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母は「行きなさい」と声をかけ、死んだ…13歳、9歳、5歳、11カ月の4人がアマゾン密林で過ごした40日間の中身

プレジデントオンライン / 2023年6月28日 9時15分

2023年6月10日、コロンビアの熱帯雨林で発見された子供4人と軍の兵士(コロンビア大統領府提供) - 写真=AFP/Colombian Presidency/時事通信フォト

■全世界が注目した子供4人の“奇跡の救出劇”

南米・コロンビアのアマゾンで墜落した小型機に搭乗し、行方不明になっていた子供4人が、40日ぶりに救助された。13歳の長女・レスリーさんの「サバイバル能力」が、きょうだいの命をつないだと、海外メディアでも大きく取り上げられている。

4きょうだいは、密林の中で生き延びることができたのだろうか。

墜落した単発プロペラ機・セスナ206は、5月1日の早朝、迫害を受ける先住民族のウィトト族の一部を避難させるため、人里離れたアララクアラの集落を離陸した。パイロット、先住民族の長、母親と4人のきょうだいが乗っていた。長女のほか、9歳、5歳、11カ月の乳児だ。

米CNNの報道によるとパイロットは離陸直後、管制官に対してエンジンの不調を報告。その後一度は持ち直したものの、1時間とたたないうちに再度トラブルが発生した。パイロットは「メーデー、メーデー、メーデー」「(着水用の)川を探す……右手に見える……」と無線で告げ、これを最後にレーダーから機影が消えている。

5月16日夜に発見された機体は、前方が大きくひしゃげた状態だった。コロンビア民間航空局が発表した予備的な事故調査報告書は、制御を失った事故機が高さ50メートルの密林のこずえに衝突したと分析している。この衝撃で先端のプロペラ部が離脱し、機体は垂直に近い角度で地面に衝突したとされる。機体の発見現場で、前方の席に座っていた大人3人全員が死亡していた。だが、子供たちの姿は見当たらない。

米CBSニュースは長女・レスリーさんの証言を基に、事故から数日間、母親が生存していたと報じている。母親は「行きなさい」と子供たちに告げ、生き残るために事故現場を去るよう促したという。この一言が子供たちの背中を押した。

40日ぶりに救助された子供たちと、手当てをする捜索部隊の人たち
写真=コロンビア軍ツイッターより
40日ぶりに救助された子供たちと、手当てをする捜索部隊の人たち - 写真=コロンビア軍ツイッターより
救助した子供たちを手当てする捜索隊員たち
写真=コロンビア軍ツイッターより
救助した子供たちを手当てする捜索隊員たち - 写真=コロンビア軍ツイッターより

■機内にあった食料をかき集め、水源を目指す

子供たちは、ありったけの食料をかき集めると手を取り合い、機体のドアを開けて外へ踏み出した。水源の重要性を教わっていたレスリーさんは、川を探すことを目指してきょうだいを率いた。その後1カ月以上も続く、密林でのサバイバルの始まりとなった。

アマゾンの密林に墜落したセスナ機。
アマゾンの密林に墜落したセスナ機。(写真=コロンビア軍ツイッターより)

子供たちが第一歩を踏み出した痕跡を、のちの捜索メンバーは米ワシントン・ポスト紙にこう語っている

「(事故現場に)近づくにつれ、死臭が感じられた」「しかし彼らはまた、生命の兆候をも感じた。機体のドアが開いていたのだ」

レスリーさんはやみくもに墜落現場を去ったわけではなかった。母親をやむなく機内に置き去りにするという胸が締め付けられるような状況のなか、生き延びるために必要な物資を確保するという極めて賢明な選択を行っている。

米公共放送のNPRは、捜索班に加わった先住民族の発言を基に、発見時の状況を報じている。子供たちは発見時、2つのバッグを携えていた。中には「衣類、タオル、懐中電灯、携帯電話2台、オルゴール、ジュースのボトル」が入っていたという。携帯電話は電波が届かず、助けを求めることはできなかった。

人間は3日間水なしで生きられないといわれるなか、ジュースのボトルが大いに役だったようだ。CNNなどによるとレスリーさんたちは常に川沿いを歩いた。だから水には困らなかった。そしてジュースが空になったあともこのボトルに水を入れて持ち歩いたという。

■唾液と体温で種をほぐし、きょうだいに分け与える

食料は当初、主に機内に持ち込んでいたものでしのいだ。AP通信によると、子供たちのおじ・バレンシアさんは「飛行機が墜落したとき、彼らは(残骸から)ファリーニャを取り出し、それで彼らは生き延びた」と語っている。

ファリーニャはキャッサバ芋を乾燥させて粉末にしたものだ。アマゾン地方の人々に愛用され、ブラジル料理でも重宝される。1.5kgほどを機内から持ち出したようだ。これだけでは4人が1カ月を生き抜くのに足りないが、遭難の時期が不幸中の幸いとなった。コロンビアの政府機関・家族福祉研究所の所長は、ジャングルが収穫期であったため果実を確保しやすかったのではないかと説明している。

レスリーさんたちがかじった果実は、捜索隊に生存を知らせるメッセージになった。AP通信によると捜索隊は、ジャングルに残された「足跡、哺乳瓶、おむつ、そして人間がかじったとみられるフルーツのかけら」を発見。まだ彼女たちが生存しているとの確信を捜索隊に与えたという。

おじのバレンタインさんはまた、「ファリーニャがなくなると彼らは、種を食べ始めた」と語る。種は堅く食用に適さないが、CNNが伝える発見時のレスリーさんの様子は、彼女に備わる生きるための知恵を物語る。

発見当時のレスリーさんは、頬と歯ぐきとの間になにかを蓄え、ゆっくりと口を動かしていた。それはこの地域に自生するアマゾンココヤシの種だった。大きさは親指の先ほどで、脂肪分を豊富に含み、アマゾンの部族は植物油の原料として活用している。

子供たちが手に入れた種は未熟で、およそ食べることができない。そこでレスリーさんは口の中で、唾液と体温で種をほぐそうとした。先住民の捜索隊の一人は首都・ボゴタで開かれた会見で、「彼女は(種子を口に)蓄えていました。口内の温もりで種子がほぐれ、その果肉をきょうだいに与えられるようにと」と語っている。

ジャングルの中を進むコロンビア軍。子供たちの残した足跡、はさみ、ミルクのボトルなどを手掛かりに捜索を続けた。
写真=コロンビア軍ツイッターより
ジャングルの中を進むコロンビア軍。子供たちの残した足跡、はさみ、ミルクのボトルなどを手掛かりに捜索を続けた。 - 写真=コロンビア軍ツイッターより

■ヘアバンドで即席のシェルターを作る

アマゾンには有毒なヘビや蚊などが生息し、一夜を明かすのも安全でない。そこでレスリーさんは、自身と幼いきょうだいたちの安全を守ろうと、簡易的なシェルター(避難小屋)を設営した。墜落からまだ日が浅いうちに、機体残骸のすぐ脇でも設営を行ったようだ。

CBSニュースは「レスリーはタオルと蚊帳を使ってシェルターを完成させ、簡素なキャンプを設けた」と報じている。英BBCは「ヘアバンドで枝をまとめ、急場しのぎのシェルターを建てた」としており、おそらくはその上から蚊帳をかぶせただけの質素なものだったようだが、鮮やかなテクニックだったと言えよう。この際に使ったヘアバンドは捜索の過程で救助隊に発見されており、救助チームが生存への確信を強める材料にもなった。

日頃からアマゾンに住み自然に親しんでいたレスリーさんにとって、シェルターの作成はさほど困難でなかったかもしれない。レスリーさんのおばのダマリス・ムクトゥイさんはBBCに対し、レスリーさんと家族たちは日頃から「サバイバルゲーム」を楽しんでいたと振り返る。「(サバイバルゲームで)遊ぶとき、ささやかなキャンプのようなものを設営していました」。

「森には毒のある植物も多いですので、(レスリーは)食べられない果実を理解していました」とも語っている。遭難以前からのアマゾンでの日頃の暮らしが、自然と緊急時への備えとなっていたようだ。

■幼い頃から学んできた“生き延びるすべ”

足の保護にも注意を怠らなかった。木の根で足の裏を切り裂けば、水場を求めて移動することすら困難となる。そこで、あり合わせの物資で目的を達する、彼女得意のサバイバル術がまた活きた。英ガーディアン紙によると発見時、彼女たちは足にボロ布を巻きつけ、靴代わりにしていたという。

密林の中
写真=コロンビア軍ツイッターより
密林の中 - 写真=コロンビア軍ツイッターより

英イースト・アングリア大学のカルロス・ペレス教授(熱帯林生態学)はワシントン・ポスト紙に対し、「同じ年齢の西洋の子供たち4人であったなら、命を落としていたかもしれません」と語る。アマゾンの部族で育つ子供たちは「非常に幼い頃から発達」し、食料の見つけ方や危険な捕食動物の避け方など、森で生き延びるすべを習得するのだという。

ペレス教授は例として、「アマゾンの当該地域にはおよそ80種類のヘビがいますが、毒蛇は5種類だけです。彼ら(先住民たち)は、毒ヘビとそうでないヘビを見分けることができるのです」と説明している。

■捜索部隊の足音におびえ、隠れていた…

リーダシップを発揮してきょうだいを率い、慎重かつ勇敢に4人全員を生存へと導いたレスリーさんだが、その慎重さがアダとなった場面もわずかながらあったようだ。

捜索に当たったコロンビア軍は、レスリーさんの祖母の声で「その場にとどまるように」とのメッセージを録音し、軍用機のスピーカーを通じて上空からむやみに動き回らぬよう呼びかけていた。だがヘリからの大音響にレスリーさんはおびえ、捜索班が付近を通るたび、見つからないようにと茂みに身を隠したという。

ジャングルの中に残された足跡。
写真=コロンビア軍ツイッターより
ジャングルの中に残された足跡。 - 写真=コロンビア軍ツイッターより

ワシントン・ポスト紙によると彼女の父親が以前、コロンビアの反政府武装組織から脅迫を受けており、制服を着用した捜索メンバーにおびえた可能性があるという。豪公共放送のABCは、捜索隊が20~50mの範囲にまで接近しながら、何度も発見に失敗したとしている。視界の悪いうっそうとしたジャングルも発見を拒んだようだ。

不幸なすれ違いがありながらも、コロンビアの特殊部隊と先住民のボランティアからなる計200人規模の混成部隊が森を捜索するあいだじゅう、家族はレスリーさんを信じ希望を失わなかった。ワシントン・ポスト紙はこうも告げる。

「家族は信じていた。ジャングルを生き抜く強さと狡猾さを備えた人物がいるとするならば、それはレスリーだと」

捜索犬も動員して子供たちの捜索が行われた
写真=コロンビア軍ツイッターより
捜索犬も動員して子供たちの捜索が行われた - 写真=コロンビア軍ツイッターより

■「ミラクル、ミラクル、ミラクル、ミラクル!」

墜落から40日目にあたる6月9日、捜索に当たっていたコロンビア軍の無線がけたたましく鳴った。「ミラクル、ミラクル、ミラクル、ミラクル!」。ガーディアン紙によると4回の繰り返しは、4人全員が生きて発見されたことを示すコードだったという。

米ウォール・ストリート・ジャーナル紙が動画で報じたところによると、発見したのは先住民による捜索チームだった。メンバーは森に残された足跡を追い、慎重に歩を進めていたようだ。

ふと人の気配を感じた隊員が顔を上げると、そこには1歳の妹を抱きかかえた、13歳少女・レスリーさんの姿があった。ほかの子供たちも一緒だ。「みんなおなかがすいています」と一言、レスリーさんは発したという。墜落現場から5kmほど離れた地点だった。

夜になるとヘリが駆けつけ、近くの町の病院に全員を搬送した。栄養失調でどこもかしこも虫刺されだらけの4人だったが、命に別状はない。現在はボゴタの病院に移送されて回復を待っており、ある1人はすでにサッカーをするための靴をねだるほど気力に満ちているという。

捜索活動を率いたコロンビア軍のペドロ・サンチェス大将はウォール・ストリート・ジャーナル紙に対し、生存へ導いた要因が4つあると語る。すなわち、生きようとする意志、強力な免疫力、先住民の知恵、そして健康状態の良さだ。サンチェス氏はまた、「5つ目を加えたいと思います。奇跡です」と語った。

■近代的な軍の装備、伝統的な先住民の知恵

捜索活動が成功した理由は何か。CNNは「彼らの発見には、130人以上の特殊部隊と、この国で最も熟練した先住民ガイドのチームを要した」と述べ、「ある意味で4人の子供たちは、伝統と近代性の融合によって救われた」と指摘する。

軍はGPSや高度な無線通信を投入し、ジャングルの上空を400時間以上飛行した。食料の詰まった箱やサバイバルテクニックを指南する大量の紙片を上空から投下している。しかし軍の精鋭部隊であっても、ジャガーやアナコンダなどの野生動物が跋扈(ばっこ)するアマゾンを安全に捜索するためには、現地ガイドの助力を欠かすことができなかった。実際、彼らを発見したのは、先住民4人からなるチームであった。

豪ABCによると、光さえ満足に届かないジャングルの奥深くで食糧供給が難航し、墜落から16日後ごろになると合同捜索チームの士気はみるみる低下したという。ガーディアン紙によると、捜索が2カ月目に突入したころ、捜索隊の一部メンバーが帰国。統合司令部も解散したという。

この困難な状況において、先住民は長老や賢者などの知恵を生かしながら捜索を続けた。軍の兵士にジャングルでの行動方法や足跡の読み方などを教え、協力して捜索に当たったという。

■4きょうだいは無事に保護できたが…

子供たちが無事に救助された今、コロンビア軍にはもうひとつの課題が残されている。捜索に投入され、行方不明になっている救助犬ウィルソン(犬種はベルジアン・シェパード)の保護だ。5月18日に目撃されたのを最後に行方が分からなくなっている。

行方不明になった捜索犬
写真=コロンビア軍ツイッターより
行方不明になった捜索犬 - 写真=コロンビア軍ツイッターより

レスリーさんは遭難中に何度か犬と行動を共にしたと語っており、これがウィルソンではないかと考えられている。コロンビア軍のスポークスパーソンはCNNに対し、「子供たちは3~4日間ウィルソンと共に過ごしたが、ウィルソンはかなりやせ細っていた(と言っている)」と明かした。捜索は困難になり得ると認めながらも、「われわれには『誰一人決して見捨てない』との格言があります」と強調している。

軍のヘルダー・ジラルド大将は「われわれは現在、およそ70人の特殊部隊を投じて彼を探している」と述べ、ウィルソンの発見に至るまで捜索作戦を継続する意志を示している。

4人を生還に導いた救出作戦は、「オペレーション・ホープ」と呼ばれた。その名の通り、希望を捨てなかった軍と先住民族の献身的な努力、そしてなにより4人自身の生きようという強い意志が結実し、民族の差異を超えた救出作戦の奇跡的な成功に至った。

レスリーさんが護り抜いた4つの命は、諦めなければ叶う願いがあることを強く示し、コロンビアと世界の希望となっている。

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)

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