「そうだ 京都、行こう。」の世界観はなぜブレないのか…コピーライターが設定している"明確な対象者"
プレジデントオンライン / 2023年7月1日 13時15分
※本稿は、松永光弘『伝え方 伝えたいことを、伝えてはいけない。』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■ものごとの意味や価値はひとつではない
ある商品の魅力を伝えようとするとき、何をしますか?
まず、その商品自体のよさを見つけようと、自分で使ってみたり情報を調べたりしようとする方が多いのではないでしょうか。
しかし、それとは違う考え方があります。
相手が変われば、魅力が変わる――。
ものごとの意味や価値は固定されたものではない、というとらえ方です。
〈メッセージ〉を導きだしていくうえで必要なものの考え方ですので、少し掘り下げて説明しましょう。
たとえば、「白いコピー用紙」は、一般的には「印刷やプリントをするためのもの」と、考えられることが多いようですが、それとはちがった解釈をすることもできます。
「メモ書きのための紙」ともいえるし、「工作の材料」ともいえる。もっとほかの意味や価値でとらえることもできます。
ちまたではこれを「解釈のちがい」として、「視点」という曖昧な言葉で片づけてしまうことが多いのですが、じつはここにはきちんとした原理があります。
それを目に見えるかたちにしたのが、次に載せた2枚の写真です。
1枚めの写真にうつっているのは、先ほどの話に出てきた「白いコピー用紙」と、「ペン」。
こうして見ると、おそらく「白いコピー用紙」は、「メモ書きのための紙」と見えてくるはずです。
では、もう1枚の写真は、どうでしょうか?
やはり「白いコピー用紙」と、今度はペンの代わりに「ハサミとのり」が置かれています。
こうなると「白いコピー用紙」は「工作の材料」に見えてくるでしょう。
うつっている「白いコピー用紙」は、1枚めの写真も2枚めの写真もまったく同じものです。場所を動かしてもいなければ、照明の当て方を変えてもいません。
でも、となりに並べて置くものを変えただけで、意味や価値がちがってしまいます。
■意味や価値は関係づけから生まれる
なぜ、こんなことが起こるのでしょうか。
カギは共通性にあります。
そもそも人には複数のものを見ると、「どこが同じか」という共通性を無意識にさぐる習性があるのです。
たとえば、夜の暗い通りを、50代とおぼしき男性と20代なかばくらいの女性が歩いているのを見かけたら、まず気になるのは、「どういう関係か(=共通性)」でしょう。
そして、その共通性を手がかりにして「男性は父親だ」「いや、男性は……」と、そこに意味をあたえようとする。
あくまでざっくりといえば、の話ですが、人はものごとをこんなふうに解釈しています。
いまの「白いコピー用紙」と「ペン」にしても同じです。
1枚めの写真を見た瞬間、人はこの2つのもののあいだになんの共通性があるのかを無意識のうちに読みとろうとします。
そして「書くこと」がそれだとわかると、その共通性における意味や価値をさぐり、「白いコピー用紙」を「メモ書きのための紙」と認識する。
いっぽう、「白いコピー用紙」と「ハサミとのり」の場合は、両方のあいだに読み取る共通性は「工作」です。
そして、それを手がかりに「白いコピー用紙」のことを「工作の材料」と意味づけます。
こうした思考が無意識のレベルで瞬時に起こり、ものごとに意味や価値が与えられます。
要するに、ものごとの意味や価値は、あらかじめひとつに決まっているわけではないということです。なにかと関係づけられてはじめて解釈されるものなのです。
■ひとりの人間も場面によって意味が変わる
もちろん、「関係づけ」は、目に見えるかたちでとなりにものを並べて置いたときだけに起こるものではありません。
意識のなかでひもづけるだけでも、その関係性のなかでものごとは解釈されて、意味や価値を発現します。
たとえば、いまこうして文章を書いているぼくであれば、読んでくださっているみなさんとの関係性のなかで、「著者」という意味になっているはずです。
でも執筆の手を止めて、おそらくは自宅のリビングで本を読んでいるであろう娘に思いをはせると、ぼくは「父親」という意味になります。
さらにそこで、ずっとブランディングなどの相談に乗っているスタートアップ企業の社長からチャットで連絡が入り、やりとりをはじめると、今度は「顧問」という意味になる。
ぼく自体はずっと同じ、ひとりの人間です。
そのつどなにかを宣言するわけでもないし、役割の札を掛けかえるわけでもありません。申し合わせをするわけでもないのですが、それでも関係づけるものが変わるだけで、意味もしくは価値が変わります。
■「伝えたいこと」を編集する
投げかける相手が変わると、関係づけるものが変わる。だからこそ、魅力(意味や価値)が変わるのです。
じつはここには「編集という営み」が関係しています。
「白いコピー用紙」と、「ペン」「ハサミとのり」
「ぼく」と、「読者のみなさん」「娘」「スタートアップ企業」
それぞれで起こっているのは、「関係性のなかでのものごとの価値化」です。
ぼくはこれこそが「編集の基本原理」であると考えています。
つまり、ものごとの意味や価値は、編集によって(もしくは編集が起こることで)生みだされているのです。
ここでいう「編集」は、よくいわれるような「本や雑誌をつくること」でも、メディアの運営をすることでもなく、もっと本質的で、本来的な意味の営みです。
編集者と呼ばれる人たちが、さかんに自分たちの仕事を「編集」と呼ぶせいか、「編集は出版やメディアの仕事のこと」と思われがちなのですが、本当のところはそうではありません。
映画のエンドロールを見ても「編集」という役割の人たちがたくさん出てきますし、テレビのバラエティ番組では、すべったコメントをしてしまったお笑い芸人が、指をハサミのように動かしながら「編集でカットしてください」といったりもします。
スマートフォンのアプリのメニューをみても「編集」という言葉がならんでいます。
どれもまぎれもなく「編集」です(そして、これらはかならずしも「出版やメディアの仕事」ではありませんし、「本や雑誌をつくること」でもありません)。
これらの営みは、共通して「関係性のなかで、ものごとを価値化する」という原理を活用しています。
![近代的な作業スペースで一緒に働いている人々のグループ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/f/1200wm/img_9f3e69293689555e49e55fa12a629a16448791.jpg)
映像の編集および番組の編集では、撮ったカットを関係性のなかで意味づける。
画像の編集では、明るさや色調といったパラメーターの関係性のなかで画像の価値を変える。
出版やメディアの編集も、もう少し複雑で複合的ですが、基本は同じです。たとえば、メディアでのニュースの扱いにかぎっていえば、読者もしくはテーマ、コンセプトとの関係性のなかで価値を規定していきます(だから、同じ出来事を扱っても媒体によって語られ方がちがってきます)。
ものごとの意味や価値が規定されている背景には、この編集の原理があるのです。
■関係性のなかで、ものごとを価値化する
ちなみに、ここでいう関係性(厳密には共通性)こそがコンテクストや文脈と呼ばれるものです。コンテクストが設定されるから、ものごとの意味や価値が規定される。
つまり編集とは、「コンテクストをあやつって、意味や価値をコントロールする営み」。ふだんぼくは編集家として、この編集の原理を意識的に駆使して、さまざまな課題の解決に取り組んでいます。
実際にはもっと細かなメカニズムや方法論があるのですが、本書のテーマはそこではないので、編集話はこのへんにするとして……、ここで注目したいのは、編集の基本原理の部分です。
「関係性のなかで、ものごとを価値化する」
前置きが長くなりましたが、「伝えたいこと」の「伝えられたいこと」への変換も、この編集の基本原理をもとにおこないます。
詳しい手順については次章でお話ししますが、「伝えたいこと」を関係性のなかで再解釈して「伝えられたいこと」を導きだす、ということです。
〈メッセージ〉は編集によって生まれるものなのです。
■「誰に向けて」が決まらなければ伝えられない
関係性のなかで、ものごとは価値化される。
関係性のなかで〈メッセージ〉を決める。
では、なにかを伝えるときに、もっとも重視すべき関係性はなにか。
いうまでもなく、それは伝える相手(受け手)との関係性、です。
「伝えたいこと」は、受け手との関係性のなかで価値化して、「伝えられたいこと」へと変換する。
そう考えると、なにかを「伝える」ときに、それが「誰に向けたものなのか」をはっきりさせることが、いかに重要かがわかるのではないでしょうか。
ときどき「誰に向けて伝えるかをイメージしたほうが、文章表現が具体的になる」などといわれることがありますが、そういうレベルの話ではありません。
「誰に向けて」を意識しなければ、もっとも重視すべき関係性をふまえることができないだけに、「伝えるべきこと」を適切に決められなくなるのです。
やや極端ないい方をすると、「誰に向けて」がはっきりしないままでは、なにかを伝えるという行為自体がそもそも成り立たないとすらいえます。
ビジネスに関するところでも、サービスを打ち出すときに「その魅力を誰に伝えるか」という議論がなされることがよくありますが、いまの話からすれば、これも順序が逆といえるかもしれません。
「相手が誰だから、こういう魅力を伝えよう」という順で考えるのが本当です。
受け手が誰なのかをはっきりさせなければ、訴える魅力は決まりません。決めようがないのです。
そんな編集の原理を意識したわけではないでしょうが、広告のなかには、このあたりの事情をわきまえて、「誰に向けて」をより高度なかたちでつかいこなしているケースもあります。
その代表例ともいえるのが、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」です。
京都の名所が王道の美しいビジュアルをともなって紹介されることで知られる人気の広告キャンペーンですが、そこに書かれているコピー(広告文)には、じつは「誰に向けて」の面でひそかな工夫がなされています。
たとえば、このシリーズのひとつである「天龍寺編」では、つぎのようなコピーが書かれています。
600年以上も昔のプランです。
外の景色をお借りして、完成できたことに感謝する。
そんな気持がここにはあります。
景色を借りると書いて「借景」。
いい言葉じゃないですか。
担当したコピーライターの太田恵美さんによれば、このシリーズのこうしたコピーは、「東京から京都を訪れたひとりの旅人が、東京にいる高校生の姪に書いた手紙」をイメージしながら書かれている、とのこと。
![八坂の塔が見える京都の坂](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/f/1200wm/img_9f4be57fea5e02eae8a680cc5bf978cc513335.jpg)
1993年からつづくこの広告シリーズがブレることなく、京都という街の正統的な魅力を素朴かつやさしい目線で訴えかけることができているのは、創作上の設定とはいえ、やはり「誰に向けて」が明確に意識されているからでしょう。
「誰に向けて」がはっきりするから、「伝えるべきこと」が決まるのです。
■「学校の作文」は、なぜ書きづらいのか
とはいえ、「誰に向けて」をしっかりと意識してなにかを伝えようとしている人は、意外と多くはありません。
文章の相談に乗るときに、ぼくが書き手にかならず「伝えるべきことをひとことでいうと、なんですか?」という質問を投げかける、とお話ししましたが、そこで相手が口ごもったときには、たいてい「どんな人に向けて伝えようとされていますか?」と訊くことにしています。
でも、その問いかけにスムーズに返答できる人も、じつはそう多くありません。
「ひとことでの自覚」同様、「誰に向けて」も、さほど重視されてはいないのです。
あくまで仮説レベルの話ですが、こと文章に関して、こういう書き方、取り組み方が当たり前になっている背景には、じつは学校の作文の影響があるのではないかとぼくは考えています。
というのも、学校で作文を書くときに「受け手は誰か」を設定する、つまりは「誰に向けて文章を書くのか」をはっきり決めることはほとんどないからです。
誰に向けてでもなく、受け手がはっきりしない状態のままで、とにかく思うことを書くようにと、うながされます(ほとんどの場合、書いたものを読むのは教師ですが、あくまで指導者としての読み手であって、文章の“宛先”ではありません)。
![教室で紙に向かって思案する生徒たち](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/6/1200wm/img_d62a5cf823ec6903efe16cab7e54a338419963.jpg)
仮に、行ったばかりの遠足の思い出を書くのだとしても、本当なら仲のいい友だちに向けて書くのと、父親に向けて書くのと、幼い弟や妹に向けて書くのとでは内容がちがってくるはずです。
でも、その“宛先”を曖昧なままにすると、当然のことながら、書くべきことがはっきりしなくなります。
小学生のころ、学校の授業で作文を書くときに、「ぼくは……」「わたしは……」と書きだしたものの、そこから先に進まない、書けなくなってしまったという経験がある人は少なくないはずですが、そのいちばんの理由は「誰に向けて」を設定しなかった(設定しない書き方を求められた)ことにあるのではないでしょうか。
■受け手がはっきりしない文章は求められない
実際に、ぼくは知人から子どもの作文へのアドバイスを求められたときには、この仮説を念頭に置きつつ、「おじいさんやおばあさんに読んでもらうと思って書いてみる」「お父さんに向けて書いてみる」ことをすすめていますが、少なくともこれまでそれを実践した結果を聞いたかぎりでは、かなりの効果があるようです。
〔ちなみに、“宛先”を「おじいさんやおばあさん」「お父さん」としているのは、子どもの日常を知りすぎていない関係性であることが多いからです。ふだんからいっしょに過ごしている時間が長い相手だと、あらかじめ共有できている情報が多くなります。そうすると、どうしても書く文章がハイコンテクストになりがち(暗黙の了解を前提にしがち)で、とくに子どもの場合は、いわゆる“きちんとした文章”にならない可能性が高まります〕。
![松永光弘『伝え方 伝えたいことを、伝えてはいけない。』(クロスメディア・パブリッシング)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/a/1200wm/img_8a99bdc27cddcc1cf52003353f1d419196090.jpg)
こういういい方をすると「こうすれば筆が進む」という書き方のテクニックの話のようですが、そもそも「誰に向けて」を設定しない書き方は実際的ではない、といいたいのです。
日常を振り返ってみるとわかることですが、ふだんの生活のなかで、受け手がはっきりしない、学校の作文のような文章が求められることはまずありません。
仕事で書く報告書や企画書には、上司やクライアントといった受け手がいますし、イベントの告知などで書く文章にも訴えかけるべき相手がかならずいます。
ほとんどの場合、文章は「伝える」ために書かれるのですから、「受け手がいる」のは当たり前のはずなのですが、知らず知らずのうちに、そこが軽視されてしまっているのです。
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編集家
1971年、大阪生まれ。「編集を世の中に生かす」をテーマに、出版だけでなく、企業のブランディングや発信、サービス開発、教育事業、地域創生など、さまざまなシーンで「人、モノ、コトの編集」に取り組んでいる。ロボットベンチャーをはじめとした企業のアドバイザーもつとめており、顧問編集者の先駆的存在としても知られる。また、社会人向けスクールの運営にたずさわるほか、自身でも大企業や自治体、大学などで編集やコミュニケーションに関する講演を多数実施し、好評を博している。
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(編集家 松永 光弘)
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