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「野球がうまければ人生OK」ではない…慶応高校・森林監督が「夏の甲子園」よりも大切にしてきたこと

プレジデントオンライン / 2023年8月25日 13時15分

107年ぶり2度目の優勝を果たし、インタビューに答える慶應の森林貴彦監督(左)=2023年8月23日、甲子園[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

8月23日、夏の甲子園の決勝が行われ、慶應義塾が仙台育英を破り優勝した。ライターの広尾晃さんは「慶應の森林監督は、勝利至上主義に走る高校野球に疑問を持ち、スポーツマンシップの大事さを広めてきた。慶應の優勝は、高校野球が変わるきっかけになるだろう」という――。

■慶應の優勝は高校野球の大きなターニングポイントになる

第105回全国高校野球選手権大会は、慶應義塾高校の107年ぶりの優勝で幕を閉じた。慶應応援団の大がかりな応援や、森林貴彦監督のユニークな指導法などが大きな話題となったこともあり、観客動員は前回大会を大きく上回りそうだが、筆者はこの大会は「高校野球が変わるターニングポイント」になるのではないかと見ている。

あまり話題にならなかったが、今回の夏の甲子園には、慶應高、おかやま山陽高、東京学館新潟高、立命館宇治高と、4つの「Liga Agresiva」参加校が出場した。

Liga Agresivaについては、当コラムでも紹介したが、高校野球のリーグ戦であり、秋季大会が終わった10月下旬から対外試合が禁止になる11月末までの期間、各県単位で行われている。

ただのリーグ戦ではない。「高校球児の将来」を考えるとともに、選手が「いつまでも野球好き」でありつづけられるために、さまざまな工夫がされている。

■木製バットを使った試合

まず、リーグ戦では「低反発の金属バットまたは木製バット」を使用することになっている。日本高野連も来季から低反発金属バットを使用することになったが、これまでの高校野球は、高反発の金属バットで本塁打を量産する球児が話題になってきた。

そうした選手は木製バットを使う大学、社会人、独立リーグ、プロでバットのギャップに苦しんできた。また木製バットを使うU18の世界大会でも、甲子園で活躍した選手たちが他の国の投手を攻略できず打撃不振にあえぐ姿がしばしば見られた。日本高野連はそのギャップを解消するために低反発バットに変更したが、それに先立つバットの改革だ。

そして、日本高野連の基準よりはるかに厳しい「球数制限」を導入した。選手の肩ひじの酷使を未然に防止するのが目的だ。

さらに、原則として「全員出場」を基本とした。強豪校では3年間試合に出られない部員も珍しくないがLiga Agresivaではどんな選手にも必ずチャンスが与えられる。また一度試合から退いた選手が再出場できる「リエントリー制度」を導入しているリーグも多い。

■受講していたある講義

そして何よりユニークなのは、参加校の全選手が「スポーツマンシップ」の講義を受講することだ。スポーツの基本姿勢である、チームメート、相手選手、ルール、審判へのリスペクトを基本に、スポーツは何のためにするのか? をしっかりと学ぶ。これによる意識の変化が何より大きいかもしれない。

スポーツマンシップ講座の講師は、立教大准教授で、日本スポーツマンシップ協会の中村聡宏代表理事が担当する。中村氏は慶應義塾普通部で、慶應高の森林貴彦監督とクラスメートだった。中村氏はラグビー部、森林監督は野球部だったが、そのころから切磋琢磨(せっさたくま)する間柄だった。

今回、Liga Agresiva出場校が地方大会を勝ち抜く大きな要因になったのは、このスポーツマンシップ講座ではないかと筆者は考えている。

スポーツマンシップの考え方では、人にやらされるのではなく、自分の意志でスポーツをする。また、勝利だけをガチガチに追求するのではなく、相手チームの選手への心配りも学ぶ。

負けたからといって大きく落ち込んだり、勝ったからといって傲慢(ごうまん)な態度を取ることも、スポーツマンシップ的にはあり得ない。勝利に向かって懸命に努力しながらも、試合が終われば相手をたたえるゆとりがある。

■なぜ相手チームのプレーに拍手したのか

今回の甲子園でも、慶應高の選手が、相手チームのファインプレーに対してベンチから拍手を送るシーンが見られた。スポーツマンシップによって、大舞台に立っても、相手を思いやったり、審判をリスペクトするのは、心のゆとりがあるからだろう。

また、やらされるのではなく主体的に動く積極性も身に付く。さらに練習でも主体性を重んじ、軍隊式のやみくもなハードトレーニングではなく、選手個々に合わせた合理的な練習も行うようになる。

阪神甲子園球場
写真=iStock.com/Loco3
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Loco3

これまでの「上意下達」の高校野球では見られなかった意識変革によってLiga Agresiva出場校は、甲子園まで勝ち抜いたのではないか。

8年前に大阪で始まったときはわずか数校だったが、今では全国28都道府県、158校にまで広がっている。今回4校が甲子園に進出したことで、「Liga Agresiva」の参加校はさらに増えるだろう。

■リーグ戦に積極的に参加する理由

慶應高の森林貴彦監督は、単に神奈川県のLiga Agresivaに参加しているだけではない。考えを同じくする指導者たちとともにリーグ戦やスポーツマンシップを学ぶことの意義を訴え、参加校を増やしていった。

そして日吉台の慶應高グラウンドをリーグ戦の会場として積極的に提供した。参加校の多くは公立校だが、こうした学校の指導者からは「慶應さんと試合ができるのは光栄だ」という声も聞かれた。しかし重要なのは試合をすることではなく、試合を通じて学ぶことだ。

森林監督は「リーグをもちろん広げていきたいが、『誰でもどうぞ』にはしたくない。リーグ戦の意義、理念を共有してほしい。Ligaに参加した部員たちは積極性、主体性、チャレンジ精神を伸ばすことができる。リーグ戦参加を通じて、部員たちの野球への愛情が高まり、スポーツマンシップを身に付け、野球界のみならず社会全般について、現状を受け入れるだけでなく、改革していく志を持つ人間になっていくことを期待している」と語った。

■他の学校と決定的に違う「推薦制度」

慶應高は、1915年、夏の甲子園の前身である「第1回全国中等学校優勝大会」から参加している。2年目の1916年には大阪の市岡中を破って全国優勝を果たしている。名門中の名門だ。以後、1960年代までは強豪私学の一角だったが、神奈川県内に新興私学が台頭するとともに甲子園から姿を消した。

どんなに優秀な選手であっても、私学最難関レベルと言われる入試を受からなければ慶應の門をくぐることはできない。慶應はその姿勢を頑なに守った。このために慶應高は、1970年代には「かつての強豪校」の一つになり、この時期には初戦で敗退することも珍しくなくなった。

こうした状況を打開したのが、1990年代に導入された「推薦制度」だ。

「勉強ができる子ばかりが集まって、慶應の生徒は画一的で面白みがなくなった」というOBなどからの批判もあり、勉強だけでなくさまざまな技芸に秀でた中学生を受け入れるために導入された制度だ。学力試験は行わず、書類審査と面接・作文で合否を判定する。

これによって野球だけでなく、他のスポーツやピアノ、バイオリン、アートなど資質に恵まれた多様な若者が慶應高の門をたたくようになった。40人の推薦枠の内、野球選手は10人程度だ。

しかし推薦枠には「9科目5段階評価、45点満点で38点以上」の内申点が必要だ。つまり一芸に秀でているだけでなく、学校の成績もトップクラスであることが求められるのだ。

日吉にある慶應義塾高等学校・第一校舎・2009年6月撮影
日吉にある慶應義塾高等学校・第一校舎・2009年6月撮影(写真=塾生/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons)

■留年は「珍しいことではない」

慶應高野球部の主力選手の多くは推薦枠で入学しているが、彼らは中学時代、野球ばかりしていたわけではなく、学校の成績もトップクラスだったのだ。実は、今季の甲子園に出場している他校の有力選手の中にも、慶應高を受験し、内申点が足りずに不合格になった選手が何人かいる。

推薦枠で合格した選手は、入学してしまえば、一般入試で入った生徒と何ら変わらない。強豪私学によくある「スポーツコース」のような特別扱いはしない。特待生も学費免除も一切ない。定期試験で落第点を取れば、どしどし留年させる。

「他校では、テストの点数に下駄を履かせたり、補講をするなど、落第しそうな生徒にはいろんな救済措置をとっているようですが、うちはそういう制度は一切ありません。テストで1点足らなくても『はい、留年』とスパッと決まります」と森林監督はさりげなく話す。

ちなみに森林監督は慶應幼稚舎(小学校)の教員だ。高校の教師から提供された選手の成績に常に目を光らせている。

清原和博氏の次男の清原勝児が留年したことが話題になったが、「珍しいことでも何でもないですね。留年した選手には“大学入試で浪人したと思えばいいんだ”と話します」と事もなげに言う。

■必要なのは経済的な余裕

慶應高には野球部寮も学寮もない。野球選手であっても通いが基本だ。だから基本的には関東圏に家がある選手しか通学できないが、中には地方から慶應高を受験して、学校の近くにマンションを借りたりして通学する生徒もいる。

慶應高の生徒はほぼ全員慶應義塾大学に進む。「慶應ブランド」を得るための教育投資と考える家もあるのだ。勉強ができても、野球がうまくても経済的に余裕がなければ慶應高に進むことができないのもまた現実ではある。

今大会では、慶應高の長髪が話題になったが、慶應高が長髪になったのは数十年以上前のことであり、それがニュースになることに、慶應の関係者からは驚きの声が出ている。髪型だけでなく、「慶應では当たり前」が「一般社会ではすごいこと」になるケースがしばしばあるのだ。

■高校野球の地殻変動

8月23日の甲子園の決勝戦、筆者は千葉県のある高校の教室でテレビ観戦をしていた。「Liga Agresiva」の千葉県でのイベントの取材だった。筆者の横には、慶應高・森林監督の盟友である立教大准教授、日本スポーツマンシップ協会の中村聡宏代表理事がいた。

「慶應高の躍進で、高校野球は変わるかもしれませんね」と中村氏は言った。

Liga Agresivaに参加している有力私学の監督は「森林先生のご活躍は、本当に刺激になります。“勝利至上主義”など、今の問題点を解決して、高校野球を変革するためにも、僕たちも慶應高に続きたいと思います」と力強く言った。

森林貴彦監督は、著書などで今の高校野球の問題点を鋭く指摘してきた。選手の自主性を奪い、健康さえも軽視する今の高校野球は変革の必要があると強く訴えてきた。

その森林監督が率いる慶應高の優勝は、単なる名門私学の復活ではなく、甲子園を頂点とする高校野球の地殻変動の始まりととらえるのが正しいのではないか。

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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。

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(スポーツライター 広尾 晃)

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