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「勝ちたければ、勝とうとしてはいけない」麻雀で20年間無敗の男が語る"勝つ"と"負けない"の大きな差

プレジデントオンライン / 2023年9月15日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/123ducu

麻雀の代打ちとして「20年間無敗」。漫画やVシネマのモデルにもなった「雀鬼」こと桜井章一さん。80歳を超えたいまも、東京・町田にある「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」で若者たちに人としての道を伝え続けている。桜井さんは「最近は勝ちたい気持ちに囚われるあまり、醜い勝負をする人が増えた」という――。(第1回/全5回)

※本稿は、桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■20年間「負けなかった」男

私はかつて、麻雀の代打ち(政治家や財界人の代わりに麻雀を打つことを生業(なりわい)とする者)として勝負の世界に身を置いていた。文字通り命の懸かった真剣勝負も幾度かあったが、現役時代の20年間は一度たりとも負けることはなかった。

「負けない」と「勝つ」。

この2つの姿勢は、結果的に同じことを意味しているように見えるが、本質においてはまったく別物である。

たとえば「負けない」は、「勝ちたい」よりも「強さ」の点で勝っている。「勝ちたい」気持ちには、必然的な脆(もろ)さが伴うからだ。

■「勝ちたい」気持ちには際限がない

「勝ちたい」という気持ちには際限がない。勝つことは無条件にいいことだと思っているから、目的のためには手段を選ばず、時に卑怯(ひきょう)なことも目をつむってやってしまう。

桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)
桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)

勝者の裏側には必ず敗者がいるが、敗者を徹底して打ち負かすことが、時に相手の人生や生活を狂わせてしまうということにはつゆほども思いが至らない。

一方、「負けない」という気持ちは、人間の素の部分、本能に近いところにある。負けなければいいのだから、限度をわきまえており、相手を再起不能になるほど追い詰めたりはしない。

「負けない」という気持ちには、相手がちょっと弱ればおしまいとか、自分に必要なものが得られれば十分という「納得感」があるが、「勝ちたい」という気持ちはどこまで行っても満足はなく、得たものへ執着し、失うことへの不安と焦りを常に抱えている。そこから綻(ほころ)びや脆さが生じるのである。

本当の強さに近づくには、「勝つ」より「負けない」という感覚をどれだけ磨いて持てるかにかかっている。

■「見えない道」を歩け

そんな考えで勝負の世界を生きてきた自らのこれまでの歩みを振り返ると、私は人が歩いていない道を好んで歩いてきたと思う。みなが通る大きなわかりやすい道は端から興味がなかった。

多数の人が歩く大きな道は、たしかに安全で安心だろう。でも、私からすれば、安全や安心ばかりを求めて前へ進むことは、このうえなく退屈に感じたのである。

「雀鬼」として知られる桜井章一さん
撮影=野辺竜馬
「雀鬼」として知られる桜井章一さん - 撮影=野辺竜馬

アフリカに生まれた人類が世界中に拡散していった旅を「グレートジャーニー」というが、未開拓の地を切り拓いて前進していった彼らの旅は、まさに見えない道を歩く旅だったに違いない。

人類をグレートジャーニーの旅へ導いた遺伝子は、我々子孫にも受け継がれているはずである。しかし、長い時間をかけて文明を築くなかで次第に埋もれていき、今ではあまり表に顔を出さなくなってしまったかのようだ。

■自分だけの道を見つける

だが、人類が前に進んでいくには、見えない道を歩く遺伝子をフルに働かせて、新しい道を切り拓く人間が必ずいなくてはならない。

もちろん、未踏の地を往くには危険がつきものだ。だが、感性と能力を最大限に使って道を切り拓き、新しい何かを発見したり、つくったりすることには、このうえない喜びと満足感がある。

人生に迷いや退屈を感じたりするのは、常識や固定観念で塗り固められた大きな道ばかり歩いているからかもしれない。

時にはそこから逸れて見えない道を探ってみてはどうか。大きな道を歩いている限り、人と同じことしかできないが、自分だけの道を見つければ生きる手応えをきっと感じるはずだ。

■「目的」を持たない

我々が生きているこの社会は「目的社会」である。人々がそれぞれ無数の目的を携え、その目的に向かってせっせと動き回ることでできあがっているからだ。

人が何らかの目的を持って生きるのは当たり前だと思われるかもしれない。しかし、太古の昔、狩猟採集で生きていた人たちが持っていた目的はせいぜい、獲物や木の実など日々の食料を確保したり、獣(けもの)から襲われない工夫をしたりすることぐらいだったはずだ。

だが文明が発達して科学が生まれ、社会が複雑化していくにつれ、人間が持つ目的の数は幾何級数的に増えていくことになった。

崖の端に立つ若い女性観光客
写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

■「今」を置き去りにしてはいないか

目的を持つことは前へ進む力になるが、目的の数が多すぎるとマイナスの面が出てくる。それ自体がストレスになったり、本来の生きる意味がわからなくなったりするのだ。

客観的に見れば、現代人は数多の目的に振り回されて生きているかのようである。常に何かの目的を意識して生きているということは、心が「今」より先にあるから、「今」を十分に生きていないということだ。

心は「今」を生きてこそ、初めて充ちるものである。だから「今」を置き去りにしたような生き方は、不安と焦りを掻(か)き立てる。

そこから解放され、自分の本来の人生を取り戻すには、目的に縛られない生き方を探ることである。そのためには、「目的を持たない」時間にこそ価値があるという感性が求められるのである。

■「今を生きろ」は難しい

「この瞬間を大切に生きることが大事だと思うようになった」

生死に関わるような大きな困難を乗り越えたある著名人が、あるとき、このようなことを雑誌のインタビューで話していた。

「今を生きろ」というメッセージはまったくその通りなのだが、常に今を慈(いつく)しむかのように生きることは実際には難しい。

現実には、過去を振り返ってあれこれ悔(く)やんでみたり、将来のことを案じたり、なかなか今という瞬間に没頭できないものである。

■今度、はない

私はシュノーケリングで海に潜るのが好きで、以前はパラオによく出かけた。パラオの海の美しさを仲の良い知人に話したところ、「今度行くとき、私も連れて行ってほしいです」と言われたことがあった。

そのとき、私は「いや、“今度”というのはないんだよ」と返したのだが、その人は、何か腹にストンと落ちるものがあったという。よく聞くと、「『今を生きろ』と言われてもピンと来ないけど、『今度はない』と言われると、逆に『今』なんだということが切実に響いてきます」というのだ。

実際、今度というのは当てにならない話である。パラオにはその後、長らく行ってはいない。二度と行かない可能性も高い。未来に確実なことは何ひとつないのだ。

「今度、はない」

そんなことを日々の生活のなかでときおり意識することで、与えられた生の時間の質は変わってくるのではないだろうか。

■心を研ぎ澄まし、「感覚」を磨く

私が勝負師として生きていくうえで土台となったものは、心を研ぎ澄ますことで生まれる感覚であった。勝負や人生における私の行動、そして思考や言葉といったものは、すべてそこを貫く感覚から生まれている。

それらのエッセンスを選りすぐってまとめたものが、『雀鬼語録』に収録した86の言葉である。

何を手がかりにすればよいかわからない時代においては、前へ進むための羅針盤(らしんばん)のようなものが必要である。本書にあげた言葉のいくつかでも、そのヒントの一端になることがあれば、筆者としては望外の喜びである。

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桜井 章一(さくらい・しょういち)
雀鬼会会長
1943年東京・下北沢生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以後、圧倒的な強さで勝ち続け、20年間無敗の「雀鬼」の異名をとる。現役引退後は、「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を始める。モデルになった映画や漫画も多く、講演会などでその雀鬼流哲学を語る機会も多い。著書に『負けない技術』『流れをつかむ技術』『運を支配する』『感情を整える』『群れない生き方』など多数。

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(雀鬼会会長 桜井 章一)

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