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20年負けなしの"雀鬼"桜井章一が語る「ギリギリの勝負で運に恵まれる人、見放される人の決定的な違い」

プレジデントオンライン / 2023年9月21日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jorgenmac

実力伯仲のギリギリの勝負では「運」が勝敗を決することがある。伝説の雀鬼として名を馳せた桜井章一さんは「運が人を選ぶ」と断言し、「運には“必然の運”と“偶然の運”がある。必然の運がない人ほど、神頼みのようにして偶然の運を願うものだ」という――。(第3回/全5回)

※本稿は、桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■失敗の正体

人は自分のことを評価するとき、自分に都合のいいモノサシを使う。

ちょっとまずいことがあれば、この程度のことですんでよかった、むしろ大事に至らなくてラッキーだと考えたり、本番で結果が出なかったときには、調子が悪くてふだんの実力が発揮できなかっただけだと思ったりする。

いつもこのように考えていれば、余計なことを心配したり、へんに落ち込んだりすることもないかもしれない。

だが、常にそうであると成長や進歩はないだろう。なぜなら、失敗や不調というのは、たいがいその人の不手際や実力不足からそうなっているものなので、まずそのことを認めないことには本当の改善はないからだ。

■不調こそ我が実力なり

私は「不調こそ我が実力なり」と思っている。

調子がいいときに「これが俺の実力だ」と思えば、調子の悪いときには「これは俺の本当の姿ではない」と現実を認めたくなくなるだろう。

しかし不調というのも紛(まぎ)れもなく、その人の実力の現れである。

すると実力をはかる物差しをどこに置けばいいかという話になる。私が麻雀の真剣勝負の世界にいたとき、一番調子の悪いときを基準としたのは、そのほうが伸び代が大きくなると考えたからだ。また驕(おご)ることで自滅するような愚かさも避けることができる。

好調を基準にしてはいけない。不調を基準にするからこそ、本当の意味での可能性が広がるのである。

■「プロ」とは特定の業界でしか通用しない存在

私は麻雀の代打ちをしていた20年間、一度も負けたことがなかった。

麻雀界では著名なプロと対戦したことも幾度もある。しかし、プロに負けなかったからといって、私は自分のことをプロだと思ったことは一度もないし、むしろプロになんか絶対なりたくなかった。ずっとアマチュアのままでいいと思ってやってきた。

それは、プロというものは特定の業界でしか通用しない存在であり、そんな小さな土俵の上に立つ専門家にはなりたくないと考えていたからだ。

専門家というのは、自分が生息している世界では生き生きしていても、ほかの分野に行くと途端に水を絶たれた魚のようになってしまうものである。

■専門領域を超える「アマチュア精神」

だが、専門家のなかにはその道を極めることで、ほかの道にも通じる感性を育んだり、そうした考え方ができる人がたまにいる。そういう人は、専門領域を超えて自らの能力を発揮できるアマチュア精神を持っているのだ。

自分の専門にしがみついてプロフェッショナルと自認しているような人は、プロとしては二流だと私には感じられるのである。

プロというのは自分の専門領域に関するマニアであり、オタクである。プロという意識にとどまっている限り、視野は狭くなり、柔軟性にも欠けがちだ。

真のアマチュアリズムはプロを凌駕(りょうが)する。そんな意識でものごとに向き合ってもらいたい。

■運が人を選ぶ

さて、以上のことを前提に、どんな分野にあっても、自らの存在をかけてギリギリの闘いに臨むことはあるだろう。最後に勝負を決する重要なファクターがある。「運」だ。

運というものは、願ってやってくるようなものではない。

運というと、何やら目に見えない不可思議なもののように感じるが、実際は極めて具体的なものだ。それは、しかるべき日々の努力や生きる姿勢から、自然とやってくるものだからだ。

「運がやって来ますように」と願って行うような行為や思考は、かえって運に嫌われるものだ。むしろ、淡々とやるべきことをしっかりやっている人を運は好む。

つまり、運は求めるものではなく、運が人を選ぶと思っていたほうがいい。

少女の肩に乗る蝶
写真=iStock.com/fcscafeine
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fcscafeine

■運に選ばれる条件

では、運に選ばれる人とはどういう人なのか。

・物事には流れというものがあるが、流れを鋭くとらえる人はチャンスをものにすることができる。
・運がある人は小さなことによく気づく。大きなことは誰の目にも入ってくるが、小さなことは感覚を研ぎ澄ましていないと気づかないもの。この小さなことに現状を変えるヒントが潜んでいる。
・違和感のないものを選ぶ感性を持っている。
・「準備・実行・後始末」を1つ1つしっかりやる。

ここにあげたものは、運に選ばれる人に見られる特徴のほんの一部にすぎない。運に恵まれる人は、こうした行動や思考のパターンを平均的な人より一桁も二桁も多く持っているものである。

■「偶然の運」と「必然の運」

運は、突然降って下りてくる偶然のもの。そんなイメージを持たれている人も多いだろう。宝くじのような偶然のラッキーが存在するのは確かだ。

だが、そんな天に任せたような運には、いかなる法則もなく、まったく当てにならない。

宝くじに高額当選をした人が、宝くじの「当たるコツ」のようなものをテレビで披露しているのを見たことがあるが、そんなものはノウハウでも何でもない。もしそのようなものが本当にあるのなら、みんなそれを実践して同じように高額賞金を当てることが可能になるはずだ。

こうした偶然の運に対して「必然の運」というものがある。運に恵まれる状況は、たいがい必然の運によるものである。

■運がない人をほど「偶然の運」を頼みにする

必然の運は、日ごろの行動の仕方や気の持ちようによって誰もが呼び込むことができるものである。

たとえば、「準備・実行・後始末」という円のサイクルを切れ目なく、日常のなかでつなげていくとか、物事の流れをつかめる感性を磨くとか、仕事を楽しくする工夫を怠(おこた)らないとか、そうした行動や姿勢が必然の運を招くのである。

しかし面白いもので、必然の運がない人ほど、偶然の運を神頼みのようにして願ったりするのである。だが運の本質が何かということに気づかない限り、必然の運は永遠に姿を現さないのである。

■運命と宿命

人には変えることのできない宿命がある。たとえば、顔や体など親から受け継いだ遺伝子レベルで決められているものや、日本人として生まれたことなどは宿命だ。

一方で変えることができるのが運命だ。運命は意識や行動次第でいくらでも変えることが可能である。運命という言葉は、「命を運ぶ」と書く。生きるとは命を運ぶということだが、その命はさまざまな流れによって運ばれている。

ある家庭環境で育ったという流れ、ある学校に入ったという流れ、ある会社で働くという流れ、ある相手と結婚したという流れ。こうした大きな流れのなかから、さらに小さないくつもの流れが枝分かれして生まれてくる。

そう考えると、運命とは無数のさまざまな流れの組み合わせで決まることがわかる。

時計の針を止めようとする小さな人間
写真=iStock.com/fcscafeine
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fcscafeine

■変化を起こさなければ運命は変わらない

つまり、運命を変えるには、それまでの流れを変える行動を起こしたり、チャンスを孕(はら)んだ変化を素早く見つけ、それに遅れず飛び乗ればいいのである。そのためには、流れを大局でつかむ視野を持ちながら、同時に小さく変化する流れの綾(あや)にも気づかないといけない。

この世のすべてのことは常に変化し続ける宿命を持っており、そのなかにある一人ひとりの運命もまた変わっていくものである。

運命を定められた宿命のように感じて諦(あきら)めることはない。変化を起こさなければ、運命は本当に何も変わらないのである。

■誰の背中にもチャンスはくっついている

「あいつに今、チャンスがくっついているのになあ……」

私が主催する雀鬼会の道場生たちの対局を見ていて、そう思うことがしばしばある。チャンスが舞い降りて、道場生の背中のあたりにくっついているような感じが実際にするのだ。

けれども、それはほんの一瞬だ。当人はそれにまったく気づかない。

チャンスは気まぐれなので、あっという間に消え去り、また別の人の背中にくっついてしまう。

■チャンスは万人に平等に訪れる

勝負の場において、チャンスはめまぐるしく動き回っている。

桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)
桜井章一『雀鬼語録 桜井章一名言集』(プレジデント社)

一人ひとりのプレイヤーがつくり出す流れが複雑に絡み合えば合うほど、チャンスの動きはすさまじく速くなる。あちこちで現われたり、消えたりを、目にもとまらぬ速さで繰り返している。

麻雀のように偶然の要素を含むゲームでは、チャンスは強い人のところばかりに行ったりしない。弱い人のところにもたびたびやって来る。だが、弱い人は、背中にくっついているチャンスになかなか気づけないのだ。

チャンスはつかみとるものでなく、向こうからやって来るのである。それに気づくかどうかで、勝負の行方は大きく変わってくる。

チャンスに気づくには、ふだんの生活の小さなことにも気づく感覚を磨くことだ。そんな感性を持つことが、仕事や人生の大きなチャンスにも気づく力になるのである。

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桜井 章一(さくらい・しょういち)
雀鬼会会長
1943年東京・下北沢生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以後、圧倒的な強さで勝ち続け、20年間無敗の「雀鬼」の異名をとる。現役引退後は、「雀鬼流漢道麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」を始める。モデルになった映画や漫画も多く、講演会などでその雀鬼流哲学を語る機会も多い。著書に『負けない技術』『流れをつかむ技術』『運を支配する』『感情を整える』『群れない生き方』など多数。

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(雀鬼会会長 桜井 章一)

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