わずか2部屋で猫が64匹に異常繁殖…多頭飼育崩壊を起こした「ゴミ屋敷の女性住人」が獣医に話したこと
プレジデントオンライン / 2023年7月16日 10時15分
※本稿は、小学校高学年向けの児童書からの抜粋記事のため、漢字表記などが一般書とは異なります。
■「人が住んでいない借家で猫が繁殖している」
最近は各地で「多頭飼育崩壊」という現象が起こっています。ペットを多数、不妊去勢手術など行わないまま無計画で飼った結果、飼い主の予想をこえて異常繁殖してしまうのです。えさ代などがかさんで経済的にも行きづまり、室内はペットのふんにょうが垂れ流しになったり、共食い、害虫などの発生が起きたりなどひさんな状態になってしまうことが少なくありません。ペットを飼っている人だけでなく、ペットショップにペットを納入する繁殖業者のブリーダーや犬猫を保護していた人が多頭飼育崩壊にいたってしまうこともあるのです。
モコ先生も、そういった事例にいくども関わったことがあります。2023年最初の茨城での手術のあとも、多頭飼育崩壊の場所から保護した猫たちにワクチンを打つ仕事が入りました。その件は、茨城さくらねこクリニックを管理する長谷川道子さんのもとへの電話から始まりました。行政から「借家に猫が繁殖していて近隣から苦情が寄せられています。中にもう人は住んでいないようですが」という連絡が入ったのです。長谷川さんを中心としたボランティアさんたちと行政がほかく器を設置して猫をつかまえました。
■二部屋だけの室内に、なんと64匹も
二部屋だけの室内に、なんと64匹もの猫がいたのです。保護しても、これだけの数の猫を置いておく場所がありません。長谷川さんはインターネットで寄付金をつのり、集めたお金で倉庫のような広い場所を借りました。
「1匹なら適切に飼えただろうに60匹って……」
モコ先生がワクチン接種に向かう車中でため息をつきます。これこそ動物を飼う資格があるように思えませんでした。
猫のいる場所にはボランティアさんが待機しています。1月の茨城はストーブをたいても、コートを着ていないと身ぶるいするほど室内が寒いです。猫たちは1~2匹ずつケージに入っていました。えさは十分にあったのかやせ細った猫はおらず、どの猫もころころとしています。けれども人への警戒心がとても強く、ちょっとケージに手を近づけるだけでバタンゴトンと、中で大暴れ。
「ちょっとごめんねー」
モコ先生がケージの外から注射針を打とうとすると、猫が大きく暴れたので水を入れた皿も、えさもひっくり返ってしまいました。あたりがびしょびしょです。いっしょにチャレンジする青山先生、満川先生も大苦戦。
ケージの上から布のカバーをかけて少し暗くし、猫を少し落ち着かせてから1本1本打っていきます。
「あ─!」
「そっちいった、満川先生お願いします」
「いやだよねー、ごめんね」
先生たちは手をかえ品をかえ、猫に近づこうとします。すべての猫に打ち終えるのに、いつもの倍くらいの時間がかかってしまいました。
■多頭飼育崩壊を起こした「ゴミ屋敷」
この場所の近くに猫が育った、多頭飼育崩壊を起こした家があるというので、みんなで見に行くことにしました。
ベニヤ板のようなもので作られた平屋でした。外には段ボール箱やビニールぶくろが山積みされていて、いわゆるゴミ屋敷といっていいような外観です。
中はもっとひどい状態でした。
ちぎれた衣類やどろ、土でゆかがうまり、くつをぬいで上がれるような環境ではありません。室内には二部屋あり、真ん中にあったであろう戸は破られ、わく組みだけがそこに残っています。
台所にはカビがびっしり。冷蔵庫やレンジの前は物が積み上がっているので使用できなかったことでしょう。
夫婦で住んでいたようですが、事情があって夫が出ていき、残された妻である女性が管理できず、このような状態になってしまったとのこと。女性もしばらくすると、この家を出ていき、外から中をうかがっていたようです。
ある日、行政に「猫のえさが足りない」という連絡が入り、よくよく話を聞いてみると、室内で異常繁殖しているらしいことがわかりました。
■「室内での多頭飼育」か「屋外での野良猫生活」か
いったい女性はどんどん増えていく猫たちを見て、何を思っていたのでしょうか。
室内でぎゅうぎゅうに暮らす猫たちと、屋外で寒さや飢えにたえながら暮らす野良猫たち――みなさんは猫にとってどちらの環境が望ましいと考えるでしょうか。
モコ先生が茨城さくらねこクリニックにもどると、長谷川道子さんが電話口に向かって大きな声で話していました。「ですから!」と強い口調で言っているところを見ると、何度か同じ内容の話をくり返しているようです。
「人といっしょに暮らしていくことが本当によいことなのか、考えてください。『えさやりさん』がいる猫を家の中に入れなくても、ふだんは外で過ごして、時々えさやりさんにお世話してもらう形のほうがいいこともありますよ。それに譲渡会に出しても、必ず新しい飼い主さんが見つかるわけではないんですよ」
しばらくして電話を切ると、「まったくもう、譲渡会に出しさえすればいいと思っているんだから」と、長谷川さんがつぶやきます。
■20匹近くの猫を引き取っていくボランティアもいる
TNRは野良猫をつかまえて不妊去勢手術を受けさせ、また元の場所にもどすことが基本です(第1回記事参照)。けれども一時的に猫を預かっているうちに、このまま室内で人と暮らしたほうが猫も幸せなのではないかと考える人もいます。でも、自分のところでは飼えない。だから新しい飼い主を見つけるため、譲渡会に出したいという相談でした。こういった相談はよくあるそうです。
「長谷川さんの言うとおりだと思うよ。えさやりさんがいるなら、ね」
と、モコ先生。えさやりさんとは、定期的に野良猫にえさをあげる人のことです。
長谷川さんは顔を上げてこう言います。
「ここは東京とちがって田舎なので、外でえさをもらう生活ができるなら、そのほうが猫にとって幸せじゃないかなって私は思うんです。人が好きでもないのに家の中できゅうくつな思いをしながら生活するなんて、そちらのほうがかわいそうですよ」
夕方になると、野良猫を預けたボランティアさんたちが車で猫を引き取りにきます。60代後半のある女性は、手術を終えた20匹近くの猫を引き取っていきます。
「他の人がつかまえた分も私がまとめて引き取りにきたんですよ」
60代の女性が猫を運びながら、長谷川さんに説明します。
「自宅の近くではしょっちゅう車に子猫がひかれていてね。春が近くなるとオスがメスを探して動き始めるから、その前に少しでも多く手術を進めようと思って」
■「えさやりさん」の心の中
戦中戦後を生きぬいてきた高齢者は野良猫を見ると、かわいそうとご飯をあげたくなり、えさやりさんになってしまうのではないかと、長谷川さんは推察しています。えさやりさんは、自分がえさをあげていた野良猫が子猫を産むとどうしようとなやみ始めます。
そんな時に長谷川さんのような人が手術の必要性や、自治体などの助成金を使えばほぼ無料で手術ができることを説明すると、納得してくれるのです。高齢者でもちゃんとつかまえて、ほかく器に入れて猫を連れてきてくれます。自分が年だし、猫より先に死んだら世話ができないから、これ以上猫が増えないように、という思いでやっているようです。不妊去勢手術をすればえさをあげても、もう繁殖しませんからね。
女性が乗る車の後部座席からは、ミャーミャーの大合唱。「ちょっと待ってねー」と、女性は猫に話しかけながらケージをせいとんしています。全部で20ケージはありそうです。まだ入りきらないケージがあるので今度は助手席にも積んでいきます。
女性が運転席に座るとバックが見えないのではないかと思うほど、車の中は猫が入っているケージでぱんぱんになりました。
「それじゃ、安全運転で帰りますね」
女性は言って、去っていきます。
■ほんとうの理想はTNRのいらない世界
TNRはよい方法のように感じますね。でも青山先生は「いずれはリターンをなくしたい」と打ち明けます。
「殺処分はもちろん、TNRがない世界になるといいな。すべての猫が人に譲渡できたらいいよね。それが難しければ、せめて安くないと医療が受けられない野良猫でなく、みんなから見守られる地域猫でいてほしいなあ」
その根底には「野良猫も飼い猫も同じ命」という思いがあるのです。
「私は野良猫だけじゃなくて、普通の飼い猫のオペもするし、高度医療も行う。動物が好きだから、どの子(猫)も大切。野良猫にも、みんなで平等にお金をかけて助けようよ、って思うんです。だって私たちがその子たちを路頭に迷わせたのですから」
■「お金を払えないなら何もできない」
人が野良猫にどこまで関わったらいいのか、正解はありません。
モコ先生は、一人の人が全部やる必要はなく、できることをしたらいいと考えています。ずっと忘れられない出来事があるのです。
mocoどうぶつ病院を開院する前に、アルバイトで短期間働いていた病院でのこと。その動物病院は純血種の犬を連れてくる人が多いところでした。待合室はいつも大混雑。診察費が高いことで有名でしたが、そのぶんモコ先生のような獣医師をふくめ従業員のお給料にそれが反映されていました。働く人にとっては待遇のよい病院だったのです。
ある日の夕方、小学生くらいの子ども三人がこの病院を訪ねてきました。そのうちの一人が両手に大きな段ボール箱をかかえていて、残りの二人が受付の人に何かを話しかけていました。
するとおくから院長先生が「お金はだれがはらうんだ」と事務員に言っている声が聞こえてきました。費用の相談をするのか、子どもたちは病院の電話を借りて、親と話しているようです。ある子が「うん、うん」とうなずき、うなだれて受話器を置きました。そばにいた二人に視線を移し、首を横にふっています。
「じゃあ何もできないけど、そこに置いていきなさい」
院長先生が受付前に出てきて、子どもたちに言いました。事務員に対してよりははるかにおだやかな声です。子どもたちはうなずき、もごもごと「よろしくお願いします」とつぶやきながら、段ボール箱をゆかに置いて立ち去りました。
■「すみっこの段ボール」がいまも脳裏に焼き付いている
子どもたちがいなくなった後、院長先生は看護師に「すみっこに移動させておいて」と指示しました。今度は冷たい、よくようのない声です。
看護師さんたちがときおり段ボール箱をのぞきこみ、なみだぐみながら何かささやき合っています。モコ先生もそっと近づき、段ボール箱の中をのぞきました。段ボール箱には透明なビニールぶくろがしかれていて、その上に黒い猫が横たわっていました。体には白いつぶのようなものが大量についています。シラミがわいているのです。猫はかなり衰弱していて、もう虫の息でした。
そしてその日のうちに、黒猫は死にました。
「何かしてあげられること、あったんじゃないかしら。院長先生、ひどい」
看護師さんはなみだを流していましたが、モコ先生は自分も院長先生と変わらないと思っていました。治療しましょう、手当てしましょうと言えなかったからです。それどころか子どもたちが帰った後、院長先生が「まったく、獣医はボランティア事業じゃないんだ」と言えば、(たしかにそうだな)と反論できず、だまるしかありませんでした。
けれどもその時に目にした、診察室のすみっこにまるでけがらわしい、じゃま者のように置かれている光景が、モコ先生の脳裏にずっと焼き付いているのです。
■「何もしない選択」を選ばなくてもいい環境を
あれから15年近くが経つ今、もし当時のように子どもたちがmocoどうぶつ病院に「死にそうな野良猫」を連れてきたら……そうしたらきっと「連れてきてくれてありがとう」と言うだろうと、モコ先生は考えます。
動物の死に際に人間ができることなどありません。でもちょっと温めてあげる、点滴で水分やわずかな栄養分を補ってあげることはできる。お金がはらえないから、もう死んじゃうからと「何もしない選択」は、獣医師の自分にとって後悔しか生まれないことを知っています。
(でもそれはmocoどうぶつ病院ができたから言えること。ここではすべて私の責任で決断し、行動できる)
だから15年前にやとわれていた時には、やっぱり言えないことだったのです。
初めての手術を指導してくれたオー先生はよくこう言っていました。
「一人にできることは小さいことかもしれないけど、何もしないよりはしたほうがいい。ここでできることをしよう」
だからモコ先生は野良猫が不妊去勢手術を受ける“ワンチャンス”を大事にしています。
(野良猫にとってこの手術が人間が関われるたった一度の機会かもしれない。もう一度この猫に人がふれることはないかもしれない。だから最初で最後の人の手は温かいものでなければいけない)
■野良猫は「めいわく」な存在なのか
青空が広がった2023年春のある日、モコ先生はボランティアさんたちと不妊去勢手術を終えた猫を元にいた場所にもどすため、大きな公園にやってきました。
ほかく器の入り口を開けると、猫が勢いよくビューッと、一目散に飛び出していきます。
「野良猫ってめいわくなのかな」
モコ先生が独り言みたいにポツリと言いました。
「昔はどこにでも野良猫っていたし、えさをあげなくても生きていたし……でも今は飼い猫なら家から出しちゃダメだし、野良猫の命もいつかつきる。存在さえ許されない社会ってさびしいよね」
その時ふと、公園のすみでホームレスの人が野良猫をだっこしてうたたねしているのが目に入りました。まだ肌寒い外で猫をだっこしていると温かいのでしょう。
モコ先生の視線を追って、ボランティアさんもそれに気づきました。
「先生、あの猫に手術を受けてもらえないか、私が聞いてきますね」
ボランティアさんは言うなり、空いたばかりのほかく器をかかえ、ホームレスの人のところに走っていきます。とちゅう、自動販売機で飲みものを購入し、ホームレスの人にそれを差し出しながら何かを話しかけています。
■「猫も、私も、今この瞬間を生きている」
その人は説明に納得したのか、猫をだきしめていた手をゆるめます。ボランティアさんはそのすきまから猫を受け取り、すぐほかく器に移しました。そしてまた走ってこちらにもどってきます。その顔は笑っていました。
病院にもどり、モコ先生はほかく器にいる野良猫を首をかしげてのぞきこみました。鳴かないけれど、緊張しているのがこちらに伝わってきます。麻酔から覚めるまでに必要な時間を考えると、手術は今日ではなく明日がいいでしょう。
「明日手術だから本当はあげちゃダメなんだけど……少しだけね」
モコ先生はそう言って、少量のえさの入った皿をほかく器の中に入れました。ちょろちょろと食べ始める猫の姿がかわいくて、すきまから少し頭をなでました。
温かい。
猫も、私も、今この瞬間を生きている。そう思いました。
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ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『実録・家で死ぬ 在宅医療の理想と現実』(中公新書ラクレ)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。
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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)
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