「川」や「沼」がなくても安心できない…地名にあると水害の恐れがある「2つの動物の名前」
プレジデントオンライン / 2023年8月30日 15時15分
※本稿は、谷川彰英『全国水害地名をゆく』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
■「鶴」にちなんだ地名の数々
全国に「鶴」のつく地名は数多い。市・区レベルで言えば、山形県鶴岡市、埼玉県鶴ケ島市、神奈川県横浜市鶴見区、京都府舞鶴市などである。その他小字などを含めると数え切れないほどの数になる。
そして、その多くが日本を代表する鳥「鶴」にちなんだ伝承に彩られている。例えば埼玉県の鶴ケ島には、その昔ここの広い沼地に小高い島があり、そこに男松と女松が生えており、鶴が巣篭ったことからこの名がついたという伝承がある。だが、これはあくまで伝承であって、真偽のほどはわからない。
はっきりと鶴にちなんで命名されたという地名も存在する。北海道の「鶴居村」は、釧路総合振興局管内の阿寒郡にある村だが、これは1937(昭和12)年、天然記念物タンチョウの生息・繁殖地であることから命名されたものである。村の南部は釧路湿原を中心とする湿原・湿地帯で、まさに「鶴居村」がぴったりの村である。
一方、お城の形が鶴のように優雅であったことからついた地名もある。会津若松城が「鶴ヶ城」と呼ばれたことは有名だが、地名としては「鶴」は残らなかった。京都府の舞鶴市の場合は、この地に築城された「田辺城」が「舞鶴城」と呼ばれたことにより命名されたと言われている。
■鶴の由来は「水流」からきている
「鶴」は縁起の良い美しい鳥なので、このように多彩なバリエーションで活用されてきたのだが、その裏には洪水に見舞われる影の歴史が秘められている。
皆さんの知り合いに「水流さん」もしくは「都留さん」という人がいないだろうか。「都留」は当て字なので、もともとは「水流」と考えればいい。「水流さん」「都留さん」はその多くが九州出身のはずだ。
「鶴」という美しい地名の多くが実は「水流」に由来している。「ツル」という所は、川が鶴の首のように細長く流れている場所を指している。言い換えれば川が増水すればすぐ洪水に見舞われる湿地帯を意味しているということである。
例えば東京都新宿区の早稲田鶴巻町は、元禄年間に小石川村の田で鶴の放し飼いをしていて、それが早稲田村にも飛来したことで鶴番人を置いたことによるとも言われるが、ここを流れていた蟹川が「ツル」のようであったことに由来するとも言われる。
名古屋市の昭和区に「鶴舞」という町名がある。そこにあるJRと市営地下鉄鶴舞線の「鶴舞駅」は「つるまい」と読んでいる。ところが鶴舞駅を降りた目の前の公園は「鶴舞(つるま)公園」である。近くの「鶴舞小学校」も「鶴舞中央図書館」も「つるま」である。
この混乱は、もともとこの地にあった「ツルマ」という字名に「鶴舞」という漢字を当てたことによるものだ。低湿地帯だった当地には精進川という川が流れていた。「ツルマ」は「水流間」であったのである。1905(明治38)年に始まった公園造成の工事は1909(明治32)年に完成し、町名は「鶴舞」としたが、公園名は「ツルマ」という字名を尊重して「鶴舞公園」としたのであった。
■「鶴の湯=鶴が入っていた温泉」は正しいのか
秋田県仙北市の乳頭温泉郷は個人的に全国でもトップに推奨したい温泉である。乳頭温泉とは乳頭山(1478メートル)の麓にあることからつけられた名前だが、その「乳頭山」とは秋田県側から見た山容が少女の乳首(乳頭)に似ているところに由来する。乳頭温泉には黒湯、孫六、蟹場など7つの個性的な温泉が点在しているが、その代表格と言えば、やはり「鶴の湯」である。
鶴の湯の入り口に立ってみると、左手に陣屋と呼ばれる建物が続いている。まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥る。幅2メートルほどの川を越えると秘湯の魅力満点の混浴の露天風呂がある。この露天風呂は湯守の佐藤和志さんが湯小屋を修理していた時、偶然60度の源泉を発見してそのまま露天風呂にしたのだそうだ。
乳白色の露天風呂に身を沈めると、玉砂利の下からやや熱めの湯が直に湧いてくる。全国の温泉地を歩いているが、このような露天風呂は極めて稀である。
「鶴の湯」の由来として、その昔マタギの勘助なる人物が、鶴が温泉で傷を癒やしているのを見つけたからという伝承があるが、それは後世に作り上げた話と見ていいだろう。私が鶴の湯を知ってからすでに30年が経つが、この「鶴」は「水流」だと考えている。
■そもそも鶴が好む地形はリスクがある
鶴の湯温泉の真ん中を流れる「湯の沢」は急流で水量も豊富、いつ洪水が起こっても不思議ではない。2006(平成18)年2月10日午前11時過ぎ、鶴の湯の裏山で雪崩が発生し、1名が死亡、16名が負傷するという惨事が起こった。これは洪水ではないが、湯の沢を目指して雪崩が集中した点では洪水に準ずる災害だということができる。
「水流」という地名は九州でも宮崎県に集中している。宮崎市大塚町水流、えびの市水流、都城市上水流町などだが、いずれも河川の中流域に位置し、まさに「水が流れる」場所である。
山梨県の「都留市」も同様な背景を持っている。都留市は1954(昭和29)年、町村合併によって成立したが、「都留」という市名は古来あった「都留郡」に由来する。この「都留」という地名は桂川流域が富士山の裾野を「蔓」のように流れていることに由来するとされる。このように考えてくると、全国に散らばっている「鶴」地名の多くは「鶴」には関係なく、「水流つまり「河川の流れ」に関係しており、水害に関係した災害地名であることがわかる。
さらに「鶴」に関連した地名として「鶴田」にも注目してみたい。秋田県横手市に「鶴田」、青森県北津軽郡に「鶴田町」、宮城県大崎市に「鶴田」、福島県伊達市に「鶴田」、熊本県人吉市に「鶴田町」、鹿児島県さつま町に「鶴田」などがある。これらの地域は小さな河川が「水流」のように流れ込んでいる低湿地帯であると推測される。
鶴はこのような低湿地帯を好んで移住し棲息するが故に、「鶴」と「田」が結びついたのであろう。
■集中豪雨による洪水被害のすさまじさ
ここ数年の河川の氾濫・洪水はすさまじいものがある。2019(令和元)年秋の台風19号から翌年7月に九州を襲った集中豪雨を見ると、次の3つの河川による被害が際立っている。
長野県を流れる千曲川は日本一の長さを誇る信濃川の上流の長野県内を流れる部分の名称である。全長367キロのうち、千曲川の長さは214キロ、新潟県に入って新潟市で海に注ぐまでの信濃川と呼ばれる部分の長さは153キロとなっている。214キロという長さは天竜川を超える全国九位の河川となるわけで、それだけでも千曲川が大河であることがイメージされよう。
その千曲川を2019(令和元)年10、台風19号が襲った。長野市穂保で千曲川左岸が約70メートルにわたって決壊し、長野新幹線車両センターなど広範囲に被害が及んだことはまだ記憶に新しい。
福島、宮城両県を流れる阿武隈川は阿武隈山系を水源とし仙台平野に至る239キロの長さを誇る、東北地方では北上川に次ぐ大河である。2019(令和元)年10月の台風19号で、この阿武隈川も各地で堤防が決壊して大きな被害をもたらした。とりわけ宮城県丸森町では町の中心部がほぼ全域にわたって浸水した。
■3つの河川に共通する「クマ」
そして3つ目は熊本県の球磨川である。球磨川は県南部を流れる同県最大の河川であり、最上川・富士川と並んで日本三大急流の一つとして知られる。上流の球磨郡から流れてくることからこの名があり、人吉盆地から球磨村にかけての急流は川下り(ラフティング)の名所として知られる。
2020年7月の豪雨で球磨村の特別養護老人ホーム「千寿園」が浸水し、14名の犠牲者を出したことは痛ましい被害として記憶に残る。
この三つの河川が氾濫し、多くの被害をもたらしたのは単なる偶然と言えるのか。そうではなく、地名学的な視点で見ていくと、思わぬ共通点が浮き彫りになる。それは三川ともその名に“クマ”という字を使っていることである。
そもそも地名の由来を探る際に注意すべきなのは漢字に惑わされないことである。中国から漢字がもたらされるまで、地名は音で伝えられてきた。漢字は当て字としてあてがわれてきたのである。
千曲川、阿武隈川、球磨川に共通するのは“クマ”という音である。漢字は「曲」「隈」「球磨」と異なっているが、大きくとらえれば二つの意味がある。
■「曲がっていて」「入り組んでいる」特徴を表している
一つは「曲」に象徴されるように「川が曲がっている」状態を指している。千曲川の由来については、伝承に基づく「血隈川」説、信濃国の郡名からとったという「筑摩川」という説もあるが、いずれも根拠に乏しい。やはり、千曲川の由来は多くの曲流に由来すると考えてよい。
もう一つの説は「隈」に代表される「入り込んだ奥まった所」という意味である。実は「隈」という地名は圧倒的に九州に多い。特に福岡、佐賀、熊本の三県に集中している。人名でも佐賀県出身の大隈重信など著名人も多い。熊本も元は「隈本」だったのだが、戦国武将の加藤清正が「隈本」はマイナスのイメージがあるので勇ましい「熊本」に改称したという経緯もある。
阿武隈川の「隈」も同様な意味である。阿武隈の由来として「あふ熊」で「熊に出会った」ことによるとする説もあるが、いかにも素人の考えそうな話である。古代には「安福麻」、中世以降は「逢隈川」「青熊川」などと表記されたとのことだが、その中に「合曲川」という表記があったという。これこそ「隈」の本質を解き明かす鍵となる地名である。つまり、「隈」という「入り込んで奥まった」地点は「曲流」しているということになる。
■70名以上の死者をだした“クマ川”も
球磨川の「球磨」は“クマ”の単なる当て字と考えてよい。昔、熊本市から人吉市まで車で回ったことがある。どこまでも深い山の中を走るのみで、この先に人家があるのか不安に思うほどの山中だったが、そのうちポッカリと人吉盆地に出た。その時感じたのは、球磨郡の「球磨」は九州山系の「隈」、すなわち「入り込んだ奥まった所」に由来するのではないかということだった。
千曲川、阿武隈川、球磨川に共通するのは“クマ”すなわち「奥まった山間部をくねくね曲がって流れる」といった地形である。千曲川は佐久平や善光寺平など平野部を流れる印象があるが、小諸城址から見る千曲川のように随所に“クマ”は見受けられる。
“クマ”は「曲」「隈」「球磨」以外に容易に「熊」に転訛する。奈良県の十津川村から和歌山県新宮市に流れる熊野川も同じで、「クマ川」の典型と考えていい。2011(平成23)年の台風12号では死者72名、行方不明16名、床上浸水2162戸、床下浸水1160戸の被害をもたらしている。
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筑波大学名誉教授、元副学長
地名作家。1945年、長野県松本市生まれ。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学退職後は地名作家として全国各地を歩き、多数の地名本を出版。2019年、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されるも執筆を継続。主な著書に『京都 地名の由来を歩く』(ベスト新書、2002年)に始まる「地名の由来を歩く」シリーズ(全7冊)などがある。
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(筑波大学名誉教授、元副学長 谷川 彰英)
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