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「母の血を引いている自分が嫌でたまらない」50代娘が20年以上絶縁状態の母を見捨てられない理由

プレジデントオンライン / 2023年8月26日 11時16分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

継父と離婚した母、妹から虐待を受け続けた女性は19歳の時に家を出た。その後、出会った人のツテでアメリカへ留学。現地で2歳下の電気機器の工場に勤めていた男性と出会い、結婚した。2人の子を出産したが、夫は失踪。母と妹とは10年近く顔を合せていなかったものの、ハワイでの妹の挙式に招待され和解するかと思いきや、絶縁状態に陥ってしまった――。

【前編のあらすじ】九州地方在住の幕内絹子さん(仮名・50代)には、自分とは父親の違う妹がいる。継父はろくに働かず、外に愛人を作っては遊び歩き、たまに帰ってくると、母親にお金の無心。幕内さんが小3の時に空き巣に入って逮捕・服役した。2年後に出所し再度同居したが、その後両親は離婚。

一方、幕内さんは母親と3歳下の妹から執拗(しつよう)な嫌がらせを受け続け、高卒後、家出を決行。上京後、インディーズバンドのメンバーと交際。約1年後、友人の誘いでアメリカ留学すると2年後、交際相手とは別れ、アメリカでの生活を選んだ――。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか、彼女はそれから逃れることができたのか。

前編はこちら

■母親ゆずりの男運

日本に彼氏を残しに在住していた幕内絹子さん(仮名・50代・当時26歳)さんは、現地で友人に車で家まで送ってもらっている途中、事故に巻き込まれる。

幸い幕内さんも友人も軽症だったが、しばらくの間、相手のドライバーと連絡を取り合ううちに、おかしなつながりができた。そのドライバーから職場の同僚として、ある男性を紹介された。同じ音楽好きの男性は2歳下で電気機器の工場に勤めていた。

その頃、幕内さんはビザの関係で、いったん日本へ帰国しなければならない期限が迫っていた。彼と別れた今、帰国するとなれば、頼れるのは実家しかない。しかし、実家に戻りたくなかった。そのことを件の男性に話すと、「僕と結婚すればグリーンカード(永住・条件付永住者カード)がとれるし、仕事もできるよ」と言った。悩んだ末に幕内さんは、男性の申し出を受け入れ、結婚した。27歳の時のことだった。

ところが男性は、結婚後に豹変(ひょうへん)した。

「もともと彼がマリファナを吸っていることは知っていましたが、時々であって、日常的にやっているとは思いませんでした……」

さらに結婚後、自分のものだけでなく、幕内さんのものまでも質屋に持ち込み、そのお金でマリファナを買っていることを知ったとき、「とんでもない人と結婚してしまった」と後悔したが、時すでに遅し、だった。

「でも結婚前、『僕は子どもが好き、自分の子どもができたら、どんなことをしても子どもと家庭を守る』って言っていたことが結婚してもいいと思った理由なので、子どもができたら変わってくれるだろうとずっと期待していました」

だが、その期待は完全に裏切られた。

約1年後に妊娠すると、カフェで働いていた幕内さんに対して、「お前はコーヒーを作ることしかできないだろう? 俺と同じだけお前は稼げるか?」と言うようになり、生活費を40ドルしかくれない。しかも、夫が家賃と光熱費を払うということになっていたにもかかわらず、何カ月も滞納し、稼いだお金はほとんど酒やマリファナ代に消えた。

「文句を言うと、怒鳴られたり首を絞められたりしました。服を破られたこともあります……」

やがて男の子を出産し、さらに第2子を妊娠。そんなある日のこと、夫は突然、「もっと遊びたい! まだ家族なんて欲しくなかったんだ!」と叫び、妊娠7カ月ほどの幕内さんに向かって、「市役所の福祉課に行って、生活の支援や住居の申請をするのを勧めるよ」とひとごとのように言った。幕内さんは勧められるままに市役所を訪れ、相談したが、「現状はまだ、婚姻関係にある彼が働いていて、一緒に生活しているため、申請することはできません」と断られた。

その後、幕内さんは女の子を無事出産。1歳半の息子と0歳の娘の育児に追われていると、いつしか夫は家を出たまま帰ってこなくなった。

途方に暮れた幕内さんは、住んでいたアパートの大家に事情を話し、相談。すると大家は、夫はすでに家賃を何カ月も滞納していたにもかかわらず、「1カ月だけタダで住まわせてあげる」と言ってくれた。

夫の上司とも知り合いだった大家は、上司にも話してくれたようだ。上司はオムツや粉ミルク、食料などを持ってきてくれたうえ、車がない幕内さんの足になり、市役所に連れて行ってくれた。幕内さんは福祉を申請すると、1カ月後には母子家庭のホームレスシェルターに入ることができた。その後、ソーシャルワーカーのサポートにより、低収入の家族のためのアパートに引っ越したあと、同時期に申請していた長期の家賃補助プログラムが受理され、少し治安の良いエリアのアパートに移ることができた。

夫が出て行ってから約1年1カ月後には、子どもたちを保育所に預け、パートタイムで働きながら、学費返済不要の学校へ通い始めた。

同じ頃、ようやく離婚が成立。彼は離婚調停に来なかったため、幕内さんが親権を獲得した。養育費に関しては、彼が払う金額は決められたものの、一度も払われることはなかった。

■妹の結婚式

夫との離婚が成立したとき幕内さんは29歳になっていた。母と異父妹から日々暴言「死ね、出ていけ」と暴言を受け続け、家を出たのが19歳の秋のことだった。それから10年近くの歳月が流れた。

26歳の妹のハワイでの結婚式に招待された。過去のいきさつからも参加には躊躇もあったが、ひとつ屋根の下で暮らした肉親の晴れの舞台に行きたいという気持ちが勝った。ただ、旅費も宿泊費も出せる状況ではない。事情を話すと、あれだけ嫌がらせをしてきた母親(当時55歳)が「全部出してくれる」と言う。

幕内さん自身は結婚時に挙式をしておらず、母親と妹とは家出以来、会っていない。約1歳の娘と、2歳ちょっとの息子を抱えての移動は容易ではなかったが、久しぶりに母親と妹に会えるのを楽しみにしている自分がいた。

ビーチウェディングの準備が済んでいる会場
写真=iStock.com/ejs9
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ejs9

ところが、結婚式は親子断絶をさらに深める結果となってしまった。

ホテルに到着し、プールがあることを知った幕内さんは、母親に、「息子とプールに行ってきていい? その間娘をみててくれる?」とたずねる。母親が了解したので、幕内さんは1時間ほど部屋を離れた。

しばらくして部屋に戻ると、乳幼児である娘が1人、ベッドに置き去りにされて泣いていた。しかし幕内さんは、事を荒立てないために、「娘はもう寝返りできるから、気を付けてあげてね」とだけ母親に言った。

その翌日の夜、幕内さんはポートランドからハワイに引っ越した友人と会う予定だったため、母親に子どもたちをみてくれるようにお願いして出かけた。

2〜3時間後、部屋に戻ると、娘がベッドと壁の間に挟まって泣いているところだった。慌てて駆け寄った幕内さんが、「寝返り打つから、ベッドに置き去りにしないでって言ったじゃない!」と抗議すると、「もう1回落ちた」と薄笑いで言う母親。

「『頼んだ私が悪かった』と後悔しました。翌日、息子と散歩に行く前に、母に娘を預けようと思ったのですが、『私はあんたの子どものベビーシッターをするためにわざわざハワイまで来た訳じゃない』と断られ、最終日には、『あんたは全然何も変わってない。情けない子だ』と言われ、失意のどん底でオレゴン州に戻りました」

帰ってからまもなく、母親に妹の新居や連絡先を聞くと、「妹ちゃん、お姉ちゃんとは話したくないって言ってる」と言われ、妹の新しい住所や連絡先を教えてもらえなかった。仕方がないので幕内さんは、母親宛てに妹宛ての手紙を送り、妹に渡してもらうよう母親に頼んだ。

数日後、妹から届いた手紙には、「犯罪者の父親のことは消してしまいたい過去なのに、お姉ちゃんだけが忘れさせてくれない。お姉ちゃんの実父が一度だけお菓子を送ってきたとき、宛先にはお母さんとお姉ちゃんの名前しかなかったことも傷ついた。子どものころ、お互い喧嘩で“お前は不倫で生まれた子どもだ”“お前は泥棒の子どもだ”と言い合ったことも忘れられない。もう、一生関わりたくない」とあった。

「妹から絶縁された理由として、思い当たることと言えば、私が母に、『妹の旦那は父親の事情を知ってるの?』と聞いたことくらいです。母に『なぜ私が妹から絶縁されなくてはならないのか』と聞いてものらりくらりとかわされて、いつしか『ハワイでお姉ちゃんがいらないことを言ったから。全部お姉ちゃんが悪い』ということにされていました。母がどういう伝え方をしたのか、妹が悪いように捉えたのか、真相はわかりません。それ以降、もう20年以上、妹と連絡を取っていませんから……」

■子どもは親の所有物じゃない

結局こんな仕打ちをするのなら、母親と妹は、なぜ幕内さんを結婚式に呼んだのだろう。

幕内さんへの償いの気持ちがあったと仮定すると、「私はあんたの子どものベビーシッターをするためにわざわざハワイまで来たわけじゃない」という言葉から分かるように、約8〜9年ぶりの再会にもかかわらず、幕内さんが母親を都合良く扱いすぎていたようにも感じる。

同様に、「妹の旦那は父親の事情は知ってるの?」という幕内さんの質問も、母親にしたのは悪手だった。デリケートな話題だからこそ、妹自身にするべきではなかったか。

だからといって、幕内さんが生まれてから家出をするまで、母親が幕内さんにしてきたことは、けっして許されることではない。

すりガラスの向こう側に人影
写真=iStock.com/beest
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/beest

幕内さんが言うように、母親は、当時不倫関係にあった国立病院の事務長だった実父に事実上捨てられたという恨みから、幕内さんを疎ましく思ったのだろう。生まれてからしばらくは母方の実家に預けられ、ほとんど自分で育児をしていない。もともと疎ましく思っていたうえに、一緒にいる時間が少ないことで、なおさら愛情が芽生えなかった。

一方母親は、不倫関係を清算した後に、結婚した大工(その後、離婚)との子=妹のことは自分で育児をしている。だからどこかに出かけても、幕内さんを平気で置き去りにできたし、継父を閉め出した日も、何をするかわからない継父と対峙(たいじ)するため、不測の事態に備えて、実家に預けたのは妹だけだった。

母親にあるのは、実父に対する恨みばかりで、「なぜ私1人がこの子を育てなくてはならないのか」という憤りが幕内さんに向かうあまり、母親を幕内さんにとっての“毒母”にさせたのだ。

実は幕内さんが高3の時、一度だけ母親に連れられて、実父に会っている。

「感動的な再会では全くなく、知らないおじさんと何時間か過ごした……という感じでした。特に向こうも感激している様子もなく、私はヘッドフォンで音楽を聞きながら、食事の席にいただけです。『学校はどうだ?』『何の科目が好きだ?』とか、当たり障りのない質問をされ、それに答えるだけ。『すまなかった』とか『会いたかった』とかも一切なかったですから……」

その後、東京に出てから2度、アメリカに渡ってから1度、実父から電話があった。

「実父は、私がどういう育て方をされてきたかを聞いたことは一度もなく、ただ一方的に、母親に対する愚痴や悪口、嫌な思い出話を聞かされるだけでした。私は相づちを打ちながら、心の中で、『母がどんな人間だったのかなんて、私が一番知ってるよ。あんたは一生のうちの短期間だけだったし、逃げる場があったけど、私は何年も過ごしたんだから』と思っていました」

このことからわかるように、幕内さんの実父は、“妻と別れられなかったから母親を捨てることになってしまった”のではなく、“母親の人格的な問題に気がついたから妻と別れなかった”のだ。もちろん実父自身の人格にも問題がありそうだが……。

一時的で無責任な感情で不倫関係に陥った両親のせいで、この世に生を受けた幕内さんはとばっちりもいいところだ。

■幕内家のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

不倫に走った幕内さんの母親と実の父親は、確実に短絡的思考の持ち主だ。実の父親は、単身赴任先(国立病院)で魔が差したのかもしれないが、母親は何度かの中絶と流産を経験した後に幕内さんを出産していることから、不倫関係は長期にわたっていたことが想像でき、幕内さんの母親は自業自得とはいえ、精神的にも身体的にも、長い間苦しみを味わってきたことは想像に難くない。

幕内さんを出産後、母親は継父と見合い結婚するが、ろくに働かない継父の代わりに生活費を稼がなくてはならなかった。

母親には、親身になってくれる友達がいたようには思えず、幕内さんが生まれたばかりの頃、幕内さんを世話したのは母方の祖母ではなく、母親の一番上の兄嫁だったということや、子どもの頃、「祖父母を頼れなかった」と語る様子から、自分の実家とも良好な関係があったようには思えない。母親は、幕内家は、社会から断絶していたのだ。そのうえ、継父が犯罪を犯し、刑務所に入ったことで、ますます世間から孤立していく。

そして幕内さんは、自分の出生が不倫だったことに羞恥心を抱かずにはいられなかった。なぜなら、物心ついた頃から母親から虐げられ、継父から罵倒され、妹からも「不倫の子」とさげすまれて生きてきたのだ。幕内さんが生まれてこの方、誰にも生まれ育った家庭のことを相談しなかったのはきっと、これ以上惨めになりたくなかったからではないだろうか。

小さな子供に話しかけている女性
写真=iStock.com/kieferpix
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

■共依存の呪い

アメリカにわたってからの幕内さんは、アメリカに残りたいがためにろくでもない相手と結婚し、苦労を強いられた。シングルマザーとして生きていくために、学費返済不要のスクールへ通い、3年で卒業。オレゴン州のヘルスケアライセンスを取得した幕内さんは、メガネ技師などをしながら、2人の子どもを大学まで出した。40歳で住宅をローンで購入し、49歳のときに、病院や施設で精神病や依存症患者をサポートする仕事に就く3歳上の男性と再婚した。

「母には、『愛してる』とか、『大事な子』とか言われたことも、抱きしめてもらった記憶も、どう考えても一度もないです。電話で『どうして私だけ、要らない子どものように扱ってきたの?』と2度ほど聞き出したことがありますが、一度目は、『あんたを強い子に育てようと思った』。2度目は、『ごめんね、そんなことをしたなんて、覚えてないけど、悪いことをしたね。ホントにごめんね』と言われました。今さら謝ってもらっても、むなしいだけでした……」

現在幕内さんは、住宅を2軒購入し、1軒に住み、1軒は賃貸にして家賃収入を得ている。

「私は、世間的にはそれなりの成功はできたのに、いまだに時折、『自分は生きている価値のない人間だ』と思います。母と妹から『何をさせてもダメ』『本当に情けない人間』『死んでしまえ。でも家族に莫大な請求がくるから電車には飛び込むな』と言われ続けたことが呪いみたいに頭から離れません。何よりも、あの母の血を引いていることを思うと、自分が嫌で堪らなくなります」

母親から苦しめられ続け、血筋から嫌悪しているにもかかわらず、それでも幕内さんは今も、母親に囚われ続けている。

「母を恨んではいないです。かわいそうな人だと思います。一応親ですから、自分が年老いたときに子どもから同じことをされたら……と思うので、やはり知らん顔は人としてできないです。80歳を過ぎた母にもしものことがあれば後悔すると思うのですが、どうすればいいのか迷っています……」

妹は、コロナ前から母親とも連絡を絶ち、音信不通状態。幕内さんが従兄弟に母親の様子を見てくれるよう頼んだところ、母親の家はゴミ屋敷のようになり、足の踏み場もない状態になっていたという。

「知らん顔はできないとはいえ、今はホテル代と飛行機代が高くて帰国するのは経済的に難しいですし、もしまた母にひどいことを言われたらと思うと、もう二度と立ち直れないような気がしていて、会うのが怖い気もします。どれだけ地理的に離れても、長い時間が経っても、いまだに彼女の呪いから逃れられません……」

20年以上、遠く離れて暮らしているが、母親のことが気になって仕方がない幕内さんは、明らかに母親と共依存関係にあるように見える。50代になった今も、「母親に認めてほしい」し、「母親から愛されたい」のだろう。母親の血筋を嫌悪し、これまで受けてきた母親からの仕打ちをひどいと批判している反面、母親を見捨てられないのはそのせいだ。共依存の呪いは根深い。

さらに幕内さんはおそらく、日本を出て約30年も経っているにも関わらず、『子どもは年老いた親の面倒をみるものだ』という日本社会がかけた呪いにも惑わされているように思う。

そもそもこの“呪い”には、“親が果たすべき責任を果たした場合”という前提条件がある。子どもに対し、親が親の責任や義務を果たしていないのならば、大人になった子どもが年老いた親を世話する道理はない。少なくとも、親の面倒をみるかみないかは、当然、子どもが判断すれば良いことであり、社会が決めることではない。

だが、もしも母親がたった一人で亡くなった時、自分が世話をしなかったことを後悔することが嫌ならば、日本よりも長くアメリカに生活の拠点を置く幕内さんの場合、母親を信頼できる施設に入れるか、母親を自分の側に呼び寄せるなどの行動に移すかの2択になるだろう。

シンプルに考えれば、“捨てる”も“拾う”も問題は自分の納得次第。どちらにせよ、選択するのは自分自身だ。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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