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なぜ阪神は18年も優勝から遠ざかっていたのか…阪神OB・江本孟紀が見る「阪神低迷の2つの根本理由」

プレジデントオンライン / 2023年9月30日 12時15分

18年ぶりのリーグ優勝を決め、胴上げされる阪神の岡田彰布監督(=2023年9月14日、甲子園) - 写真=時事通信フォト

プロ野球の阪神タイガースは2005年以来、18年ぶり6度目のリーグ優勝を果たした。野球解説者の江本孟紀さんは「前回の優勝から18年も経ってしまったのは、監督交代のたびに大騒ぎする『お家騒動』を繰り返してきたからだ。私は歴代オーナーの責任が大きいと思う」という――。(第2回)

※本稿は、江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)の一部を再編集したものです。

■阪神で監督問題が毎回のように起きるワケ

阪神が低迷するたびに起きている「お家騒動」。阪神のお家芸などといわれ、もはや伝統芸能の域に達した感があるが、監督が交代するときには一事が万事、大騒動に発展していくことが多い。

ここ15年くらいでいえば、岡田から真弓に代わった2008年、真弓から和田に代わった2011年、金本から矢野に代わった2018年、矢野から岡田に代わった2022年あたりは監督人事で風雲急を告げていた。

12球団のなかでも、とくに阪神は熱烈なファンが多いがために、「監督が代わること」が、わが身に起きた不幸とばかりに受け止める者も少なくない。球団、そして阪神電鉄本社内では、監督の交代は「よくある人事のひとつ」だと捉えていても、ファンは「いったい、タイガースはこの先、どうなってしまうんや⁉」などと悲観的に捉えられるために、結果的に「お家騒動」などといわれてしまう一面があるのも事実だ。

つまり、ファンが静観していれば、「そこまで騒ぐほどのことか」と思えてしまうケースだって過去にはあったはずだ。とはいえ、阪神の監督が契約期間を残して退任するケースが相次いでいるのも事実だ。その根本となる原因は、どこにあるのか? 答えは二つある。

■早期に続投を宣言することの弊害

ひとつは、「シーズン途中に早々とオーナーが監督の続投宣言をしてしまうこと」だ。たとえば、オールスター前までの前半戦を2位、もしくは3位で通過したとする。Aクラスで折り返すのだから、チームとしては健闘したという評価になる。これはまだいい。

そこで、「前半戦をAクラスで頑張ってくれたのだから、後半もボチボチやってくれるだろう」という期待値を高く設定し、「監督続投」をオーナーみずからメディアを通じて高らかに宣言する。2021年は9月18日に明かしている。

すると、これを受けてチーム内で起きてしまうのが、二つ目の原因の「選手たちの緊張感がゆるんでしまう」ことにつながっていく。

監督が続投するということは一軍の首脳陣、さらには二軍監督を含めた二軍の首脳陣も大幅に刷新されるようなことは、ほぼない。翌シーズンもユニホームを着続けられるか微妙なボーダーライン上の選手はいるにしても、それ以外の大方の選手たちは、「来年も阪神のユニホームを着て現役を続けることができる」という安心感から、自分を追い込むほどの練習をしなくなる(もっとも、それ以前から自分を追い込む練習をしている選手がどれだけいるのかは疑問だが)。

■誰も次の監督になりたがらない

やがて体のキレが徐々になくなり、投手は打たれ、打者は凡打の山を築いていく。気づけば、それまで維持していた順位よりさらに落ちていき、Aクラスをキープどころか、あっけなくBクラスまで順位を落としてしまう――という負のスパイラルが続くのだ。悪いのは現場を預かる首脳陣ではなく、早々と監督の続投宣言をするオーナーと、その声に安心してゆるんでしまう選手たちになる。

阪神甲子園球場
写真=iStock.com/Loco3
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Loco3

ただし、この流れは阪神が阪神であり続けるかぎり永遠に断ち切ることのない流れになるはずだと、私は冷静に見ている。そうなると、心配なのは「この先、監督のなり手になる人材を探すのは難しいのではないか」ということだ。

就任したときには阪神ファンから大きな声援を浴び、退任する間際には一転してボロカスに言われる。過去をたどれば、ブレイザーや安藤さんのようにカミソリやゴキブリの死骸が入った手紙が自宅に届くことを考えれば、「いまの安定した生活を手放して監督をやる気はない」と考える阪神OBが大勢いたって不思議な話ではない。いまの岡田監督しかりだ。

仮に成績が落ちて失脚するとなったら、「次は誰が監督になるの?」ということになりかねない。火中の栗(くり)を拾うのはリスクがいるが、大火事のように燃え広がった炎のなかの栗を拾う者など誰もいないはずだ。

だからこそ、あえて言いたいのだが、いっぺん阪神ファンは「お家騒動が起こるメカニズム」を冷静に分析してみる必要があるのではないだろうか。

■「阪神の上層部はアホちゃいますか?」

大阪で行きつけの店で食事をしていると、ファンに握手やサインを求められる。例の辞め方で阪神を去った私だったが、ファンからの温かい声は本当にありがたいと思っている。30年ほど前、仕事で大阪に行ったとき、移動中のタクシーの運転手さんが、こんなことを私に聞いてきた。

「阪神の上層部はアホちゃいますか?」

聞けば、どんなに弱くてもオフになったら補強らしい補強をほとんどせず、前年と変わらないメンツで戦おうとしている阪神に対して不満が鬱積(うっせき)しているのだと言う。

「こんなありさまじゃ、巨人にはどうあがいたって勝てないでしょう」というわけだ。たしかに、これには一理あるが、こうしたファンの声が上がる原因のひとつに挙げられるのは、1984年から2004年まで在任した久万オーナーの責任が大きい。

■久万オーナーの功罪

久万オーナーは阪神電鉄の取締役、社長を歴任し、6歳上の小津球団社長とは出世争いのライバル的存在で、業界内では「阪神は小津か久万のどちらかがトップになる」と言われ続けてきた。

その久万氏が阪神球団のオーナーとなったのは1984年。安藤監督でシーズン4位の成績に終わると、「小津さんには辞めていただく」とライバルのクビを切り、自身がトップに座る。ここから本腰を入れてタイガースを強くする――そう思われていたのだが、久万オーナーには明確な「功」と「罪」がある。

まずは「功」の部分。なんといっても経営を安定させたことである。どんなに負け続けても儲かるしくみ――なぜ、このような経営が可能だったのか、いまもって不思議で、いろいろな人に聞かれても、明確な答えが出てこない。「阪神七不思議」というものがあったら、そのうちのひとつと見てもいいくらいだ。

普通、ぶざまな負けが続いたら、球場に行かない、グッズを買わない、スポーツ紙を買わない、阪神戦を中継しているテレビを見ない……と、ここまで徹底してもいいものだが、阪神ファンは、これらとまったく正反対の行動を取っている。「できの悪い子ほどかわいい」とはよく言ったもので、当時の阪神のチーム状況は、まさに「できの悪い子」だった。

■球団に対してお金を使わない

「罪」の部分は明快で、「チームを強くできなかったこと」だ。1990年代の終わり以降は野村さん、星野さんを監督に招聘(しょうへい)するまでは、球団に対してお金を使うことなく、自前でなんとか賄おうとしていたフシが強い。

オーナーが球団に対して、これだけドライな考え方だったからこそ、肝心の現場にいい選手は外部から入ってこなかったのだ。それを象徴するのがFAによって獲得した選手の数である。

阪神は1993年にこの制度が施行されてから1998年までの6年間で獲得したのは、オリックスの石嶺和彦(1994年)、山沖之彦(1995年)の二人だけ。

同じ時期に、巨人は中日の落合(1994年)、ヤクルトの広沢克己(1995年)、広島の川口和久(1995年)、日本ハムの河野博文(1996年)、西武の清原和博(1997年)と5人を獲っている。

巨人のこうした補強に対しては、「横取りしすぎ」「いい選手は誰でも欲しがる」と批判的な意見が多いが、本来であれば、ファンから暗黒時代などと呼ばれ、低迷期真っただ中にいた阪神こそが、巨人が獲ったレベルの選手をイの一番に補強しなければならないはずだ。

阪神が思い出したくないほど長く低迷が続いた要因のひとつは、こんなところからも垣間見える。

■野球に学歴は必要なのか

久万オーナーのもうひとつの「罪」は、暗黒時代における監督人事である。久万オーナーの時代は吉田さん、村山さん、中村、藤田と4人の生え抜きを監督に据えたが、吉田さんが監督を務めた「奇跡の1985年」と中村監督時代に健闘した1992年以外は失敗に終わったと見ていい。

こうなってしまった最大の理由は、「監督はファンにウケる人材であればいい」と安易に考えていたことだ。実際、久万オーナーは監督については、かつて「早稲田出身の中村と慶應義塾出身の安藤、名門を出た二人を交互に使っていればいい」と雑誌のインタビューに答えていた。

久万オーナーは東京帝国大学、現在の東大出身である。そのうえ、阪神電鉄の上層部は京大、神戸大出身者で固められている。エリート意識の強い久万オーナーならではの発言であり、「学歴がある者が監督を務めれば、それなりの成果を出すはずだ」と一方的に決めつけて監督に据えた理由も一方ではあったはずだ。

それだけに、高卒の藤田が監督になったのは意外といえば意外だった。当時は中村が辞任して二軍監督だった藤田にお鉢が回ってきたわけだが、藤田は阪神の暗黒時代において唯一の赤字を計上してしまった。そのうえ、順位は最下位ときたら、もはや退くしか方法はない。

■勝っても勝てなくても客が入る

藤田は生え抜きで2000安打を打った数少ないスター選手のひとりだった。それが監督で失敗し、退任後は指導者として阪神のユニホームを着る機会が一度もなかった事実から判断すると、じつに寂しい終わり方をしたものだと、つくづく考えさせられてしまった。

江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)
江本孟紀『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)

そのうえ、藤田のあとに立命館大出身の吉田さんを再々登板させたのは、いかにも安易すぎた。焼け野原と化したチーム内を再建できるのがこの人ではないことぐらい、少し考えればわかるはずなのに、久万オーナーはあえて吉田さんを指名。結果は2年間で5位、6位に終わった。

そこで、なぜ吉田さんに監督要請の声がかかったのかを考察してみる。私なりに考えた結論は、「吉田さんで、いい思いをさせてもらったから」だと見ている。第3章でも書いたが、吉田さんの時代は観客動員数が200万人超えは当たり前。勝っても勝てなくてもその現象は続いた。その事実を久万オーナーは目の当たりにしていたからこそ、「どんなに弱くても、お客さんが呼べる監督は吉田さんしかいない」と判断して、その名声にすがったのだと考えている。

とはいえ、吉田さんも村山さん(関西大出身)同様に、「過去の名声は当てにならない」ということを実証しただけに終わってしまったのは、なんとも皮肉な話ではあるが、この点は久万オーナーが残した汚点のひとつといえる。

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江本 孟紀(えもと・たけのり)
プロ野球解説者
1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、1971年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、1976年阪神タイガースに移籍し、1981年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。

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(プロ野球解説者 江本 孟紀)

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