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「認知症保険」では認知症の備えにはならない…高齢医療のプロが「保険金の支払い条件」に首をひねる理由

プレジデントオンライン / 2023年7月5日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

■家族に迷惑をかけたくなければ、加入すべき?

先の通常国会で認知症基本法(共生社会の実現を推進するための認知症基本法)が成立した。厚生労働省の研究班による推測では、2025年には5人に1人、700万人が認知症になると言われていることからも、認知症の人が希望を持って暮らせる共生社会を築けるよう、国と自治体に対策を取り組ませることを定めた本法の成立は、一歩前進と言えるだろう。とはいえ、国民の認知症にたいする認識は、まだまだネガティブなものが少なくない。

「認知症になったらどうしよう」
「家族に迷惑をかけるのではないだろうか」

認知症になって要介護状態となった場合、そしてその出費などを考えて、このような不安にかられてしまう人もおられることだろう。

不安な人が増えてくれば、その不安を商機ととらえて商品を開発する人たちも増えてくるのが世の常だ。じっさい昨今、保険会社からは「認知症保険」なる商品が相次いで発売されている。

そしてこれらの保険会社の広告には「経済的負担が大きい認知症介護に手厚く備えられます」とか「人生100年時代の今だからこそ、ご自分や家族のために今から備えておきませんか?」といった文言が踊っているものだから、これらを見ればみるほど、よりいっそう不安にかられて焦る人が増えてしまっても、無理からぬことであろうとは思う。

■そもそも認知症とはなにか

しかしこの「認知症保険」なるものは、本当にこれらの人たちの不安を解消してくれるものなのだろうか。これによってどれほどの安心が「買える」のだろうか。この保険商品を購入しておかないと、将来かなり困った事態に陥ってしまうのだろうか。

本稿では、数ある「高齢社会向け商品」として市中で売られているもののなかでも、保険、とくにこの「認知症保険」について考えてみたい。

さまざまな保険会社から発売され、その各々の商品は会社によって多少の違いはあるが、多くの場合、保険料は毎月8000円程度で、いわゆる「掛け捨て」のようだ。そして保障はというと、これも商品によって多少の違いはあるものの、医師に認知症と診断され、さらに要介護1以上の場合に「一時金」として100万円~500万円の保険金が支払われる商品が多いようである。最大で1000万円を保障する商品も登場している。

ではそもそも認知症とはなにか。冒頭にて触れた認知症基本法によれば「アルツハイマー病その他の神経変性疾患、脳血管疾患その他の疾患により日常生活に支障が生じる程度にまで認知機能が低下した状態として政令で定める状態をいう」と定義されている。すなわち「認知症」は病名ではなく、状態であるということである。

■諸条件を満たせば一時金100万円がもらえるが…

そしてこの定義にもあるように、認知症は、よく知られているアルツハイマー病だけでなくそれ以外の疾患や服薬によっても引き起こされ得るものであるため、保険加入の際には医師の診断書は不要で簡単な告知書のみでよいとされてはいるものの、過去に脳血管疾患、脳腫瘍や水頭症、てんかんやパーキンソン病、うつ病、統合失調症、アルコール依存症などの診断・治療歴がある場合は加入できないことがあるので注意が必要だ。

さらに商品によっては、心筋梗塞や心房細動、弁膜症、狭心症といった循環器疾患、パニック障害や神経症、心因反応などの既往もないことを加入の条件としているものもあるため、まず加入の段階で対象者はかなり選別されることになる。

気になる保障についていえば、ある商品では「初めて認知症と医師により確定診断されたとき」に「認知症一時金」として100万円が支払われるとされている。まず、「軽度認知障害」と医師により確定診断されたときに「軽度認知障害一時金」として5万円が支払われる、その後初めて認知症と確定診断されたときに残りの95万円が支払われる、という2段階での保障を謳(うた)っているものもある。

■軽度認知障害の診断はかかりつけ医でも困難

この軽度認知障害というのは(MCI:Mild Cognitive Impairment)と言われるもので、記憶力や注意力など認知機能に若干の低下がみられるものの、日常生活に支障をきたすほどではない状態、いわば健常と認知症の中間の状態のことを指す。最近この軽度認知障害への保障を「売り」にしている商品もちらほら見かけるが、例えば前記の確定診断がつけば5万円という保障は、いったいどれだけの意味があるといえるだろうか。

そもそもこの軽度認知障害の診断をつけるのは、街の多くの「かかりつけ医」では困難であると思ったほうがいい。神経内科の専門医など、認知症の専門知識とスキルを十分に持ち、経験豊富な医師であれば不可能ではないかもしれないが、一般内科クリニックで、これらの専門医に出会える機会はそう多くない。

つまり「最近ちょっと変だから、かかりつけ医の先生に診断してもらえば保障が下りるかも」と安易に考えてはいけない。「確定診断」の根拠が曖昧なままでは、保険会社も保険金を支払うのは難しいからだ。

■保険金の支払い条件はかなりハードルが高い

インターネットでは、血液検査で認知症が早期発見できる「MCIスクリーニング検査」を勧めている医療機関のサイトがヒットする。この検査によって「診断」がつけば保障が下りるかもしれないが、この検査費用は健康保険の利かない自費で、その相場は安くても2万円はかかるようだ。

保険のシートをチェック
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

すなわち「診断」のための検査に2万円を払って診断がついても、受け取れる保険金はたったの5万円ということになる。専門医を探しまわったり、自費検査で診断をつけたりして、やっと5万円の保険金。それでも加入しようと思う人は果たしてどのくらいいるだろうか。

残りの保険金の支払い条件にも疑問符が付く。ある大手保険会社の商品では、「所定の認知症」の定義を「『認知症高齢者の日常生活自立度判定基準』がIII、IV、Mのいずれかと判定されている状態」としている。厚生労働省が定めている基準だが、これはかなりハードルが高い。

この基準におけるIIIとは「日常生活に支障を来たすような症状・行動や意思疎通の困難さがときどき見られ、介護を必要とする」もの、IVとはこれらの困難さが「頻繁に見られ、常に介護を必要とする」もの、さらにMは「著しい精神症状や問題行動あるいは重篤な身体疾患が見られ、専門医療を必要とする」もので、最も進行した状態のことである。

■条件の軽さで加入すると負担ばかり増すことに

この商品は、この「所定の認知症」に該当し、かつ「公的介護保険制度の要介護1以上と認定されたとき」を保障の条件としているが、前者の条件に当てはまるような場合は、介護申請すればおそらく要介護1どころではない。

つまりこの広告を見て「要介護1で医師に認知症と言われれば保険金が下りる」などと、介護度の条件の軽さに目を奪われて加入してしまうと、せっかく保険料を払い込んでも、かなり重度の認知症とならないかぎり保険金が支払われず、負担ばかりが増えることにもなりかねないのだ。言葉は悪いが、日ごろ認知症の患者さんに携わっている私の目から見ると、これは釣り広告にも近いもので、たいへんな誤解を招く表現だと感じる。

このような「認知症保険」は売れているのだろうか。近所の保険無料相談窓口に”取材”をかけてみたところ、窓口の相談員は首を横に振った。「正直、売れているとは言ませんね。買われる人は70歳あたりの自営業者など、まだ現役で仕事をしている人が多い印象です。親の介護経験がある方などが、認知症で働けなくなったときのことを心配されているのかもしれません」とのことだった。

公益財団法人「生命保険文化センター」が公表している2021年度「生命保険に関する全国実態調査」によると、認知症保険の世帯加入率は6.6%で、現状ではけっして高くはないようだ。

■民間保険で賄う社会は健全なのか

「5人に1人が認知症」になる時代とはいえ、自分がその1人になるかわからないだけでなく、さらに支払い条件を満たす状況になるのかは、かなり不透明だ。それに対してこれだけ高額の掛け捨て保険料を払い続けるメリットはあるのか。そもそも認知症になるまで、この保険料を払い続けていけるのか。個人的には、その余裕があるなら他に使途があるのではないかと思ってしまう。

そもそも高齢になれば、病気やけがなどで医療費がかかる場面は増えてくる。要介護状態ともなれば、自宅で過ごし続けることが困難となって施設に入るということもあるだろう。

ただ医療にも介護にも現在公的保険制度が存在している。それでもカバーしきれない部分について保険会社は「民間保険で賄いましょう」と商品を開発、販売しているのだろうが、果たしてそれは社会の仕組みとして健全なものと言えるだろうか。

私はそうは思わない。医療も介護も、超高齢社会となった昨今の日本において、ややもすると「お荷物」、無駄な出費とされがちであるが、それは大きな間違いだ。これらは、この国に生きるすべての人において当然に必要不可欠かつ最重要なインフラであって、けっして削られるべきものではない。

■自己責任化が進む日本の末路

そればかりではない。これらは、けっして財力の多寡で受けられるサービスに差を生じさせてはならないものだ。私たちは法のもと平等であり、その生存権は憲法第25条で国家が保障するよう規定されているはずだ。国家がその責任を放棄し、あとは自己責任と自助努力でなんとか賄えという社会は、あまりにも冷たく歪んでいるとは言えないだろうか。

この「認知症保険」について言えば、これだけ高額な保険料を掛け捨てで支払える財力の無い人にとっては別世界の商品である一方で、支払える財力のある人にとっては、わざわざ買わなくても良い商品だ。

この商品は、まさに国家が負うべき責任を放棄してきた現状、社会が生み出したものの典型とも言えるのではなかろうか。いや、むしろこの商品は、私たちに公的保険制度とはなにか、そして自助・自己責任社会に突き進む「臨死期の民主主義国家」のもとで企業がいかなる商売を生み出すのかについて考える機会を与えてくれる“教材”としては、案外「スグレモノ」と言えるのかもしれない。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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(医師 木村 知)

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