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伊勢丹から脱走した熊が新宿で大暴れ…かつての東京で頻発していた「熊出没事件」の驚くべき真相

プレジデントオンライン / 2023年9月9日 13時15分

東京都心部にも熊が出没していた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Urbanscape

東京にも熊が出没したことがある。ノンフィクションライターの中山茂大さんは「かつての東京では、見世物の熊や、個人で飼育する熊が脱走する事件が頻発していた。新宿や日本橋、日比谷といった繫華街が大騒ぎになったケースもある」という――。

■ヒグマにエサを与えたYouTuberが大炎上

最近、とあるYouTuberの「炎上」が話題になった。

札幌市南区の住宅街の近くで、ある若者が、ヒグマにピザを与えるなどして動画を撮影し、YouTubeにアップした。すると、人にもらったエサに味をしめたのか、ヒグマの親子4頭が住宅地周辺をうろつくようになってしまった。

非常に危険であるため、最終的には箱罠によって母熊を駆除したという。

野生動物にエサを与えることについては賛否両論あるだろう。

ただ、日本でほぼ唯一の野獣であるヒグマには、絶対にエサを与えてはならない。

ヒグマは非常に嗅覚が鋭く、かつエサへの執着が強いと、多くの専門家が指摘している。エサを与えようと近づく人間に対して、ヒグマが攻撃的になる可能性が高い。

ましてや市街地に近い場所でのこのような行為は、絶対に許されない。

■東京都心部にも熊が出没していた

市街地で熊が暴れて多数の怪我人を出した事例としては、令和3年に札幌市東区の住宅街にヒグマが出現し、一般人など4人が怪我を負った事件が記憶に新しい。しかし、かつて東京都心部でも、熊が繁華街に出没して、大騒ぎになったことがある。

筆者は明治初期から終戦前後まで約70年分の新聞を通読したが、筆者が把握している限りで、そうした事件が少なくとも8回は起きている。

■両国の回向院で熊による芸の興行が行われていた

一番古い記事は、以下のものだ。

両国回向院の地内にて興行をして居る熊の芸づくしは中々よく仕込んであると子供たちの評判でありましたが、先月三十日にこの熊が小家を出て近所の子供を相手にいたして狂ッて居たるを浅草馬道の寺島俊造という人、通りかかって大きに驚き、風呂しき包みを投出して子供を抱いて、ようやく熊を小家の中へ追いこんだゆえ、人に怪我もなく、すぐさま芸を始め出したと、この小家に居る新吉より申して来ました(「読売新聞」明治8年7月3日)

両国の回向院で熊による芸の興行が行われていたが、この熊が小屋を抜け出し、近所の子供に襲い掛かったが、浅草馬道の寺島俊造という人が通りかかり、持っていた風呂敷包みを投げ出して子供を抱き、熊を小屋の中に追い込んだ。誰にも怪我はなかったという。

東京のど真ん中で熊の興行とは、なんとものどかな時代である。

東京スカイツリー
写真=iStock.com/ngkaki
両国の回向院で熊による芸の興行が行われていた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/ngkaki

■熊を飼い慣らし、芸を仕込む旅芸人がいた

かつて、熊を飼い慣らし、芸を仕込む旅芸人がいたらしい。その存在は江戸時代からよく知られていたようだ。

天保年鑑に出版された『北越雪譜』(鈴木牧之編選)に、白熊を見世物にする香具師(やし)の話が記載されている。

また、次の記事は明治初期の東京での挿話である。

北海道紋別の井坂仙吉という者は、北海道の中にては名の聞えたる相撲の関取なるが、一昨年来、大熊三十疋を飼ひ馴らし、丹念に相撲を取る事を教へしに、巧みにその技を習ひ覚へ、今は本場の角力の如く東西に分れて勝負を争ふ、中にも此内の老熊二頭は行司を勤め、勝ちたる方へ口にくわえし扇子を振向くる様は実に見物なれば、来春早々、仙吉が数頭の熊を引連れて出京なし、両国回向院境内にて熊の大角力を興行すると云ふ(「読売新聞」明治16年11月21日)

北海道紋別の井坂仙吉は名前の通った相撲の関取だが、大熊30匹を飼い慣らし、相撲を取ることを教えた。本当の大相撲のように東西に分かれて、年老いた熊は行司役を務め、勝った方に扇子を振り向ける様は実に見事。来春には両国の回向院で熊の大相撲を興行すると言う。

■浅草で行われていた「人間と熊の相撲」

「熊の縊死」

先頃より浅草公園内にて大熊と人間に相撲を取らせ、見物人より幾らかづつの銭をもらッていた淸水泰助は、例の公園地改正一件につき、去る二十日限り同所を引き払いたれば、彼の大熊をどこへか値売りせんと諸方を探しているうち、幸いさる人が望むに任せ、あらましその相談を極め、明日はいよいよ金の取引をしようというその日の夕方、熊は何が気に入らぬか、にわかに暴れ出し咽喉に繋ぎありし鉄鎖にて首をくくッて死んだので、持ち主はもう一日の事で百円余の金を取り損なッたとこぼしているという(「読売新聞」明治17年7月23日)

浅草公園内で大熊と人間に相撲を取らせて、見物料を取っていた清水泰助は、同所を引き払うことになり、大熊を売り飛ばそうとしていた。幸い取引は決まったが、熊が暴れて鉄鎖で首をくくって死んでしまった。持ち主は金を取りそこなったとこぼしている、という。

浅草寺
写真=iStock.com/Gargolas
浅草で「人間と熊の相撲」が行われていた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/Gargolas

■海外には「ヤギ」と呼ばれる熊使いがいる

クマの相撲は人気があったのか、複数の興行師が似たような見世物を張っていたようだ。

実は海外にもこうした旅芸人が存在する。

数十年前には、村落や貴族の領地や小さな町をまわる『ヤギ』とよばれるクマ使いがいた。クマ使いには、ヴォルガ河流域地方の森の多い県の農民たちか、タタール人かジプシーが最も多かった。ふつうは二人づれで、一人はいわゆる『クマ使い』で、他の一人は楽師であった。楽器はロシア人なら太鼓、タタール人ならヴァイオリンときまっていた(『大陸の野生動物』V・N・シニトニコフ 山岸宏訳)

熊の知能がかなり高いことは、最近の研究でも判明しているが、相撲の行事まで務めるとはたいしたものである。

■日本橋の中央で熊が大暴れ

こうした見世物以外にも、東京都心部で、熊を個人で飼育するケースがあったらしい。また、こうした飼い熊が脱走し、しばしば大騒ぎになっていた。

次は東京日本橋で熊が暴れ出したという記事である。

「東京日本橋の中央に大熊踊い出づ」

一昨日午後三時頃のこととか、日本橋魚河岸のある鳥問屋にて、かねて買い置きし北海道産の大熊が、いかにしてか鉄鎖を断って一目散に日本橋の中央まで駆け出したれば、輻輳(ふくそう)の場所柄とて、それ、熊が逃げ出したと右往左往に逃げ馳せる騒ぎに、一時は鉄道馬車はもちろん人力車までが躊躇して一歩も進まず、混雑する折から、魚河岸より数十名の若者が駆けつけ、鳥を伏せる大籠にて熊を伏せ、三人ほどその籠の上に乗りしに、熊はさらに屈する様子もなく、ノソノソと三人を引きずる勢いに、今度は大きな箱を持ち来たり、これにてようやく生け捕りたりという(「読売新聞」明治23年11月29日)

日本橋魚河岸の鳥問屋が飼っていた大熊が、鉄鎖を切って逃げ、日本橋の中央まで駆けだした。人々が逃げようとし、渋滞が生じて、馬車や人力車も進めなくなった。魚河岸から数十名の若者が駆けつけ、鳥用の大かごで熊を捕まえ、3人ほどでかごの上に乗り押さえつけたが、熊は屈せず引きずろうとするので、今度は大きな箱を持ってきて閉じ込めたという。

日本橋
写真=iStock.com/TkKurikawa
日本橋の中央で熊が大暴れ(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/TkKurikawa

記事からすると、脱走したヒグマは成獣で、かなり大きかったことがわかるが、意外にもおとなしく捕縛されている。それにしても日本橋に熊がうろつくのは前代未聞だ。

■小笠原子爵の家から脱走した熊

次の事件はでは警察が出動し、熊もかなり暴れたようである。

「熊逸して人を騒がす」

小石川区江戸川町十一番地士族小笠原長政方にては、昨年の九月中、札幌地方の知人某より一頭の熊を寄贈されければ、庭園内へ鎖にて繋ぎ置き、さながら飼い犬のごとくに愛撫し居りしが、昨日の午後四時頃、熊はいかにして鎖を断りけん、突然邸外へはしり出でしより、同家の人々の驚きは更なり近傍の騒擾(そうじょう)ひとかたならず、かくと中の橋の派出所へ急報せし者のありしかば、直ちに数名の警官が出張し、人民に怪我あらせじと四方より獲物をふるって狂い哮る熊を追いまくりしに、熊もようやく勇気を失い隣邸の庭の槙の樹へ逃げ登れりたれば、辛くも取って押さえしという、負傷者のなかりしは何よりの僥倖(「朝日新聞」明治30年5月19日)

小石川区江戸川町の士族、小笠原長政の家に、札幌の知人から1頭の熊が寄贈された。庭園内に鎖でつないで、飼い犬のようにかわいがっていたが、どうやって鎖を切ったのか、熊が突然屋敷の外へ逃げたので、同家の人々は驚き、近隣でも大騒ぎになった。

ただちに数名の警官がやってきて熊を追い詰め、熊が隣の屋敷の庭木に逃げ登ったところを、なんとか取り押さえたという。

小石川区は現在の文京区で、「士族小笠原長政」というのは、おそらく旧華族の小笠原長丕(ながまさ)子爵のことだろう。

■2年連続で小石川を脱走した熊

実はこの同じヒグマが、その翌年にも脱走事件を起こしている。

「砲兵工廠内の熊」

東京小石川砲兵工廠の小銃製造場附属の食堂でなにやら怪しい物音がするので、守衛は不審に思って耳をそばだてると、堂内の床板をみりみりと引き剥ぐような響きで、月の光に透かし見ると一頭の大熊がさりさりと歩みいるので、詰め所の番兵等一同が駆けつけると、どこへ逃げたのか影すら見えなかった。(中略)昨年、同区新諏訪町某方で飼養していた熊一頭が、いつしか抜け出て行方知れずとなったことがあり、右熊は万が一その熊ではないかと(「北海道毎日新聞」明治31年4月3日)

小石川砲兵工廠の小銃製造場の付属食堂で怪しい物音がするので、守衛が不審に思って耳をそばだてると、床板をみりみりと引きはがすような音が響いている。月あかりに1頭の大熊が歩いているのが見え、詰所の番兵たちが駆け付けたが、すでに逃げた後だった。前年に熊が脱走して行方不明になったことがあり、同じ熊の可能性がある、という。

■熊が日比谷公園から脱走し、国会議事堂の前に出没

次の記事は、国会議事堂すぐ近くで熊が出没したという事件である。

「帝都の中央を騒がした仔熊」

東京の真ん中帝国議事堂の前、麹町内幸町三番地、東鳴倶楽部に住む大工さん田村栄次郎(五三)方で飼育中の鶏七羽が、九日午前二時頃けたたましく羽叩きをするので、イタチではないかと一家総出で騒ぎ出し、鶏小屋を調べて見ると、片隅に犬のような異様の怪物が鶏一羽を喰い殺し、まさに他の一羽に飛びかからんとしているので、件の怪物を板囲いにして寝に就いたが、怪物は間もなく囲いを破って逃げ出したのを翌朝になって発見、残念なりとばかり九日夜、怪物の喰い殺した鶏を餌にして陥穽(かんせい)を作り、怪物御座んなれと待ち構えていると、十日午前二時頃、陥穽につけた鈴がけたたましくなり、怪物がまんまと陥穽にかかり、異様な眼光を四辺に輝かしている、夜が明けると同時に近所総出で怪物の品定めをしていたところ、驚くべし帝都の真ん中を荒らした怪物は小さいながらも熊とわかり、十日午後八時、日比谷署において取り調べたところ、右は日比谷公園の仔熊で、一週間前、金網を破って逃走したものと判明、その引取方を公園事務所に通知したが、帝都の中心でかかる猛獣の熊が横行した事は物凄い話である、この熊は従来、事務所傍らの檻に入れていたが、一週間前に一般の観覧に供するつもりで公園内の檻に入れたばかりであったと(「北海タイムス」大正15年8月12日夕刊)

国会議事堂の近く、麹町内幸町に住む大工の田村栄次郎方で、飼っている鶏がけたたましく羽ばたきするので、鶏小屋を見てみると、怪物が鶏を食い殺していた。

鶏をエサに罠を作り待ち構えていると、怪物がまんまと罠にかかったが、正体は小さな熊であった。日比谷署で調べたところ、日比谷公園の檻で飼われていた子熊と判明。この子熊は1週間前に金網を破って逃げ出していたという。

内幸町といえば、霞が関の官庁街や帝国ホテルの近くだ。日比谷公園で熊を飼っており、その熊に脱走を許したことも驚きだが、一等地で鶏を飼っていたという事実にも驚かされる。

国会議事堂
写真=iStock.com/mizoula
熊が日比谷公園から脱走し、国会議事堂の前に出没(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/mizoula

■伊勢丹から逃げた熊が新宿で大暴れ

昭和12年6月には、なんとひと月に2回も、都内で熊が脱走している。

「北海道の熊公 新宿でひと暴れ」

東京新宿の伊勢丹で開かれている「北海道展覧会」にやとわれた亀田郡七飯村鍋谷氏所有の小熊君二頭、去る一日主人公に曳かれ晴れの帝都入りをしたまではよかったが山の奥の様子とはあまりにも変わったはなやかさに熊君“うオ……”とびっくり仰天、たちまち檻を破って新宿街頭に躍り出したからたまらない、帝都の一角はこれがために上を下への大騒ぎを演じた、だが熊君程へて主人公の手に捕らわれ再びもとの檻に逆戻り、雨降って地かたまるとはこのことで今では展覧会中の人気者(「小樽新聞」昭和12年6月5日)

新宿の伊勢丹で開かれた「北海道展覧会」の熊が檻を破って新宿の街へ逃げた。上を下への大騒ぎになったが、無事捕まり、展覧会の人気者になったという。

クマ
写真=iStock.com/cloudytronics
「北海道展覧会」の熊が檻を破って新宿の街へ逃げた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/cloudytronics

■豊島区長崎で脱走した2匹の子熊

「熊公脱走 納涼スリル」

二十六日夕方六時頃、豊島区長崎中町1-279号、国華ダンスホール経営者、植木三郎さん方の女中、中米正代(24)さんが庭に飼ってある(中略)熊の檻の扉が開いて、雌雄二匹の仔熊(生後一年八カ月)の姿が見えないので仰天、目白署仲町交番へ急報した。(中略)巡査の4人が駆けつけ、まず付近一帯へ「熊が逃げましたから用心してくださアい」とふれ回ったので、近所の者は青くなって家の中へ逃げ込む騒ぎ、そこへ同町二七四二植木屋、吉田甚太郎さん方から「うちの裏の竹藪の中に一匹います」という注進、捜査隊が行ってみると、雌の方が竹藪の中でガサゴソやっている。「腹が空いているらしいからパンで釣ろう」と案じた首藤部長の一策見事に、パン一片を投げてやると熊公、嬉しそうにパクつき始めたので、植木家の同居人、大野大(二四)君が勇をふるって付近の銭湯から借りてきたオガクズ入れの竹籠を伏せて逮捕。

さてもう一匹の雄のコロッケ君は植木さん方の隣家、凸版会社員■田庄六さんの庭の一丈ばかりの杉の木に登っているのを発見、梯子の先へパンをくくりつけて熊公の鼻先へ突きつけると、こやつも腹ペコと見えて、しきりにパンを掴み取ろうとする。だんだん梯子を下げると、熊子もパンの破片を追ってとろうと地面へ下りたので、例の竹籠でまたバサリ。(「読売新聞」昭和12年6月27日)

豊島区長崎中町のダンスホール経営者、植木三郎さんの女中、中米正代さんが庭に飼っていた、雄雌2匹の熊が逃げた。巡査4人が駆けつけ、「熊が逃げたので注意してください」と触れ回ったので、近所の人々は青くなって家に逃げ込んだ。同じ町の植木屋の吉田甚太郎さんから「うちの裏の竹藪に1匹います」と連絡があり、捜索隊が向かうと、雌熊がいた。

■熊は嬉しそうにパンをパクつき始めた

「腹を空かせているらしいのでパンで釣ろう」と、パンを投げてやると、熊は嬉しそうにパクつき始めたので、銭湯から借りてきたおがくず入れの竹かごで捕まえた。

もう1匹の雄熊「コロッケ君」は、隣の庭の杉の木に登っているところを発見された。はしごの先にパンをくくりつけておびき寄せ、地面に下りたところを竹かごで捕まえたという。

■熊が財布を拾ってきた話

最後に、熊が大金の入った財布を拾ってきたという挿話をご紹介しよう。

日光の金谷ホテルで飼育している牝熊を一日午後四時半ごろ大谷川に面した野つ原で運動させていると藪の中からズッシリ重い札入れをくわえてとび出した。なかに邦価に換算して八百圓の外国紙幣が入っている! 調べてみると去る十八日同ホテルに投宿したイタリー観光団十八名の一行中、新聞記者カルヂニー・ラフイルノ君の札入れだった、これについては日光署の外事係りが国観日本の面目にかけて犯人捜査中だったが皆目見当がつかず匙を投げようとしていた矢先だった、この報せを受けた係官「日光中くまなく探したんだが……」と首をかしげながらも大喜び もっとも中身の日本紙幣十五圓は消えていたが……これで一応観光日本の面目がたつと同ホテルでもこの熊公にとびきりの御馳走をして大喜びである(日光発)(「読売新聞」昭和12年3月2日)

日光の金谷ホテルで、飼育しているメス熊を運動させていると、熊が藪の中からずっしりと重い財布をくわえてきた。中には日本円で800円ほどの外国紙幣が入っている。調べた結果、イタリアの観光客が落とした財布だった。関係者は日本の面目が立ったと喜び、熊にとびきりのご馳走をしたという。

このエピソードを見ても、熊の知能の高さがうかがえるわけだが、だからこそ餌付けなどは絶対にしてはならない行為である。

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中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家・人力社代表
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。

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(ノンフィクション作家・人力社代表 中山 茂大)

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