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47歳でセミリタイアしたのに貯金が増えている…「貯金ができる人」と「できない人」の決定的な差とは

プレジデントオンライン / 2023年8月5日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

貯金ができる人、できない人の違いはどこにあるのか。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「カネをためるのに必要なのは『臆病さ』。そして、身の丈に合った金銭感覚。自分の場合は若いころのキツいバイトで刻み込まれた『苦痛の対価としての889円』という時給額が、消費における判断基準になっている」という──。

■セミリタイア後も順調に貯金が増える

2020年9月1日、当時47歳だった私は、長年携わったネットニュース編集の仕事をすべて辞し、半隠居生活を開始した。仕事量を激減させたぶん、年収もかなり減った。だが、私は元来、カネを使わない。セミリタイアから間もなく3年経過するが、貯金は着実に増えている。ずいぶん前に「5%上がったら売っておいてください」と証券会社に頼んでいた金融商品はいつの間にか5%アップを達成。それも貯金額を押し上げた。

対して、現役バリバリの同世代は順調に出世を重ねたり、転職などでキャリアアップを果たしたりしている。素直に「立派だな」と思う。ところが、彼らと飲んだりすると「貯金が足りねぇ……」と愚痴られることがある。そのたびに私が言うのはこんなことだ。

「○○(相手の名前)には“子供”という大事な財産が2人もいて、家だって持っている。大したものだよ。フェイスブックでも、ナイスな食生活とか、高級リゾートホテルに泊まる様子を紹介してるだろ。それで幸せならばいいじゃないか」
「子供を一人前にするのは大変だろうけど、子育てから得られる喜びも多いはず。それに将来、子供が恩を返してくれるかもしれない。家ナシ、子ナシ、質素生活なオレよりずっと幸せだよ。というか、幸せの尺度は個々人によるわけだし、貯金がなくとも○○は幸せなんじゃないの?」

■第一線で働く同世代に抱く畏怖の念

こうした高年収の同世代の暮らしぶりを見ると、「カネはあるだけ使ってしまう」といった状況であることが多い。また「遺産や大化け株でも持っているんじゃないの?」と尋ねても「それはない」と返す人が大半だ。

こんな話をすると「貯金ができないなんて信じられない」「将来を見越して資産形成できないのが悪い」などと、私が批判的に捉えているように感じるかもしれないが、そうではない。むしろ彼らのような生き方は、小心者の私からするとうらやましく感じてしまう。他人の細かな懐事情など知るよしもないが、彼らはおそらく「生涯現役」を受け入れる、覚悟のようなものを持っていると想像する。

そう考えると、あったらあっただけカネを使ってしまう人というのは、人生を楽観的に見通したうえで、必要に迫られれば70歳になっても稼いでいける自信があるのだろう。私が47歳で半隠居生活に入った理由は、「50歳を過ぎたら若者に到底太刀打ちできない」と考えたから。「あの人、古臭いんだよ」と現場の最前線で活躍する下の世代に陰口をたたかれるより、ひっそりと目立たない場所で小遣い稼ぎをするほうが、惨めな気持ちにならずに済むと思ったのだ。だからこそ、50歳を超えても一線級で仕事をこなし続けている人に対して、私は畏怖の念を感じてしまうのである。「よくもこんな修羅の世界で生き延びていますね!」と。

■貯金ができる理由は「臆病」だから

さて、ここから本題なのだが、私は今回「貯金ができる人」と「できない人」の違いについて考察していく。ただ、念押ししておくが「貯金できる人のほうがエラい」「有り金をジャンジャン使ってしまう人は愚か」という杓子定規な話をしたいわけではない。生き方は人それぞれ。絶対的に正しい選択なんてあり得ない。その前提で読み進めていただきたい。

私のように貯金ができる人間は、端的に評すと、とにかく「臆病」なのである。思考の根底には、常に不安が横たわっている。だから、思い切ったカネの使い方がなかなかできない。加えて、個人的には大嫌いな言葉だが、いわゆる「コスパ」を重視してしまうのだ。

たとえば、東京から鎌倉へ鉄道で向かうとき、私はJRの在来線でグリーン車を利用する。休日であれば、グリーン券は580円だ。普通運賃に580円を加えることで、車内の快適度が大幅に上がる。座席は特急のような2人掛けシートになり、景色を眺めながらゆっくりと弁当も食べられるし、ビールなどの車内販売も来てくれる。

一方、新幹線に乗る場合、自腹で運賃を払うのであればグリーン車を利用する気にはなれない。東京・新大阪間の片道料金は指定席で1万4720円。グリーン車だと1万9590円。差額は4870円だが、金額ほどの価値が私には感じられないのだ。席が少し大きいことと車内誌が読めること、車内販売がすぐに来ることなどがグリーン車のメリットではあるが、正直、新幹線は普通車でもかなり快適である。新幹線グリーン車の快適度は、コスパ具合でいうと在来線以下に感じてしまう。

新大阪駅に展示された新幹線の座席
写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

この4870円の差をどのように捉えるか、という視点が貯金の多寡にも関わってくるように思う。同じ収入であっても貯金額が違ってくるのは、こういった場面でカネを多く使うか、安く抑えるか──そうした積み重ねの結果なのだ。

■「分相応」の感覚が貯金を助ける

現在、佐賀県唐津市で生活している私の住居は賃貸マンションだ。間取りは2DKで家賃は6万円台である。だが、「夫婦2人で暮らすだけなら、1DK程度の間取りで家賃4万円台の物件でも十分かもしれないな」と近ごろ思うようになった。

日本人なんてしょせんは150~180cmくらいの大きさしかないわけで、日常生活を営むだけならそこまで広いスペースは必要としない。われわれはヒグマでもゾウでもないのだ。大きな家に住んだところで、部屋を持て余したり、掃除が面倒になったり、無駄にモノを増やしてしまったりするだけである。

このように「分相応」「必要十分」の感覚を持っていると、案外カネはたまっていくものだ。給料・報酬が入るたびに預金額は増えていくから「あぁ、今月も黒字だった……」と安心することができる。そして、翌月以降も安心感を継続していきたいから、何事においても「余計なカネは使わないようにしよう」という発想になる。結局「臆病か、豪気か」というスタンスの違いが、貯金の多寡につながるのだ。豪気な人はたまらず、臆病な人はたまる、ということではなかろうか。

■海外から戻って、モノの買い方にも変化が

分相応、必要十分に関連した話でいうと、最近、私が実践している「冷蔵庫内のストック管理術」についても付け加えておきたい。

私は2023年2月から5月までの3カ月ほど、タイとラオスで過ごした。日本を離れる前、家の冷蔵庫を空っぽにしたのだが、帰国後も冷蔵庫を満タンにしないことを心がけるようになった。タイやラオスで暮らしてみて、自分に必要なモノが極めて少ないことがよくわかったのだ。スーツケース、リュック、ボストンバッグ、トートバッグがひとつずつ。それだけで3カ月間の生活が成り立ってしまったのだから。

そんな経験をしたこともあり、唐津に戻ってから「余計なモノはいらん。本当にいらん」という考えをさらに強く抱くようになった。こうした志向は、日々のスーパーでの買い物にも活かされるようになる。タイへ行く前は、店で食指がそそられる食材(たとえばXO醤など)を見つけたら、躊躇なく購入していた。だが、それらを使い切ることなく捨ててしまうことも少なくなかった。そこで帰国後、スーパーへ出向く際は「今晩と明朝の食事で必要なモノだけ買う」ことを心がけるようにした。

冷蔵庫を開ける男性の手元
写真=iStock.com/SummerParadive
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SummerParadive

すると、コレが思いのほか節約になったのである! 「いつか必要になるかも」「あれば使うかな」程度の食材は購入せず、とにかく喫緊に必要なモノのみを買う方針にしただけで、月に1万5000円程度は節約できるようになった。さらに冷蔵庫内にも余白が生み出され、食材を傷ませてしまった後悔や、「ぜんぶ使い切らなきゃ」というプレッシャーからも解放された。

このような姿勢は、冷蔵庫の食材管理だけでなく人生全般にも影響を与える。「いま必要なものだけを手にする」という方針でこれからも生きていく。さすれば、貯金はさらに増えていくだろう。

■苦しんで稼いだ「時給889円」が判断基準に

「臆病な生き方/豪気な生き方」「必要最小限のモノしか持たない/ほしいモノは全部手に入れたい」のどちらが本当に幸せか、というのは私にもわからない。ただ、私にはいつも判断基準にしている、目安のような金額がある。バイト時代の時給だ。大学に入る直前の1993年3月、私は引っ越し屋で1カ月ほど働いたのだが、1日9時間勤務でバイト代は日当8000円だった。時給に直すと889円である。

このバイトは本当につらかった。重い荷物を何個も運ぶことになるので肉体的にキツかったことに加え、毎度一緒にトラックに乗る先輩2人組が、これから大学に入る私のことを「インテリさん」と揶揄するように呼び、現場で罵倒し続けたのである。精神的にもかなり疲弊した。入学までの1カ月間で20日ほど働き、バイト代として16万円を手にした。他にも、引っ越し客からときどきチップをもらうこともあった。それらの報酬は大学生活初期の消費を助けてくれた。だが、同時に「苦痛の対価としての時給889円」という概念を私に強く植え付けたのだ。以降は、この時給を基準に物事の価値をはかり、消費行動を考えるようになった。

■ケチとして歩む人生に悔いなし

こうして、私はケチ方向に完全に振り切った人生を歩むことになり、「889円以下だったらどんな食べ物でも許容する。889円以上の場合は、支払う意味や価値をしっかりと考える」といった金銭感覚が基本になった。それこそラーメン一杯、生ビール一杯の価格も、この889円を基準にして費用対効果のよし悪しを判断するようになっていった。

金銭感覚は往々にして、若いころに培われるもの。私は「時給889円」が経典のように刻み込まれたため、いまも20歳のころと変わらぬ経済観念を持っている。どんなに収入が増えても「889円」という金額がすぐ頭に浮かんでくるので、財布のヒモは緩まなかった。だから、自然に貯金は増えた。

そんな私だが、たとえば遠くからやってきた大切なお客人をもてなすときなど、然るべき場面ではカネをためらいなく使う。しかし日々の暮らしにおいては「時給889円」という感覚を絶対に忘れることはない。「三つ子の魂百まで」ではないが、若いころに身に付いた感覚や価値観は、思いのほか人生に深い影響を及ぼすものなのだな……と改めて感じ入る、50歳目前の夏の日の2023である。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」

・それなりに稼いでいるはずなのに「貯金がない」と愚痴る人は多い。そういうタイプは往々にして「カネがあると、あるだけ使ってしまう」消費傾向がある。
・貯金できるかどうかは、その人が持っている「臆病さ」次第というところがある。不安感が強い人間は将来を楽観視できないので、よくも悪くも出費を抑えてしまう。
・若いころに身に付いた金銭感覚は、年を重ねてもなかなか抜けず、生き方に深く影響する可能性がある。
・つましい生き方、豪気な生き方、どちらを選ぶのもアリ。ただし、自分で納得できないカネの使い方はしないほうがいい。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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