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「夜は親とパチンコ、土日は競馬場」3歳から賭け事慣れの上場企業社員を転落させた"悪魔の囁き"

プレジデントオンライン / 2023年7月15日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Somogyvari

平日の夜は家族でパチンコへ。土日は競馬や競輪場へ。ギャンブル好きな両親に育てられた30代男性は高卒後、上場企業に就職。仕事仲間に誘われパチスロ専門店へ行くと、ビギナーズラックで2万円勝ち、たちまちハマってしまう。以後、クレジットカードを何枚も作り、キャッシング枠をフルに利用する自転車操業のサイクルに。仕事も自主退社に追い込まれてしまった――。(前編/全2回)
ある家庭では、ひきこもりの子供を「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーが生まれるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

■ギャンブル家族

北海道出身で現在は東北地方に在住の桜木潤さん(仮名・30代・既婚)は、インフラ関係の会社に勤める父親と、専業主婦の母親の間に生まれた。両親は中学校の同級生で、高校時代に交際が始まり、22歳で結婚した。夫婦仲は良好、桜木さんの3歳上の兄と、2歳下の妹とのきょうだい仲も良かった。

そんな一見すれば、ごく普通の仲の良い家族に見える桜木家だが、一般的な家族とは少し違っていた。桜木家では、日常的にギャンブルを楽しんでいたのだ。

両親は、桜木さんが物心ついた頃にはすでにギャンブル好きで、競馬、競輪、パチンコ、スロット、宝くじまで、日本にあるほとんどのギャンブルを経験。子どもたちが小さいうちは控えていたようだが、それでも桜木さんが3〜4歳の頃には、競馬場に連れて行ってもらった記憶があった。桜木さんが中学に上がる頃には、平日の夜は家族でパチンコへ。土日は競馬や競輪場へ行くのが当たり前のようになっていた。

父親が転勤族だったため、桜木さんは小学校入学後、転校を何度も繰り返したが、人見知りせず、誰とでもすぐに友達になれる社交的な子どもに成長した。どこに行ってもすぐに打ち解けることができ、友達づくりに困ったことはなかった。

しかしその反面、長く深く付き合える友達ができず、その場だけ楽しく過ごす浅い付き合いがほとんどだった。

中学校に入った桜木さんは、剣道とバスケットボールに熱中していた。剣道は、初段をとってやめ、バスケットボールはレギュラー選手としてプレーしていた。マンガ『スラムダンク』にハマり、あまり勉強をしなかったが、両親は勉強や成績のことに口出ししない人だった。

その結果、桜木さんは高校受験では第一志望の普通科の高校に落ち、第二志望の工業高校へ入学。高校でもバスケットボールに打ち込み、引退後はひたすら友達と遊んで暮らした。それでも内申点が良かったため、高校卒業後は上場企業に就職することができた。

■悪魔の誘惑

桜木さんは実家を出て、関東にある会社の寮に入った。同期の40人中、約半数ほどが寮で暮らしていた。桜木さんは入社後、寮で暮らす同期2人と仲良くなり、最初の休日にそのうちの一人に誘われてパチスロ専門店に行った。

「彼は高専卒で、学生時代からスロットをやっていたため、その時すでにある程度の知識がありました。僕も、高校時代の仲間にスロットをやっていた人がいたので、スロットについて全く知らないわけではありませんでした。その当時は、初代パチスロ『北斗の拳』がフル稼働していた時代で、僕もその台についてはある程度知っていました。ただ、実際にホールで打つのは初めて。親から渡されていた1カ月分の生活費を元手に打ち始めたところ、全部でいくら使ったかは覚えていませんが、その日は2万円くらい勝ったと記憶しています」

それからというもの、桜木さんはその友達と毎日のようにつるみ、時間さえあればスロットに行くようになっていた。

スロットマシーン
写真=iStock.com/Instants
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Instants

「最初は目押しもできず、台の知識もない僕は、なぜ勝ったのかはよくわかりませんでした。でも、めちゃめちゃ楽しくて、戻ってきたお金にかなり興奮したのを覚えています。その後はどんどん目押しもうまくなり、知識もつけ、自分の力で当たりを引き込んでいる気分になっていきました」

目押しとは、リールの回転にタイミングを合わせて、好きな図柄を狙って止めるテクニック。リールは、パチスロ機に搭載されている図柄が描かれたパーツを指すようだ。

桜木さんは、次第にその友達とのお金の貸し借りをするようになり、徐々に投資する金額が増えていった。

同じ頃、新人研修などで同期で集まる機会が多い中、気になる女性ができた。新入社員歓迎会で仲良くなり、その後、何度か食事などに出かけ、桜木さんから告白して交際が始まった。

■ギャンブル依存のはじまり

やがて桜木さんは、20歳の誕生日を迎えると、19歳の時に買った車にカーナビをつけようと思い、カー用品店に行った。すると店員に、クレジットカードを作ることを勧められる。

「クレジットカードを作るなら、25万円のカーナビを20万円にします」と言われ、そのカーナビが欲しかった桜木さんは、よくわからないままクレジットカードを作り、カーナビを購入した。

駐車アシスタントを映すカーナビ
写真=iStock.com/RYosha
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RYosha

新しいカーナビを手に入れ、スロット仲間と楽しい毎日を送っていた桜木さん。ある日、その月の給料を使い果たした桜木さんの頭に、ふとクレジットカードのキャッシングのことがよぎった。

近くのコンビニに入ると、恐る恐るATMにクレジットカードを入れた。すると、「キャッシング枠20万円」と表示される。桜木さんは、「1万円だけやってみよう」と思ってボタンを押すと、すぐに1万円が出てきた。

「自分の口座から引き出したかのような感覚に陥り、あと19万円分も使えるのかと思うと、急に楽しくなったのを覚えています」

桜木さんはそのまま、パチンコ屋に直行した。その頃、寮の後輩も仲間に入り、5人でつるむようになっていた桜木さんがキャッシングのことを仲間に話すと、5人全員がキャッシングを使い、仲間内でお金を回すようになった。パチスロを打つ時も、返済するときも、仲間の誰かがキャッシングしてお金を回した。

しかしある時、仲間の1人が「自分は抜ける」と言い出した。すると他の仲間もさすがにヤバいと思ったのか、つるむのをやめていく。

桜木さんは、すでに限度額の20万円まで使っていた。カーナビ代の20万円の引き落としもまだだったため、この時借金は総額40万円。その後桜木さんは、一人で行動することが増えていった。

スロットへの依存度が日に日に増していく桜木さんは、スロットを打ちに行くための資金作りを考え、新しくクレジットカードを3枚作り、全てキャッシング枠を使い果たした。

さらに、ショッピング枠は残っていたので、ゲーム機をショッピング枠で買い、それをすぐ売りに行き、現金化することを思いつく。

そんなことをしばらく続けていると、ついに利用制限がかかり、カードが使えなくなった。

そのうえ、月々の返済も滞り、焦り始めていた。

「この頃の借金総額は120万円。生活費については寮費4000円と電気代5000円、携帯代1万円と食費だけだったので、何とか返済し、ギリギリの生活をしていました」

食事は毎日カップラーメンか、“サトウのごはんとツナ缶”ばかりだった。

しばらくして、CMで『おまとめローン』というものを知り、多重債務を一つにまとめ、返済を楽にしようと思ったが、このことがさらに桜木さんをどん底へと突き落とす。

「おまとめローンで使えるのは、キャッシング枠のみという条件だったので、4枚のクレジットカードのキャッシング枠合計60万分だけ借りて支払いを済ませました。しかし、そこでヤバいことを思いついてしまったのです。支払いを済ませたということは……キャッシング復活⁉ ということ。僕は、返済してすっきりした勢いも借りて、すぐに復活したキャッシング枠に手を付け、パチンコ屋へ直行しました」

これで借金総額は、120万円+60万円=180万円となった。

桜木さんはこの頃、生活のすべてがパチスロ中心に回っていたため、仕事も人間関係もおろそかになっていた。スロットをするために頻繁に有休を使い、無断欠勤も増えていた。そしてついに自主退社に追い込まれる。

桜木さんは、借金180万円を抱え、会社からも寮からも追い出された。

■督促状と電話の嵐

会社を退職後、住むところがなくなった桜木さんは、両親にお金を出してもらい、同じ関東の県内に賃貸アパートを借りることに。その時、全くお金がなかった桜木さんに、両親は当面の生活費ということで、10万円送ってくれた。

桜木さんは、会社を辞めた理由を、「人間関係がうまくいかなかった」と両親に説明しており、この頃はまだ、桜木さんがパチスロにハマって借金していることを両親は知らなかった。

退社から2カ月後、23歳になった桜木さんは、パチンコ屋のホールスタッフとしてアルバイトを始めた。アルバイトを始めるまでの間も、パチスロは欠かさずやっていた。借金180万円はまるまる残ったまま、両親からの10万円はすぐになくなり、クレジットカードも限度額いっぱいまで使っていた。

ずらりと並んだパチンコ玉ケース
写真=iStock.com/hiloi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hiloi

もともとパチンコ屋に入り浸っていた桜木さんは、すぐにアルバイトに慣れた。やがて、この頃から借金の支払いが滞り始め、初めて督促状が届いた。同時に知らない電話番号から電話がかかってくるようになった。

電話に出ると、「○○カードですが、今月のお支払いが確認できません。○○日までに口座にお金を入れておいてください」と機械的な声が耳に響く。

怖くなった桜木さんは、すぐにお金を入れた。

しかし、当時3枚のクレジットカードとおまとめローンを組んでいた桜木さんは、4カ所に支払いをしていかなければならない。だが、そんな支払い能力はとうの昔になくなっていたため、徐々に督促状や電話を無視するようになっていった。

「その後も電話や手紙はしつこくありましたが、僕はヤバいなという気持ちはあったものの、返済できるお金がなかったし、あったとしてもパチスロで勝ってから返そうという気持ちが強かったため、返せるようになったら連絡しようと思っていました。しかし、当然都合よく勝つわけもなく、勝ってもまったく返済するつもりがありませんでした」

そして、連絡しないことが当たり前になっていった桜木さんは、完全に借金の返済をやめてしまった。

すると、2〜3カ月後、次々と強制解約の通知が届き、カードは一切使えなくなり、新たな借り入れもできなくなった。さすがにまずいと思った桜木さんは、パチンコ店に加え、ガソリンスタンドでの夜中のバイトも始め、合わせて月25万円くらいの給料を得るようになった。

■部屋は真っ暗、シャワーは水

しかし、それでも結局、借金返済をせず、桜木さんはパチスロに明け暮れた。

「当時の僕は、恐ろしいくらいにパチスロに全てを賭けていました。バイト中もスロットのことばかり考え、ホールを巡回している時に異常にパチスロが打ちたくなり、早退してパチンコ屋に直行したこともありました。とんでもないアホですね……」

携帯は以前から滞納を繰り返していたが、家賃と光熱費までも滞納するようになった。会社の寮にいた桜木さんにとって、家賃や光熱費は負担に感じていた。電気代、ガス代を滞納し続けていると、2カ月後には、ついに完全に止められた。水道代は、半年分くらい滞納しても止められることはなかった。

部屋は真っ暗、シャワーは水という生活が何日か続き、さすがにまずいと思った桜木さんは、会社員時代の同期の友人にお金を10万円ほど借り、光熱費を支払った。

だが、このときも桜木さんは、友人から少し多めにお金を借りて、余った分は全てパチスロに使ってしまった。

一方、家賃を2カ月滞納すると、連帯保証人の両親に連絡されてしまう。すぐに両親から、「どうなっているんだ?」と問い詰められたが、「口座にお金入れとくの忘れてた」とバレバレの嘘をつき、その後なんとか家賃を払い、同期から借りた10万円も返した。

同じ頃、「別に好きな人ができた」と彼女に別れを告げられる。

「フラれた理由は、私が会社を辞めた頃から、彼女とはマンネリ化していたことと、ギャンブル三昧と借金で将来が見えないことに不満を抱えていたからだと思います。ちなみに、3カ月ほど浮気されていました。『最近、朝帰りや飲み会が多いな』と感じていたときに、その彼の存在を知ったのですが、彼女は、新しい彼のことを、『とても魅力的な人』と言っていました」

パチンコ屋のバイトを始めた約1年後、玉運びが原因で腰痛がひどくなり、仕事ができなくなってしまい、退職。ガソリンスタンドのバイトだけでは、月7万円くらいの給料しかもらっていなかったため、「パチスロだけなら玉運びがないから大丈夫だ」と思った桜木さんは、すぐに近くのパチスロ専門店でバイトを始めた。

合わせて月15万円ほど稼いだが、パチスロに使うとほとんどお金は無くなり、いつものように家賃や光熱費を滞納。そしてまた電気とガスが止まり、最悪の状況に。さすがにこの頃の桜木さんは、精神的に落ち始めていた。ある日、パチスロ専門店のバイトを無断欠勤。その夜に入っていたガソリンスタンドのバイトも無断欠勤してしまう。

「もうどうにでもなれ状態でした。バイト先から連絡が入りましたが、全て無視しました。そのあとも音信不通を続け、バイトは両方ともクビになりました。それまで働いた分の給料はもらえたので、最後に職場に取りに行きました。さすがに借金地獄で困っているとは知らず、みんな『大丈夫か?』と心配してくれていましたが、彼らの顔は引きつっていました。そりゃそうでしょうね。人としてあり得ない行動ですからね……」

両親も、息子の異変に薄々気付いていたのだろうか。ちょうど同じ頃、両親から「実家に戻って来い」と言われる。桜木さんは、「もうこのままだと人生ダメになる」と思い、借金180万円を抱え、北海道の実家に戻る決意をした。(以下、後編へ)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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