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毎年2万匹の猫が殺処分されている…野良猫の命を守るため獣医師がマンションの一室で続けていること

プレジデントオンライン / 2023年7月14日 15時15分

茨城さくらねこクリニック内。壁沿いにほかく器が積まれていきます。 - 筆者撮影

「野良猫に迷惑している」という声には、どう応じるべきなのか。獣医師の齊藤朋子さん(通称モコ先生)は「猫の殺処分ゼロ」という目標に向かい、格安で野良猫の不妊去勢手術をうけ負っている。その様子を取材した笹井恵里子さんの著書『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)より、一部をお届けする――。(第1回/全3回)

※本稿は、小学校高学年向けの児童書からの抜粋記事のため、漢字表記などが一般書とは異なります。

■マンションの一室が「病院」になっている

野良猫の手術は、マンションの一室で行っています。

長谷川さんが部屋のドアを開けてくれました。黒ぶちのメガネをかけた長谷川さんはふだん口数が少ないのですが、猫のことになると熱く語り出します。今日はかみを二つに結び、ピンク色のエプロンを身につけて保育士さんのようです。

室内は猫の鳴き声の大合唱。

にゃーおー。にゃーにゃにゃー。

ここは1階がキッチン付きの10畳程度の一部屋、2階は荷物置きとして二部屋を備える、メゾネットタイプのマンションです。野良猫の手術を行うためだけの場所なので、病院としての看板は出さず、待合室などもありません。でもちゃんと茨城県の家畜保健衛生所に開設届を提出し、茨城さくらねこクリニックという動物病院として正式に認められているのです。

■車の後部座席に、大量のほかく器を積み込む

1階室内のすみに、ボランティアさんが運んでくるほかく器がどんどん積み上げられていきます。ひとつのほかく器は長さ60センチ、はばと高さが30センチくらいの縦長の形で、ここに猫が入っています。大きな猫だと1匹入ればきゅうくつそう。地域のボランティアさんがこのほかく器のおくのほうにえさを入れて、えさにつられた猫が中の板をふむとパタンと入り口が閉まるワナをしかけ、野良猫をつかまえているのです。

「お願いします!」

玄関で大きな声がしました。いつも自宅周辺で猫をつかまえて石岡市まで運んでくれる目黒嵩さんです。70代とは思えないほどピンとのびた背筋、しっかりした足取り。目黒さんは市外から車で高速道路を30分程度走って来てくれます。今日も車の後部座席や助手席に猫のほかく器が大量に積まれていました。

「まだまだモコ先生に手術をお願いできていない猫がウロついているんだよなぁ……」

目黒さんが猫が入ったほかく器を手わたしながら、つぶやきます。それを横で聞いていた長谷川さんは、ほかく器を受け取りながら厳しく言いました。

「もう一年もやっているのに、ね。つかまえ方がヘタなのよ」
「でもつかまえる人同士でも温度差があってなあ……。熱心でない人は正しいやり方の説明をちゃんと聞いてくれないし……」

ため息をつき、かたを落とします。野良猫は一人でつかまえているのではなく、複数の人で協力してつかまえているのです。

■「野良猫が多い。自治会で何とかしてもらえないか」

目黒さんはおよそ700世帯が暮らす団地住まいで、その地域を束ねる自治会の会長を務めています。団地に古くから住むお年寄りの方はこれまで、野良猫の存在を気に留めていませんでしたが、最近引っこしてきた若い人たちから「野良猫が多い。自治会で何とかしてもらえないか」と言われたそうです。

「“何とか”と言われてもなあ……」と、目黒さんはずいぶん頭をなやませました。そして行政では野良猫に対してどのような取り組みをしているのか、調べてみたのです。その時「TNR」という言葉が目に入りました。

TNRとは、
野良猫をつかまえて(トラップ/Trap)
不妊手術(ニューター/Neuter)を行い、
元の場所にもどす(リターン/Return)の略で、一代限りの野良猫の命を地域みんなで見守る活動のことです。

目黒さんはこれだ! と思いました。

(団地には猫好きな人ときらいな人がいる。えさをあたえる人もいれば、水を入れたペットボトルを家の前に置いて猫を追いはらう人もいて……だから、となり近所のけんかのもとにもなる。まず有志のメンバーで団地内の猫をつかまえて不妊去勢手術をし、団地内にもどす。猫の数はそれ以上増えないようにして、その限られた猫をみんなで見守るということができないだろうか)

そうして目黒さんは石岡市でTNR活動にはげむ長谷川さんと知り合い、手術日に合わせて団地内の野良猫をつかまえ、手術を受けさせるようになりました。

■手術代はオス7000円、メス1万円

そう、モコ先生が行うのは、この「不妊去勢手術」です。オスなら精巣、メスなら卵巣などの生殖器を切除します。手術をすると、オスはメスを妊娠させることがなくなり、メスは妊娠しなくなります。つまり「子猫」が生まれなくなるのです。

手術費用については2023年現在、助成をしている自治体が増えています。ここ茨城県なら、野良猫に対する不妊去勢手術代としてオス7000円、メス1万円の助成金が出ます。自治体の助成金でまかなえれば、野良猫をつかまえた人が手術代を負担する必要はなくなります。

撮影=今井一詞
手術中のモコ先生。 - 撮影=今井一詞

とはいっても本来、飼い猫であれば2万~3万円はかかる手術です。獣医師にとっては通常よりはるかに安い額でうけ負わなくてはなりません。

しかも速く正確にこなせるうでも必要です。朝は、目黒さんのようなボランティアさんたちが続々と、石岡市のこのマンションに野良猫を預けにきます。そしておむかえにくる夕方までに、手術を終えなければなりません。手術後は飼い猫ならゆっくり療養できます。でも野良猫の場合、手術日のみ猫をつかまえたボランティアさんが預かるものの、翌日には元の場所にリターン。この先も屋外で元気に生きていけるように、猫の体に負担なく手術を行える技術が必要なのです。

今日はモコ先生の他二人の獣医師、青山千佳先生と満川映美子先生が手伝ってくれることになりました。

青山先生もモコ先生と同じくショートカットですが、クールな印象です。でも猫にさわる時は、目じりが下がってとっても優しい表情。動物が大好き、という想いがにじみでています。

満川先生はモコ先生の手術を見て勉強中とのこと。ていねいに「初めまして」のあいさつをしてくれて、大きな目ではつらつとした風ぼうです。

■ちょっとでも人の手が近寄るとカゴの中で暴れる

「よし! 入った‼」

モコ先生は思わずさけびました。まずはほかく器にいる猫たちに注射器で麻酔(鎮静剤)を投与するのですが、これがとても難しそう。野良猫は警戒してシャーシャーと鳴き、ちょっとでも人の手が近寄るとカゴの中で暴れるのです。

「失礼しますー。ごめんねー」と言いながら、モコ先生はほかく器の中の猫と目を合わせつつ、右手を猫の後ろ足のほうにもっていきます。静かに静かに、ほかく器ごしに注射器をブスリ。うまく入ると「よし!」とひざをたたき、猫が注射器からすりぬけてしまうと「あー」と、顔をしかめます。

手術前に毛をそるモコ先生
筆者撮影
手術前に毛をそるモコ先生 - 筆者撮影

もちろん猫にとっては、えさを食べようとほかく器に入ったとたん、カゴのとびらを閉められて、よくわからないこんな部屋に連れてこられたのですから、きょうふでしかないでしょう。

鎮静剤がうまく入って10分もすると、猫の目はトロンとしてきます。そしてもう一度、麻酔(筋弛緩(しかん)剤)を打ち、さらに感染対策のための抗生剤も投与。麻酔が効いている時間はおよそ40分です。この間にすべての作業を終わらせなければなりません。しっかりねむったことを確認してから、メスはおなか、オスはこう丸の毛がりをします。ここは地域のボランティアさんが作業することも多いんですよ。

■レントゲンやエコーなしで卵巣を探り当てる

それが終わると、今度は猫の耳先をVの字にカット。手術をした猫の目印です。V字に耳をカットした猫を“さくらねこ”と呼びます。痛そうに見えますか。麻酔をしているから大丈夫だと思いますが、本当のところは猫に聞いてみないとわかりません。

「でも、だれもがわかる目印がないと、手術済みの猫がまたつかまって麻酔をかけられてしまいます。最悪の場合、メスでは再度おなかを開ける手術になってしまうんですよ」

モコ先生は、地域の人たちにくり返し説明します。

そしていよいよ手術。

モコ先生の手術は、速いです。手術時間は、オスなら1分、メスの場合も10分以内。獣医師の間でも、「速くて傷口が小さい」と評判です。

大きく切れば獣医師としては見やすいけれど、縫合に時間がかかるし、麻酔の量もたくさん必要になって、猫に負担がかかってしまう。だからできるだけ傷口は小さく、出血は少なくなるように、とモコ先生はいつも思っています。レントゲンやエコーなど何もない状況で二つの卵巣を探り当てなければなりませんが、モコ先生はまるでそこにあることがわかっているかのようにうでを動かすのです。

■オス・メス2匹を3年放置すると2000匹以上になる

きっと猫たちだって手術はいやだと思っているにちがいありません。不妊去勢手術なんてしたくない、赤ちゃんを産みたいと思っているでしょう。

オス・メス2匹の猫がいたとして不妊去勢手術をしなかった場合、一年後には20匹以上、二年後には80匹以上、三年後には2000匹以上に増えると環境省が試算しています。

ですから、昨年一年間にモコ先生たちが石岡市で手術した2700匹も、その半分がメス猫として×20匹が生まれると考えると、ものすごい数の野良猫になったことでしょう。

地域で野良猫が大量に繁殖してしまうと鳴き声がうるさい、ふんにょうがきたないなど住民の苦情が増えていきます。そこで行政が保護施設に猫を収容することになるのですが、一定期間引き取り手がいないとなると、猫たちは殺処分をされる運命なのです。行政の職員が箱の中に二酸化炭素ガスを充満させ、猫を窒息死させます。

■毎日65匹の犬・猫が殺処分されている

悲しいことですが、2020年度(2020年4月1日から2021年3月31日)は約2万匹の猫、約4000匹の犬が全国の自治体によって殺処分されました。みなさんはこの数をどのように感じるでしょうか。

モコ先生が生まれた年はぐうぜんにも、殺処分数が統計され始めた1974年。当時は年間120万匹もの犬猫が殺処分されていました。このころはペットとして「犬」を飼う人が多く、“飼えなくなった人”たちが保健所に飼い犬を持ちこんでいたので犬の殺処分が多く行われていました。また、かみつき事故防止や狂犬病(※)予防の観点から、街中に犬がいれば行政の職員がそくほかくする必要がありました。飼い主がいない状態、「野良犬」としての存在は認められなかったのです。

※筆者註:狂犬病ウイルスは、本来犬だけでなく猫やコウモリなどの野生動物ももっている可能性がありますが、アジアやアフリカでは野良犬から多く感染しています。人が狂犬病ウイルスに感染し、発症すればほぼ100%死に至ります。けれども動物にかまれたり引っかかれたりして感染の疑いがある場合は、すぐに傷口を洗浄し、直後からワクチン接種など適切な治療を受ければ発症をおさえることができます。日本では最後の狂犬病発生例が犬1956年、猫1957年で、それ以降発生はありません。

野良犬のほかくには厳しかった一方で、野良猫の繁殖は、長年放置されてきました。最近野良犬が少なくなったので、今ようやく野良猫に目が向けられるようになったのです。

現代ではペットとしても猫ブームですから、飼えなくなった人が保健所に持ちこむ動物も猫が増えています。

120万匹もの殺処分数に比べれば、現在の約2万4000匹ははるかに少なくなったといえます。実際に殺処分数も、ここ数年は毎年「過去最少」。それでも一日に換算すると、毎日65匹が殺されていることになります。なかでも殺処分された猫2万匹のうちの多くは子猫。その数、1万3000匹です。つまりは「望まれていないのに、生まれてしまった子猫たち」ということです。

■猫を増やさなければ、殺処分は少なくなる

石岡市に住み、ここでモコ先生を招いてTNR活動を続ける長谷川道子さんは、「『いらない』といわれる猫を減らしたい」と言います。

「かわいいかわいいと言って、無計画に子猫を産ませる人が少なくありません。でも、そういう人は猫をちゃんと育てているように見えない。いずれ大きくなると、いらないと街中や山中にぽんと捨ててしまうこともあるでしょう。だから、まずむやみに猫を増やさないことですよね。そうすれば殺処分は少なくなるのではないでしょうか。ここで『猫の不妊去勢手術を行います』と告知すると、たくさんの野良猫が運びこまれてきます。地域のみなさんは増えすぎた猫に困っているんだなと思います」

笹井恵里子『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)
笹井恵里子『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)

モコ先生もまた、不妊去勢手術を続けることこそが殺処分ゼロへの道と信じています。

(殺処分の数を減らすには野良猫に「不妊去勢手術」を行い、望まれない命・子猫が生まれないようにする必要がある。それは殺処分数がゼロになるまでやり続けなければならない。殺処分数がどんなに少なくなっても、たとえ1匹になっても、その1匹は殺されるんだから、その1匹の身になったらゼロを目指さなきゃいけない)

モコ先生はなぜそのように考えるようになったのでしょうか。それは幼いころから動物といっしょに生きてきたからです。かたわらにはいつも生き物がいたのです。

動物たちに囲まれて育ち、かれらを治したくて獣医師になったモコ先生。その原点をのぞいてみましょう。(続く。第2回目は15日土曜10時に公開予定)

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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