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私は猫を助けたかったのに…3万匹以上の手術をこなしてきた女性獣医がいまでも悔やむ"ある失敗"

プレジデントオンライン / 2023年7月15日 10時15分

「茨城さくらねこクリニック」の手術件数。2022年は合計2713件に上った。 - 筆者撮影

獣医師の齊藤朋子さん(通称モコ先生)は「猫の殺処分ゼロ」という目標に向かい、格安で野良猫の不妊去勢手術をうけ負っている。これまで行ってきた3万匹の手術のなかには、悔やまれる失敗もあったという。笹井恵里子さんの著書『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)より、一部をお届けする――。(第2回/全3回)

※本稿は、小学校高学年向けの児童書からの抜粋記事のため、漢字表記などが一般書とは異なります。

■「モコ先生、やっぱり先週の猫、ダメでした」

獣医師であれば、一日に1~2匹の不妊去勢手術を行うことは練習によってそれなりにできるようになります。けれども野良猫を対象にした時、「一日の手術数」が大きなかべになるのです。一日に何十匹も手術をしていかなければ繁殖スピードをこえられず、野良猫の数が減らないのですが、モコ先生ほどの経験を積んでも一日に30匹以上も手術を行うのは大変なことでした。

茨城さくらねこクリニックでも、こんなことがありました。

「モコ先生、やっぱり先週の猫、ダメでした」

いつものように猫の手術を行うための準備をしていると、ボランティアの長谷川道子さんが近寄ってきて、そう言いました。モコ先生は長谷川さんの目を見つめ返します。

「ダメでしたって……あの妊娠中の猫のこと?」

モコ先生の問いに長谷川さんは顔を強張らせます。それから小さく首を縦にふり、視線を下に落としました。そして、

「次の日、冷たくなっていたんです」

聞き取れないほど小さな声で言いました。しばらくして顔を上げると、ぎこちない笑みをうかべています。

「じゃあ先生、今日もよろしくお願いします。私はあちらで準備しているので」

長谷川さんがかけていく後ろ姿を見送りながら、モコ先生はほおに温かいものが流れ落ちていくのを感じました。「またか」と思いました。またやってしまった。ポタン、ポタン……着がえのために手にしていたモコ先生の手術着に、水玉模様のような円いシミが次々にできていきます。

■たった一人で1日に30匹も手術する

あれは一週間前のこと。その日もこの石岡市の「茨城さくらねこクリニック」の一室にはボランティアさんがたくさんの猫を運びこんでいました。今日も獣医師一人あたり30匹の猫を手術しなければいけません。午前9時から麻酔を打ち始め、どんどん手術に取りかかりますが、15匹くらいの手術を終えると、どの先生も顔に疲労の色がにじみでます。それはそうでしょう。普通の動物病院なら助手の人もいるのに、ここでは各先生がたった一人で30匹もうけ負うのです。

(足がつかれたなあ。おなかも空いた。座って、あまいものでも食べたいなあ)

その日、お昼を過ぎたころ、モコ先生は手術をしながらそんなことを考えていました。目の前に横たわっている猫は妊娠していたので、より慎重に手術を進めなくてはいけませんが、モコ先生は自分の右手がいつもより動きがにぶいのを感じていました。

(つかれた……でもまだたくさん手術がある。がんばらないと。ボランティアさんがおむかえに来る前に終わらせないと)

■「先生、おしりから血があふれています!」

気を引きしめて、妊娠している猫の子宮を摘出した後の血管をていねいにしばり直しました。そう、たしかに血管をしばったのです。ところが……。

「モコ先生、この猫、おしりから血があふれています!」

手術後30分ほどして、ボランティアさんがさけびました。

「だれかここにタオルを……」

数名のボランティアさんたちがあわただしくタオルでおしりをおさえます。モコ先生はちらりとそちらに目をやりましたが、それほどひどい状態とは思いませんでした。

(少しおさえていれば血は止まるだろう)

そう思い、だまって他の猫の手術を続けました。すると「モコ先生……」と、だれかがとなりに立ち、えんりょがちにささやきました。

「血が止まらないんです。みていただけませんか」

モコ先生が横を見ると、ベテランのボランティアさんが泣き出しそうな顔をして猫を指差します。異常を察知したモコ先生は、すぐに猫のもとにいってひざまずき、おしりにあてられていたタオルを外しました。真っ赤な血があふれてきます。

手術の様子
筆者撮影
手術の様子 - 筆者撮影

(再手術だ)

そう決断しました。つい先ほど縫合した箇所と同じ場所に手術のメスを入れます。猫のおなかを開けました。中は血の海です。どこかに出血している箇所があるはず……モコ先生は目をこらして探しました。

■再手術の翌日、冷たくなっていた

(ここだ)

子宮を摘出した近くの血管から血が出ていることをつき止めました。結んだはずの糸から血管がすりぬけてしまったのでしょう。もう一度しっかり結びます。

(これで大丈夫)

あの時、たしかにそう思ったはず。けれども猫は翌日に冷たくなっていた――モコ先生の胸が激しく痛みました。

笹井恵里子『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)
笹井恵里子『野良猫たちの命をつなぐ 獣医モコ先生の決意』(金の星社)

「おはようございます!」

その時、先週死んでしまったメス猫を連れてきたボランティアの女性がやってきました。今日はまた別の野良猫を連れてきたようです。モコ先生は、女性の前に歩みより、「先週はごめんなさい」と頭を下げました。

「おなかの中で糸がほどけてしまったみたいで……」

モコ先生の目からまたなみだがあふれます。

「先生、大丈夫ですから。顔を上げてください」

ボランティアの女性が言います。

「そうですよ」

長谷川さんも口をはさみます。

「“こんな病院なんで万が一のこともありますから”って私が説明しているんですから」

■丁寧にできていれば、死なずに済んだはずなのに

こんな病院とはひどい言葉と感じるかもしれませんが、ゆったりとした動物病院ではなく、野良猫相手に格闘する「野戦病院」だと言いたかったのでしょう。

モコ先生は顔を上げ、二人の顔を代わるがわる見て「ごめんなさい」と再び言いました。

「あり得ないこと。あってはならないこと。これから糸がほどけないようなやり方に変更しますね」

これまで妊娠している猫の子宮を摘出する際、モコ先生は子宮けい部と血管をまとめてしばるようなやり方をしていました。まずしばってから子宮を摘出するのですが、妊娠中は子宮が大きくなり、胎児に栄養と酸素を送るため血管も太くなるので、何かの拍子に糸がゆるくなってしまうと、子宮切除後に結び目から血が止まらなくなってしまいます。そこで一括でしばるのではなく、子宮けい部と血管、それぞれをしばることにしました。子宮けい部2カ所と、さらにそのすぐ上の左右の血管をしばり合計4カ所にしたのです。

(私が最初から4カ所留める、ていねいな手術のやり方をしていたら、あの猫は死なずに済んだのに……)

手術中のモコ先生。
撮影=今井一詞
手術中のモコ先生。 - 撮影=今井一詞

■それでもスピードは落とせない

「今までこのやり方で大丈夫だったから」――そんな“おごり”があったのではないかとモコ先生は自分の胸に問いかけました。たくさんの手術をしている、つかれているなんて言い訳にもならないと思いました。考えるほど自分に腹が立ちます。

(『そんな手術じゃダメだ』って周りの先生に指導してきた自分がこんな失敗するなんて。猫を助ける人間が殺してしまうなんて。情けない。何より猫に申し訳ない)

なんのために不妊去勢手術を続けているのかと、改めてモコ先生はふり返りました。それは望まれない命が生まれないように、殺処分ゼロにするためです。そのために始めた手術なのです。猫の命がかかった手術の失敗は許されません。でもそれをおそれてこの手術のスピードをゆるめることもまたできないのだと、モコ先生はこぼれ落ちるなみだをゴシゴシと手でぬぐいました。(続く。第3回は7月16日午前10時公開予定です)

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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