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なぜ日本は全国各地に「石油化学コンビナート」があるのか…アメリカ人を感動させた「工場夜景」のワケ

プレジデントオンライン / 2023年8月4日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bim

なぜ日本は全国各地に巨大な石油化学コンビナートがあるのか。河合塾の化学科講師の大宮理さんは「本質はクジラの解体と同じ。石油を余すことなく使い切るため、1カ所に集約する必要があった」という――。

※本稿は、大宮理『ケミストリー現代史 その時、化学が世界を一変させた!』(PHP文庫)の一部を再編集したものです。

■デートスポットは「工場夜景」

20世紀中盤から世界的に石油化学工業が勃興し、石油化学コンビナートという巨大な工場がその象徴になります。ゴジラやウルトラマンの怪獣が必ず壊しにいくところです。現在では、“工場萌えブーム”もあって認知度が上がりました。

私はコンビナートを偏愛しているので、独身のころ、きれいな工場夜景を見に、よく女性を連れていきました。夜景はウケるのですが、「あれが蒸留塔、あっちがクラッキングタワー、炎を出しているのがフレアスタック、こっちはエチレンのタンク……」と悦に入って解説をすると、ほとんどの女子はシラけます。

けれども、一人だけ例外の女子がいました。コンビナートのキラキラした夜景を見て、「これこそが猿から進化した人類が数学、物理、化学を合わせたテクロノジーの集大成や! あっちのボーボー炎出しているタワー、熱そうやから近くまで見にいくで!」と異常な食いつきで、一晩中、車でコンビナートめぐりをさせられました。それがいまの妻です(笑)。

■連合軍が大勝したのは「工業力」があったから

第2次世界大戦で、連合軍を勝利に導いたのはアメリカの圧倒的な工業力です。

大戦を通じてアメリカは、31万機の航空機、8万8000台の戦車、90万台のトラック、41万門の大砲、27隻の航空母艦、2770隻の戦時輸送船などを生産しました。工業力による数の暴力でナチスや日本をボコボコにしたのです。

これら大量の航空機や戦闘車両、輸送トラックに大量のガソリンが必要になり、原油からガソリンをつくる技術が必要になります。原油の分別蒸留から得られるガソリンでは少なすぎるので、ほかの石油成分から接触分解(クラッキング)という方法で分岐型の炭化水素を多く含む高性能なハイオクタンガソリン(ハイオク)をつくりだす必要がありました。

接触分解では、石油成分から、ベンゼンやトルエン、亀の甲のような記号の構造式をしたベンゼン誘導体(芳香族化合物)も合成されます。従来、これらの分子は製鉄の際に使うコークス(炭素)の製造において、石炭を加熱して分解する際の副生成物であるコールタールという黒い液体から分離して製造していましたが、ガソリン製造の副産物として大量生産が可能になります。

芳香族化合物の有名な分子としてトルエンがあります。このトルエンからつくられる分子にTNTという爆薬の分子があります。第1次世界大戦で大量に使われはじめ、この大戦で使われた総量は6万8000トンでした。

それが、第2次世界大戦では、1年当たり136万トンもの量が必要になりました。これだけの量をまかなうには石炭からのコールタールだけでは足りないので、ガソリン製造とセットでトルエンを生産する必要があったのです。

■コンビナートが巨大なのはクジラ解体と同じ原理

また、石油からハイオクガソリンをつくったときに副産物として発生するエチレンという気体が、いろいろなプラスチックをつくるのに有用な原料になります。石油の分解ではブタンという分子も得られ、合成ゴムの原料になります。

クジラやアンコウは捨てるところがないといわれるほど解体して、さまざまな料理(クジラからは鯨油もとれます)に使われます。同様に、石油からのガソリン製造にあわせて、さまざまな分子を捨てることなく徹底的に利用しようとするのが石油化学工業です。

その性格上、工場を分散せずに1カ所に集約して効率化する必要があります。それが石油化学コンビナートです。コンビナートとはロシア語で「結合」を意味し、ソ連で発電所や工場を集約して配置したものの名称です。欧米では「コンプレックス(複合体)」と呼んでいます。

■「エチレン」「プロペン」の誕生

石油化学工業の始まりはアメリカです。

1920年にスタンダードオイルがガソリン製造において、大きな分子をちぎって小さなガソリンの分子にする、接触分解で生じる切れ端の端材のようなプロペン(プロピレン)C3H6の分子からイソプロピルアルコール(2-プロパノール)CH3CH(OH)CH3を製造しはじめました。

それまではプロペンは邪魔者として燃やされていましたが、災い転じて福となすで、捨てるものから有用な商品に転換することが可能となりました。

1921年、ユニオンカーバイドがウェストヴァージニア州の油田で、石油とともに噴出する天然ガスに含まれるエタンC2H6の分子を加熱分解して、水素原子を二つ外すことでエチレンC2H4をつくる工場を稼働させました。

この世界初のエチレン製造のための小さな石油化学工場の誕生から30年で、エチレンが文明を支える王者になっていきます。

■自動車の普及が「凍らない水」を生んだ

20世紀のはじめ、エチレンやプロペンなどの石油製品の需要が増大していたのには理由があります。

1913年に始まった「T型フォード」の大量生産による自動車の普及で、自動車用の化学品、冷却水に加える不凍液のエチレングリコールHOCH2CH2OHや速乾性塗料のニーズが激増していました。

はじめはエンジンの冷却水に水を使っていましたが、寒冷地では凍結して故障が続発しました。そのため、水にエチレングリコールを加えて、氷点下でも凍結しない不凍液が発明されました。

1923年には、アメリカのデュポンがニトロセルロースをもとにしたラッカー塗料を開発しました。ニトロセルロースは綿や木材の成分であるセルロースを硝酸で処理してつくる物質で、セルロイドや無煙火薬などの原料です。

■実はマニキュアも同じ

ラッカー塗料とは、色の成分(顔料)とニトロセルロースを溶剤(シンナー)に溶かしたもので、溶剤が蒸発したあとに顔料と樹脂が塗膜として残ります。

マニキュアも同じで、ニトロセルロースを酢酸エチルに溶かしたものです。酢酸エチルは接着剤の溶剤としても使われていて(その独特の匂いが酢酸エチルの匂いです)、パイナップルやキウイなどのフルーツの香りの成分でもあります。

マニキュアを塗る女性の手元
写真=iStock.com/Milan Micic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Milan Micic

スプレーで噴射して速く乾くラッカー塗料が自動車塗装に利用され、それまで数日間かかっていた塗装工程が数時間に短縮されます。溶剤の需要が激増して、溶剤になるイソプロピルアルコールがガソリンと一緒に製造できるようになって一石二鳥となりました。

自動車産業の発展が、ガソリンやエンジンオイル、不凍液、窓ガラス、ゴムタイヤ、樹脂などの開発、製造をうながし、化学工業発展の原動力になったのです。

■分子の形を自在に変えて望みの分子をつくる

その後、第2次世界大戦が始まると、アメリカは国策としてガソリンと合成ゴムの大量生産を計画し、石油化学コンビナートが勃興します。石油から航空機用高性能ガソリン(ハイオク)をつくるための化学反応や触媒の探索により、石油化学が着実に力をつけていくのです。

1949年には、接触改質(リフォーミング)という新しい革命的な技術が広がります。おもに石炭の熱分解で得られるコールタールからつくられていた、芳香族といわれるベンゼン、トルエン、キシレンといった分子を石油から大量生産できるようになったのです。

石油に含まれる炭化水素の長い鎖状の分子(炭素数6〜8)を、あたかもフランスパンを丸めて大きなドーナッツ状にするような化学反応で形を変えて(まさにリフォームして)、ベンゼン、トルエン、キシレンなどを大量生産する手法です。

触媒を使った画期的な技術の発明によって、石炭を中心にした時代から、石油が中心の時代へと急速に時代が変わっていきます。

熱で分解する反応や触媒を使った化学反応、混合物の分離などの技術が次々に生まれて、石油に含まれる分子をあたかもブロック玩具を組み替えたり、引き抜いたりするように、自在に分子の形を変えて望みの分子をつくれるようになります。こうして、巨大な石油化学工業へと進化してきたのです。

そして、今日の自動車が走りまわり、モノが溢れる大量消費社会へと進んでいきました。

■資源貧乏だからこそコンビナートを建設した

戦後、アメリカの巨大な多国籍石油メジャーが、世界を牛耳りました。

自国に油田のないイギリスやドイツ、日本(新潟と秋田の小規模油田のみ)は外貨のドルが不足していたので、アメリカ産の高い石油製品を貴重なドルで買うよりも、安い原油をドルで買って自国で精製するほうを選びました。

こうして各国で、石油精製、石油化学を組み合わせた石油化学コンビナートが建設されていきます。アメリカ以外で、石油化学コンビナートの原型ともいうべき石油化学工場がはじめて誕生したのがイギリスです。1951年6月、ミドルズブラのティーズ川河口のICIウィルトン工場が、石油化学の工場として稼働しはじめました。

日本では、1955年に、通商産業省(現在の経済産業省)の主導で石油化学コンビナートが計画されました。かつての海軍や陸軍の燃料廠(燃料の製造貯蔵設備)などを財閥系化学企業に払い下げたり、埋め立て地をつくって誘致したりして、鹿島、千葉、川崎、四日市、堺、水島、岩国、徳山、大分など、太平洋ベルト地帯に石油化学コンビナートが建設されていったのです。

■あらゆる製品を生み出す魔法の場所

SF映画の金字塔といわれる1982年公開の映画「ブレードランナー」のオープニングでは、ロサンゼルスの街に炎が吹き出すフレアスタックなどが林立し、さながら石油化学コンビナートのような夜景が演出されています。リドリー・スコット監督は、羽田空港から乗った飛行機のなかで、眼下に広がる川崎浮島町(神奈川県)のコンビナートの夜景を目にしてインスピレーションを得たようです。

映画の巨匠を魅了するほどの壮大な夜景の石油化学コンビナートでは、何をしているのでしょうか。まず、タンカーからの原油を精製して、沸点の違いで、石油ガス、粗製ガソリン(ナフサ)、灯油、重油などに分けます。

ズバ抜けてガソリン(炭素数が5〜11の炭化水素)の需要が大きいので、接触分解で炭素数が多い軽油や重油の成分を触媒とともに加熱して分解し、ナフサをつくり、ガソリンを製造します。

大宮理『ケミストリー現代史 その時、化学が世界を変えた!』(PHP文庫)
大宮理『ケミストリー現代史 その時、化学が世界を一変させた!』(PHP文庫)

このナフサをさらに分解すると、エチレン、プロピレン、ブタンといった石油化学工業の基幹になる原料が得られます。また、ナフサの接触改質により、枝分かれが多い炭化水素(ハイオクガソリン)、さらにベンゼン、トルエン、キシレンといった芳香族化合物を合成します。

これらは可燃性のガソリンを加熱するため、危険な工程になります。そのためコンビナートでは、安全に操業するために膨大な技術力と努力が注がれています。いまや、コンピュータで管理することによって、巨大なコンビナートも数人で管理できます。

エチレン、プロペン、ベンゼン、トルエン、キシレンといった化合物から、さまざまなプラスチック、合成ゴム、医薬品、カラフルな合成染料、洗剤、液晶材料などを合成していく現代の魔法が石油化学コンビナートです。

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大宮 理(おおみや・おさむ)
河合塾化学科講師
東京・練馬区に生まれ育つ。都立西高校卒業後、早稲田大学理工学部応用化学科で機能性高分子化学の研究室にて研究するも、父親の自己破産で極貧のため大学院にも進学できず、誰にも惜しまれずに卒業、化学の予備校講師に。代々木ゼミナールで衛星放送の授業などを担当したあと、河合塾講師として現在は中部地区の河合塾で授業や教材、模擬試験作成を担当する。『苦手な化学を克服する魔法の本』『もしベクレルさんが放射能を発見していなければ』(以上、PHP研究所)や学参など多数の著作がある。iOSアプリ「インスタ化学」を主宰。独身時代にローマ帝国とイタリアを体感すべく跳ね馬「フェラーリ」を乗りまわすも、いまは二人の子供にお馬さんごっこで乗られている。古書店めぐりや歴史、ミリタリー、プラモデル、自動車、鉄道、模型、自転車(ロードバイク)、ワイン、蒸留酒、日本酒、料理、クラシックやアート鑑賞など多趣味が災いして、日々、人生の“大後悔時代”を歩んでいる。

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(河合塾化学科講師 大宮 理)

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