退職金5000万~6000万円の大企業社員の所得税は100万円以上急増…「骨太の方針」で被害が出る、出ないの計算式
プレジデントオンライン / 2023年6月28日 11時15分
■「骨太の方針」で退職金がガタ減りする人・無傷の人
6月16日に閣議決定された政府の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2023)に「退職所得課税制度の見直しを行う」と文言が盛り込まれた。
退職金に課税される税金を見直すという。その土台となっているのが、岸田文雄首相が議長を務める「新しい資本主義実現会議」が5月16日に打ち出した「三位一体の労働市場改革の指針」だ。
「リスキリングによる能力向上支援」
「企業の実態に応じた職務給の導入」
「成長分野への労働移動の円滑化」
の三位一体の労働市場改革を行い、構造的に賃金が上昇する仕組みを作っていくのが狙いだ。その中で成長分野への労働移動の円滑化のための施策として「退職所得課税制度等の見直し」を挙げ、こう述べている。
会社員の月給が天引きされるのと同じように、退職金にも課税される。この退職所得への課税については、勤続20年を境に、勤続1年あたりの控除される額が40万円から70万円に増額されるところ、これが自らの選択による労働移動の円滑化を阻害しているとの指摘がある。制度変更に伴う影響に留意しつつ、本税制の見直しを行う。
つまり、退職金の所得控除が長期勤続者ほど優遇されている現行制度が転職を阻害しているという理屈である。現行の退職金から控除される退職所得控除額は以下の計算式になる。
勤続20年超 800万円+70万円×(勤続年数-20年)
勤続20年までは年40万円ずつ、21年目からは年70万円ずつ退職所得控除が積みあがる。
よって勤続20年の人は40万円×20年=800万円が控除される。21年目になると、控除額が年40万円から70万円に増額される。勤続35年なら800万円+70万円×(35年-20年)=1850万円となる。その分は課税の対象にはならない。
退職所得課税の優遇措置が発生するのは勤続21年目、大卒入社であれば43歳以降だ。転職年齢が伸びたとはいえ、30代前半が主流の日本の転職市場では40代半ば以上の転職者の割合はそれほど多いわけではない。また、退職所得控除があるから転職するのをやめたという話はあまり聞いたことがない。今回の優遇措置の見直しによって、転職する人が増えるかどうかは未知数だ。
■勤続38年退職金2000万円、税制見直しで所得税は15万円
ただし、退職所得控除を含め、終身雇用の砦としての退職金制度そのものを苦々しく思っている人もいるのは確かだ。一般的な退職金は、退職時基本給×支給率(勤続年数)で決まる。ジョブ型人事制度を導入した大手精密機器メーカーの人事担当者はこう語る。
「社員の経験や能力を評価し、昇給額が毎年積み上がっていく給与体系から、与えられた職務をこなせるかどうかで給与を決定する職務給制度に移行した。職責を果たせなければ給与も上がらなければ昇格もしないし、ただじっと経験を積めば上に上がり、長く定年まで働いてくださいという仕組みではなくなった。そうした考え方を前提に考えると、過去の実績や勤続年数で積み上がっていく今の退職金制度のあり方とはどうしても矛盾が生じる」
しかし企業の中には終身雇用否定派ばかりではない。現行の退職所得控除の見直しを行うことになれば「長期雇用」を標榜している企業にとってはデメリットにもなり得る。指針は「本税制の見直しを行う」としているが、仮に勤続20年超の人の控除額をそれ以前と同じく1年あたりの控除額を40万円に据え置くと、最終的な控除額が以前より少なくなる。国としては税収が増えるが、会社員としては退職金額が目減りすることになる。
ただでさえ日本企業の退職金は減少傾向にある。厚生労働省の「就労条件総合調査」の退職金調査(5年に1回)によると、1997年の平均定年退職金は2871万円。その後、減少をたどり、約10年後の2018年は1788万円にまで低下している。
退職金は退職一時金と企業年金で構成されるが、政府は企業年金を、公的年金を補完する老後の所得保障のための制度と位置づけており、本体である退職金がこれ以上減ると、老後の生活も不安定にならざるをえない。
加えて今回の見直しである。優遇税制を廃止(勤続21年以降の控除額を年40万円のままにする)したらどうなるだろうか。
仮に定年退職金でもらう額を2000万円としよう。現行の基準で、大卒入社後38年で定年を迎えるとして計算すると、退職所得控除額は、
となる。控除額が退職金より多いため税金はかからない。
しかし、20年以下と同じ計算式(控除額が年40万円のまま)では、退職所得控除額は、40万円×38年=1520万円になって、退職金より少ないため、税金がかかる。
では税金はいくらになるのか。課税退職所得額は、所得控除額を差し引いた金額の2分の1。つまり、こうなる。
そして、これにかかる所得税は、
の計算式で求められる。答えは14万2500円。これに復興特別所得税を加えると約15万円の税金がかかることになる。2000万円が約1985万円に減るわけだ。
勤続20年以下の退職所得控除額と同じになると、平均的なサラリーマンの退職金から15万円を持っていかれることになる。また、前出の厚労省の調査では従業員30~99人の中小企業の平均退職金は1407万円であり、退職所得控除額の1520万円(40万円×38年)以内に収まるので税制見直しがされても所得税はかからない。
■退職金5000万円なら税金が100万円超も増える
一方、最も影響を受けるのは大企業の社員だ。資本金5億円以上かつ従業員1000人以上の企業の大卒総合職の定年退職金は約2564万円(2021年、中央労働委員会調査)。
また、業界によってはさらに高くなる。大手石油会社、大手製薬会社、総合商社は6000万円を超え、メガバンクや大手生保、大手ガス会社も5000万円を超えると言われる。大手電機メーカーでも管理職経験者は5000万円超の人もいる。
こうした人たちにとって20年超の退職所得控除が20年以下(控除額が年40万円のまま)と同じになれば支払う所得税は当然増える。
たとえば退職金6000万円の場合、課税退職所得額は2240万円。これに税率40%と控除額279万6000円を加味した所得税額は616万4000円になる。1割以上が税金で消えるのだ。計算式はこうだ。
退職金5000万円の場合も同じように式にあてはめると、所得税は、420万6000円(税率33%・控除額153万6000円)になる。
今回の退職所得課税の見直しがされなくても、退職金5000万~6000万円クラスになると、勤続21年目以降の年控除が年70万円ずつ増えても、所得税は発生する(退職金6000万円の場合、所得税は約508万円)。だが、現在の税制が見直しされれば、その退職金の所得税より100万円超も増えることになる。
そうなると、長期勤続のメリットが多少は減じるが、それでも政府が期待するような転職者が増えるとは思えない。転職促進を促す政策としては疑問だ。
また、この政策は、いらない社員をリストラしたい企業にとっては逆効果にもなり得る。中高年のリストラで使われる希望退職者募集の際の割増額を加えた退職金は大手企業の場合、50歳前後の社員に3000~5000万円が支払われる。そうなると、定年退職金よりももっと税金を取られる計算となる。再就職探しのリスクを考えて、応募しないで会社に残ることを選択する社員が増える可能性もある。
そもそも今回、転職を妨害しているという理由で税制を見直すというのであれば、違う発想をしてもいい。例えば、本来は勤続20年以下の退職所得控除額も20年超と同じ年間70万円にする。このことで20年超の人が受けられる恩恵を勤続20年以下の人にも付与するべきだろう。それによって、手取りの退職金が増え、転職先探しにかかる費用の足しにできるのではないか。
また、労働移動の円滑化のためにできるのは退職金関連だけではない。今回の「三位一体の労働市場改革の指針」では、「自己都合で離職する場合、求職申込後2カ月ないし3カ月は失業給付を受給できない失業給付制度を見直し、リスキリングを条件に会社都合の場合と同じ扱いとする」施策も掲げている。これが実現すれば、失業給付が早く受給できるようになり、自主的な転職者も増えるだろう。
今回の政府の骨太の方針は、成長分野への労働移動の円滑化などが主目的だが、税制も関わる案件ゆえ政府の背後には当然財務省も絡んでくる。同省からすれば控除額を勤続21年以降に年70万円を上乗せするのをやめれば税収は増えるが、転職しないまま定年を迎えた会社員の実入りは確実に減る。
転職促進策が実現できても、退職金・企業年金が減らされている中、老後の生活保障がますます危うくなる事態になりかねない。
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人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)
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