NHK大河ドラマはあまりにも史実を無視している…家康の正室・築山殿が武田家と内通していた本当の理由
プレジデントオンライン / 2023年7月2日 13時15分
■家康と築山殿を不仲に描かない大河ドラマ
徳川家康と正室の築山殿が不仲だったというのは、研究者によって強弱こそあるが、ほぼ共通認識である。元亀元年(1570)、家康が岡崎城(愛知県岡崎市)から浜松城(静岡県浜松市)に拠点を移した際、岡崎にとどまって以来、築山殿は死ぬまで家康と別居生活を送った。そのことからも、不仲だったことは疑う余地がないといわれている。
ところが、NHK大河ドラマ『どうする家康』を見ているかぎり、この夫婦が不仲だとは微塵も感じられない。家康は築山殿(ドラマでは瀬名)を慕いつづけ、ほんとうは一緒に暮らしたいのだが、岡崎にいる長男の信康の面倒を見るために、築山殿は自分の意志で岡崎に残っている、という設定なのだ。
脚本を担当した古沢良太がそう描いてきたのは、築山殿(ドラマでは瀬名)を、大河ドラマの中盤における悲劇のヒロインに仕立てるためだったのだろう。
だが、それにしても、築山殿の悲劇があまりにも荒唐無稽に描かれようとしている。そのことが、第24話「築山に集え」(6月25日放送)でわかったのである。
■築山殿が語ったファンタジー
まずは、いかに荒唐無稽であったかを、具体的に確認しておきたい。
ドラマでは、築山殿(有村架純)と信康(細田佳央太)が、築山殿の住む岡崎の築山で宿敵である武田家の重臣、穴山信君(田辺誠一)らと密会し、さらには方々に密書を送り、自分たちへの賛同者を募っていた。そのことを石川数正(松重豊)や酒井忠次(大森南朋)ら重臣も察知した。
妻子が宿敵とはかりごとをしていては、さすがにまずい。織田信長(岡田准一)に知られれば、ただでは済まされない。このため、家康(松本潤)らは家臣とともに築山に踏み込むが、そこで築山殿は驚くべきファンタジーを語った。
「ひとつの夢を描くようになりました」と話しはじめた築山殿は、「私たちはなぜ戦をするのでありましょう」と家康に問う。家康は「わしは生まれたときから、この世は戦だらけじゃ。考えたこともない」と返答し、「戦をするのは貧しいからじゃ。民が苦しめば、隣国から奪い合うしかない」と追加する。
これに対し、築山殿は「もらえばようございます」と訴えたのだ。「奪い合うのではなく与え合うのです。さすれば戦は起きません」と。隣国同士で足りないものを補い合う。そのために共通の通貨による経済圏をつくり、武力ではなく慈愛の心で結びつくのだという。
■徳川と武田は戦をしているふりを続ける
築山殿と信康がそれを語っただけなら、まだいい。しかし、この話に穴山ら武田方も賛同し、聞かされた家康も「なんという女子じゃ」と言って感動し、家臣たちも言いくるめられてしまうから驚く。
さらには、家康らは築山殿のファンタジーに同意し、その後は武田方の遠江(静岡県西部)における拠点、高天神城を攻める際も空砲を撃ち、武田方も空砲で応じ、築山殿のはかりごとが徳川と武田のあいだで合意されるのである。
こうしてしばらくのあいだ、徳川と武田は戦をしているふりを続けるので、戦況は少しも進展しない。いつまでも高天神城を陥落できないことに信長がいら立ったところで、武田勝頼(眞栄田郷敦)は、徳川が武田と手を結んでいるという噂を世間に流す。それを機に、瀬名と信康は悲劇へと突き進んでいく――。
■あまりにも歴史を無視している
この脚本は、あまりにも歴史を無視しすぎているというほかない。
戦国大名がなぜ戦いつづけざるをえなかったか。それはひとえに領国の平和を維持するためだった。柴裕之氏の言葉を借りれば、「戦国大名・国衆は、自身の領国や従属国家を従えた『国家』を外からの脅威から守り、『平和』を維持するため、その解決手段として戦争を選んだ」(『徳川家康』平凡社)。
とくに領国の境界の地域は、常に敵の脅威にさらされ、戦いが絶えなかった。戦わなければ敵の侵攻を許してしまう。また、境界の地域の国衆は味方と敵に両属していることも多く、自分が従属している戦国大名に、戦って「平和」を守る意志がないと判断すれば、国衆はすぐに離反した。戦わなければ国衆を従属させることもできず、国衆が離反すれば自身の滅亡につながりかねなかった。
家康はそれを百も承知だった。なぜ戦をするのか「考えたこともない」ばかりか、「貧しいから」「隣国から奪い合うしかない」などと返答するなら、戦国大名ではない。
■信長は諸悪の根源なのか
さらにいえば、戦国時代の戦争は領国の平和を守るのに加え、領国を広げる領土戦争でもあった。そうである以上、ドラマで築山殿がたくらんだ共通の通貨による経済圏や、慈愛による結びつきなど、夢の夢であることは、当時の人ならだれでもわかっただろう。百歩譲って女性が空想するのはいい。しかし、大名やその家臣がその「夢」に同意することなど、ありえなかった。
『どうする家康』では、築山殿と信康はもちろん、家康の家臣たちも、信長と組んでいるために戦争が続く、と思っている。しかし、戦争が領土戦争でもあった当時、だれかが圧倒的な領土を得ないかぎり、戦争が終わらないのはあきらかだった。
家康と武田勝頼との争いが激化していたころ、信長はすでに安土城の築城を開始し、全国統一の道筋が見えつつあった。ところが、『どうする家康』では、信長の覇権が、全国統一につながりそうなほど拡大している事実は見せず、信長と組んでいると戦争が終わらないという一方的な見方だけを蔓延させているのがナンセンスである。
加えれば、高天神城の攻防が長引いたのは、たがいに空砲を撃ち続けたからではない。高天神城が難攻不落の山城で、当時は遠州灘の入り江が山麓まで入り込み、陸路のほか海路からも物資の補給も可能であるなど、攻めるのが困難だったからである。
■クーデターに関わっていた築山殿
では、史実の築山殿はなにをしたのか。
彼女が武田と通じたのは「岡崎クーデター」こと、天正3年(1575)の大岡弥四郎事件だったと思われる。『どうする家康』では、築山殿は被害者としてあつかわれたが、『岡崎東泉記』や『石川正西聞見集』には、この事件に築山殿が関わった旨が書かれている。
前者によると、武田勝頼が甲斐の口寄せ巫女を懐柔して築山殿に取り入らせ、巫女に「築山殿を勝頼の妻に、信康を嫡男にする」という託宣を述べさせ、さらに西慶という唐人医師も巻き込んだという。
それだけでは彼女がどの程度、事件に関与したかわからないが、黒田基樹氏は「事件の深刻さをみれば、そこに築山殿の意向が働いていたとしか考えられない」と記し(『徳川家康の最新研究』朝日新聞出版)、平山優氏は「大岡弥四郎事件とは、岡崎衆の中核と築山殿の謀議であり、築山殿の積極性が看取できるのである」と書く(『徳川家康と武田勝頼』幻冬舎新書)。
■息子と共に武田家で生き延びたい
その動機を黒田氏は「この時期、徳川家の存続は危機的な状況に陥っていた。そのため築山殿が、徳川家の滅亡を覚悟するようになっていたことは十分に考えられる。それへの対策として、築山殿は武田家に内通し、信康を武田家のもとで存立させる選択をしたのではないかと思われる」とする(同)。
戦国時代の状況を考えれば、築山殿の判断に違和感はない。とはいえ、それが発覚したとき、家康が看過できる話ではない。正室なので軽々に処罰できなかったにせよ、家康と築山殿の断絶は決定的になったと考えられる
その後、信長の長女で信康の正室である五徳が父に条書を送って、築山殿が武田家と内通していた過去が信長の知るところとなってしまう。すると、天正6年(1578)2月に、築山殿は深溝松平家忠に書状を送り、すぐあとに信康が家忠を訪問している(『家忠日記』)。
いざというときに信康に味方するように、三河(愛知県東部)の家臣たちを口説いて回ったのではないか。そう考えられている。
■家康が妻を殺したのは当然の判断
話を整理しよう。築山殿は家康と不仲であり、その家康は対武田において劣勢で、ひょっとしたら滅亡する危険性もあった。そこで築山殿は、家臣団とともに武田と内通し、息子の信康とともに生き延びる道を模索したが、謀反は未然に発覚してしまった。
その結果、家康との関係は断絶し、さらには武田と内通した過去が信長にバレてしまったため、家臣団に対する多数派工作をしたが、それもまた謀反と受け取られることだった――。
史料から読みとるかぎり、築山殿の行動に荒唐無稽なファンタジーが介在する余地はない。むろん、築山殿の判断や行動に、家康が共感すべき余地もまったくない。
築山殿は家康の判断によって命を絶たれた。しかし、時代背景を考えれば、彼女の行動はそう処断されて仕方ないものだった。「お涙ちょうだい」を企図して、歴史的な前提や史実を強引に捻じ曲げるなら、『どうする家康』自体がもはやたんなるファンタジーである。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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