ピンチはチャンスになる…年2万人の来園がゼロになった山形の観光農園が「過去最高売上」を記録するまで
プレジデントオンライン / 2023年7月25日 15時15分
■農業における「経営」の役割
現在の日本の農業は、多くの課題をかかえる。平野の少ない日本では、諸外国と比べて耕作可能地が少なく、農家一戸あたりの耕作面積は小さい。そのために農家の収益基盤は弱く、農業従事者の高齢化が進む。さらにはグローバリズムのもとで安価な外国産の農産物との競争にさらされ、食糧自給率は長期的な低下傾向にある。
一方で近年では、農業には新しい可能性が広がりはじめている。スマート農業、6次産業化、そしてSDGsなど、農業の付加価値を高めたり、新たな価値を見いだしたりする動きが進む。
これらの課題を克服し、可能性にこたえていくうえで、経営という営みが果たす役割は小さくない。この農業における経営の役割を生き生きと描きだす書籍『さくらんぼ社長の経営革命 入園者ゼロになった観光農園の売上を過去最高にできたしくみ』(矢萩美智著、中央経済社)が6月に出版された。
同書のなかで、私は解説を担当している。そこでの経営の役割は、農業にとどまらない、幅広い事業に共通するものであり、本書は、幅広ビジネスパーソンの関心に応えるものとなっている。
■コロナ禍を乗り越え過去最大の売り上げ
矢萩氏が経営する株式会社やまがたさくらんぼファームは、山形県天童市にあって、果樹の栽培を祖業とする企業である。そして現在のやまがたさくらんぼファームは、果実の生産にとどまらず、販売、観光、加工、飲食へと事業の幅を広げている。家族経営を脱し、スマート農業、6次産業化、そしてSDGsなどの要素を取り入れながら、着実に事業を拡大している。コロナ禍の逆風のなかにあっても、過去最大の売り上げを実現している。
本書の魅力のひとつは、矢萩氏の経営感覚にある。矢萩氏は部分に注力するあまり、全体を見失うことなく、ことを進めていく。こうした判断と行動ができるのは、矢萩氏が若い頃の失敗などからの学びを生かしているからだが、もうひとつ重要なのは、矢萩氏が日頃から家族や従業員、ステークホルダーなど、各所での人との関係を共感をもって受け止め、大切にしていることだと思われる。そのために、新しく何かを行おうとすれば、その先において多くの人との関係が動くことに思いが至るのだと思われる。
日本の経営学の指導的立場にある伊丹敬之氏と加護野忠男氏は、その著書『ゼミナール経営学入門』(日本経済新聞出版、第3版、2003年)のなかで、経営とは何をすることなのかと問うている。そして、企業の経営には、環境のマネジメント、組織のマネジメント、矛盾と発展のマネジメントの3つのマネジメントが必要になると述べている。経営とは、この3つのマネジメントの部分の取り組みに終始するのではなく、その全体を見失わずに、その場そのときの課題に向き合いながら、人と人の協働をうながしていくことなのである。
■「環境」「組織」「矛盾と発展」の3つのマネジメント
矢萩氏の経営感覚のよさは、この3つの課題への取り組みがバランスよく行われていることからも見て取れる。環境のマネジメントについては、やまがたさくらんぼファームでは、サクランボを栽培し、出荷するだけではなく、観光果樹園への集客、eコマースによる販売などを通じて新しい顧客の獲得を進めてきた。
このプロセスの時々において、矢萩氏は経営上の新しい判断や行動を迫られてきた。たとえば、観光果樹園に多くの団体ツアーを呼び込もうとすれば、旅行代理店などへの営業が必要となる。eコマースに取り組むには、ウェブサイト構築の発注やSNS活用の知見の入手が必要になる。
加えて、これらの取り組みのなかでやまがたさくらんぼファームは、観光や通販の顧客に向けて、カフェを設け、オリジナルのジュースなどの加工品の提供を行うようになっている。さらにそこでは、地元の委託生産先などとの関係づくりが必要となる。このように、矢萩氏は時間の流れのなかで、新たなパートナーや仕入れ先の確保など、必要となる課題を見定め、行動を進めている。
■広がる活動を束ねる「理念の共有」
一方で、矢萩氏は、やまがたさくらんぼファームの分業と協働を導き、望ましい方向へと組織の行動を進めることにも怠りなく取り組んできた。この組織のマネジメントにかかわる課題をめぐっては、矢萩氏は経営理念を中心にすえた実践を進めてきた。
現在のやまがたさくらんぼファームに必要な仕事は、果樹の栽培から、観光果樹園やカフェ、そしてeコマースなどの運営へと大きく広がっている。矢萩氏は、そこで必要となる果樹栽培のノウハウ蓄積、スマート農業の導入による働き方の改革、果樹の加工品の開発、ホームページづくり、SNSなどでの情報発信などの仕事の進め方を、社内の人たちとともに一つひとつ学びながら、手順を定めたり、改善したりしていくことにもかかわっている。
このように広がっていく仕事に対応するには、社内の人たちに権限を委譲することが必要になるが、そこでは、社内の人たちと経営者が方向性をすりあわせるために、立ち返るべき経営理念を共有することを大切にしている。
■危機のポジティブな側面を引き出す経営
経営にかかわる人としての矢萩氏の歩みは、危機と向き合い、直面する経営の矛盾から新たな発展を生み出してきた歩みでもある。日本は自然災害の多い国である。やまがたさくらんぼファームでもそうであったが、この国土において組織が存続していこうとすれば、東日本大震災やコロナ禍のような、大きな災害の影響を繰り返し乗り越えていかなければならない。
さらにいえば、旅行形態が団体型から個人型に変わっていくなどの人々の生活や社会の変化も、事業の存続を脅かす危機となる。そして危機は外部からもたらされるだけではなく、経営の方針の対立や財務状況の悪化など、内部からも生じる。
だが、危機にはポジティブな側面もある。危機は企業に新たな学びを生み出し、組織のあり方を改善する契機ともなる。このような危機のポジティブな側面を引き出すこともまた、経営の役割である。
■観光果樹園のサクランボを通販で出荷
矢萩氏は、東日本大震災の際に売り上げを大きく減らした悔しい体験を、コロナ禍のもとでの素早い行動につなげたり、社内の対立や財務の問題を、よりよい経営を実現する契機としたりすることで、やまがたさくらんぼファームの成長を導いている。
本書のフィナーレは、コロナ禍の大逆風のなかで、やまがたさくらんぼファームが過去最高の売り上げを実現していくストーリーである。ピンチはチャンスとなる。そしてそこでも、経営者としての矢萩氏の資質が発揮されている。
2020年のサクランボ狩りのシーズンを前に矢萩氏は、観光果樹園の閉園に踏み切った。この年には、コロナ禍のために毎年2万人の来園者が0人になる。そして矢萩氏は、この観光果樹園用のサクランボを通販での出荷に切り替える。
■部分ではなく全体に向き合う感覚が重要
しかし、観光客に摘んでもらっていたサクランボをいったい誰が、どのように収穫し、選果し、出荷するのか。そして山形のサクランボの通販は、やまがたさくらんぼファームだけが行っているのではない。そのなかでさらに多くの受注を獲得するためには、どのような魅力を通販商品にもたせればよいのか。
コロナ禍の発生を受けて、「観光客が来ないなら、eコマースの販売に切り替えればよい」と思いつくだけでは、経営としては不十分である。その実現には、事業の全体を考えれば、さらに多くの課題と向き合い、対策を講じていかなければならない。必要となるオペレーションとマーケティングを、コスト倒れにならないように確立しなければならない。
さらにいえば、コロナ禍の中で特需を仮に獲得できたとしても、それは一時的なものであり、その先のアフターコロナの日々にあっても新規顧客を獲得しながら、効率的な出荷が可能となることにつながる体制を編み出すことが望ましい。eコマースへの切り替えという部分ではなく、事業全体と向き合う経営感覚がなければ、危機からポジティブな側面を引き出し、つかむことはできないのである。
農業だけではない。部分ではなく全体に向き合うという経営の役割は、幅広い事業や組織に求められている。こうした経営が果たしている役割が少なくない。
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神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)
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