「10代の教祖・尾崎豊」は18歳で完成していた…伝説のデビューライブ「全13曲のセットリスト」
プレジデントオンライン / 2023年9月10日 15時15分
■偉大なミュージシャンは27歳で死ぬ
1983年12月1日、アルバム「十七歳の地図」、シングル「15の夜」でデビューしたのが、この世を去って30年をすぎた今でも若者に熱く支持されている尾崎豊でした。
彼が亡くなった時に2歳だった一人息子の尾崎裕哉が、父親の年齢を超えて何年も経つのですから、感慨深いものがあります。
死亡した当時、尾崎は26歳。あまりにも早すぎる、突然の死でした。欧米には、「27クラブ(The 27 Club)」なる27歳で死亡したミュージシャン、アーティスト、俳優の一覧があります。この名称が広く知られるようになったのは、1994年にニルヴァーナのカート・コバーンが死んだ後からだとも言われています。
ローリング・ストーンズのリーダーだったブライアン・ジョーンズを筆頭に、伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスや、ブルーズの女王、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリスン、そしてカート・コバーンなど、27歳で亡くなったミュージシャンがあまりにも多いことから、いつしかそう呼ばれるようになったようです。
■なまりのない標準語で歌えるシンガー
「ロックスターは27歳で死ぬ」という、まことしやかに囁かれる法則からすれば、尾崎は一つ下の年齢になりますが、もともと日本では「享年」という場合、数え年で表すのが習わしのため、ある種の因果のようなものを感じなくもありません。
尾崎も、松田聖子と同じくソニーが主催するオーディション出身のアーティストです。彼について、まず好感を抱いたのは、なまりのない標準語で歌っていることでした。それまで、ニューミュージックのシンガーというのは(このころの社内での尾崎の扱いは、まだロックシンガーではありませんでした)、地方出身者が多く、どこかなまりがありました。その点、尾崎は東京の出身で、渋谷にある青山学院高等部に通っていたこともあり、「きれいな標準語を話す若者だな」というのが、私の第一印象でした。
声質や楽曲の良し悪しはもちろんですが、私は、いわゆる“スター”を作るにあたり、この標準語が、重要なファクターだと考えていました。尾崎に懸けてみようと思った理由の一つに、そのきれいな発音と、言葉づかいがあったのです。
■18歳、ロビーにまで人があふれたデビューライブ
そして、デビューから2カ月が経った84年2月、青山学院高等部を自主退学した尾崎は、3月15日、高等部の卒業式の当日、新宿ルイードにてデビュー後、初ライブを行いました。
会場となった、今はなき新宿ルイードは、キャパシティーこそ300名と小規模ではあったものの、まさにライブハウスのレジェンドと言ってふさわしい、フォーク、ニューミュージック、ロックのアーティストたちの登竜門の役割を果たしていた伝説の場所でした。
井上陽水、荒井由実、イルカ、シャネルズ、佐野元春らも、ここから世に出ていきました。
新宿駅東口から5分ほど歩いたところにある、紀伊国屋書店本店近くの雑居ビルの4階に、ルイードはありました。当日は、キャパに対して、倍近い観客が訪れ、入りきれなかった人たちは、狭いロビーのモニター付近に陣取っていました。
■寂しげな印象を与える横顔の輪郭も“スター”だった
先にも述べたように、多くの成功したシンガーは地方の出身で、良くも悪くもローカルカラーをしょっているのが、魅力の一つとなっていました。ロックバンドで言えば、2023年に惜しくも急逝した鮎川誠が率いる福岡県出身のロックバンド、シーナ&ザ・ロケッツなどが、その例です。尾崎とほぼ同時期、ルイードには、同じく福岡から上京したザ・ルースターズや、チェッカーズも出演していました。
ライブ当日の尾崎は、まさに都会の垢抜けした若者の持つ世界観を、ルックス、立ち姿、詞の世界、メロディー、サウンドに、粗削りながらも、みずみずしくぶつけていました。
長身で痩身、長い脚、面長の顔にかかる、さりげない長髪。時にはぐっと見開かれ、またある時には、澄んだ瞳が静かに閉じられる。やや青白い頬の線、少し流線形の寂しげな印象を人に与える横顔の輪郭に、たまらないセックスアピールを感じたものです。この横顔の輪郭も、私がスターを作るにあたり重要視する、ファクターの一つでした。
■ライブ後半の1曲目は「I LOVE YOU」
都内のエリート大学の付属高校に、つい先週まで在学していたハンサムな若者が、その美しい外見をぶち壊すエネルギーと、悩み葛藤する心の模様をビートに乗せて、聴く者の脳と腰、下腹部を刺激し、立ち止まらざるを得ない光に、からまれていきます。そうした世界が、ほとんど十分なテクニックもなくぶつけられ、ほとばしるパフォーマンスに時を忘れ、会場は、ただただ尾崎にコントロールされていました。この初ライブでも、彼が、のちに放出する底知れぬパワーと魅力の一端が垣間見えました。
怒とうの前半が終わり、ピンスポットが彼の顔の部分に絞られると、バラードが始まりました。イントロと同時に、静まり返る会場。愛の歌です。
もちろん、スタジオでの演奏や音源は聴いていましたが、さっきまで高校生だった若者が、よく愛の持つ満足感と、不意に訪れるやりきれない不安感を巧みに表現できるものだと、感心した記憶があります。
「きしむベッドの上で優しさを持ちより……」
「I LOVE YOU」でした。
■余韻にひたる観客、仕掛け人たちの目にも涙
演奏が終わると、観客が余韻にひたって、息苦しさに押しつぶされそうになっていました。
ステージ上の手前方に位置した私が、後ろの観客を見渡すと、目に光るものを見せている何人かの顔が確認できました。それが引き金になったのか、自分の目にも、何ともコントロール不能な涙が押し出されてきます。
尾崎を担当した、CBS・ソニーの須藤晃ディレクター(現:KARINTO FACTORY主宰)と、そして尾崎の所属事務所、マザーエンタープライズの社長・福田信さん(現:同社会長)の目にも、私とは違う種類の涙が頬をつたっているように見えたのは、気のせいではないでしょう。
須藤ディレクターと福田さん、私の3人で、「絶対に伝説のデビューライブにしなければならない」と、数カ月から何度も打ち合わせをし、リハーサルを重ねてきました。加えて、それ以前からレコーディング作業に入り、新曲も次々と完成させていました。
■摩擦の中から万人に認められる作品が生まれる
また、須藤ディレクターは、尾崎のラフスケッチにしかすぎない新曲のプロトタイプを、本人も交えてレコーディングが可能になるまで仕上げなければなりません。詞のテーマ決めとコード進行は、ほとんどが尾崎との共同作業でした。せっかちな性格の須藤ディレクターの言葉に傷ついて、時にサボタージュを起こす本人を、福田さんがとりなすこともあれば、かつてナベプロでマネージャーの経験を持つ私が、2人の間に入って仲裁することもありました。
かく言う福田さんもまた、コンサートのプランニングは素晴らしいものの、バック・ステージの人間の割には尖っているところがありました。福田さんが立ち上げたマネジメント会社・マザーエンタープライズの最初の資金、5000万円を投入したのは、貸付とはいえ、CBS・ソニーでした。それなのに、すっかり忘れたふうの強気な振る舞いには、閉口することもありました。今だから言えますが、尾崎本人だけを残して、新しいチームで出直そうと、何度考えたことかわかりません。
しかし、私は、自分の直感を信じました。今ここで短気を起こして、チームをばらばらにしてはいけない。とにかく、我慢しかない。万人に認められる作品は、レコード、ライブパフォーマンスも含めて、火花の出る摩擦の中からしか、いいものは生まれないと思っていたからです。
■捨て曲がいっさいない全13曲のセットリスト
たとえるなら名刀だってそうです。熱せられた鋼を何度もハンマーでたたき、水で冷やし、またそれを打ちつける、その工程からしか生まれないと言います。いい作品、パフォーマンスにはスタッフ同士が火花を散らし、お互い刃を切り結ぶぐらいの関係でないと生まれないということも、これまでの経験で知っていました。ここは、じっと“忍”の一字を決め込むことにしました。
尾崎の初ライブのセットリストは、「街の風景」、「はじまりさえ歌えない」、「Bow!」、「傷つけた人々へ」、「僕が僕であるために」、「I LOVE YOU」、「OH MY LITTLE GIRL」、「ハイスクールRock’n’Roll」、「十七歳の地図」、「愛の消えた街」、「15の夜」、アンコール①「シェリー」、アンコール②「ダンスホール」という、すべて尾崎の作詞・作曲による全13曲。
今となっては、ヒット曲、超メジャー曲のオンパレードです。いわゆる“捨て曲”が一つもないことに驚きます。この時点で、すでにアーティスト・尾崎豊は、完成していたことがわかります。
■「10代の教祖」になるとは想像していなかった
そして、終演後は、割れんばかりの拍手。観客全員が心を一つに重ね合い、期待と感動に身を委ねていました。「これはたいへんな可能性を持った新人を発掘したものだ」、「自分は何てラッキーな男なんだろう」。尾崎は、自分を限りなく高みに連れて行ってくれるアーティストに違いないと確信したデビューライブでした。
しかし、この日訪れた600名に近い観客の誰もが、わずか1年ほどで、目の前にいる若者が「10代の教祖」と呼ばれるようになり、「若者の代弁者」、「反逆のカリスマ」などと形容されるロックシンガーになるとは、想像もしていなかったに違いありません。私を含めたCBS・ソニーの関係者もそうです。おそらく尾崎自身も、想像していなかったことでしょう。
■「伝説の場所・ルイード」は2020年に閉店
なお、ルイードは、天井が低く、ステージは床から30~40センチほどで、客席との一体感、熱気は半端じゃなかった。アーティストやプロダクションにとっては、箱の大きさではなく、「ここに立つ」ということが大事なことでした。レコード会社にとっても、売れるかわからない新人を試す場所として申し分ない箱でした。
逆に言えば、そんな間口の広さが、数々の未来のスターを生んできたのです。もちろん、安全は大事ですが、消防法の改定や、先のコロナ禍もあって、この時代のような盛り上がりは、もはや望めないのだと思うと、残念でなりません。
ちなみに、ルイードは振動・騒音問題で87年1月に閉店し、別の場所で新宿ルイードK4として復活したものの、2020年9月、新型コロナウイルスの蔓延の影響から惜しまれつつ、閉店しました。
2016年2月には、尾崎の息子・裕哉が、初のワンマンライブを行っています。
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ミラクル・バス アネックス主任研究員
1941年三重県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、渡辺プロダクションに入社。1970年にCBS・ソニーレコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)へ移り、松田聖子、尾崎豊らを見出す。1992年、同社代表取締役副社長。1993年、ソニー・マガジンズ(現・エムオン・エンタテインメント)代表取締役社長。1996年、SMEアクセル代表取締役社長などソニー・ミュージックグループ要職を歴任。1998年にソニー・ミュージックエンタテインメントを退社し、ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長に。2004年にエイベックス(現・エイベックス・グループ・ホールディングス)特別顧問、エイベックス・マーケティング代表取締役会長を兼任。著書に『じたばたしても始まらない 人生51勝49敗の成功理論』(光文社)がある。
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(ミラクル・バス アネックス主任研究員 稲垣 博司)
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