「JRの安全安心なレールから自ら降りた」プロ野球選手未満の"会社員"が31歳で投資運用会社に転職大成功のワケ
プレジデントオンライン / 2023年8月5日 11時15分
■高卒後にプロ、大学、社会人で野球をできる選手はレア
酷暑の中、今年も「夏の甲子園」が始まる。
49の代表校の選手が汗にまみれて全力プレーをするのはチームを勝利に導くためだが、それだけではない。彼らは高校卒業後、地元一般企業に就職したり、普通の大学生になったりして、現役から退くケースがほとんどという面もある。人生最後の真剣勝負の野球を全うしようとしているのだ。
プロ選手や、大学・社会人のアマチュア選手としてもっと上のレベルで野球を続けるのはごく一部に限られる。
今回、紹介する東條航(わたる)さん(31歳)は甲子園出場こそしていないものの、その球歴は大学、社会人に及ぶ輝かしいものだ。
中学時代:毎年難関国公立大学や早慶などに多くの合格者を出す桐光学園中学に中学受験をして合格。神奈川の名門、緑東リトルシニア(現青葉緑東リトルシニア)全国優勝。小学生時代のリトルでも全国制覇
高校時代:野球部の強豪としても知られる桐光学園高校の主力に。激戦の神奈川県予選で甲子園出場は叶わなかったが3年夏、県大会準決勝まで進んだ。
大学時代:指定校推薦で早稲田大学文化構想学部に進学、3年時から遊撃手のレギュラーを取って、この年、チームは日本一に。4年時は主将。
社会人時代:黄金時代にあったJR東日本(以下、JR)へ。入社時にそれまで遊撃手のレギュラーだった田中広輔さんがドラフトで広島カープに入団しポジションが空いたこともあり、ルーキーイヤーからスタメン抜擢。5年目に社会人ベストナインを獲得、6年目に主将就任を言い渡され、チームを引っ張った。
小学生時代も含めれば約20年間野球一筋で、まさにアマチュア野球界のど真ん中を歩いてきた。
JRで6年間プレーし、2019年に28歳のときに選手を引退。通常、社会人野球の選手はそのままサラリーマンとして会社に残ることが多いがまったく違うユニークなセカンドキャリアを歩んだ。なんと現在は、投資運用会社の社員として順調に歩みだしている。
野球人生からまったく異なるジャンルへ華麗に転じることができたのはなぜだろうか。
■20年野球一筋→投資運用会社への転身はなぜできたのか
ポイントは、以前から野球だけでなく学業も並行して頑張り続けたことだ。
その布石は桐光学園高校時代にすでに打たれていた。大学進学を念頭に勉強を怠らなかった東條さんは高校3年間の成績はオール5。スポーツ推薦ではなく学校推薦により早大入りを果たす。
この野球と勉強の両立という実績がのちの人生にも影響を与える。社会人の全国大会である都市対抗に6回出場し、主将として実力者ぞろいの名門チームをまとめたものの、自分はプロのレベルにないことを自覚して6年で現役を引退。いったん社業に就いて東京駅での改札業務などを担当した。
「業務をしながら、ずっと考えていました。自分のセカンドキャリアはどうしたらいいだろうか、と。このままJRという巨大な組織に残れば安定した生活は保障されるかもしれない。でも、自分の人生、やりたいことは何か……」
そうやって自分を見つめ、スタート地点に立ち帰った結果、意外な人生を選択する。その最終的な判断はJRでの社会人野球時代、ある人物との“アカデミック”な出会いが大きかった。
JRに入って4年目のことだ。野球部の外部コーチになっていた元ボストン・レッドソックスのルイス・アリシアコーチから指導を受け、社会人野球でベストナインになるなど選手として飛躍できた。
「コーチの質が大事」ということはアメリカキャンプで通訳兼世話人だったリチャード・脊古さんに諭された。
「日本の野球界は現役を引退したら段階式にコーチになれることが多いけれど、アメリカはしっかり勉強してからコーチになる。選手の経験がなくても認められればコーチになれる。この流れはいずれ、日本にも来る」
君も学びなさい、と強く勧められたという。東條はここで深掘りすることを決めた。「コーチングを極めて後進を育てよう」。
その頃、日本で最新のコーチングを学べるのは筑波大だった。早稲田のスポーツ科学部にはコーチングの名がつく学科はなく、母校を離れる決断をする。
大学生時代、早大野球部員の多くは所沢キャンパスのスポーツ科学部に在籍するが、東條さんは新宿区の戸山キャンパスの文化構想学部。野球部は男所帯だが、学部では女子学生も多くジェンダー関連のゼミに属した。あまり型にはまらない。そんな自身のスタイルが当時から備わっていた。
「(ゼミのテーマである)ジェンダーもつながってくるんですが、今はもう早稲田にこだわり、早稲田だけにいる時代じゃないなと。早稲田の血もあり、筑波の血もある。多所属、多様性の化学反応を自分の中で起こしてみたくなりました」
また、筑波を選んだのは同大野球部の選手の境遇が自分と似ていた点にシンパシーを感じたということもある。
彼らは運動能力だけでは大学に合格できない。また、身体能力も東京六大学リーグ、東都リーグと比べれば劣る。プロでやるというレベルにはないが、大学では野球を極めたい。そういう選手の集まりだ。
東條は筑波大野球部の川村卓監督が主催する大学院の野球コーチング論研究室に所属することに。この研究室には過去に、現千葉ロッテ監督の吉井理人、現DeNAコーチの仁志敏久も在籍したことがある。
川村監督のもとには、二刀流の大谷翔平(エンゼルス)を指導した岩手・花巻東高校の監督・佐々木洋さんや、佐々木朗希(千葉ロッテ)を育てた同じ岩手・元大船渡高校監督の国保陽平さんも頼っている。
■縁のない金融業界「社員をまとめて」と口説かれた
研究内容は、動作解析、データ分析をする科学の部分とプレーの動きをどう結びつけるか、というもの。抽出した数字データを現場の選手が理解し、プレーに反映できるように還元していく。
「データを扱えるアナリストは増えていますが、野球経験者でなければ教えられないこともあります。科学と技術(プレー)のどっちも持ち合わせてつなげられる自分なら、役立てるシーンも多いのではないかと思いました」
例えば、ピッチャーというポジションは数字で評価されやすい。投げるボールのスピードや回転数などの数字が「価値」になる。
「そういう意味では数字を高めることが“価値”を高めることにつながりやすい。一方、野手はゴロをさばくにしてもバッティングにしてもシチュエーション(飛んでくるゴロの勢い種類、打つ球の速度や変化の仕方など)が全て受け身、再現性がないに等しい。そこは科学だけでは対処できない。打撃でいうならば投手の球にどう対応するかが打者の本質。良いスイングをすれば必ず打てるというものではない。僕は〝考え方〟や〝状況判断〟など科学しづらい部分と数字を融合できる感覚派のコーチとして求められたのだと思います」
サラリーマン(JR)の傍ら大学に通った。駅の業務は泊まり勤務のシフト制で、朝の9時半に終業してから授業に出ることができた。またコロナ禍のオンライン授業で、レポート提出の講義が増えたことにも助けられた。
コーチになるためには他の分野に精通する必要がある。栄養学、心理学など野球以外の教授ともつながりを持てた。仕事と大学院通学も軌道にのり、プライベートも充実し、結婚して子供も生まれた。
当然、生活の基盤をさらに強化しないといけない。このまま決裁権が持てるまでサラリーマンを務めるのか。チャンスは待っていても来ないのではないか。この頃、親しい先輩が早世していて、やりたいことはすぐにでも始めたほうがいいのではないか、という気持ちもあった。
悶々としていたタイミングで、投資会社を立ち上げていた早大野球部の同期である渡辺克真さん(野村證券出身)から連絡があった。2022年秋のことだ。社員をまとめる人材を探していて、主将経験者の東條は適任だと口説かれたという。
選手の現場を退いた3年前、いくつかの企業から声をかけてもらったが、そのときは決めかねた。だが育児休暇の最中、修士の勉強と大学コーチのタイミングで誘われ、JRから転職を決断した。
■野球合宿に帯同しながら猛勉強「証券外務員一種」取得
東京港区田町のオフィスビル。そこにはベンチャーやスタートアップが複数同居する。3階の共同スペースにはラフな服装の若者がパソコン片手に自由に語りあっていた。
2021年夏創業の投資運用会社「KxShare(ケーシェア)」。9階の20畳ほどのスペースにデスクが7つ。社員は現状6人だ。同社は投資家から資金を集めて企業に投資し、収益を得る。2022年6月から運用を開始、2023年6月の1年間の運用パフォーマンスは55.5%だったという。将来は上場も視野に入れて拡大を目指している。
これまで金融の世界にまったく縁はなかった。簡単な用語さえも知らなかったが「証券外務員一種」という資格を今年3月の筑波大の鹿児島合宿に帯同しながら猛勉強をして取った。
営業の仕事はターゲットの適格投資家を探して投資してもらう。3月に入社してこの7月に初めての契約を結んだ。この最初の契約が、同社が契約した中で最も大きな金額で、東條を誘った社長の渡辺克真は驚いたそうだ。
出社は朝8時。静かな時間に一人で集中して仕事をしている。勉強することは際限がない。この4カ月ほどでいろんな発見があった。知り合いの実家が優良企業だったなんていうことも新鮮だった。なんせ、日本には420万以上の会社があって、一部上場はほんの0.1%でしかない。
鉄道会社の“レール”から降りた。安易に敷かれた道には乗らなった。出身校のくくりを取っ払った。一流大企業から社員一ケタのベンチャーへの転職。現役時代のポジションは守備の要・遊撃手。堅実な守備の人だったが、人生は攻撃的だった。
「(これからも)攻めた人生にしたいです」
現在は新しい仕事にまい進する日々だが、野球やコーチについても常に考えている。転職と同じタイミングで4月からは筑波大野球部の正式な外部コーチになってベンチに入った。春の首都リーグは優勝に届かず3位だったが、ベストナインを4人出した。サードとセンターの2人は2年の時から鍛えてきた選手だ。
将来は筑波大の監督も、という期待もありそうだが、「それにはレベルの高い論文を3本書いて博士号をとらないといけない。ちょっと現状では難しそうです」。そういって苦笑いした。
東條にはスポーツとビジネスを絡めた夢があった。アメリカにテニスで有名なIMGというスポーツ育成事業の拠点がある。それに似た野球のアカデミーを日本に作ることができないか。部活が早く終わって帰宅した子供たちがアカデミーに行って希望のトレーナー、コーチに教えてもらえたり、プロもアマも一緒に自由に試合もできたり……、そんな場所だ。
金融ベンチャーと野球指導者という二足の草鞋を履くセカンドキャリアが始まった。
「将来、上場したら、子会社でスポーツビジネスをしようと思っています。(社長の渡辺)克真もやろうと言ってくれています。仕組みを作って野球に恩返しをしたい。近い将来、日本に影響を及ぼすような人材になっていたいです」
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フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。
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(フリーランスライター 清水 岳志)
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