップ麺はまいばすけっとで買うのが定番。1円だって浮かせたい。

「早くコロナが収束してくれないかな……。社会が落ち着いたらまた店を再開したい、そう願っています」

それまでは我慢するだけ。そのうちいいことがあると思うしかない。

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増田 明利(ますだ・あきとし)
ライター
1961年生まれ。都立中野工業高校卒業。ルポライターとして取材活動を続けながら、現在は不動産管理会社に勤務。2003年よりホームレス支援者、NPO関係者との交流を持ち、長引く不況の現実や深刻な格差社会の現状を知り、声なき彼らの代弁者たらんと取材活動を行う。著書に『今日、ホームレスになった』(彩図社)など多数。

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(ライター 増田 明利)

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