国立科学博物館の「クラファン即日達成」は美談ではない…日本の博物館が財政難に陥ってしまう根本原因
プレジデントオンライン / 2023年8月22日 15時15分
■「バックヤードツアー」は欧米圏では標準的な施策
国立科学博物館が資金不足の補塡(ほてん)のために、バックヤードツアーなどの特典を付加したクラウドファンディング(以下「クラファン」と表記)を実施し、開始から9時間で目標額の1億円を達成したとのニュースが報じられました(8月18日時点の支援金は6億7394万7500円)。
このニュースは現在「支援金と共にたくさんの応援コメントが寄せられ……」などとして報じられていますが、これを「美談」として終わらせてはなりません。むしろ、その背景にあるものは全く逆の文化施設等をめぐるわが国の状況です。
博物館や美術館などの文化施設が高額の拠出をした者に対して、他とは違う特別なメニューを提供するというサービスは、欧米圏においてはいたって標準的な施策です。
■諸外国の博物館との大きな違い
例えば米国ニューヨークの自然史博物館などでは、一人約2万円で博物館内に宿泊できるサービスなども提供しています。この博物館は映画『ナイトミュージアム』の舞台で、そこに宿泊し、夜の博物館を体験できるこのプランはとても人気を博しています。
今回の国立科学博物館が実施したようなクラファン形式での資金調達を、世界の主要美術館で初めて成功させたのは2010年のルーブル美術館であるともいわれています。ルーブル美術館では寄付者に対して、通常営業をしていない閉館日に特別に作品を見る機会を提供しています。
さらには、寄付者は一般公開前の作品を鑑賞できるレセプションに招待されるなど、さまざまな特別な待遇が提供されています。結果として、ルーブル美術館の自己収入比率は全運営費の43%にまで及んでおり、例えば日本の国立科学博物館の自己収入比率26%と比べると非常に高い水準となっています。(共に2018年文科省「公立社会教育施設の所管の在り方等に関するワーキンググループ資料」より)
■630円の入館料の意味
一方で、日本の文化施設における一部高額拠出者に対する特典の提供は、いまだ大きく広がっていないのが現状です。
その背景には「博物館や美術館などの文化施設は、社会教育のための施設であり、多くの市民に対して平等にその機会を提供しなければならない」とする社会認知と、その思想に基づく法規制が存在します。
わが国の公立博物館を規制する博物館法は、その第26条で「公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない」とする定めを持っています。
ただし、この条文は後段で「博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる」と定めています。現在、国立科学博物館は常設展示の一般入館者に対して630円の入館料を定めていますが、この微々たる入館料ですら実は法律上は「博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合」の特別な徴収であるというのが実態なのです。
![](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/9/1200wm/img_09542750ca010d3f81881e42b0ffd82090055.jpg)
■自然しかない日本の国立公園
通常の入館料ですらこのような扱いですから、ましてや日本の博物館では一部の高額拠出者に対して特典の提供は容易にできない。たとえ提供ができたとしても、それを広く一般市民も手に入るように「価格を抑えるべきだ」という社会的圧力、そして制度上の圧力が常にかかってしまうわけです。
実は、これと同じような構図は、博物館のような文化施設の一方で「自然資源」として法律上の保護、規制を受けている国立公園や国定公園の利活用論議にも存在します。
わが国が誇る自然資源は、新型コロナウイルスの感染拡大で落ち込んだ国際観光客誘致、中でも富裕層の観光需要喚起において非常に重要な観光資源になるものとして高く評価されています。
このように国立公園や国定公園を一部富裕層の誘致に利用する施策は、諸外国においては一般的であり、国立公園を訪れる富裕層のみをターゲットとして、公園内もしくはその隣接地区で高級ホテルの誘致を行い、そこで特別なサービスの提供が行われています。
そのような一部富裕層向けのサービスで得られた収益は、公園内の自然資源の維持管理に充てられ、ひいてはそれが市民生活の質の向上に繋がる。そのような施策は世界的には当たり前のように行われているわけです。
■富裕層向けプログラムの中身
諸外国での事例に倣って、わが国においても国立公園の利活用の促進が政府によって検討されていますが、ここで立ちはだかるのが法律の壁であり、「広く市民に開かれているべき自然資源が一部の高額拠出者だけに提供されること」をよしとしない社会的な風潮でありました。
しかし政府は、コロナ禍によって低迷した観光産業を新たな成長路線に乗せるためには国立公園の利活用が必要であるとして法改正を断行。2021年に自然公園法を改正し、国立公園や国定公園の保護とその利用の好循環を促すため、地方自治体や関係事業者が主体的に進める公園の利活用に関して手続きの簡素化や許可不要の特例を設ける制度を導入しました。
環境省はこの8月に、今回の法改正に基づいて指定される「先端モデル地域」として十和田八幡平国立公園の十和田湖地域(青森県、秋田県)、中部山岳国立公園の南部地域(長野県、岐阜県)、大山隠岐国立公園の大山蒜山地域(鳥取県、岡山県)の3カ所を候補とする方針を発表。
来春までにここからさらに1、2カ所に絞り込んだ上で、区域内への高級ホテルの誘致と共に、当該宿泊施設を利用しながら上質な自然体験ができる富裕層向けのプログラムの開発を始めるとしています。
■収入を得られる機会を逃してきた
今回実施された国立科学博物館のクラファンは、一部の高額支援者を対象に、バックヤードツアーの実施や未公開の電気自動車や飛行機の試乗など、さまざまな特典を提供するものとなっています。
![国立科学博物館本館](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/2/1200wm/img_a2f87bad82d03d94e2431cd01dc59410380655.jpg)
一方で、この実施は通常の実施ではなく、あくまで博物館法の定める「特別な事情のある場合」の規定に基づき「コロナ禍の影響や光熱費の高騰によって今のままではサービスを維持できない」という名目で寄付を募る形式になっています。
しかし、この種の施策は諸外国の文化施設では当たり前のように行われています。今回の「国立科学博物館がクラウドファンディングで1億円を集めた」というニュースは美談ではなく、それだけの自己収入を得られる機会をこれまで逃してきたという話です。このような博物館側の自主的な取り組みを封じてきたからこそ、国立科学博物館「ですら」財政危機に陥ってしまったというお話でしかありません。
■大きな壁は法律と世間の声
今回、わが国を代表する文化施設の一つである国立科学博物館がこの種の施策を実施し、それが大きく成功したことで、おそらくその他多くの文化施設にとっても同種の施策を打ちやすい社会環境になったのであろうと思います。
しかし、この種の施策のリスクとなっているのが、先述の博物館法第26条の「公立博物館は、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合のみに限って必要な対価を徴収することができる」とする規定です。
上記のような国立科学博物館が行ったクラファンの実施手法がこの法の規定に抵触すると判断された場合、このような自主的な取り組みができなくなる可能性もありますし、そもそもこの法律の下では諸外国では一般的なこの種の施策を「恒常的に行う」ことはできないのが現状なのです。
そして、この法の改正を阻んでいるのが、社会教育のための機関である公立博物館は「全ての市民に平等に開かれた存在でなければならない」とする社会認知です。
■社会の実情にあっていない
実は博物館法第26条においては、この社会認知を論拠として法の改正に強く反対する議員が存在するといわれています。また同時に、実はこの法改正が実現した場合、独自収入獲得に向けた創意工夫が求められる立場になる博物館関係者側にも、この条文の改正に水面下で強く反発するグループがあり、それらが障害となって法改正が実現しないままでいるのが実情であるようです。
博物館法の掲げる「博物館は同時に社会教育のための施設であり、多くの市民に対して平等にその機会を提供しなければならない」とする理念はもちろん崇高なものであり、そこに守るべき価値は当然ながらあるでしょう。
一方で、その文化資源を利活用し自主財源を稼いでゆくことは世界的には至極一般的な活動であり、むしろ特別なサービスに対して高額拠出をしてくれる人が「いるからこそ」、通常の博物館運営における「平等な教育機会の提供」が維持できる。そのような考え方が世界的には一般的であると言えます。
少なくとも、常設展示における数百円の微々たる入館料すらも「博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合」という一種の「言い訳」をしながら徴収をせざるを得ない現在の博物館法第26条のあり方は社会の実情にあっていないわけで、今回の国立科学博物館のクラファン成功が注目を集める中、もう一度、博物館運営のあるべき姿を社会全体で考え直してゆく必要があるのではないか。そのように考える次第です。
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国際カジノ研究所所長
1976年、広島県生まれ。ネバダ大学ラスベガス校ホテル経営学部卒(カジノ経営学専攻)、日本で数少ないカジノの専門研究者。米国大手カジノ事業者にて内部監査業務を勤めた後に帰国し、2004年にエンタテインメントビジネス総合研究所に入社。主任研究員としてカジノ専門調査チームを立ち上げ、国内外の各種カジノ関連プロジェクトに携わる。’05年より早稲田大学アミューズメント総合研究所カジノ産業研究会研究員として一部出向、国内カジノ市場の予測プログラム「W‐Kシミュレータ」を共同開発。
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(国際カジノ研究所所長 木曽 崇)
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