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だから阪神は18年ぶりに優勝できた…阪神OB・江本孟紀がみた「矢野前監督と岡田監督の決定的違い」

プレジデントオンライン / 2023年9月29日 13時15分

18年ぶりのリーグ優勝を決め、インタビューに答える阪神の岡田彰布監督(=2023年9月14日、甲子園) - 写真=時事通信フォト

9月14日、阪神タイガースは18年ぶり6回目のセ・リーグ優勝を果たした。野球解説者の江本孟紀さんは「優勝の最大の要因は、岡田監督がチームに緊張感を持たせたことにある。その結果、エラー数は減り、試合終盤での逆転が増えた」という――。(第1回)

※本稿は、江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。

■岡田監督の「これまでとやり方を変えますから」の意味

私が見たところ、岡田が監督になってから大きく変わった点が三つある。一つ目は「メディアやプロ野球OBに対する対応」だ。

2020年に突如として猛威をふるった新型コロナウイルスの影響で、12球団のいずれもがメディア対応から距離を置いた。「外部からウイルスが持ち込まれて首脳陣や選手に感染してしまったら、チームの根幹を揺るがすことになりかねない」というのがその理由だったが、そのおかげで、私たち野球解説者や報道陣は球場での取材からシャットアウトされた。

球場に行っても放送局の関係者とそこそこ打ち合わせをするだけで、グラウンドに降りることができない。そんなジレンマがあった。スポーツ新聞やテレビ番組の企画で監督にインタビューできる機会が与えられた場合にかぎり、直接話すことが許された。ただし、それを実現させてもらえたのは巨人の原辰徳監督だけで、ほかの球団はコロナ対策を前面に出し、まともにインタビューすらさせてもらえなかった。

だが、岡田は監督になってほどなくして、私にこう言っていた。

「来年の春季キャンプを見ていてください。これまでとやり方を変えますから」

そうして、いざキャンプ地に足を運んでみると、首脳陣と選手の取材がOKになっていた。

■あえて取材OKにしたワケ

つまり、コロナ禍前の2019年のスタイルに戻したというわけだ。これには、私はもちろんのこと、野球解説者と報道陣のほぼ全員が救われたといっていい。直接取材できないことは取材される側にとってメリットよりデメリットが多い。

球団側としては取材対応のための手続きがないので、その分の手間がなくなるのが大きい。早い話、「面倒な仕事が省かれる」というわけだ。だが、取材できない分、目の前で起きている事柄について、あることないこと書かれてしまう。この点がじつにやっかいなのだ。

たとえば、春季キャンプの中盤で、Aという主力選手が一軍から二軍に移って練習をするとしよう。この選手は開幕から逆算して調整するために、自身のコンディションのピークを3月下旬に持っていく目的で、この時期は走り込みや打ち込みといった基礎的な練習を多くしたいがために、首脳陣と話し合ってそうした措置を取ってもらったわけだ。

このことは当然、広報を通じて発表されるわけだが、取材ができない状況のままだと、「球団から出た情報は本当なのか」といぶかしがるメディアの関係者も出てくる。

■マスコミ対応のうまさ

ひどいケースになると、「球団からはそう発表されたが、じつは膝の古傷が再発して開幕を無事迎えられない可能性が高い」などという、いわゆる「飛ばし記事」を書かれてしまうことが考えられる。取材できないということは、球団にとっても、あることないこと書かれてしまうので、デメリットのほうがはるかに多いと考えても不思議ではないというわけだ。

岡田監督は、そのことを予測していたのだろう。あえてキャンプを取材させ、ありのままの状況をしかと見てもらい、首脳陣や選手から発せられる「生の声」を聞かせることで、そうした飛ばし記事を防ぎたいという思惑があったように感じる。

野球のプレー風景を撮影するカメラ
写真=iStock.com/irishblue
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/irishblue

実際、取材をしてみて、阪神の現状が鮮明にわかった。投手陣の出来具合はどうなのか、主力打者はどれだけ調整が進んでいるのか、はたまた前年まで実績がなかった選手のなかで期待できるのは誰かなど、こと細かにわかったことは、取材するわれわれにとってもメリットのほうが大きかった。

2023年の開幕前の野球解説者によるシーズン予想では阪神を優勝に推す声が大きかった。それは阪神を推すことで関西の仕事にありつこうと思っていたわけではない(無論、そうした連中も一部にいることはいるのだが)。春季キャンプで阪神の選手をじっくり見ることができたからこそ客観的な予測ができたからである。その意味では岡田監督があえて「取材OK」を打ち出したことは大きかった。

■矢野前監督との決定的違い

二つ目は「選手に対して勝つための野球を浸透させたこと」だ。前年までの阪神の野球はそれが感じられなかった。とくに矢野前監督時代の野球は、二軍であれば通用する野球、もっといえば、まるで少年野球かと思わせるような振る舞いも見せつけられた。

一例を挙げると、「1イニングの攻撃が3球で終わってもいいから積極的に振りなさい」ということである。「ファーストストライクを打て」という意味から来ているのだろうが、私にしてみれば、愚の骨頂である。

たとえストライクでも、苦手なゾーンに投げ込まれたら凡打してしまうし、「ストライクだ」と思って振ったとしても、ボールゾーンに落ちる変化球を投げられて凡打に終わることだって十分にありうる。それに、初球のファーストストライクを打ったとして、3人が3人とも凡打に終わってしまったら相手投手を楽にさせてしまう。

たとえ「今日は球が走っていないな」と思って投げていたとしても、早打ちをしてくれることで、相手投手が精神的にゆとりができてしまうことはデメリットでしかない。それより、「次はこの球を投げてくるに違いない」と相手バッテリーの配球を読みながら球数を多く投げさせるほうが間違いなく相手はいやに感じてくる。

■「当然のこと」ができていなかった阪神

私は投手をやっていたので、このあたりの心理はよくわかるのだが、早打ちしてくる打者が多いチームより、じっくりボールをよく見て待たれるほうが精神的にバテてくるものだ。それで試合の中盤から後半にかけて投げミスが増えてきて、結果的に痛打を食らう経験も幾度となくした。だからこそ矢野前監督が提唱した「積極的に打ちにいく」という野球については、私は否定的だった。

それが、岡田監督になってからは、各打者がじっくり配球を読んで打ちにいっているケースが増えている。それが証拠に、一番を打つ近本光司と二番を打つ中野拓夢は2022年シーズンより四球が格段に増えている。これは一、二番を打つ打者の本来あるべき姿といっていい。

彼らが相手投手に球数を多く投げさせるということは、球種やボールのキレなどを見せることができるうえ、相手バッテリーがどういった配球を組み立ててくるのかを後ろを打つ打者に知らせることができる。これは勝てるチームに必要な要素のひとつといっていい。

聞けば、岡田監督は四球で出塁することも年俸査定でプラスに評価するよう球団に働きかけたという。

つまり、打率だけでなく出塁率も大事だというのは当然のことだが、こうしたことが、これまで阪神でできていなかったのは、たんにそれまでの監督がやらせなかっただけで、「やればできる」ことを近本と中野が証明したにすぎないと私は見ている。

■星野とも野村とも違う

三つ目は「岡田監督と選手の関係は親父と息子である」ということだ。じつは岡田が監督になったことで、いちばん大きいのはこの点だと、私は声を大にして言いたい。

岡田のいまの年齢からすると、選手たちから見れば、実の親以上の年齢差があり、選手によっては「おじいちゃんと孫」ほどの年齢差があるかもしれない。けれども、仮にそうであったとしても、岡田監督から発せられる雰囲気は「怒ると怖いオヤジ」そのものだ。

もちろん、岡田は、かつての星野仙一さんのように選手に対して鉄拳制裁を振るうようなこともしなければ、野村克也さんのように選手に対してボヤくようなこともしない。あくまでも雰囲気だけ「怖いオヤジ」であるということだ。

だが、そのことによって、ベンチ内の雰囲気は一定の緊張感が保たれ、だらけるようなことがない。たとえ劣勢でも、試合終盤に見せ場をつくることが2022年シーズンまでより増えたのは、こうしたことと関係しているように思える。

それでは、2022年までの矢野前監督のときはどうだったのか。それは「兄貴と弟」のような雰囲気だった。一般的な兄弟の関係であれば、「仲よく支え合う」ほうが微笑ましいし、理想ではあるだろうが、それはあくまでも血縁関係の兄弟間でのことで、勝負の世界では兄弟の絆や情を持つことほど不要なものはない。

■なぜエラーが多かったのか

たとえば、エラーをした選手がベンチに戻ってきたとき、ベンチ内の雰囲気が、「まあまあ、いまのはしゃーないわな」「次、しっかり守っていこうや」という雰囲気になってしまったら、間違いなく次も似たようなミスをやらかす可能性が高い。これでは戦いに挑む集団としては失格である。

ベンチ内は試合に出ているライバル選手との争いを制する場である。同じポジションを守る控え選手にとって、レギュラーの選手がエラーをすれば、熾烈(しれつ)なヤジを飛ばして当たり前。指導しているコーチにしてみれば、「なんべん言うとんじゃ、アホ!」と厳しく叱責(しっせき)したっておかしな話ではない。

ところが、2022年シーズンまでの阪神はそうした雰囲気に欠けていた。ここ一番の勝負どころで致命的なエラーが出ていたのは、「いまのはしょうがない」という甘さがあったように思えてならなかった。それを引き起こした最大の要因が監督と選手が「兄貴と弟」だったからというわけだ。

その結果、5年連続で失策数がリーグ最多だった。兄弟間で野球をやっていれば、少々出来が悪い弟であったとしても、「いまのが捕れないのか。まあしょうがないか」と思うこともあるはずだ。だが、プロ野球の一軍の試合でそれをやってしまうと「情」になってしまう。

■勝てる組織のあるべき姿

本来であれば、ミスした選手のプレーは一軍レベルではないので、いったん二軍に落として鍛え直さなくてはならないのに、情が入ってしまうことで、なかなか二軍に落とせずにいる。そうなると、5連敗、6連敗と大型連敗という負のスパイラルに陥ったときに選手に対して非情になれなくなってしまう。プロの世界で監督と選手が兄弟のような間柄で野球をやると、デメリットしかない。

江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社)
江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)

私は「エモやんの、人生ふら~りツマミグイ」というYouTube番組を持っており、そこに招いた多くの野球人に話を聞いて感じたことは、優勝するには監督と選手が「親父と息子のような間柄でなくてはならない」ということだった。かつて広島カープで黄金時代を築いた高橋慶彦は、当時の監督だった古葉竹識さんとの関係がまさに親父と息子だったという。大野豊も別のYouTube番組で同じことを言っていた。

また、西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の黄金時代の一翼を担っていた東尾修は、監督を務めていた広岡達朗さんや森祇晶さんとの関係を高橋や大野らと同様に語っていた。

このことに気づいた私は、あらためて岡田監督と選手の関係を見ていると、まさにこれに当てはまっていることがわかった。いまの時代、岡田のような監督は若い人から見れば「うざい」「時代にそぐわない」と感じるかもしれないが、勝てる組織とは、決して兄弟のような関係ではなく、親父と息子の姿が理想だと、みなさんに伝えておきたい。

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江本 孟紀(えもと・たけのり)
プロ野球解説者
1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、1971年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、1976年阪神タイガースに移籍し、1981年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。

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(プロ野球解説者 江本 孟紀)

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