子供を競争させると一生不幸になる…わが子を塾に通わせている人に伝えたい哲学者カントの言葉
プレジデントオンライン / 2023年7月4日 10時15分
■優秀なのにいつも自信なさげだった友人
(一)両親が一般に子供が出世することだけを気にかけることであり、そして、(二)君主が臣民を自分の意図のための道具のようにしか見ないということである。
アカデミー版(Ak)IX 447f.
私は、カントのこの言葉が、今の日本社会に向けた言葉であるかのような錯覚を覚えるのです。というのも今まさに、日本の政府は学校教育を通じて、私たち国民を自分たちの都合のいい道具に仕立て上げようとしているように見えるからであり、(※)また、自らの子供の出世のことばかり考えている親は現にたくさんいるだろうからです。
私の学部生時代にA君という学友がいました。彼はまじめで、頭が切れる、優秀な学生でした。ただ、なぜか彼はいつも自信なさげにしていたのです。
(※)秋元(2022年)、第2章「道徳教育」参照。
■母親との短い会話で失踪した理由がわかった
A君はそれまで真面目に大学に来ていたのですが、ある日を境に急に大学に姿を見せなくなりました。「いったいどうしたのか?」と気になりはじめた頃に、彼の携帯電話から着信がありました。電話に出てみると、彼のお母さんを名乗る人からだったのです。
彼女の話によると、A君は何も言わずに、もう何日も家に帰っていないというのです。つまり、彼は失踪してしまっていたのです。携帯電話も家に置きっぱなしで、A君の母親は電話帳のなかにあった番号に手あたり次第掛けているところだったのです。
私は何も知らないし、思い当たる節もなかったので、有益なことは何も言うことができませんでした。A君の母親と会話したのはせいぜい2、3分だったと思います。しかし、私はその短い会話のなかで、A君が失踪してしまった原因の心当たりがついてしまったのです。
■逃げ出してしまいたくなるような言葉の数々
彼女はこちらが聞いてもいないのに、「あんなに勉強ができるのに……」「県下一偏差値が高い高校に通っていたのに……」「大学では特待生だったのに……」といった言葉を並べてきたのです。私は電話を切った途端に「ああ、この人が自分の母親じゃなくてよかった」「こんなことばかり聞かされたら逃げ出してしまいたくなるな」と感じたのでした。そして自分でそう思って、「はっ」としたのでした。
![ネガティブな感情イメージ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/e/1200wm/img_ee673332f18143271cf2561f9501b436408994.jpg)
それから数日後、A君は公園で路上生活者のような状態でいるところを発見されました。病院で検査を受けた結果、うつ病と診断されました。しばらく大学を休学した後、次第に回復していき、大学にも顔が出せるまでになっていきました。
私は機を見て彼と話してみたところ、彼の口から出てきた言葉は、まさに私が感じたとおりのことだったのです。つまり、幼少期からの彼女の言葉のひとつひとつが彼を苦しめていたのです。
■親が子供を支配し続けた結果、残るもの
自分の息子が優秀で、結果を残し続ければ、母親としては鼻高々でしょう。しかし、息子は母親の自己満足や虚栄心を満足させるために存在しているのではありません。
カントの表現を用いると、人間というのは誰かの手段として存在しているのではなく、目的それ自体として存在しているのです。お互いにその自覚が欠けていると、自分をコントロールしようとしている人間の支配下にあるうちは無批判に従うことができるかもしれませんが、その呪縛は徐々に、しかし確実に解けていくものなのです。
それが完全に解けてしまった後には、拠り所のない、自分が何のために生きているのか自分でもわからない、心に傷を負った一個の人間がたたずむことになってしまうのです。
私は誰にもA君のような経験をしてほしくありません。この責任は彼のうちにではなく、間違いなく彼の受けた教育のうちにあるのです。
■他人の子供と競争させることの弊害
メンツァー(1968年)、277頁
さきほどカントが、親の子供への出世だけを気にかけるような態度を戒める言葉を紹介しましたが、この引用文でも似たことが語られていると言えます。子供に競争させることの弊害が語られているのです。(※)
というのもカントという人間は、物差しを常に自分自身のうちに置く論者であるためです。他方で、競争というのは必ず対他者なわけです。他人と比べて、勝っているか、それとも、劣っているか、という話です。なんとも中身のない話です。
(※)ちなみに2022年に自殺した小中高生の数は(これだけ少子化が進んでいるのに)最多でした。原因としては「学業不振」「進路に関する悩み(入試以外)」「入試に関する悩み」の順で挙げられています。つまり、外的には競争ばかりさせられて、内的には自分の将来を思い描くことができない点に起因していると言えるでしょう。そんな状態にあれば、耐えきれなくなってしまうのも無理ありません。
(2023年3月30日最終閲覧)読売新聞オンライン「昨年の子どもの自殺、過去最悪の512人…4割が男子高校生」
■「何のために勉強しているのかわからない」
A君は根がまじめであったために、親の期待に応えようと頑張った、それも自分の限界を超えて頑張ってしまったのです。しかし、そのうちに耐えきれなくなり、心が折れてしまったのです。
カントは、このように他人によって律せられている状態を「他律」と呼びます。もっとも他人が働きかけたことであっても、自らが理解し、納得しているのであれば、必ずしもそれは他律とは言えません。
しかしながらA君の言葉で印象に残っているのは、「何のために勉強しているのか急にわからなくなってしまった」というものです。これは、彼が他律状態であったことを示す言葉と言えるでしょう。A君がその好例で、学校のお勉強ができることと、その意味を理解できていることは、まったく別のことなのです。
■嫌悪の感情が競争相手に向かっていく危険性
A君は他律状態であったものの、心のやさしい奴であったために、マイナスの感情が外に向かうようなことはありませんでした。しかし、前ページの引用文にあるように、競争のなかで嫌悪の感情が芽生え、それが相手に向かっていた危険性もあったのです。
このことは、「人間性の素質」に関わってきます。人間というのは他人と比較されると、その比較対象に対して容易に嫉妬、忘恩、他人の不幸を喜ぶ気持ちを抱いてしまうものなのです。
私自身、長い間大学にいて、基礎学力は高いであろう、いわゆる研究者と言われるような人たちと接してきました。自分が研究者になれたのだから、親には感謝しても良さそうなものですが、自分の親のことを悪く言う人が多いことに驚かされるのです。
■大人になってもマイナスの感情に苦しめられる
いや、自分の親の異常性に気づく判断力があれば、まだマトモなのかもしれません。なかには明らかに度を越した価値観の押しつけ、学歴偏重主義的な扱いを経験している話をしながら、話している本人はそれにどっぷり浸かってしまって、何らの違和感も抱いていないという事態に出くわすことがあるのです。
そして、そういう人に限って、まさにカントの挙げる、嫉妬、忘恩、他人の不幸を喜ぶ気持ちといったマイナスの感情を無意識のうちに抱えてしまっている、そして、それが原因で苦しんでいるように見えるのです。
親が子供を自らの価値観や希望を満たしてくれる手段としてのみ見なすようなことは、「目的の定式」に反しており、道徳的に許容できることではありません。そして、まさにカントの言うとおり、「この誤謬は、後に子供の心に深く根を張る」(メンツァー〈1968年〉、278頁)のです。その頸木から一生逃れられないということにもなりかねないのです。
■カントが説いた「自律」の本当の意味
このような状態、つまり、他律の反対概念として、カントは「自律」という概念を立てます。自分で自分を律することができる態度のことです。ただ、自分で立てたルールに従うことが直ちに自律というわけではありません。
![秋元康隆『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(ワニブックスPLUS新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/d/1200wm/img_9d7836b30f481d06c04b4cd12f263a5e306201.jpg)
カントが動機の質を問う論者であることについては本書で何度も繰り返し論じています。この自律についても同じです。単に利己的な理由で動いているのであれば、それは自律とは言えないのです。
カントは「人間」の同義語として、しばしば「理性的存在」(ein vernünftiges Wesen)という表現を用います。彼が「自律」という場合の「自」というのは、己の肉体のことを指しているのではなく、感情のことでもなく、理性のことを指しているのです。
理性的な存在者であるところの私が感情を超克して理性的な根拠によって、つまるところ、自律的に振舞うことができて、はじめて道徳的善が可能になるのです。
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トリア大学附属カント研究所研究員
1978年生まれ。トリア大学講師。日本大学文理学部哲学科卒。トリア大学教授でありカント協会会長であるベルント・デルフリンガー教授のもとでカント倫理学をテーマに博士号取得。トリア大学付属カント研究所に所属し、不定期でカント倫理学のゼミを担当。著書に『意志の倫理学 カントに学ぶ善への勇気』(月曜社)、『いまを生きるカント倫理学』(集英社新書)、『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(ワニブックスPLUS新書)がある。
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(トリア大学附属カント研究所研究員 秋元 康隆)
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