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もはやイギリスと日本だけ…海外では軒並み廃止になっている「即位儀礼」を日本皇室はやり遂げられるか

プレジデントオンライン / 2023年7月6日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/VV Shots

かつて君主制国家では「戴冠式」などの即位儀礼が行われてきたが、じつはイギリスを除く欧州の国々ではすでに廃止されている。ライターの中原鼎さんは「欧州では『形式的で金食い虫』という批判から、イギリス以外は儀礼を続けることができなかった。この世界的な流れは日本の即位礼にも影響を及ぼす恐れがある」という――。

■莫大な税金が投入された英チャールズ3世の戴冠式

「共和主義者であろうと君主主義者であろうと、視聴者のほとんどはコストを最小限に抑えることを望んでいると思います」

2023年5月6日、イギリス国王チャールズ3世の戴冠式がロンドンのウェストミンスター寺院で挙行された。冒頭に示したのは、これに先立ってスコットランド自治政府のハムザ・ユーサフ首席大臣が語った言葉であるが、まさに正鵠(せいこく)を射たものだと評すべきだろう。

世界が注目したあの式典には、いったいどれほどの金額がかかったのか。バッキンガム宮殿は総費用について、しばらくしたら公表するとしている。2カ月が経過しても発表はまだないが、莫大な税金が投じられたことはまず間違いない。

昨今の英国は、大勢の国民が「生活費危機」と呼ばれる歴史的なインフレに苦しんでいる。そんな苦境ゆえに、事前の現地報道をあれこれ見てみると、もちろん祝賀ムードに浮かれる人々も数多く見受けられたけれども、莫大な費用がかかる戴冠式に対する不満の声もかなり目立っていた。

■過半数が「税金を使わず私費で式典をやってほしい」

世論調査会社「YouGov」の調査によれば、回答者の51%が、一連の式典に税金を投入すべきではないという考えであったという。要するに、英国王室は億万長者なのだから国民の税金に頼らずに私財でやってほしい、という意見が過半数だったわけだ。

米CNNの報道には、「私はちょっぴりロイヤリストで、王室が確かに好きです」と語りつつも、式典費の巨額さには眉をひそめてしまう――そんな王室ファンも登場している。

そのような中で、ジャーナリストのポリー・トインビー氏などの一部の人々は、ヨーロッパの他の君主制と比較する形で英国王室を非難した。英国と他の欧州諸国では、君主制のあり方があまりに違うというのである。

■消えゆくヨーロッパの戴冠式

以下に、現代ヨーロッパの即位儀礼について簡潔に解説しよう。

まずは、日本に次いで君主制の歴史が古いとされるデンマークである。この国では、立憲君主制の導入に伴って戴冠式が廃止された。最後に行われたのは1840年のクリスチャン8世の時だ。王室公式webサイトは、今日の即位儀礼についてこう説明している。

「1849年の制憲以来、デンマークでは戴冠式や聖油塗布は行われていない。代わりに首相がクリスチャンスボー宮殿のバルコニーから新しい王を宣言する」

「北欧」つながりということで、スウェーデンに続こう。この国では1873年に挙行された国王オスカル2世の戴冠式が最後のものとなっている。

そのスウェーデンから1905年に独立したノルウェーでは、新たに国王として迎えたホーコン7世の戴冠式を1906年に挙行したが、これが最後の事例となっている。王室公式webサイトには次のように説明がある。

「1908年、非民主的かつ時代錯誤だとみなされるようになったため、戴冠式を必須とする規定が憲法から削除された」

明文規定で禁止されたわけではない以上、国王が望めば不可能ではないという考え方もあるようだが、以降の歴代国王は代わりにニーダロス大聖堂で「祝祷式」を受けている。

■戴冠式は「形式主義的で金食い虫」

これまでに述べた国々とは比較にならないほど早くに戴冠式を放棄したのがスペインである。最後に戴冠式がおこなわれたのは、まだ統一国家を樹立できていない中世カスティーリャ王国の頃だ。

スペイン憲法は新しい国王に対して、憲法順守などを国会で宣誓することしか即位儀礼としては求めていない(第61条)。そして王冠はこの時、王権のシンボルとして置かれるのみである。

宝石があしらわれた王冠
写真=iStock.com/Ayvan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ayvan

比較的新しい王国には、戴冠式を挙げたことがない国が珍しくない。現存する国としては、19世紀に建国されたオランダとベルギーがそうだ。

オランダの王冠は、新国王がアムステルダム新教会における即位式に臨む時に、その場に安置されるだけのものである。ベルギーに至っては、王冠がそもそも存在すらしていない。

ヨーロッパには他にもルクセンブルク、モナコ、リヒテンシュタインなどの小さな君主国があるが、もはや戴冠式の有無は言うまでもないだろう。

王侯貴族の豪華絢爛(けんらん)なイメージ形成に大いに寄与しているであろう戴冠式という即位儀礼は、19世紀にはすでに「あまりにも形式主義的で、金食い虫で、時代遅れ」だと考えられるようになった。そしていまや、欧州ではイギリスにしか残っていない「絶滅危惧種」になってしまったのである。

■「洋装で即位礼を行えば安く済む」

令和元(2019)年秋に挙行された「即位礼正殿の儀」を振り返ろう。いまや戴冠式はヨーロッパにおいてはイギリスにしかないと先に述べたが、さらに踏み込むと、伝統的かつ大規模な即位儀礼が保たれている君主制国家は、先進国では英国と日本の2カ国だけなのだ。

令和時代の日本国民は巨費が投じられたと知りながらも好意的だったが、あのような大掛かりな即位礼をわが国はいつまでも続けられるのだろうか。即位儀礼が簡素化された欧州を見ると、どうしても不安を覚えてしまう。

2019年10月22日、皇居にて、即位礼正殿の儀に臨む天皇陛下(左)と皇后陛下(右)
写真=AFP/時事通信フォト
2019年10月22日、皇居にて、即位礼正殿の儀に臨む天皇陛下(左)と皇后陛下(右) - 写真=AFP/時事通信フォト

思い出されるのが、昭和49(1974)年から約27年間にわたり侍従などとして宮仕えした小林忍氏が、平成の即位礼正殿の儀についてこう日記に書いていることだ。

「諸役は古風ないでたち、両陛下も同様、高御座、御帳台も同様。それに対し、松の間に候する者のうち三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。宮殿全体は現代調。全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。参列者は日本伝統文化の粋とたたえる人もいたが、新憲法の下、松の間のまゝ全員燕尾服、ローブデコルテで行えばすむこと。数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」――小林忍・共同通信取材班『昭和天皇 最後の侍従日記』(文春新書、2019年)274ページ。

小林氏はどうやら「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」や「即位後朝見の儀」のような洋装の式典を希望していたらしい。筆者はこの記述を初めて目にした時、旧登極令の附式からあまりにかけ離れたアイデアにひどく困惑してしまったことを記憶している。

■秋篠宮さまも「身の丈にあった儀式で」とご発言

もう一つ思い出されるのが、秋篠宮殿下が平成30(2018)年秋に、一世一代の宮中祭祀「大嘗祭」についてこう問題提起されたことだ。

「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば」

朝日新聞によれば、秋篠宮殿下は宮内庁長官に「大嘗宮を建てず、宮中にある神嘉殿で執り行っても儀式の心が薄れることはないだろう」と仰せになったという。伝えられるところでは、昭和天皇の次弟・高松宮宣仁親王も同様に「神嘉殿でやればいいじゃないか」とお考えになっていたらしい。

皇室や宮内庁職員――その立場上、欧州君主制についてもある程度の見識を有するとみなすべきだろう――からこのように大嘗宮不要論や洋装即位礼のアイデアが出てくる理由だが、即位儀礼が簡素化されたヨーロッパの影響を強く受けてのものとは考えられないだろうか。

伝統主義者の間には、日本国憲法の制定により即位礼・大嘗祭にさまざまな変更が加えられたこと――たとえば政教分離への配慮のために即位礼の神話的要素が薄められた点――に対する不満がある。

しかし、帝王を聖別するというキリスト教の宗教儀式の場でもあったはずの戴冠式を放棄したヨーロッパに比べれば、わが国の変化は大したものではない。いくらかの変更点があるにせよ、少なくとも規模的に縮小されたとは言いがたいのだ。

■欧州のトレンドを見れば縮小論が出るのも不思議ではない

戴冠式の伝統を捨てた欧州君主たちは、いずれもそのタイミングで戦前・戦後の天皇ほどに位置付けが大きく変わったわけではない。天皇の位置付けを激変させた革命的改憲――本当に「国体」を護持できたかが論点になるほどの――を経てもなお大規模な即位儀礼を維持できている日本は、世界的にみればきわめて特異なのである。

振り返ってみると、秋篠宮殿下の「身の丈」ご発言には、兄の門出に水を差したという批判も多く見受けられたが、欧州の即位儀礼がどうなっているかを知れば、納得できる人が増えるのではないだろうか。

筆者は「御大典は明治天皇のご遺志に沿うように京都開催が望ましい」と大真面目に考えている程度には守旧的な人間であるから、即位儀礼の簡素化にはもちろん賛成できないが、縮小論が出てくること自体は至極当然な状況だとも思うのだ。

■「縮小しすぎると式典自体が無意味になる」

戴冠式を今日のヨーロッパで唯一保存できているイギリスだが、はたしてこれからもその伝統を維持していけるのだろうか。

英国の戴冠式も、廃絶の危機が今まで皆無だったわけではない。1830年に即位したウィリアム4世は、儀式を好まない性格から戴冠式をしないつもりだったそうだ。

ウィリアム4世は臣下たちの懸命な説得を受けて式典を簡素化することで妥協し、これが現代の戴冠式にも大きな影響を及ぼしている。もしも彼が初志貫徹していたならば、今頃は英国ですらも戴冠式を廃止していたかもしれない。

かねて「王室のスリム化」計画を温めてきたとされるチャールズ3世の下で、所要時間を1時間ほども短縮し、参列者を4分の1に減らすなどして、英国の戴冠式はさらなる簡素化が進められた。

各種報道によれば、次期国王となるであろうウィリアム皇太子もまた王室の「現代化」を考えており、即位の暁にはもっとモダンな戴冠式にしたいと望んでいるという。

逆に豪勢にすることは難しいご時世だから、代替わりを重ねるにつれてますます簡素化されていくに違いない。しまいにはどんな形の式典になってしまうのだろうか。

「あらゆるものを縮小し始めると、他のヨーロッパの君主国と同じように、縮小しすぎて無意味になってしまうだろう」

エリザベス2世の国葬からまだ日が浅い頃にジャーナリストのピアーズ・モーガン氏が新国王の戴冠式についてそう懸念を示していたが、質素倹約を良しとする全世界的な風潮からすれば無理もない。

■イギリスの若者に広がる共和制支持

イギリスが戴冠式をやめるとすれば、まず考えられるのは儀礼縮小だが、最悪のシナリオも想像できる。すなわち、君主制そのものの廃止である。

「いずれこの世には5人の王しか残らなくなるだろう。イングランドの王、スペードの王、クラブの王、ハートの王、そしてダイヤの王である」

1948年にエジプト国王ファールーク1世が残した有名な言葉だ。彼は世界の君主国の中でも英連合王国だけは安泰だろうと考えていたわけだが、しかし今日の英国王室には未来を楽観視できない不安要素がある。

英国では長らくどの年齢層においても君主制支持が多数派を占めていた。ところが、YouGovの世論調査によると、24歳までの若年層に限っては共和制支持者のほうが多くなったというのだ。

2013年には若年層でも君主制支持率が72%もあったのに、戴冠式直前の調査では、君主制支持者が36%にとどまったのに対して、40%が選挙による国家元首を支持した。

全体での君主制支持率は6割を占めており依然として多数派だが、若年層の思想が変わらないまま世代交代が進めば、いずれは共和制支持者が多数派になってしまうかもしれない。

■英国という仲間を失っても日本は変わらずにいられるか

今はイギリスという極めて頼もしい仲間がいるからいいけれども、もしもその英国からも戴冠式が失われてしまったら、「横並び主義」の傾向が強いとされる日本人は、伝統的な即位儀礼への態度をはたして変えずにいられるだろうか。

元宮内庁掌典補の三木善明氏によれば、昭和天皇の大喪の時、装束を着用することに対して、ある宮内庁幹部が次のように述べて猛反対したという。

「大喪の儀は世界中に衛星中継される、そこに時代錯誤の装束姿が映ったら、日本の恥さらしだ」(『文藝春秋SPECIAL』2017年季刊冬号)

それを思えば、このように主張する人が増加することは想像に難くない。「こんな儀式、欧州ではとっくにやめたというのに。恥ずかしい、日本は『遅れた国』だとみなされる!」

筆者としては、日本が今の形で即位儀礼を続けられるように、ぜひとも英国には現代版の「栄光ある孤立」をいつまでも保ってもらいたい。そのためにもチャールズ3世には、治世にふさわしく荘厳な戴冠式だったと回顧される立派な君主になってもらいたいものである。

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中原 鼎(なかはら・かなえ)
皇室・王室ウオッチャー
日本の皇室やイギリス王室をはじめ、君主制、古今東西の王侯貴族、君主主義者などに関する記事を執筆している。歴史上でもっとも好きな君主は、オーストリア皇帝カール1世(1887~1922)。

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(皇室・王室ウオッチャー 中原 鼎)

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