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食欲、性欲と同じコントロールできない本能である…私たちが「さみしい」と苦しむ脳科学的な理由

プレジデントオンライン / 2023年9月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PonyWang

なぜ人は「さみしい」という気持ちを抱くのか。脳科学者の中野信子さんは「食欲や性欲と同じで、簡単にはコントロールできない本能だ。だからこそ、さみしさを否定するのではなく、さみしさの解像度を上げることを心がけたほうがいい」という――。

※本稿は、中野信子『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(アスコム)の一部を再編集したものです。

■人は「さみしさ」から逃れられない

なぜ、人はさみしくなってしまうのでしょうか。

今や携帯電話やSNSで、いとも簡単に他人とつながることができる便利な世のなかに暮らしているにもかかわらず、なぜ、わたしたちはときに強いさみしさを感じ、気分が深く落ち込んでしまうのでしょうか。

「今日1日、誰とも会話をしていなくて孤独感を覚える」という人もいるでしょう。大切な人を失ったことで、何年ものあいだ喪失感から抜け出せないという人もいるでしょう。

仲のいい家族と暮らしていても、心を許せる大勢の友だちと過ごしていても、さみしさを感じることはあるはずです。事業で大成功し、巨額の富を築いて華やかな交友関係を楽しんでいるような、誰もが羨む著名人でさえ、ふとさみしさを感じることはあります。

多かれ少なかれ、すべての人の人生の、どんな瞬間にも、さみしさは心のなかのどこかに潜んでいるものなのです。わたしたちにとって、そんなありふれた感情であるにもかかわらず、なぜさみしいという感情は、こうも不快で、こうもやっかいなものなのでしょうか。

■他人と共有するのが難しく、コントロールできない感情

まず、さみしさは他人と共有することが難しい感情であることが挙げられます。

例えば、いきなり不意打ちで誰かに殴られたら、痛いと感じて、「怒り」や「恐怖」といった感情が生じると思います。自分が殴られていなくても、殴られた人にそのときの状況を聞けば、殴られた人がどのくらいの痛みを感じ、どれほど腹が立ち恐怖を感じたのか、ある程度は想像することもできます。

しかし、さみしいという感情は、感じ方の個人差が非常に大きいため、どんなときにどのように感じるのか、他の人に説明することが難しい。他人が想像することも、とても難しい感情なのです。

さみしい人というと、ついひとりでいる人を想像しがちですが、「ひとり=さみしい」とは限りません。ひとりや孤独は状態を指す言葉であり、一方のさみしいは主観的な感情だからです。

数時間ひとりになることを想像しただけで、とても悲しい気持ちになってしまう人もいれば、数日間、あるいはもっと長い時間をひとりで過ごしてもまるでさみしさを感じない人もいます。むしろ、「ひとりでいると他人に気を遣わずに済むから楽」「ひとりの時間のほうが好き」という人もいるでしょう。

■さみしいという感情にも役割がある

そもそもさみしさの理由がはっきりしていることもあれば、なぜ自分はさみしいのか、理由がよくわからないこともあります。それくらい、さみしいという感情には個人差があり、捉えどころのない心の動きなので、他人と共有することが難しいのです。

複数のネガティブ感情が重なることで、より強いさみしさを感じてしまうこともあれば、なんとなくやり過ごしていたらいつの間にか消えていた、ということもあります。さみしいという感情が消えるタイミングは、人や状況によってまちまちなので、とても扱いにくいのです。

いずれにせよ、さみしいという感情は誰のなかにも存在します。

大人になってからあまりさみしさを感じなくなったという人も、おそらく子どもの頃は、一緒にいたはずの両親からはぐれてしまったり、突然ひとりぼっちになったりするとさみしくなり、不安で泣いてしまったという経験があるのではないでしょうか。

なぜわたしたちには、さみしいという感情が生じるのか――。

この問いに対しては、脳科学や生物学の観点から、さみしいという感情には人が進化するうえで、なにかしらの役割があったからだと考えられます。

さみしいという感情は、人という社会的な生物にとって必要不可欠なものであり、ときに強い痛みを伴うほど強力に発動させることで、人という種を存続させ、進化を果たしてきたと示唆されます。

■さみしさは「人間が生き延びるため」の仕組み

赤ちゃんや幼い子どもは、母親の姿が見えなくなったとたんに泣き出し、抱きかかえられると泣き止むことがあります。

ひとりでは生きられないほど未熟な状態であるため、自分を守ってくれるはずの存在がそばにいないことは、いわば大きな生命の危機にさらされている状態です。その危機をさみしさというシグナルで敏感に感じ取り、誰かに守ってもらえるように大声で泣くことで、まわりに知らせていると見ることができるでしょう。

そう考えると、さみしさは危険や危機を予測する防御反応であると同時に、「生き延びること」を強く欲する力の淵源でもあるといえそうです。

横断歩道を渡る人々
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

わたしたちが「現代社会」と呼ぶいまの世界は、人の進化の過程においては、ほんの一瞬の出来事、それこそまばたきするような期間に過ぎません。人類は、これまで多くの時間で集団をつくり、狩りをして過ごしてきました。

初期の人類は、単独でいるよりも集団でいるほうが生存の可能性が極めて高く、共同体や組織などの社会的集団をつくることで生き延びてきたのです。哺乳類では多くの種が、餌を得るために、また個体としての脆弱(ぜいじゃく)性をカバーするために、群れをつくって生きてきました。その哺乳類のなかでも、とりわけ足が遅く、力も体も弱いのが人類です。

■食欲、性欲と同じコントロールできない本能

そんなわたしたち人類が、ここまで生き延びることができたのは、より濃密で、極めて高度な社会性を持つ集団をつくることに長けた生物だったからといえます。

そして、その社会的結び付きをより強く維持するために、集団でいるときは心地よさや安心感を抱き、孤立すると居心地が悪くなり不安やさみしさを感じるようになったと見ることができます。

そうしたシステムが、わたしたちの遺伝子に組み込まれていると考えるほうが自然なのです。さみしさが、コントロールすることが難しい情動である理由も、これで説明できそうです。

人が種を残し生き延びるためには、食欲や性欲と同じように、さみしさも意志の力などで簡単にコントロールできないように仕組まれた「本能」であると考えることができるのです。

■心の弱い人間でもなければ、劣っている人間でもない

さみしさは、人にもともと備わっている本能です。

ラッシュアワーを歩くスーツの女性
写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

だからといって、「どうしようもないのだから放っておけばいい」といいたいわけではありません。そのさみしさが深い苦しみを伴うものなら、その苦しみを少しでも和らげるために適切に対処する必要があります。

さみしさは本能であると知ったとしても、さみしさから解放されることはないでしょう。しかし、さみしさの仕組みや本質を知ることは、決して無意味なことではありません。

さみしさを脳科学や心理学の視点から、人類の進化、社会の発展との関係で科学的に考察すると、さみしさを感じる自分は心の弱い人間でもなければ、劣っている人間でもないということに気づくはずです。

また、他人のさみしさを感じにくい、理解しづらいという人も、さみしさは他人と共有するのが難しいわけですから、決して冷淡な人、思いやりのない人ではないことがわかるでしょう。

人はさみしさを感じてしまう生物だという、生物学的事実を大前提にしながら、

「なぜ、いま自分はさみしいと感じてしまうのだろう?」
「仲間といるのに、さみしさを感じるのはなぜだろう?」
「自分を苦しめているこの感情の正体はなんだろう?」

というように思考を巡らせて、さみしさの本質と向き合っていく。

そうすることで、あらためて自分の人生を捉え直したり、それまであいまいにしていた自分の本心や勝手な思い込みなどに気づいたりしながら、よりよい人生を歩んでいくことができるのではないでしょうか。

■感情と上手に付き合えるようになる

さみしいからという理由だけで安易に人とのつながりを求めると、悪意のある人に騙されたり、裏切られたり、大きなトラブルに巻き込まれたりするなど、思わぬ落とし穴にはまってしまうことがあります。

中野信子『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(アスコム)
中野信子『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(アスコム)

そんなとき、自分の感情をできるだけ客観的に見つめ、「さみしいときは思考が停止しやすいものだ。こういうときこそ、妙に優しくしてくれる人には注意が必要だ」ということを知識として知っておくことができれば、自分で自分を守ることにつながるでしょう。

さみしいという感情の扱い方を知ることは、自分を知ることでもあります。そして、自分を取り巻く社会のありようを正しく見つめることにもつながっていきます。

さみしいのはわたしだけなのだろうか?
このさみしいという感情は、本当に悪いものなのだろうか?
自分はなにと比べてさみしいと思っているのだろうか?
そもそも、さみしい人はみじめなのだろうか?

このように、より視野を広げて思考することで、様々な思い込みや、バイアスに気づくことができるかもしれません。この感情をなくすことはできませんが、さみしいという感情の見方を変えることは誰にでもできるはずです。さみしさには機能があり、むしろ有用な本能であると理解するだけでも扱いやすくなるでしょう。

■さみしさの解像度を上げれば、よりよい人生になる

さみしさをただ感じるだけでなく、もう少し解像度を上げて見つめ、考察することで、「なにをすればいいのか」「どうすれば気持ちが楽になるのか」に気づくこともあります。

自分にとって本当に必要なものや、逆に不要だったものを見つけられるかもしれません。また、「みんな一緒なんだな。あの人もわたしと同じようなさみしさを感じているのかもしれない」と、他人に思いをはせることができるかもしれません。

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中野 信子(なかの・のぶこ)
脳科学者、医学博士、認知科学者
東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年、東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『サイコパス』『不倫』、ヤマザキマリとの共著『パンデミックの文明論』(すべて文春新書)、『ペルソナ』、熊澤弘との共著『脳から見るミュージアム』(ともに講談社現代新書)、『脳の闇』(新潮新書)などがある。

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(脳科学者、医学博士、認知科学者 中野 信子)

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