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まるで刑務所の囚人のよう…1時間かけて全校生徒の髪の毛、爪、靴下を調べる「身だしなみ指導」の異様さ

プレジデントオンライン / 2023年7月7日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

一部の高校では、生徒の髪型や服装などをチェックする「身だしなみ指導」が行われている。現役の高校教師である西村祐二さんは「私は最初にこの指導を見た時に違和感を覚えた。こうした指導は必要ないという教師も一定数いるが、『生徒のために厳しい校則は必要だ』と考える教師もいるため、理不尽な指導もなかなか見直されない」という――。(第2回)

※本稿は、西村祐二『シン・学校改革』(光文社)の一部を再編集したものです。

■1時間ほどかけて全校生徒をチェックする

全日制高校で部活動の強制加入とともに、驚いたものがありました。「身だしなみ指導」です。数カ月に一度、学年ごとに全校生徒を体育館に集めて、一人ひとり身なりのチェックを行うのです。

チェック項目は多岐にわたり、髪の毛が眉毛や耳にかかっていないか、学校指定のバッジを購入してつけているか、学ランの下にカッターシャツを着ているか、ベルトはしているか、スカートを規定の長さよりも短くしていないか、爪はちゃんと切っているか、靴下の柄はワンポイントまで等々……。

教師が数人ひとチームとなって、一列に並ばせた生徒をひとりにつき20秒ほどで見て回ります。全生徒を見るのに1時間ほどかかりますから、遅滞なく進めるために、生徒は両手を上げ手の甲を教師の方に向け、爪の長さが一目瞭然の状態で待っていました。

■まるで刑務所の囚人のように見えた

自身の中高時代にも、初任校の定時制高校にもそのようなものはなく、35歳にして初めて「身だしなみ指導」を目の当たりにしたものですから、大変驚いてしまいました。

爪を見せるために手を上げて待っている様が、まるで刑務所の囚人のように見えたのです。

靴下の柄については、ワンポイントのデザインは可、ツーポイント以上は不可であると。しかし中には、縞々の靴下を履いてくる生徒がいます。すると教師同士で、これは縞ごとにワン・ツーと数えるべきか、縞々全体でワンポイントと数えるべきかと協議が始まるのです。見方によっては、ちょっとしたコントです。

■学習指導要領に「身だしなみ指導」はない

生徒にとってみれば、自分のチェック時間以外は待機時間となります。貴重な50分授業のうち、49分40秒は無駄な時間となってしまう気がしました。と、今になって好き勝手振り返っていますが、身だしなみ指導については、「今の全日制高校はこういうものなのか」と、私は無批判に受け入れてしまいました。

部活動の強制加入のように、「改めるべきだ」と進言したこともなかったのです。仮にそのように意見したところで、「制服を着崩す生徒が出てくる、その予防だ」と言われたら黙ってしまったことでしょう。

しかしそもそも、毎日制服を着ることが、教育目的や生徒の安全安心のために必要不可欠なことなのでしょうか……。同様に考える教師もいたと思いますが、そういった根源的な問いも、「疑問を呈するのは悪いことだ」と言われかねない、高校とはこういうところだという硬直化した雰囲気が学校全体を包み込んでいました。

ちなみに、学習指導要領に「身だしなみ指導」はありません。つまり、あくまでこれは学校が好きで独自に行っているものなのです。校長判断でやらないと決めたらやる必要のないもので、私が初任校として勤めた定時制高校や、公立でも私服の学校ではそのようなものは行われていません(注)

(注)長野県の公立高校の約半数は、私服だそうです。これに関して長野県の教師たちはどのように考えているのでしょうか。長野県松本深志高校の生徒が制作し、2014年「地方の時代」映画祭で高校生(中学生)部門奨励賞を受賞した映像作品「制服ガラパゴス2」では、教師たちへのインタビューが紹介されています。
その中に出てくる教師たちは一様に、「自分もそうだったので全く違和感がないです」「制服に縛られる、あるいは制服を着たいと思うことに関しては違和感を感じますね」と述べます。それに対して、隣の山梨県から人事交流で来たという教師は、「制服があってルールを守るということ、ルールを守らせるということも、高校の指導の一環なのかなと。高校生は高校生らしく」というものでした。「昔からこうだった」というその土地に根づいてきた慣習が、教師や子どもの価値観に大きな影響を及ぼすことが感じられ、大変興味深い作品です。

■「身だしなみ指導」をやめられない4つの理由

身だしなみ指導からは、校則を変えることがなぜ難しいのかを考えるヒントがたくさん見つかります。

学校が厳しい身だしなみ指導や、制服の着用義務をやめられない理由は何なのでしょうか。4点考えられます。

1つ目は、その地域では昔からそうだったという「慣習」です。

日本の多くの地域では、中高生は毎日きちんと制服を着るものだという感覚が根強いと思います。そんな中で急に身だしなみを緩和すると、地域からクレームが入るのではないかという恐れを学校側は抱きます。また教師自身も、「中高生は中高生らしく制服を着るものだ」という観念に囚われがちです。

2つ目は、生徒を校則で縛らずに「自由」を与えると行動が荒れていき、教師の言うことに従わなくなるという恐れです。

教師がこうした思考を持ちやすいのは、1980年代の校内暴力時代に身だしなみ指導を厳しくしたり部活動を奨励したりしたことで、生徒の反抗を抑えられたという「成功体験」があるようです。自身がその時代の経験者でなくても、職員室内に脈々と受け継がれるマインドセット(思考様式)があるのです。

■制服をやめたら「貧富の差が鮮明になる」

3つ目は、制服をきちんと着られるようにするという「教育目的」です。

「制服くらい着こなせないと社会人としてやっていけないぞ」「学校は休みの日と違うのだから、いつでも面接に行ける格好でいなさい」「学校はおしゃれをするところじゃない」と、身だしなみ指導の目的を説明することがあります。

「学校の評判が悪くなると大学からの推薦枠や企業からの求人がなくなる、後輩に迷惑がかかるぞ」と生徒に連帯責任を感じさせることもあります。

4つ目は、制服をやめたら「貧富の差が鮮明になる」という恐れです。

私服にするとおしゃれ競争が加速し、経済的に苦しい生徒がいたたまれない思いをする。最悪の場合いじめに発展するのではないかと心配することがあります。

顔を覆い泣いている女子高生
写真=iStock.com/chameleonseye
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/chameleonseye

■厳しい校則も「生徒のため」という感覚

まとめると、身だしなみを緩和すると地域からクレームが入ったり、生徒が荒れ出したり(不良化したり)、貧富の差が鮮明になる恐れがある。また制服を着こなせるようにするという教育目的がある。

きちんとした身なりだと学校の評判が上がり、ひいては推薦枠や求人も得やすくなる。そのために、教師は(致し方なく)制服着用を迫り、(致し方なく)厳しい身だしなみ指導を行うというわけです。

こうした理由が納得できるかどうかはさておき、ここで一点、強調しておきたいことがあります。それは、身だしなみ指導など厳しい校則を維持したいと考える教師も、「生徒のため」を考えているということです。

■容易にはわかり合えない宗教対立のようなもの

地域からの評判が落ちれば進路に影響するかもしれない。学校内の治安が悪くなれば、大多数の生徒が不利益を被る。制服くらい着こなせないと、就職したときに困るのではないか。妥当性はともかくとして、厳しい校則も「生徒のため」であるという、この感覚が現場での校則議論をややこしくするのです。

少なくない教師は「生徒のため」に校則はもっと緩くてもよいと考えています。一方で、校則を厳しくしなければならないと思う教師も、「生徒のため」を考えているのです。両者の「生徒のため」は、容易にはわかり合えない宗教対立のようなものです。

校則問題について社会に向かって発信することは、校則を大事にする半数の教師を敵に回すことに繋がる、そんなふうに私は考えていました。働き方改革について社会に声を上げてきた私でしたが、校則問題はアンタッチャブルな(触れてはならない)問題と考え、教師としての自分を守ることを優先して及び腰になっていたのです。

■やけに学校の雰囲気がよくなったワケ

そんな私が「制服と私服の選択制」という言葉で、校則見直しを国や社会に訴えるようになったきっかけは、コロナ禍で急速に校則の緩和が進んだことでした。

コロナ禍が始まったばかりの2020年5月。全国一斉休校が終わり、学校を再開するにあたって、自身が勤める岐阜県の県教育委員会からひとつの通知が出されました。

「学校再開ガイドライン」です。

「登校時の制服に付着したウイルスを洗濯によって除去する場合、制服は多数回の洗濯には適さないことから、家庭での洗濯が比較的容易な服装(学校指定の体操服やトレーニングウエア等)での通学を可能とすること」

(岐阜県 学校における新型コロナウィルス感染症対応〈学校再開ガイドライン〉、2020年5月15日)

私の勤務校でもこの通知に従い、制服の着用義務を撤廃しました。

学校はあっという間にカラフルになりました。制服を着てくる生徒は半数ほどで、残りの半数はジャージや、色とりどりのTシャツやトレーナーで登校するようになりました。

学校再開からしばらくして、「やけに学校の雰囲気がよくなったなあ」と感じていたのですが……。なぜでしょうか。

それは、全ての生徒が「自分で選んだ服装」をして来ているからだと気づきました。そこには、制服着用率が100%から50%に半減したという事実以上に、本質的な変化がありました。

制服を着たければ着る。着たくなければ着ない。何を着るかは自分で考える。そしてお互いの選択を否定しない。それは「互いの自由を尊重する」ということであり、とても教育的である気がしました。

■令和時代に即した校則はどうあるべきなのか

制服以外の選択肢が認められるようになった結果、勤務校では身だしなみ指導もなくなりました。

しかし制服の着用義務や身だしなみ指導をなくしたからといって、生徒が荒れるとか地域からクレームが入るとか、心配されていたような懸念は何ひとつ起きません。

また生徒からは、「実はコロナ前は制服が苦手で学校に行くのが辛かったんです」と打ち明けられることもありました。制服の着用が当たり前だったときには、そんな本音を口に出すことすら憚られていたと言います。

2023年5月8日、新型コロナウィルスの感染法上の位置付けが「5類」となり、学校現場ではにわかに「アフターコロナ」に向けた急激な揺り戻しが始まっています。

西村祐二『シン・学校改革』(光文社)
西村祐二『シン・学校改革』(光文社)

2021年11月に行われた名古屋大学研究チームの全国調査によると、「コロナ禍で削減された業務は、コロナ禍が収束すると元に戻る」と答えた中学校教員は65.7%に達しました(N=458)。

私の勤務校でも、コロナ後の校則や学校行事をどうするのかといった議論が、毎日のように行われています。

昭和時代から変わっていないような学校文化が多い中で、多様性を旨とした令和時代に即した校則はどうあるべきなのか。

コロナ禍での経験も踏まえつつ、まさに今、教師自身が考えなくてはなりません。

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西村 祐二(にしむら・ゆうじ)
岐阜県立高等学校教諭
1979年、兵庫県西宮市生まれ。2002年、関西学院大学卒業後、小劇場や自主映画の世界で活動。30歳で岐阜大学大学院に進学し、32歳で岐阜県立高等学校地歴科教諭(現職)。勤務の傍ら、'16年8月より「斉藤ひでみ」名義で教師の労働問題や生徒の校則問題について発信を始め、文部科学省への署名提出、参議院文教科学委員会での参考人陳述等を行った。共編著に『教師のブラック残業』(学陽書房)、『校則改革』(東洋館出版社)、共著に『迷走する教員の働き方改革』『#教師のバトン とはなんだったのか』(岩波ブックレット)、『先生がいなくなる』(PHP新書)。ドキュメンタリー番組「聖職のゆくえ」(福井テレビ)に出演。'23年現在、高校勤務を続けながら名古屋大学大学院(博士後期課程)に学ぶ。Twitter:@kimamanigo0815

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(岐阜県立高等学校教諭 西村 祐二)

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