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都内最大級の再開発事業で大揺れ…明治神宮外苑で年月を経て"神々"になった大樹を易々と伐採していいのか

プレジデントオンライン / 2023年7月14日 11時15分

事業者は樹木は極力、保存するというが…… - 写真=iStock.com/show999

■神宮外苑の「ご神木」をそうやすやすと伐採できない

明治神宮外苑の大規模再開発事業を巡って、騒動が起きている。多くの樹木を伐採し、ビルやスポーツ施設などを建設する計画に、住民や文化人らが反発しているのだ。環境影響評価の内容が不十分として、認可を出した東京都を相手に、住民訴訟も起きた。

本来、神宮外苑は宗教施設である。再開発の背景には、外苑の大部分を所有する明治神宮の、財政上の理由があると考えられる。他方で神宮外苑の大樹は、長い年月を経て「神々」となった。「ご神木」はそうやすやすと、伐採できないはずではあるが……。

神宮外苑とは北は新宿御苑、西は千駄ヶ谷、東は赤坂御用地、南は青山通りに囲まれた広大なエリアを誇り、新宿区、港区、渋谷区の3区にまたがっている。内苑にあたる明治神宮本体に対し、外苑は500メートルほど東に離れた飛地になっている。有名なのは、晩秋に黄色に色づく美しい銀杏並木だ。青山通りからの眺望は、東京の秋を代表する風景になっている。

その、広大な外苑エリアが2030(令和13)年に一変するという。現在の神宮球場・第二球場と秩父宮ラグビー場が入れ替わるような立地構造になり、軟式野球場のある場所にテニス場が移動する。都内でもこれだけ大規模な再開発は、そうあるものではない。

近年には大手町や日本橋エリアなどでも大規模再開発事業が行われ、渋谷エリアは現在進行中である。だが、こうした商業地と神宮外苑の開発が一線を画すのは、外苑には長年かけて育った多くの樹木があることだ。

再開発では3メートルを超える樹木は700本以上、低木を含めればおよそ3000本の樹木が伐採される予定という。

計画に周辺住民らは「歴史的な木が伐採され、景観を損ねる」「説明が不足している」などとして反発している。今年3月に亡くなった音楽家の坂本龍一氏や作家の村上春樹氏らが、神宮外苑の再開発に反対を表明して、話題になった。

事業者は、樹木は極力、保存し、移植に努めると主張する。同時に、新しく植えることで全体の本数は増やすというが、本数の問題ではない。年月を経て育った巨木と、新植の木とはまったく意味合いが異なる。森林において木の数が多いということは、未成熟の森ということ。最初はスギやヒノキなどの針葉樹が中心の森の樹木は淘汰(とうた)を経て、数を減らし、最終的にはクスノキやカシなど広葉樹の巨木が立つ成熟した森となる。

■広大な外苑の「土地所有者」は誰なのか

この外苑の「土地所有者」は、あまり知られていない。周辺施設を見渡す限り、国や東京都、特別区あるいは企業が区分所有しているようにみえる。だが、エリアの大部分は、宗教法人明治神宮が保有し、管理しているのだ。

明治神宮が保有している土地は、聖徳記念絵画館のほか、道路部分などを除く銀杏並木、神宮球場、神宮第二球場、ヤクルトクラブハウス、神宮外苑室内テニスコート、神宮外苑ゴルフ練習場、スケート場、など外苑の大部分を占める。

明治神宮外苑アクセスマップ
明治神宮外苑アクセスマップ ©MEIJIJINGU GAIEN

秩父宮ラグビー場、ラグビー場東テニス場は独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)の所有。東京体育館は東京都の土地だ。新国立競技場はJSCと東京都、新宿区などが所有する。

神宮外苑の多くの土地が、明治神宮に帰属する理由は、明治天皇の崩御時にさかのぼる。神宮外苑は、明治天皇崩御後の1920(大正9)年に創建された内苑に続き、同天皇と昭憲皇太后の遺徳を後世に伝えるために1926(大正15)年に造られた。

外苑の中心的建造物は聖徳記念絵画館(重要文化財)で、旧青山練兵場跡に国立競技場(旧陸上競技場)や神宮球場などのスポーツ施設が造成された。当時は国家神道体制の時代だったので、まさに国策として神宮内苑と外苑が造成されたのだ。

内苑および外苑は、戦後の宗教法人法の下に宗教法人明治神宮の所有となり、明治記念館や神宮球場などの施設の事業収入(宗教法人の収益事業)を得る収益構造になった。つまり、内苑は初詣などの賽銭や各種儀式などの宗教活動収入が主たる収入であるのに対し、明治神宮全体としての屋台骨は外苑における事業収入というわけだ。

『週刊ダイヤモンド(2016年4月16日号)』によると、神宮全体の収入は140億円程度としている。内訳として、明治記念館とグループ会社の売り上げで合計64億円。外苑の事業総収入はベールに包まれているものの60億円程度(2010年)という。

つまり、宗教活動収入はおよそ12%に過ぎず、残りの86%を収益事業で賄っていることになる。直近の詳細の数字は、週刊ダイヤモンドの見立てとは多少は異なっていると考えられるが、明治神宮が外苑の収入に大きく依存している構造は変わらないだろう。

神宮内苑は本殿や神楽殿などの宗教建築物のほか、広大な杜や参道の整備・管理、さらには人件費などの固定費に莫大な費用がかかる。賽銭、祈願、お札の販売などでは到底、賄い切れるものではない。外苑がなければ、明治神宮はとっくの昔に経営破綻していることだろう。

それでなくとも明治神宮は近年、コロナ禍における結婚式事業の苦境、参拝数の激減など、厳しい局面に立たされているとみられる。外苑を再整備して、付加価値を高め、収益を増やしていきたい考えだ。

■「ご神木を切れば災いが起きるかもしれない」

明治神宮は、大都会における緑のオアシスであり、祈りの場である。健全な経営体質を維持し、持続可能な神社として未来永劫(えいごう)、継承していかねばならない日本の財産である。そのための再開発事業自体は、否定しない。

問題は、外苑の杜の保全をどうするかだ。外苑に植えられた樹木は182種、約3万4000本に及ぶ。ちなみに銀杏並木は1923(大正12)年に植栽されたものである。ゆうに1世紀を経なければ、実現しない景観なのだ。

しかも神宮外苑の緑は、ただの林ではない。いわゆる、神社における「鎮守の杜」である。鎮守の杜に育った大木は、自然崇拝の対象となる。樹木そのものが神の依代(よりしろ)(神霊が寄り付く対象物)となるのだ。

したがって、各地の神社境内の巨木にはしめ縄が張られ、崇められている。都市開発だからといって、おいそれと伐採できる性質のものではない。

たとえば、大阪府寝屋川市にある京阪電鉄萱島駅では、地上から推定樹齢700年のクスノキの大木がホームのコンクリートの床と天井を貫いて生えている。このクスノキはガラス壁で覆われている。一切、クスノキを傷つけないように駅舎が建てられているのである。幹にはしめ縄がかけられ、「クスノキに寄せる尊崇の念にお応えして、後世に残すことにした」との看板が置かれている。

1972(昭和47)年、京阪電鉄は高架複々線工事に着手、萱島神社のあった場所にホームが移動することになった。クスノキは伐採される予定だったが、住民運動が起きて保存されることになった。この際、「ご神木を切れば災いが起きるかもしれない」などとの噂が立った。

クスノキがホームを貫く萱島駅
撮影=鵜飼秀徳
クスノキがホームを貫く萱島駅 - 撮影=鵜飼秀徳

これは祟りを恐れての措置、と見ることができそうだ。鉄道会社は、常に人命を預かっている。仮にクスノキを切って、その直後に不慮の事故があれば、きっと祟りと結び付けられたに違いない。

もっといえば、大手町の再開発時は、三井物産本社の建て替えの際に、将門塚(平将門の首塚)が手付かずのまま保全された。これは、過去に2度、当地の再開発で将門塚を撤去しようとした際に、多くの関係者が不慮の死を遂げたことが背景にあると察することができる。

三井物産本社工事中、ガラスケースで将門塚が「保護」されている様子
撮影=鵜飼秀徳
三井物産本社工事中、ガラスケースで将門塚が「保護」されている様子 - 撮影=鵜飼秀徳

翻って、今回の神宮外苑の再開発はどうか。事業者たちに、鎮守の杜に対する崇敬の念はあるのだろうか。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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