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NHK大河ドラマを信じてはいけない…妻子を殺処分した徳川家康が織田信長に抱いていた本当の感情

プレジデントオンライン / 2023年7月16日 13時15分

愛知県大河ドラマ「どうする家康」観光推進協議会を訪れた後、取材に応じるNHKの同大河ドラマで主演を務める松本潤さん=2022年4月15日、名古屋市中区 - 写真=時事通信フォト

織田信長と徳川家康の関係はどんなものだったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「同盟相手ではあるが、事実上の主従関係にあった。家康にとって信長に従属するメリットは大きく、信長を殺そうと考えたことはなかっただろう」という――。

■これはあり得ないと思った家康のセリフ

戦慄(せんりつ)を覚えた視聴者も少なくなかったのだそうだ。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第26話「ぶらり富士遊覧」(7月9日放送)のラストシーンで飛び出した徳川家康(松本潤)のセリフに対して、である。

第25話「はるかに遠い夢」(7月2日放送)で、有村架純演じる正室の築山殿(ドラマでは瀬名)と嫡男の松平信康(細川佳央太)を死にいたらしめた家康だったが、それから2年余り。武田勝頼(眞栄田郷敦)を滅ぼして安土に帰る途中の織田信長(岡田准一)を、富士山麓で手厚くもてなすなど、以前と違ってどこまでも信長に従順な家康に、家臣たちは不満を募らせるばかりだった。

そしてある晩、家臣たちが家康に詰め寄り、本多忠勝(山田裕貴)は「左様なふるまいを続けるなら、ついていけませぬ」と言い捨て、酒井忠次(大森南朋)は「そろそろ、お心うちを」と問いかけた。すると、家康は「わしもそう思っておった」といい、こう言葉を継いだのである。

「信長を殺す。わしは天下をとる」

これを、本能寺の変の黒幕が家康だという説かもしれない、と受けとる向きも多く、ドラマの続きへの関心が高まっているようだから、視聴率アップには貢献するかもしれない。だが、そもそも、家康が「信長を殺す」という発言をする可能性があったのか。あったとすれば、その根拠はなにか。

結論を先に述べるなら、そんな可能性はなかったというほかないのだが、では、「どうする家康」では、どんな根拠にもとづいて家康にそう発言させたのか。そこを最初に明らかにしておきたい。

■「信長を殺す」発言が出たワケ

第26話では、まず徳川軍が取り囲んでいる高天神城からの降伏の申し出を、家康が無視する場面が描かれた。家康が「降伏は受け入れぬよう上様(信長)からいわれておる」というと、家臣たちは無益な殺生に猛反発するが、家康は「上様の命じゃ。やつらを皆殺しにしろ」と平然と命じる。

妻子を失ってから家康が変わってしまった、と家臣たちは受け止めており、彼らの声を代表するのが、本多忠勝の「信長の足をなめるだけの犬になりさがってしまった」という言葉だった。

本多忠勝の肖像(良玄寺所蔵品・現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵にある)
本多忠勝の肖像(図版=良玄寺所蔵品・現在は千葉県立中央博物館大多喜城分館蔵にある/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

また、毛利攻めで忙しい羽柴秀吉(ムロツヨシ)がわざわざ家康を訪ねてきて、こう言った。「わしは徳川殿が心配で、心配で。信康殿と奥方さまの。上様を恨んでおるのではないか?」

これに対して、家康は「私が決めたことです。すべては妻と息子の責任です」と答えはするのだが。

ほかにも、武田勝頼を徳川軍が直接討てなかったことや、信長を派手にもてなしたことなどについて、家臣団はいちいち「信長の犬」になった家康に呆れ、本多忠勝や榊原康政(杉野遥亮)らは我慢の限界に達する。そして、ついに家康に詰め寄ったところ、家康も信長にこびる表の顔の裏側を見せ、「信長を殺す」を発言した――。そんな話だった。

■家康にも家臣にも信長を恨む理由がない

だが、ドラマのこの展開にはかなりの無理がある。

まず、高天神城の攻防戦だが、信長が高天神の籠城衆の降伏を許さなかったのは、状況を深く読んだうえでの作戦だった。武田勝頼が高天神の城兵を見殺しにした、という怨嗟の声が広がれば、勝頼の信頼が失われて次々と離反を招くはずだ、というのが信長の読みで、これが見事に的中した。

だからこそ、信長と家康は武田を滅ぼすことができた。高天神の籠城衆は「皆殺し」に近いことになっても、全体としては、失われる人命も少なくて済んだはずである。

また、ドラマでは家康が変わってしまったのは、築山殿と信康の命が失われたことがきっかけで、ひいては2人が死に追いやった信長のせいだ、という描き方である。

■妻子の死の責任はあくまでも家康自身

しかし、家康が2人の処分を決めたのは、築山殿が武田と内通し、信康がそれに同調し、徳川の家臣団が分裂する危機にさえあったからだと考えられている。

そもそも、家康の家臣は武田に対して主戦論を唱える者が中心だった。それなのに妻子が武田と内通していては、まとまる家臣もまとまらない。そんな状況では、家康は妻子を処断するほかなかった。それが近年の通説で、家臣たちが築山殿と信康に同情し、彼らに死を強いた信長を恨む、という状況にはなりえなかっただろう。

築山殿の肖像
築山殿の肖像(図版=西来院蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

それは家康に関しても同じである。妻子の死の責任はあくまでも家康自身にあり、信長を逆恨みするような話ではなかった。自身の妻子が年来の宿敵と内通していたら、同盟相手であり事実上の主君に対して申しわけが立つはずがない。家康には2人を罰するほかに、状況を打開する道はなかった。

事実、信康事件以後、家康と信長の関係が悪化したという記録はない。

■むしろ「主従関係」を大切にしていた家康

たしかに、武田との最後の戦いでも、平山優氏が「家康は武田氏の討滅を達成する過程でも、織田信忠に忖度(そんたく)し、遠江や駿河での進軍を遅らせているし、信長の帰国に際しては家中を挙げての接待と心配りを行うなど、気が休まる時がなかったであろう」と記す状況ではあった(『徳川家康と武田勝頼』幻冬舎新書)。

しかし、こうして信長に付き従ったからこそ、家康は宿敵武田氏を滅ぼし、念願の駿河(静岡県東部)を領国にすることができたのだ。

この駿河について黒田基樹氏は、「家康が自力で計略したものではなく、『天下人』信長から与えられたものであった。このことは家康が、信長に従属する大名の立場になっていたこと、さらに領国を与えられたということで、信長とのあいだに主従関係があることを明確に示すものであった」と書く(『徳川家康の最新研究』朝日新書)。

逆にいえば、家康は領国を守り、さらに拡大するために、この「主従関係」を非常に重んじていたということである。

■絶好調のグループ会社の経営トップにだれが逆らうか

柴裕之氏は『徳川家康』(平凡社)のなかに、次のように書き記している。

「実際に信長が進めた天下一統事業とは、戦国大名や国衆の領国自治を否定することはなく、むしろそれを前提として、天下=中央が諸地域『国家』を政治的・軍事的な統制と従属関係のもとに統合することであった。それは、織田権力の天下のもとに築かれた『国家』(統合圏)に諸地域を取り込むような、現代の企業にたとえるなら、グループの子会社化であったとイメージしてもらえればよい」

しかも、この当時、信長は織田家の家中にとどまらず、かなり広く「公儀」「天下」「上様」などと呼ばれ、すでに統一権力であると認識されていた。柴氏のたとえでいうなら、織田グループは破竹の勢いで業績を伸ばして覇権を築き、それが周囲にも認められていた。

グループ下で、十分な利益を得ている子会社の社長が、グループのトップに恨みをもちクーデターを考えるなどということがありうるだろうか。ましてや、子会社の社員たちが、グループのトップに従順な子会社社長の姿勢に対して我慢の限界に達するなど、あるわけがない。

■もはや歴史ドラマではない

信長とのあいだに「主従関係」がある以上、家康が「信長の犬」のようにふるまうのは当たり前のことで、当時の常識からして、家康の家臣はみな、それを当然のこととして受け入れていたはずである。きっと脚本を手がけた古沢良太氏も、そのことはわかっているのではないだろうか。だから、家康は妻子の命を奪った信長が許せない、という見せ方をするのだろう。

実際、第27話「安土城の決闘」でも、妻子の死があってから、以前のようには信長に仕えることができない家康に向かって、信長が「妻子を死なせてすまなかったとオレが頭を下げれば気が済むのか? オレは謝らんぞ」といった発言する場面があったようだ。

しかし、何度も言うけれど、妻子の失態は家康が招いたことであって、家康が自らの判断で彼らを処断したというのが、研究者たちの共通認識である。

家康がこの件で信長を逆恨みしつづけ、挙げ句、「信長を殺す」と発言するなど、家康が冷静な判断ができないよほどの愚将だったならともかく、ありえない。

もし、かつて考えられていたように、築山殿と信康の死が信長の指示によるものであったなら、ドラマで家康に「信長を殺す」を発言させ、そこにリアリティをあたえることも可能だっただろう。それなら歴史ドラマの脚本として「アリ」かもしれない。

しかし、史料や近年の研究成果などから明確に否定されることを、脚本の大きな前提として採用してしまっては、もはや歴史ドラマではない。番組の最後に「このドラマはフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありません」というテロップを流すなら話は別だが……。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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