伝説の経営者・穐田誉輝とは何者なのか…「食べログ」を作り、「クックパッド」を育てた男がいま考えていること
プレジデントオンライン / 2023年8月31日 9時15分
■経営者「穐田誉輝」とは何者か
穐田誉輝は投資家であり経営者だ。青山学院大学を出た後、日本合同ファイナンス(現ジャフコ)に入社し、1996年に中古車買い取り専門のジャックに移る。ジャックでインターネットのビジネスを始め、同社を店頭公開に導いた。
公開で得た資金で投資会社アイシーピーを設立。アイシーピーは価格比較サイトの価格.com(カカクコム)に投資。穐田は社長としてカカクコムを成長させ、これもまた店頭公開に導いた。そして、社長をしている間に食べログというグルメサイトも作っている。その後、クックパッドの社長を経て、現在は、上場企業くふうカンパニーの代表を務めている。
わたしは12月にプレジデント社から穐田誉輝とくふうカンパニーについての本を出版する。この場合、「上梓する」という表現を使う中高年ライターがいる。AIもまたその表現を使いそうな気がする。
けれど、どうなんだろう。「上梓」って読者が理解する言葉なのかな? それに、本を出すだけのことなのに、自分から「上梓する」って……。ためらいはないのかな。気張っていて、偉そうで、気取りまくっているように聞こえるのでは。
わたし自身は「上梓する」は使いたくない。
でも、まあ、いいか。細かいことだし。
■起業したのは、妹のためだった
さて、その本のために1年以上も彼と彼の仲間たちを取材した。
彼は「経営者になった理由」について、「妹が障害を持っていたから」と言った。「親が亡くなった後、サラリーマンの給料では妹の面倒を見られない」から、金を稼ぐことを決めた。それが起業の動機だ。そこらへんの起業家とは覚悟が違う。
高校生の頃から経営者になるための計画を練り、その道を進んだ。大学を出てベンチャーキャピタルに入ったのは投資と経営を学ぶためだ。一生、日本合同ファイナンスに勤めて、そこで出世しようと思ったわけではない。
3年後の1996年にジャックに転職して中古車の流通にインターネットを導入した。引き取ってきた中古車の写真をサイトに載せ、仕入れたいと思う中古車販売店の人が閲覧できるようなシステムを作った。単純なシステムだったけれど、それをやったことでジャックは「ネット企業」と評価され、店頭公開できた。
大切なのは彼が誰よりも早くインターネットをビジネスに持ち込んで、利益を上げたことだ。
1996年はウィンドウズ95が出た翌年だ。今も続くIT企業のなかで、その時点からインターネットを事業にしていたのはごく少数しかいない。
■グーグルもフェイスブックも生まれていなかった
1995年、世界のIT企業とそれを始めた経営者たちは次のような状況のなかにいた。
1975年に創業したマイクロソフトはオペレーションシステム(OS)ですでにトップシェア企業になっていた。率いていたのはビル・ゲイツ。そして、1995年にはウィンドウズ95を発売した。
1976年創業のアップルはマッキントッシュ、パワーブックというパソコンの製造販売を行っていた。創業者のひとり、スティーブン・ジョブズは当時、退社していてワークステーションを開発する新会社「NeXT」のCEOだった。
ジェフ・ベゾスがトップだったアマゾンは1995年から中古本の流通サービスを開始した。ナスダックへ上場するのは2年後だ。
グーグル、フェイスブック、OpenAI、テスラは存在していない。
日本では1981年創業のソフトバンクが先端テクノロジーの企業とされていた。だが、創業時はパソコン用パッケージソフトの販売が主な事業で、インターネット事業ではない。
ソフトバンクがIT企業になっていくのは1994年に店頭公開してからのことだ。傘下になるヤフーの日本法人が設立されたのは1996年。
実業家の堀江貴文は東京大学文学部に在学中。アルバイト、ヒッチハイク、競馬に熱中していた。1996年、ライブドアの前身にあたるオン・ザ・エッジを創業した。オン・ザ・エッジはIT企業だ。ホームページ制作以上の仕事をしている。
■早くからインターネットの風景を見ていた
GMOは前身にあたるボイスメディアが1991年の創業だ。1995年には「インターキュー」に商号を変えインターネットサービスプロバイダーとなる。グローバルメディアオンライン(GMO)に商号変更されたのは2005年のことだ。
楽天はまだ存在していない。日本興業銀行に勤めていた創業者の三木谷浩史が故郷の神戸市を襲った阪神淡路大震災の惨禍を見て起業を決意したのが1995年春のこと。その年、興銀に辞表を出し、楽天の前身となるコンサルティング会社クリムゾングループを設立した。クリムゾングループはIT企業ではなかった。楽天市場がサービスを開始したのは1997年だ。
サイバーエージェントの創業者、藤田晋は穐田と同じ青山学院大学を出て人材派遣会社のインテリジェンス(現パーソルキャリア)に勤務していた。サイバーエージェントをスタートしたのは1998年だ。
のちに日本の代表的なIT企業となるDeNA、LINE、メルカリはまだ存在していない。
穐田誉輝は行動が早かった。その頃から世界と日本のインターネットの風景を見ていた。彼がジャック、価格.com、クックパッドを成長させたのはネットに関する知見を持っていたこと、そして、誰よりも早くからネットの世界にいたからだ。
■中古車買い取り企業で自己破産の危機に
ジャックでは株式公開で資産を得た。だが、同社は独立起業した穐田に株券(当時)を渡さないという暴挙に出た。
穐田は自らの金で買った株だったのに、自分のものにすることができない…。抗議しても、ジャックは頑として渡さない。結局、彼は公開したジャックの株券を売ることができず、株券を担保にして借金し、創業資金を作るしかなかった。
理不尽な話だが、その当時は株券は紙の現物だった。現物を支配している人間が所有者になれたのである。
株を返してくれるまで、彼は借金の金利を払い続けなくてはならなかった。しかも、株券を手にできなかったままITバブルが崩壊し、さらにジャック自体にも不祥事が起こったため、株券は紙くず同然になってしまった。借金だけが残った穐田は自己破産の瀬戸際に立たされた。
ジャックを辞めた穐田が投資会社のアイシーピーを創業したのは1999年。同社が出資したカカクコムの社外取締役になったのは2000年のことだった。翌2001年には社長に就任している。だが、実質的には2000年から経営トップであり、また現場の最前線で働いた。
当時、カカクコムは従業員が5人だけのちっぽけな会社だった。秋葉原の家電販売店が売っていたパソコンの仕様と価格を載せたサイトを運営していたのだった。それでも価格比較サイトとしてはさきがけでもあり、国内では評価されていた。
ところが、そこへ外資がやってきた。
■どうやってエリート集団を撃退したのか
日本の大企業も出資していたアメリカの価格比較サイト「ディールタイム」が日本に上陸したのである。ディールタイムの日本法人はエリートを集めて攻勢をかけてきた。
一方、カカクコムはオーナーの槙野光昭と穐田の他は5人のパソコンオタクしかいなかった。業界では「カカクコムはすぐにつぶれる」「ディールタイムの勝ちだ」と噂された。
だが、穐田と彼が率いるオタクチームには気合いと覚悟があった。
「ここで負けたら生きていけない」と思い詰め、朝から晩まで秋葉原の店をまわり、売っていたパソコンのスペックを細かいところまで調べた。そして、ひとつひとつ手入力で価格.comのサイトにアップしていった。
一方のディールタイムは足を使ったりはしない。資金力と最新のマーケティング理論でカカクコムを圧倒しようとした。
だが、軍配はオタクたちに上がる。オタクたちはパソコンを買う客が仕様の細部までチェックすることをよく知っていた。仕様だけでなく本体の色、付属品の有無まで、こだわって購入していたのである。
客はサイトに載った製品番号の最後の文字までちゃんと見ていた。カカクコムの社員たちはその部分まで入力していた。そこで、客は価格.comの情報を信頼し、価格.com経由でパソコンを買うようになったのである。
最新のマーケティングはオタクの執念に負けた。
■会社都合のサービスを客に押し付けない
その時、穐田は自らの経営の根本を再確認した。それが「ユーザーファースト」。自らが客の立場で考えることだ。会社の都合で作ったサービスを客に押し付けるのではなく、客が欲しいと思ったものを提供する。いつでも客の立場で考える。客がわからない言葉で話しかけることはしない。もし、彼がライターだったら「上梓する」なんて言葉は使わない。
カカクコムの社員が大資本、最新マーケティングのディールタイムを撃退できたのは彼ら自身が客であり、自然のうちにユーザーファーストの考えを持つことができたからだ。
カカクコムの社長をやっている間に穐田が作ったグルメサイトの食べログもまたユーザーファーストのサービスだ。投稿を元にした店舗情報であり、楽天ぐるなびのような店側の宣伝を載せたサイトではない。そこで、食べログはグルメサイトのデファクト・スタンダードになった。
クックパッドの社長になったのは2012年だ。それから4年間で同社を成長させた。この時もユーザーファーストを徹底した。
さらに、彼の経営の特徴は営業戦略を策定するとともに、チームを編成して、一気に攻勢をかけることにある。戦略を立てるだけではなく、同時に人事編成を行う。そして一気呵成にやる。クックパッドは考えた通りに伸びていった。
社長時代の最後の年には創業者との争いになり、追い出された形になった。だが、もともと辞める予定だったこともあり、クックパッドの事業部だった生活関連サービスの会社を切り出して独立した。それが、現在のくふうカンパニーのグループだ。彼にとってはこれまでの仕事の集大成といえる。
■代表2人を「最下位」に据える理由
くふうカンパニーは現在、穐田と閑歳孝子が代表執行役で、番頭役をやっているのがCFO(最高財務責任者)の菅間淳だ。
くふうカンパニーのグループは全体で19社で、サービスのサイトは25以上。仕事の内容は6つの領域に関わっている。
デジタルチラシのトクバイ、家計簿アプリのZaimが入っている「日常、地域生活領域」、不動産情報のオウチーノが属する「住まい領域」、みんなのウェディングがある「結婚領域」、くふうAIスタジオが入る「デザイン/テクノロジー開発領域」、そして、「投資、事業開発領域」。最後のカテゴリーに入るのがくふうカンパニーの「経営管理領域」。
くふうカンパニー自体は事業会社の株を保有しているが、親会社とは名乗っていない。代表執行役が事業会社のトップに指示して、すべてのサービスをマネジメントしているのではなく、あくまで事業会社の業務を支援するための会社だ。
番頭役の菅間はこんな説明をする。
「一般的なグループ企業って最上位にホールディングカンパニーがあります。その下に事業会社が連なり、ユーザーは末端にいます。
くふうカンパニーは違います。穐田がいつも言っているユーザーファーストが最重要の指針ですから、最上位はユーザーです。そして、ユーザーにサービスを提供するのが事業会社、くふうカンパニーは持ち株会社ですが、支援会社ですから、事業会社の下に位置します。なかでも最下位が穐田と閑歳です。あっ、でも、最下位のふたりを支援するのが僕ですから、つまり最下位よりさらに下の存在でした」
正しくは最下位の位置を3人が受け持っていると理解できる。
■事業会社を「子会社」とは呼ばない
いずれにせよ、ユーザーが最上位であることは間違いない。会社の編成でもユーザーファーストを貫くわけだ。
では、支援会社のくふうカンパニーは何をやっているのか。
菅間は言う。
「くふうカンパニーの経理部門は経理機能を各事業会社に提供しています。くふうカンパニーに在籍しながら経理を担当することもあれば、事業会社に出向して経理事務を行うこともあります。
事業内容によって経理の在り方が違いますから経理担当はさまざまな経験を積むことができます。グループ内にはウェディングドレスを売る会社もあるので、在庫管理もやらなくてはならない。スタッフ部門の経理としてもキャリアを積むことができます。仕事の幅が広いし、キャリアを積むこともできるので、転職が有利になりますし、経理サービスの会社を起業することもできます。
うちは経営者の育成が目的ですから、社員がキャリアを積めるような組織にしてあります。経理部門だけでなく総務、広報も同じ。支援会社のくふうカンパニーがまとめて各事業会社の実務をやっています。
当社ではグループの事業会社を子会社とは言いません。一般だと出世争いに負けた幹部が行くのがグループ会社のようになっていますけれど、うちは機能としての経営者がグループ会社で働く。支援会社から経営者を派遣するケースもありますが、事業会社の意思を抑えるようなことはしません。各社の経営の意思を尊重します」
■「一生かけて儲ける競争で勝つ」
「従業員は一括して採用しています。彼らは好きな事業会社へ行くことができる。スタッフ部門でもいいです。また以前から働いている人間も興味を持った会社に移ることができます。事業会社から支援会社のスタッフ部門に移ることもできる。誰に対しても起業、独立を奨励しています」
くふうカンパニーの代表執行役がやることは全社の未来を設計することと全体を統括してアドバイスすることだ。直接、仕事を回し、企業を成長させるのは各事業会社の社長だ。
穐田自身はユーザーファーストの理念について、こう言っている。
「ユーザーファーストの徹底は優れたビジネスモデルです。これはインターネットが出てくる前はなかなか難しかったかもしれません。それまでは多くのユーザーの声をすくいあげることはほぼ無理でしたから。
インターネットでユーザーの声を集めて、それをサービスに反映させる。オーソドックスなビジネスです。通信コストが安いから、高い利益を追求しなくとも営業していける。有料課金でもそれほど高くしなくていい。薄利でいいんです。ただし、時間はかかります。1年で儲(もう)ける競争だったら負けるけれど、一生かけて儲ける競争だったら僕らのほうが絶対に勝つ」
■「人にやさしくすることが経営」の意味
同社は毎年、20人程度の新卒社員を採用している。菅間の説明にあったように配属部署は彼らが行きたいところを考慮する。結婚式サービスに興味があるならば「エニマリ」、不動産サイトをとことん追求して、その分野で起業したい人ならば、「くふう住まい」といった具合だ。事業会社だけでなく、経理、総務、広報、エンジニア、デザイナーといった部署にも行くことができる。
スタッフ部門へ行った人間も経営の勉強ができる。むろん、事業会社へ異動することもできるし、「これでもう勉強を終えた」と思ったら、いつでも起業できる。
菅間は同社の経営人材の育成については、こんな説明をしている。
「くふうカンパニーは人事の方針として経営者育成を貫いています。当社ではキャリアを積んで経営を学ぶことができます。こういう会社はありません」
穐田は辞めた人間、起業した人間に「うちの会社は実家のようなものだから、いつでも帰ってきてほしいし、気軽に相談にもおいで」と言うことにしている。
また、入ってきた新入社員にも必ず言うことがある。
「入社ありがとう。君たちに入ってもらって感謝しています。では、できるだけ早くうちの会社を辞めて、経営者になってください」
そんな穐田は経営者になるために必要な資質は「人にやさしくすること」だとしている。直截的に「人に喜んでもらうために働こう」と言うこともある。ただ、人が喜ぶことは無数にある。すぐにはわからない。
そこで、彼はまずやさしくする。
「人にやさしくすることが経営」
非常にわかりやすい。聞く人が誤解することのない、わかりやすい表現にしているのは、彼がユーザーファーストを貫いているからだ。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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