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ほとんどの日本人は食べたことがない…中東専門の考古学者が一番うまいと思った哺乳類の希少部位

プレジデントオンライン / 2023年7月19日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Diy13

古代エジプトを専門とする考古学者の大城道則さんは、中東での調査中、ある肉料理に夢中になった。フグの白子のような食感と味がしてとてもおいしいが、他の隊員は気味悪がって口にしなかったという。大城さんがハマった料理とは。『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』(ポプラ社)より紹介する――。(第1回)

■私が海外調査で楽しみにしていること

海外調査に出た際の楽しみの一つに食事がある。

ちょっと良いローカルなレストランを訪ねるのも、もちろん大いなる楽しみなのだが、地元の方々の普段の食卓に並ぶような料理や地元の若者たちが好むファストフードなどの料理を食べる機会があることも貴重だ。時間的に制限の多いツアー旅行で訪れた際には経験できない体験がそこには待っているからである。

その代表例が作業員や博物館職員のお宅へのご招待だ。どの国でも歓待を受けた。これはこれまでの諸先輩方の対応や、そもそも子供の頃から身についた日本人の礼儀正しさのお陰である(両親に感謝)。

エジプトでもシリアでもリビアでも同じようなことを言われた経験がある。それは「日本人は私たちと一緒に食事をしてくれる」というものだ。つまり、欧米人たちは「そんなことはしない」ということなのである。いわゆる「無意識の差別」、「無意識の優越感」というやつだ。彼ら欧米人たちに悪意はない。

知らず知らずのうちに、つまり無意識に現地作業員とは違うスペースで食事をしたり、同情と優越感とで話しかけたりしてしまうのだ。そしてそれがあまりにも彼らにとって当然すぎるからこそ、彼ら自身も疑問すら抱かないのである。その点、欧米人と日本人とは違う。

日本には「お、も、て、な、し」の文化があるからだ。

■アラブのお茶の意外な味

この点は遊牧民のホスピタリティ精神に極めて近い。現地で積極的にコミュニケーションを取る場合に、私は勧められたタバコを一緒に吸うことがある(私は普段は絶対に吸わない)。隣り合って食事もする。ペットボトルすら共有することがある(コロナ禍の時は無理だったが)。

日本の様式美を実践するならば、一緒に酒を飲もうということになるが、イスラム教徒は宗教上アルコール飲料を口にしない。でも一緒にお茶を飲む。とにかく一日に何杯も何十杯もお茶を飲むのが彼らの習慣だ。それも砂糖を驚くほど入れるのである(小さなコップに半分くらい砂糖を入れる人もいる。嘘ではない)。

まるで紅茶の飴をなめているような気がするほどである。ただそれくらい暑さで体が糖分を欲しているということでもあるのだが。

■世界共通で「同じ釜の飯を食う」は有効

発掘調査が終わった日の夕方に何も用事がなくても町のメインストリート(単なる大きな道路)に出掛け、並んだお土産物屋やサンダル屋の店先で知り合いとお茶をする。特に難しい話をするわけではないし、真剣な話をするわけでもない。

しかし、日々のちょっとした話題とそこから始まる他愛もない噂話とか愚痴が実は大切なのだ。信頼・信用を勝ち取る術なのだ。パルミラで隊長から学んだ現地の人たちとのコミュニケーションの重要性とその方法を私はエジプトで実践している。

日本人であれば理解し易い「同じ釜の飯を食う」的な感覚がアラブ世界・イスラム世界には存在するのだ。そのようにして道端でテーブルを出しお茶を飲み過ごしていると、毎日一緒に発掘現場で働いている作業員たちと何人も出会う。

夕方になると心地よい風が吹くので町の人は家族で夕涼みに出て来るのだ。いつもの光景だ(まったく同じような経験を南イタリアのポンペイ遺跡での調査中にしたことがある。夕方になると教会がある町一番の広場にぞろぞろと人が集まって来るのだ)。

昼間の暑さが嘘のようにさわやかな時間帯が訪れるのである。そのような時間には、日本隊の誰々はまたあそこでお茶しているはずだと誰かがやって来る。そこに博物館からの仕事帰りの職員が合流したり、そのまま館長のお宅へと連れて行かれたりする。そこまで行くと宿舎への帰宅は遅くなってしまうが、専門家の話や昔話が聞けて面白い時間を過ごしたものだ。

アラビア語と英語が飛び交う中、耳学問の重要性を再認識することが多々あった。このような機会を私に与えてくれた大学の先輩でもある隊長に感謝。

■有力者の誘いを断ってはいけない

海外調査で学んだことがある。それはいつどんなときでも博物館館長クラスからの食事の招待は断ってはいけないということだ(実際には仕事が忙しくて、帰国前などは全員で訪問できないこともあるが)。

円滑な発掘調査の実行に現地の有力者である彼らの協力は欠かせないからだ。それに一隊員でしかない大学院生にとっては、美味いものが食べられる絶好の機会だ。それも地元の料理がずらっと目の前に並ぶのである。普段から食べ歩きを趣味としている私のような者にとっては楽しみでしかない。

イスラムなのでアルコールはない。何度断っても、コップに酒を注がれて無理やり飲まされることもないのだ。急性アルコール中毒で病院に運ばれる隊員が出る心配もない。ただただ食べるのみだ。皿の上に何もなくなれば、すぐに肉が置かれる。若手の隊員にとっては、断らずにとにかく食べることがここでの一番の仕事なのだ。

■とにかくおいしい「マンサフ」

あるとき帰国前日であったであろうか、調査隊全員で博物館の館長から宴会に招待されたことがある。ちょうどいい感じの気温の夜であった。

町から少し離れた砂漠の中の小さなオアシスまで車で行き、そこでテントのような大きな幕を張った場所に連れて行かれた。離れというかちょっとした別荘のような印象だ。地面に絨毯が敷かれた上にみんなで順番に座り、各自にコカ・コーラでもペプシコーラでもない名も知れぬコーラやスプライト的な炭酸飲料などの飲み物が配られた。

私が手にしたのは、「スポーツコーラ」という名前だった気がする(違ったかも)。コカ・コーラよりも甘いペプシコーラよりさらに甘い味のするコーラであった。日本では考えられないくらいのペースで炭酸飲料は毎日飲んだ。暑い国では甘い飲み物が必須なのだ。エジプトでも毎日リットル単位で清涼飲料水を飲む。健康に悪い。

トマトとキュウリを角切りにして混ぜたサラダやホンムスと呼ばれるパンに付けて食べたりする豆のペーストが数種類並ぶ中央にメインディッシュが置かれていた。マンサフだ!

ヨルダンの国の料理
写真=iStock.com/bonchan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bonchan

一般的にはヨルダン料理として認識されているこの料理は、シリアのパルミラでも結婚式などの記念日に饗されることが多い。ハレの日のメニューなのである。マンサフは大皿にインドのナンとよく似た無発酵パンを最初に敷く。その上に炊き込みご飯を山盛りに乗せ、さらにその上にヨーグルトを使用して煮込まれたヒツジ肉を乗せるのである。

豪快で見栄えがする。そしてとにかく美味しい。遊牧民ベドウィンの伝統的料理だと聞いている(ちなみに私は東京の神保町にあるパレスチナ人シェフが料理を作るお店で、シリアと変わらないくらいの大皿のマンサフを特注し、友人たち8人とシェアして食べた事がある。全部食べ切れずに持ち帰った)。

■羊の遺体とにらめっこ

マンサフはおもてなし料理なので取り分けられて招待客に配られる。生贄のヒツジを屠ったときに我々に配分された赤身の部分ではなく、その他の内臓的な部位が目の前にやって来るのである。目玉もそのままの頭部が絶妙な焼き具合で食卓に並ぶ。

屋外で若い子羊の肖像画をクローズアップ
写真=iStock.com/tracielouise
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/tracielouise

もう少し火を通して欲しいのだが……。まんま出てくるので、かなりグロテスクだ。ホルモンが苦手な人には悪夢のような地獄の光景が目の前に出現する。どれがどの部位かが一目で分かってしまう形状をしたものが多い。歯がむき出しになったヒツジの顔と目が合ってしまったりするのだ。

私が生まれ育った町では、商店街にある肉屋の店先にブタの首が並べられていたりしたので、他の隊員たちほどは違和感や恐怖感を持たなかったと思う。しかしさすがの私も食べやすい部位だけ選んでいただいた。焼肉のたれでも日本から持参してくれば良かった。

■ラクダは牛肉に近い

事前にリクエストしておけばラクダの肉とかも並ぶ。串焼きにするだけでなく、シチューのようにして煮込む。ラクダ肉は牛肉に近い味がして私はかなり好きだ。

発掘調査の最中、用事でダマスカスやアレッポのような都会に行く際にレストランでランチを食べることがあった。先ほども言ったが、食べるのが趣味のような私にとっては夢のような時間である。

■私が大好きだったヒツジの脳みそ

私が一番好きだったのはヒツジの生肉だ。最高に上品なユッケのような味がした。

そしてもう一つがヒツジの脳みそのフライだ。フライと言ってもコロッケやトンカツのようにたっぷりの油の中で揚げるようなものではなく、薄くスライスした脳みそにパン粉を付けて表面を焼いたものだ。ムニエルとか、ウインナーシュニッツェル(牛肉をたたいて薄く伸ばして揚げた、ウィーンの代表的な料理)に近いだろうか。

よく言われることだが、ヒツジの脳みそはフグの白子のような食感と味がする。まったくその通りだと思う。ヒツジの脳みそは世界的に見ればそれほど珍しい食材ではない。フランス料理でも普通に使用されている。

日本人にとってはまだ認知されていないというに過ぎない。食材なんてその人の生まれ育った環境で大きく変わってくる(私は関西の超ディープなダウンタウンで生まれ育ったので、ホルモンは子供の頃からおやつのようなものだった)。

大城道則『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』(ポプラ社)
大城道則、芝田幸一郎、角道亮介『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』(ポプラ社)

砂漠の遊牧民にとっては、ヒツジが最も身近な食材であっただけだ。そして脳みそを含むその内臓も。海を知らないサハラ砂漠の遊牧民が松葉ガニやシャコの見た目を気持ち悪がり、恐れて食べないのと同じだ。

後で聞いたことだが、ヒツジの脳みそを喜んで食べたのは隊員の中で私だけだったらしい。日本人は基本的に食に関しては保守的だ。確かに今振り返るとヒツジの生肉も私が率先して食べていたような気がする。

食だけではなくシリアでは色々な経験をさせていただいた。海外発掘調査中の食に関する私の思い出には、良いものも悪いものもあるが、他の隊員たちにとって、日本ではゲテモノの類に入る食べ物を嬉々として食べる私は恐怖の存在だったのかもしれない。

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大城 道則(おおしろ・みちのり)
考古学者、駒澤大学文学部歴史学科教授
1968年兵庫県生まれ。駒澤大学文学部歴史学科教授。博士(文学)。関西大学大学院博士課程修了。バーミンガム大学大学院エジプト学専攻修了。ラジオ番組で菊池桃子さんが「エジプトが好き!」と言ったのでエジプト学者を目指す。古代エジプト研究を主軸に、シリアのパルミラ遺跡とイタリアのポンペイ遺跡の発掘調査にも参加。著書に『神々と人間のエジプト神話─魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)、『異民族ファラオたちの古代エジプト─第三中間期と末期王朝時代』(ミネルヴァ書房)、『古代エジプト人は何を描いたのか─サハラ砂漠の原始絵画と文明の記憶』(教育評論社)など多数。

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(考古学者、駒澤大学文学部歴史学科教授 大城 道則)

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