1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

強制ではないのに、なぜ「丸刈り」が残り続けるのか…高校球児と仏教界の"頭髪問題"の意外な共通点

プレジデントオンライン / 2023年6月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ia_64

5年前の高校球児は4人中3人が丸刈りだったが、今は4人に1人しかいない。急速に減っているが、甲子園大会を見ると、まだその多くは丸刈りだ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「最近は僧侶も有髪スタイルが増えつつあるが、実はもともとどの宗派も丸刈りや剃髪を強制していないのに、そうせざるを得ない要因があった。野球界と仏教界の頭髪の問題にはいくつかの共通項がある」という――。

■高校球児の丸刈り急減でも、丸刈り強要する人の言い分

これまで高校球児の象徴であった丸刈りが、急激に減ってきているという。保守的な高校野球の世界がようやく、社会の趨勢に対応し始めたのだろう。同じく伝統的な世界でいえば、丸刈りがシンボルになっている仏教僧侶にも変化の兆しがある。有髪(丸刈りや剃髪にしないこと)のままで活動する僧侶が一定数おり、今後はその割合が増えていくと考えられる。野球界と仏教界の頭髪の問題には、いくつかの共通項がある。

各界で「伝統」や「らしさ」を求める精神論が崩れつつある。日本高校野球連盟と朝日新聞社は6月19日、硬式野球部がある全国の加盟3818校を対象にして、「部員の頭髪の取り決め」(2023年版)の調査結果を発表した(各校の監督や責任教師が回答)。それによると「丸刈り」と回答した割合が2013年では79.4%、2018年では76.8%だったのが、今回調査では26.4%とここ5年で激減した。今年の夏の甲子園は、高校球児の頭にも注目してみたい。

高校球児の丸刈りの強制は、かつて戦時下に遡る。国家主義体制のなかで、兵士と同様の心構えが求められ、「男児は坊主頭」とされてきた。“勝負”の世界である高校野球では、戦後になっても丸坊主の習慣が続き、それが次第に、「高校球児らしさ」として定着した。

しかし、近年は丸刈りを嫌がって野球部に入部しない高校生が増えてきた。また、教育現場や部活動でのパワハラや、「ブラック校則」が指摘される風潮にある。高校野球界は、否応なく変革を迫られた格好といえる。

高校サッカーや、高校ラグビーなどは丸刈りを強要されることは少ない。高校球児、あるいは他のスポーツ選手の頭髪の自由化は、異論を挟む余地はないように思える。

■もうひとつの丸刈り集団

ところで従来の高校球児のような「丸刈りの集団」が他にも存在する。仏教の僧侶である。多くの僧侶の頭は丸刈り、あるいは剃髪だ。僧侶特有のスタイルの根源は、仏教をひらいた釈尊(ブッダ)が出家、修行の際に剃髪したからといわれる。

日本の僧侶
写真=iStock.com/nattrass
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nattrass

髪を伸ばすということは、修行の妨げになるという考えがある。つまり、髪を伸ばしていると、飾り立てたいなどの欲がおき、あるいは薄毛が進行した際には、悩みや執着が生まれる。僧侶が頭を丸めるのは自らへの「戒め」なのだ。

ただし、日本の仏教界では、有髪の僧侶が少なくない。たとえば僧侶の資格を持ちながら、経済的な事情などで寺に入らず、ビジネス界に身を置く者たちだ。僧侶の丸刈り・有髪の割合を調査したものは存在しないが、肌感覚では半々ではないかと思う。有髪の僧侶は意外と多いのだ。

日本で最大の教派、浄土真宗系の僧侶の多くは有髪だ。その理由は、開祖親鸞が「非僧非俗」(一般的な僧侶でもなく、俗人でもない、念仏者)の立場をとり、その理念が後世、弟子たちに受け継がれていったからである。とはいえ、真宗僧侶の中でも丸刈りもしくは剃髪している者は、一定数いる。

浄土真宗以外の宗派はどうか。実は仏教界では修行時は丸刈りや剃髪することがほとんどだが、資格を取得した後には、丸刈りなどを強制する制度はどの宗派にもない。

しかし、修行中に丸刈りに慣れてしまい、「僧侶らしさ」を求める仏教界や檀信徒(だんしんと)らの目もあって、浄土真宗以外の僧侶の多くが丸刈り・剃髪をしているのが実情だ。

曹洞宗や臨済宗、黄檗宗のいわゆる禅宗の僧侶は、大方が剃髪している。臨済宗・黄檗宗の公式サイト「臨黄ネット」では、「剃髪する日」についてこのように解説している。

《四九日(しくにち)とは、四と九のつく日のことである。この日は内外の大掃除、開浴(入浴)、剃髮することになっており、五日に一回の割りで回ってくる。(中略)剃髪は隣単(りんたん、隣りの席)同士で剃り合うのだが、新米憎にとってこれは大事業である。扱い慣れない剃刀、ときには頭の皮をはがれることも珍しくはない。剃り上がった青い頭のそこかしこに、止血のタモトクソが張られているのも四九日の風景である。旧い雲水たちは器用に剃刀を使いこなし、頭の二つや三つはアッという間に剃り上げてしまうのだが、初めての者にはそうはいかない。相手がコンニャク頭で毛が剛いとなれば、剃る方も剃られる方も泣き出したくなるほどである》

■「女性僧侶」と「尼僧」は似て非なるもの

浄土宗や日蓮宗、真言宗では有髪の僧侶も少なくない。また、女性僧侶の多くは、有髪で活動している。ちなみに、「女性僧侶」と「尼僧」とは似て非なるものだ。

女性僧侶は多くは寺に生まれた子女で、男僧と同じ修行過程をこなし、僧侶資格を得て、自坊を継承するケースが多い。多くの宗派では修行時は、女性とて剃髪が義務付けられている。しかし、その後は髪を伸ばして、法務に就く。

他方、「尼僧」の世界は大きく異なる。純然たる尼僧は、次のように定義できる。

①尼僧専門の修行道場を出ていること②剃髪していること③未婚を貫くこと④代々続く尼寺に入っていること――などが尼僧の条件だ。しかし、これらも明文化されたものではなく、各宗派の尼僧団体の不文律として守られてきている。

例えば、作家の故瀬戸内寂聴さんは、上記の条件にすべて当てはまらないが、尼僧のカテゴリーに入れることができるだろう。世に言う「出家」の、本来あるべき姿が尼僧の世界には根強く残っていると言える。それは「尼僧の矜持」に他ならない。

仏教の経
写真=iStock.com/Toru Kimura
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Toru Kimura

以前、ある高齢の尼僧を取材した時の話が印象に残っている。

「今、女性で僧侶になろうとする人の多くは、修行を終えて道場の門を出るや、カツラや帽子を被って街に消えていく。私たち尼僧にしてみれば、忸怩たる思いになります。私が尼僧になろうとしていた戦後しばらくの時期は、寺に入った養女が丸坊主で、セーラー服を着て学校に通っていました。覚悟がありました」

しかし、尼僧の世界は高齢も進み、その数は激減している。

話を戻そう。女性僧侶の割合は浄土真宗(浄土真宗本願寺派、真宗大谷派)が約15%。浄土宗や日蓮宗、真言宗が10%前後となっている。禅宗系は5%未満だ。

浄土系で女性僧侶の割合が高く、禅宗系で低いのは有髪で活動しやすい宗派環境かどうかが、少なからず影響していると思われる。継承問題が深刻な仏教界において、女性僧侶の登用と活躍が増えていかねば、仏教界の衰退は免れないだろう。

■高校球児も僧侶も「形」が大事なのではない

では日本の仏教界はなぜ、丸刈りと有髪が混在しているのか。それは明治維新時の僧侶の俗化政策に遡る。つまり、政治によって有髪が奨励されたのだ。

明治新政府は1872(明治5)年4月、「僧侶の肉食妻帯蓄髪(有髪)の自由」を布告する。翌年には尼僧にたいしても、同様の布告をした。

江戸時代まで僧侶は戒律に基づいて自主的に獣肉食・魚肉食や妻帯を禁じ、頭を剃っていた。それを、政府は一方的に法令を出して「在家並みに、肉や魚を食べてもよし、妻をめとってもよし、髪を生やしてもよし」と定めたのである。つまり、仏教界への規制緩和であった。

一連の仏教の俗人化に抵抗した僧侶は多く、丸刈りや剃髪を貫いてきた。それも近年、変化の兆しがみられる。今後は、有髪の僧侶がますます増加していくことが考えられる。

それは、女性僧侶が増加傾向にあることや、兼業型僧侶の増加などが背景にある。社会と接点が生まれれば生まれるほど、僧侶のスタイルが俗化していくことは否めないし、やむを得ない。女性や社会人出身の僧侶を多く取り入れていくシステムを整えていかねば、仏教界は先細っていくことだろう。

ある長野県の浄土宗僧侶はいう。

「僧侶のなかには剃髪や丸刈りに抵抗のある人もいると思いますが、それは少数派でしょう。最近は、おしゃれで丸刈りにする一般人も増えており、抵抗感が和らいでいるようです。僧侶は姿形より、行いが重視されます。しかし、ある程度の清潔さは必要かなと思います」

ブッダの言葉をまとめた経典「ダンマパダ(法句教)」には、こう書かれている。

《頭を剃ったからといって、戒め守らず、偽りを語る人は、「道の人」ではない。欲望と貪りに満ちている人が、どうして「道の人」であろうか?(ダンマパダ264)》

つまり、「頭を剃って出家して僧侶になっても、堕落した生活を送る者は僧侶とはいえない」と、釈尊は語っている。高校球児同様に、現代日本の僧侶は「形」が大事なのではない。いかに、正しい生活を送り、苦しむ人々に寄り添えるか。僧侶の本質が問われている。

----------

鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

----------

(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください