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要請通り自粛した学生ほど「無気力」として就活で切り捨てられる…「陽キャ」を求める大人の手のひら返し

プレジデントオンライン / 2023年9月26日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jyapa

大学生活の多くをコロナ禍で過ごした世代の就職活動が進んでいる。文筆家の御田寺圭さんは「活動的な若者はさらに活動的に、無気力な若者はさらに無気力にと、学生の二極化が進んでいる。背景にはこの3年間で『ただしさ』が反転したことがある」という――。

■「コロナ直撃世代」の若者たちが社会に出ていく

ご存じのとおり、新型コロナウイルスは今年5月から5類に移行した。それをひとつの区切りとして、世の中もこれまで感染対策の名目で行っていた各種制限を大幅に緩和もしくは解除し、2020年以前の姿を急速に取り戻している。「コロナ禍」と呼ばれた時代の終焉(しゅうえん)である。

それは大学も例外ではなく、これまで学内外での活動に一定の制限が課せられていた学生たちにも、ようやく「かつての日々」が戻ってきた。しかしながら、コロナによって失われた3年の影響は甚大で、2020年以降に大学に入学した学生のなかには、サークル活動に十分参加できなかったり、参加できたとしても課外活動はもちろん飲み会やコンパなどをほとんど経験しないまま今日まで過ごしてしまった人も少なくはない(全国大学生協連「第58回(2022年秋実施)学生生活実態調査 速報」)。

「新しい生活様式を守ろう」「不要不急の活動は控えて」などと騒いでいるうちに、あっという間に3年も経過してしまった。その間に先輩たちは卒業してしまい、口伝で継承されてきたサークル内のノウハウも断絶して、「作法」がそのまま消えてしまったという話もある。

いずれにしても、高校にせよ大学にせよ3年間を「コロナ禍」とともに過ごしてきたいわゆる「コロナ直撃世代」の若者たちが、いよいよこれから数年にかけて世の中に輩出される。そして私が「コロナ直撃世代」の若者たちの特徴について、企業でかれらを採用する側の人からしばしば見聞きしたのは、一見すると奇妙な感想だった。

曰く「ここ最近の若者は、優秀な人を見つけやすくなった」というのである。

■学生が「わかりやすく二極化」してしまった

「優秀な人が増えた」ではなく「優秀な人を見つけやすくなった」という表現にひっかかりを覚えた。それはつまるところ、コロナ禍が学生の質をよくする効用があったとか、そういう話ではない。そうではなくて、「無気力な人間がもっと無気力な姿をするようになったおかげで、採用する側からもわかりやすくなって、以前よりもそういう人を直感的に弾(はじ)きやすくなった」というのである。

ようするに、学生が“わかりやすく二極化”してしまったのだという。

コロナのせいで色々な制限を受けた状況においても、主体性やバイタリティや行動力がある学生たちは、ただただそれぞれが家にひきこもっていたわけではなかった。どうにか工夫して仲間とのアクティビティをつくりだし、できるかぎりの努力を尽くしていたことがより明確に分かるようになったという。若者の行動に厳しい目が向けられていた時期でも、むしろそうした制限を課せられていたことで奮起し、自分たちの頭で考えてやれることを工夫して、ポジティブに行動していた者は「見るべきところがある」と評価されたのだ。

■コロナ前はインドアな学生も「ガクチカ」のために活動をした

他方で「無気力」タイプの人はそうではなかったらしい。前者の若者たちとは異なり、本当に一切活動する意欲がないように見えてしまうのだという。いわゆる「学生時代に力を入れたこと(若者たちの通称では“ガクチカ”と呼ばれる)」についても、社会の号令にすんなりしたがって家にずっといたせいで、本当にまったく何もしていなかった人も少なくなかったようで、前者との経験値やバイタリティの差がさらにはっきりと顕在化するようになってしまったのだ。

活動的な若者はさらに活動的に、無気力な若者はさらに無気力に――どうしてこんな二極化が起こってしまったのか。

それはこの3年間における「ただしさ」が反転してしまったことが影響しているだろう。この3年間は先述したとおり「新しい生活様式を守ろう」「不要不急の外出は控えよう」「密を避けよう」「集まるよりリモートで」といった号令によって、もともと「インドア派」だった人びとにあまりに都合のよい“社会通念”が再構築された期間でもあった。2020年よりも前であれば、インドア派の若者たちだって就職では「ガクチカ」が重視されていることは分かっているからこそ、渋々ながらなんらかのアクティビティに参加していたものだ。

だがコロナ禍においては、インドアで個人完結的で非社交的なライフスタイルを送ることこそが「正義」という価値観に変わってしまい、かれらは自らアクティブに動くことを率先して放棄してしまったのではないか。

勉強する代わりに携帯電話で自撮りをする大学生のグループ
写真=iStock.com/AzmanL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AzmanL

■「壮大なドッキリ」にかかったインドアな若者たち

2020年以前には「陽キャ」的な、つまりアウトドアで集団的アクティビティをしていた人びとが向社会的で「正道」の側だったのに、コロナの3年間ではその立場がまったく反転した。インドアで閉鎖的で個人的な、いわゆる「陰キャ」的なライフスタイルを送っている人の側にこそ「ただしさ」のヘゲモニーが移ったことは事実だろう。

2020年からの3年間は、外に出るのも、他人とつるむのも、身体を動かすのも、旅行するのもあまり好きでなかったような人たちにとって、「そうすることが正解ですよ」「そうするのが社会のためになっていますよ」「それこそが正義ですよ」と、自分たちがこれまで世の中から良いようには見られていなかったはずのライフスタイルが、とつぜん応援されたり肯定されたりするようになった。文字どおりボーナスタイムだった。

「『ガクチカ』なんか、別になくていいって。世の中が家でじっとしてろっていうんだから」――と、社会からまさしく“お墨付き”をもらったからこそ、安心して堂々と「無気力」ライフを過ごしていた人も少なくなかったはずだ。責めているわけではない。とりわけ2020~2022年には本当にそういう雰囲気が世の中にあったことは私もはっきり記憶している。外に出て活動する若者は「コロナをまき散らす不届き者」として糾弾されるような雰囲気が間違いなくあったからだ。

……しかしながら、本当に残念なことだが結果論的に見ればこれは“罠”というか“壮大なドッキリ”という形になってしまったのだろう。

■企業が求めているのは「陽キャ」な若者

市民社会は「若者は外に出るな。感染を広げるな。家でじっとしてろ」と若者たちに暗黙的なプレッシャーをかけていたものの、企業社会はそれを真に受けて「無気力」をやってしまうような若者は少しも欲しがっていなかったのだ。そんなプレッシャーに屈することなく、諦めずに自分たちでできる範囲でやれること・やるべきことを見出すエネルギッシュで行動力のある「陽キャ」な若者を歓迎していた。

世の中の大人たちは本音では「無気力な(陰キャな)若者はいらん」と相変わらず思っていたのに、しかし表面的・建前的には「無気力でいることに善性」を付与するような社会的メッセージを発するという、もちろん当人たちとしてはダブルスタンダードのつもりはなかったのだろうけれど、結果論的には「正直に信じた者がバカを見る」状況を生んでしまった。

ようするにコロナの3年は――だれかがそれを明確に企んだわけではなかったのだが――企業社会ではなるべく門前払いしておきたい「無気力」な人間をより高精度に炙り出す一種のフィルターのような働きをしてしまったということである。

社会がそれを正義だと推奨するからと「お言葉に甘えて」家でじっとしていた若者たちは――社会に言われたことを従順に受け入れていただけなのに――いざ就職の段になったときには「無気力になにもしていなかったような奴はいらないからね」と撥ねられてしまったのである。

立ち尽くす男性の後ろ姿
写真=iStock.com/iiievgeniy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/iiievgeniy

■「時代の犠牲者」としての側面は否定できない

コロナ前に採用面接にやってくる若者はみな中間的というか、だれを見てもそれなりにできるような、あるいはそうでもないような、つまりよくわからないような人も多くて、評価する側は頭を悩ませていた。だが最近はずいぶんと「採るべき人/そうでない人」が見えやすくなったような気がする――そんな感想を、もしかしたらいまこの文章を読まれている方も、自分自身で感じていたり、あるいは周囲から見聞きしているかもしれない。おそらくそれは偶然ではない。

もちろん「無気力派」なかれらだって、みんながみんな好きで家でじっとしたわけではなく、国や大学からの要請に善かれと思い従ってそうなったという犠牲者的な側面があることは否定できない。だが、そんなことを申し立てたところで、社会の側が責任を取ってくれるわけがないのもまた分かり切っていたことだ。

■従順な若者たちほど切り捨てられる結果になってしまった

私は2020年のゴールデンウィーク時点でもうすでに若者たちに「しょせんは要請(お願いベース)なんだから必ず従わなきゃいけないなんてルールはない。悪いことはいわないから、気にせず友達と外に繰りだせ」と訴えたり、あるいはこのプレジデントオンラインでも「コロナパーティーをする若者こそ、社会が正常化に向かう動きを象徴している」と述べて物議をかもした(ときに炎上した)。「若者を煽る間接的な殺人者め」とまで罵られることもあった。

だが結局こうして行動制限が大幅に解除されて、事実上の「コロナ明け」となった現在には、社会的な「要請」に従った若者たちには案の定なんら報酬や埋め合わせがあったわけでもなく、「無気力な奴がもっとわかりやすくなって助かった」「やる奴は厳しい状況でもやってたんだから、そうじゃない人は自己責任でしょ」と切り捨てられる結果になってしまった。

時代のうねりに翻弄された若者たちは、「大人」がつくったこの世の中に出て、なにを感じ、そしてどう生きていくのだろうか。

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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

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