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成田悠輔氏の「高齢者の集団自決発言」は予告編にすぎない…2025年以降の政治的対立軸は左右から上下に変わる

プレジデントオンライン / 2023年7月28日 8時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PIKSEL

なぜ優秀な若者は医学部を目指すのか。文筆家の御田寺圭さんは「高齢化が進み現役世代の負担が増えるなかで、ニーズが消えない仕事として医師を選んでいるのではないか。大人たちが『高齢化による衰退』について見て見ぬふりをしていることが背景にある」という――。

■高齢社会ではイノベーションも起こらない

英エコノミスト誌から出されたとあるレポートが、ネット上で波紋を広げていた。

"It’s not just a fiscal fiasco: greying economies also innovate less"と題されたレポートは、そのタイトルのとおり社会全体の高齢化による影響は財政的な収支の悪化だけではなく、イノベーションの衰退にもつながっていることが述べられていた。そしてそうした悪状況に陥っている国の代表例として日本がたびたび言及されていたことで大きく注目を集めた。ウェブメディアでも取り上げられて話題を呼んでいた。

同記事は、経済の高齢化により財政的な負担が増すばかりか、革新的な技術が生まれにくくなる事実を懸念する内容だ。日本に限らず、世界でも近い将来に人口減少が想定される中、革新的な技術が生まれなくなることで生産性が低下し、成長率も押し下げられるという。(中略)

すでに述べたように、同記事の核心は「出生率が低下すること(≒人口動態が高齢化すること)でイノベーションが起こらなくなる」ことの問題で、世界経済全体がこれからその事態に直面する可能性があり、一部の国・地域ではすでにそれが始まっていることが、先行研究などとともに示されている。
[BUSINESS INSIDER「英エコノミスト誌、日本経済は高齢化で「頭脳停止」がすでに始まり、少子化対策も「政府は無力」と結論」(2023年7月3日)より引用]

とはいえ、こうした問題はエコノミスト誌に指摘されるまでもなくわかっていたことかもしれない。

■「高齢者経済」を背負う若者たち

ご存じのとおり現在の日本では、若者のマンパワーが医療や介護といった「高齢者経済」の下支えのために吸い取られ、あるいはそういった分野に就業しなかった者も、給与や賞与の控除という形で「高齢者経済」のリソースを供与する役割を強制的に負わされている。またその負担は毎年のように重くなっている。

生活に余裕は当然なく、投資どころか貯蓄に回すような余力もなく、日々の暮らしを保っているのでやっとだ。国の経済的地位の低下が物価の高騰を招き、名目賃金は上昇している一方で実質賃金は一貫して低下を続けている。田舎で暮らす若者は、とりあえず大都市部に行かなければ仕事が見つけられないが、しかし東京をはじめとする大都市部では不動産(住宅)価格の高騰が続いており、かれらの所得では中古のマンションを持つことすら難しくなってきている。

はっきり言ってしまえば、こんな閉塞的な状況では「停滞や硬直を打ち破るような画期的イノベーションを起こす若き俊英」が現れるわけがない。

■優秀な若者がこぞって医学部を目指す日本

ただし断っておくが、若者が優秀でなくなったとか、そういうことを言っているのではない。どんな時代においても優秀な若者というのは必ず一定数現れている。この令和の時代においても、未知の才能を秘めた大勢の優秀な若者が全国には間違いなく散らばっていることだろう。

問題はそこではない。そうではなくて、本来ならば社会経済に大きなイノベーションやパラダイムシフトを起こしうる日本の若き最優秀層が、もはやそのような「革新」を起こすような方向では自身の知能や才覚を活かそうとはしていないということだ。

社会に大きなイノベーションを起こしうるポテンシャルを持った日本の若い最優秀層はこぞって医学部を目指しているのがその象徴だといえよう。かれらは医師になってこの国の最後の成長産業である「高齢者経済」側で最大の恩恵を得る人間となってとりあえず生き延びる道を選んでいる。

医師
写真=iStock.com/kokoroyuki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokoroyuki

では医学部を目指さないタイプの最優秀層はどうしているのかといえば、かれらもやはり「革新」を志しているわけではない。「高齢経済」の重たい搾取から逃れるために、少数精鋭でもって法人を立てて生活の糧を得る、いわゆる「マイクロ起業」を行い、日本の税制の裏を(あくまで合法的な範囲でだが)かきながら個人最適化して生きていることがもっぱらだ。

■俊英たちは「自己防衛」のために能力を使う

日本の若き俊英たちは、医師となって医療や介護の巨大な経済圏の軍門に下り「体制側」として――傾く船ではあるのはわかっているが――どうにかしがみつくか、あるいは「マイクロ起業」によって徹底的な節税と資産形成をしていくかのふたつが主流になっている。いずれにしても、かれらは同世代において並外れた頭脳やスキルやバイタリティを持ちながら、その才覚を社会や経済や政治の停滞を覆すためには用いない。あくまで「自己防衛」のためにこそ用いていることでは共通している。

「みんな事なかれ主義で、若者に覇気がない」と世の中の年長者たちはがっかりしているのかもしれないが、若者側にもそれなりの事情がある。実際のところ若者に残された道はこれくらいしかないのだ。

日本の知的トップ層がこぞって医学部に進む、あるいは子どもを医学部に進ませようとするエリート層の親たちがいることは、この社会の「高齢経済」をさらに盤石にしており、同時に社会から若い活力を奪ってしまっている。

見方を変えればこれは、いまの「高齢経済」というヘゲモニーを壊してしまうようなポテンシャルを本来的には持っている者(危険分子)をうまく「体制側エリート」として懐柔していわば“骨抜き”にしてしまうようなシステムが実質的に出来上がっているということでもある。150年前に生まれたなら倒幕運動の立役者になっていたかもしれないような傑物も、いまでは医学部生やマイクロ起業家になって「自己防衛」に専念している。

■ロシアの年間軍事費の約10倍の金額が「年金・医療・介護」に消える

この国の社会保障費は2022年度の予算ベースで130兆円を超えており、しかもその内訳を見れば大部分(およそ100兆円)を年金・医療・介護が占めている。つまり社会保障とは実質的に高齢者福祉のための予算ということである。ちなみに3領域の予算規模の合計である約100兆円という数字は、いまウクライナ(ひいては背後にいる西側諸国)と1年以上戦争を続けている超大国ロシアの年間軍事費のおよそ10倍である。

【図表1】社会保障給付費の推移
厚生労働省「社会保障給付費の推移」より
【図表2】社会保障に係る費用の将来推計について
内閣府「社会保障給付費の推移等」より

■社会的な「医学部ブーム」の背景

こんな状況のなかでは、若者たちのチャレンジもイノベーションも起きなくて当然だ。

若者たちにチャレンジ精神旺盛なハイリスク志向をしてもらうためには、少なくともこの国の先行きに“希望”がいくらか持てるようにしなければならない。だが、統計データを見るとご覧の有様だ。人口動態の不安定化と社会保障費の拡大というダブルパンチは「どうあがいても絶望」にしか見えない。統計データを冷静に見られるような賢明で優秀な若者ほど「日本の未来を変えるチャレンジ」ではなく「自分が社会から搾取され使い潰されないための自己防衛」に奔走するのも無理もない。

客観的かつ合理的な判断力を持つ優秀層からすれば、こんな将来性のない国でリスクを冒すなどどう考えても道理にあわないように見える。医学部を目指すのが最適解になる。とりあえず医者にさえなれば(今後は医者も待遇が徐々に悪くはなっていくことは間違いないが)自分が生きているうちは安泰だろうし、自分とその家族が食っていけるくらいには稼げる仕事ではありつづける。医者すらも暮らし向きがダメになるときはいつかやってくるかもしれないが、それは日本そのものが完全にダメになったときだ。全社会的な「医学部ブーム」にはこうした背景がある。

社会保障とは名ばかりの「高齢者福祉」となり、高齢者を事実上の特権階級としてしまっている現在のシステムを抜本的に見直す政治的・社会的合意が得られなければ、この国の経済や社会は若返らないし、画期的な創造性やイノベーションが喚起される土壌は復活しない。

■「保守派vs.リベラル派」という対立軸は無意味になる

2020年代後半からの政治的な対立軸は、「左右」ではなく「上下」になる。

2020年代後半からは、この国の争点は政治的にも大衆的にもメディア的にも「社会保障費による社会経済の持続可能性」にフォーカスされていく。イェール大学の経済学者・成田悠輔氏が巻き起こした「高齢者の集団自決発言」に端を発する騒動や論争は、その小さな予告編だったにすぎない。

ここからの数年間で、旧来的な政治的イデオロギーの対立「右派vs.左派」はその意味をどんどん失っていく。上述したとおり、右派も左派も「社会保障費による社会経済の持続可能性」の論題においては、平時の対立などどこ吹く風で手を取り合って「お前もいずれは高齢者になるのだから(社会保障を守れ)」で一致団結するからだ。

下の世代のために(かれらが子を産み育てたり、画期的な創造性を世に送り出したり、新しいチャレンジをしたりするような、広い意味での希望を日本に対して抱けるように)、上の世代の「特権」を自分がそれを得られる順番がまわってくる前に切り崩すことに同意するのか、あるいは上の世代の側に立ってせめて自分の番だけでも“フルスペックの社会保障”が維持されることを望むのか――その政治的判断をめぐって、世の中は二分されていく。

高齢者数が増加していることを示すグラフイメージ
写真=iStock.com/takasuu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

■若い世代から見れば保守もリベラルも一緒

若い世代からすれば、自分たちに重くのしかかる社会保障の負担に対する異議申し立てをしたときに「お前もいずれは年寄りになるのだから」とか「お前の祖父母にも同じことが言えるのか?」といった良心や道徳性に訴えるトーンで現状を追認しようとする点では、保守派もリベラル派もまったく同じ勢力に見えている。SNSなどで保守派とリベラル派が外交や歴史問題や人権問題や表現の自由などでいがみ合っている様子は、それこそ若い世代からすれば(肝心な部分ではどちらも問題から目をそらして自己保身に走るので)薄っぺらい茶番をやっているようにしか見えないだろう。

SNSにかぎらずメディア・言論界を見渡しても同じことだ。平時において自由がどうの人権がどうのと訴えていたリベラル派はコロナで軒並み「自粛要請」に賛同して自由や権利を軽々と政治権力に“自主返納”してその信頼を大きく損ねてしまった。一方の保守派は保守派で、国を存続させるためにもっとも重要な若き将来世代の生活を考えることもなく、かれらの社会生活に暗い影を落とす社会保障費の問題にも(遠からず自分も年を取ってご厄介になるのだからと)なにも言い出せなかった。勇気ある提言者が現れたときには左も右も手を取り合って提言者を取り囲み「ナチスの再来!」とバッシングを浴びせた。

■「高齢化による停滞」を見て見ぬふりをする

リベラル派も保守派も、いま日本が直面している「高齢化による社会の停滞と閉塞」に対してはなんら解決策を出せないどころか、個人として問題意識を持っていることを言明することすら避けている始末で、なんら意味ある議論に貢献することができないでいる。

たしかに「高齢者のための福祉を(若者やこの国の未来のために)考え直す」という営みは、非道徳的で非倫理的で政治的にもただしくない。だが、ここから目をそらして枝葉末節にかかずらってばかりの議論や論者はその価値を失っていく。

近い将来、保守派とリベラル派のイデオロギーの対立が政治や社会の争点となっていた時代は、「余裕のある時代だったのだな」と懐かしく回想されることになるだろう。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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